🍠28〗─7・A─日本は災害や戦争を境に激変していた。江戸川乱歩と横溝正史の探偵小説。~No.95 

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 2022年5月5日・12日号 週刊新潮英米で再評価
 デビュー100年目『江戸川乱歩
 生誕120年『横溝正史
 『エログロ』『変態性欲』が日本ミステリーを生んだ!
 独自の発展を遂げた、日本のミステリー小説。その基礎を築いたのが、江戸川乱歩横溝正史の二大巨頭である。巧妙なトリックの一方、両雄の創作の原点には、実に『エログロ』『変態性欲』の世界があった──。幻想文学研究家・風間賢二氏が解き明かす、異端の文学史
 風間賢二
 虚構上の〈知〉のスーパーヒーローといえば、英国の作家コナン・ドイルが創造した名探偵シャーロック・ホームズでしょう。わが国では江戸川乱歩が生み出した明智小五郎、あるいは横溝正史金田一耕助。若い世代にとっては漫画やアニメでおなじみの江戸川コナン少年といったところ。
 今日では、快刀乱麻、複雑な謎をさらりと解く天才的頭脳の持ち主として畏敬の念をもって口にされる『探偵』ですが、かつては嫌われ軽蔑された存在でした。
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 いや、探偵に対する蔑視は、漱石ばかりではなく、明治時代では一般的だった。
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 また、明治時代の探偵に密告者=裏切り者といったイメージがつきまとっているのは、当時の自由民権運動とも関係しています。
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 では、我が国における文明開化以前の探偵に相当する職業は?岡っ引き、十手持ち、目明かしです。銭形平次野村胡堂)、神田河原町の半七(岡本綺堂)、人形佐七(横溝正史)が有名ですね。面白いのは、かれらが裏街道の顔役であることです。だから〝親分〟と呼ばれる。極端な話、岡っ引きの多くはかつて(あるいは現役の)極道だったわけです。
 虚構ではなく史実における世界初の探偵をご存じでしょうか?フランスのフランソワ・ヴィドック(1775~1857年)です。かれは犯罪者でした。殺人以外はあらゆる犯罪に手を染めています。……したがって投獄・脱獄をくりかえすうちに学習しました。犯罪は割に合わないと。 
 そこでまっとうな職に就きました。それがまたスゴイ。なんと警察官です。実質的には密偵・タレコミ屋。蛇の道は蛇というがごとく、裏社会や犯罪手口に精通したヴィドックは数々の手柄をあげ、最終的には国家警察パリ地区犯罪捜査局を創設して初代局長に昇りつめます。そしてパリ警察を退職後に開設したのが世界初の探偵事務所でした。
 このようにフランソワ・ヴィドックや岡っ引きの例からも明らかなように、探偵=犯罪者=忌まわしき存在というイメージははなからついてまわっていたのです。
 明智小五郎の誕生
 蛇蝎の如く嫌われ軽蔑されていた探偵が頭脳明晰なスーパ-ヒーローとして称賛されるようになったのは、日本では大正末期から昭和初期にかけてのことです。広義には1920年代から30年代、両大戦間の時期、文化的にはモガニズムの時代、俗にいう大正ロマン、昭和モダンの時期です。個人的には大正デカダンス、昭和エログロ・ナンセンスの時代でもあります。
 今述べた様々な呼称の時期に江戸川乱歩が登場して名探偵明智小五郎を産み出し、我が国に探偵小説の第1期黄金時代を招来させました。
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 ところで乱歩が文壇デビューした1923年は大正12年です。そう、関東大震災の発生した年です。
 日本で欧米化された近代が始まったのは関東大震災以降だと言われます。それまでの明治維新から大正時代にかけての一般人の感性や文化・風俗は江戸時代とさほど変わらなかった。それが大震災にとって木と紙で造られた建築物が崩壊して鉄筋コンクリートのビルディングになり、大衆文化の中心地が浅草から銀座に移行し、見世物がレビューに、茶屋がカフェに、芝居がシネマに、和服が洋服にといった具合に都会の風景が様変わりして、初めて西洋風モダニズムが我が国に浸透したと言えます。
 探偵小説
の分野でも同じようなことが言えます。西欧の実証主義的なものの見方、科学的・合理的思考法に慣れていなかった日本人にとって、ミステリー小説といっても海外の本格的な謎解きパズラーものはなかなか受け入れられませんでした。それまで翻案されて探偵小説と銘打たれた作品の多くはフランス産の、犯罪メロドラマ調のものでした。因果律にもとづく推論の妙が巧みなものより、犯罪にまつわる愛憎渦巻くドロドロの人間ドラマがサスペンスフルに語られている作品です。
 和製シャーロック・ホームズの異名をいただく『半七捕物帳』が人気を博したのは、半七の見事な推理力よりも、犯罪の動機となった共感できる人間ドラマや当時失われつつあった江戸情緒・風俗がノスタルジックに語られていたからでした。
 そんな昔ながらの文学風土を大震災並に大きく揺るがしたのが乱歩の『二銭銅貨』であり、それに続く先ほどあげた作品、……。
 そして満を持して、西欧型モダニズムの典型とでも称すべきキャラクターが1925年に誕生します。いわゆる暇をもてあそぶ〝高等遊民〟の青年明智小五郎です。初のお目見えは、やはり『新青年』誌上での『D坂の殺人事件』(1月増刊号)。
 関東大震災後に登場した新しい学問に今和次郎考現学があります。人類の残した文化や遺物・遺跡を研究する学問は考古学ですが、その現代版──今そこにある社会現象や世相・風俗を記録して考察するのが考現学です。乱歩の探偵と和次郎の考現学者がシンクロするかのように出現してきたのがおもしり。どちらも異常なまでの細かな観察と尾行追跡を手法として、物的証拠を収集し分類して考察します。そこから普段は隠されていて見えないの、あたりまえと思われているものの異相が明るみに出されます。
 変格探偵小説家
 この『D坂の殺人事件』にはもうひとつ、大きな特徴があります。同作は、古本屋の美人妻が密室で絞殺された難事件を、明智小五郎が快刀乱麻を断つ名推理で解き明かす話です。物語の前半は考現学的ですが、後半はやはり当時巷間で話題になっていた〈変態性欲〉や〈変態心理〉という学問分野の影響下にあります。……
 この〈変態〉は、ヘンタイと表記されるように、今日ではなにやらいかがわしくて印象の良くない言葉と受け取られがちですが、明治時代後半から用いられた(これも翻訳語です)当初は、〈正常〉に対する〈異常〉という意味合いでした。逸脱した事象を指していたわけです。したがって、普通なら注目しないようなもの(自殺の場所や女学生の1日の行動、婦人の寝姿とか)を対象とした考現学なども〈変態〉的だったわけです。
 〈変態〉という、いわば学術用語を文芸で最初に使用したのは森鷗外だと言われています。それは『ヰタ・セクスアリス』(明治42年)ですが、主人公の哲学者が大胆な性欲描写が問題視されて発禁処分になりました。その性的遍歴をあからさまに語った小説を執筆するさいに鷗外が参考にしたと思われるのが、ドイツの精神科医クラフト゠エビングの著作です。つまり19世紀末の西欧で誕生した性科学(セクソロジー)です。
 ともあれ、〈変態〉は〈異常〉のことであり、身体の〈正常〉に対する〈異常〉は、健康に対する病気に等しい。そして社会における病気とは〈犯罪〉にほかなりません。かくて精神を病んだ者が常軌を逸した犯罪を行う猟奇的な物語が、〈変態性欲〉や〈変態心理〉の名のもとに探偵小説として人気を博しました。
 江戸川乱歩というと、誰しも小中学生のころに読んだでしょう児童向けのシリーズ、〈怪人二十面相〉や〈少年探偵団〉、そしてもちろん名探偵明智小五郎のイメージが一般的ですが、かれが活躍した大正末から昭和初期の乱歩は、謎解き推理をメインとする〈本格探偵小説〉ではない〈変態〉、いや〈変格探偵小説〉の作家であり、エログロ・ナンセンスの旗頭と見なされていました。乱歩自身は、そのことを不快に思っていました。社会と人間の実相を虚構として語る探偵小説を新たな文芸様式と考えていたからです。
 怪奇と幻想味に満ちた妖美で異形な作品を乱歩ワールドの真骨頂と考えるファンは多いようです。いずれの作品も大正デカダンス期から昭和エログロ・ナンセンス期に発表されています。
 今こそエログロ異端思考を
 エログロ・ナンセンスの時代を第一次世界大戦後の爛熟し頽廃したモダニズム文化の到達点とすれば、第二次大戦後の焼け跡文化──カストリ雑誌の時代は、いわばエログロ・ナンセンスの第二の黄金期でしょう。この時期に頭角をあらわしたのが横溝正史であり、かれの創造した名探偵金田一耕助が人気を博しました。
 横溝正史は乱歩より8歳年下ですが、実は作家としてのデビューは早い。『新青年』の懸賞小説に応募して入選した『恐ろしき4月馬鹿(エイプリルフール)』(1921年4月号)が処女短編として知られています。その後は、『新青年』の編集長を務めています(1927年3月号─1928年9月号)。乱歩に〈変格もの〉の傑作『パノラマ島奇談』と『陰獣』を執筆させて編集したのは横溝正史でした。
 正史もまたエログロ・ナンセンスの昭和初期には『新青年』に猟奇耽異な名編『鬼火』(1935年2月号─3月号)や『蔵の中』(1935年8月号)を寄稿しています。かれの作品が乱歩の大方のそれと異なるのは、土俗的な奇怪幻想エログロ趣味に彩られてはいるものの、謎解きパズラーとして精緻な推理と巧妙なトリックが用意されている点です。
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 正史の前近代的、農村的、封建的風習が濃厚な生活環境で発生するおどろおどろしい猟奇殺人事件の数々は、江戸時代の妖異耽美にして血みどろの読本や草双紙の世界とも通底しています。とりわけ、閉鎖的な村社会における迷信や民間信仰を背景にした『八つ墓村』に顕著です。もちろん、その物語が岡山県で実際にあった『津山30人殺し事件』(昭和13年)に材をとっていることは、あまりにも有名でしょう。
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 個人的には、100年ほど前にモダニズム文化の悪趣味B級化──キッチュ化したエログロ・ナンセンス文化を図らずも牽引することになった探偵小説の両雄の作品を今一度読み直すことで、〈変態〉が、そのポップな形態のエログロが、実は正常・正統という虚飾をまとった体制的な視点から逸脱する自由な精神の謳歌であることを再確認したい。
 グローバル化が唱道されながらもきな臭い世界情勢、同時にコロナ禍によってなにやら人間の本性まで垣間見られる昨今。この不安定で先の見えない閉塞した社会においてこそ、これまで〈正常〉とか〈普通〉、〈自然〉とか言われてきたものの見方からはずれた〈変態〉的思考が必要とされるのではないでしょうか。」
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 日本の激変が分かるのは新たな減災対策を施した町の復興・再生であり、その代表例が、戦争・合戦であれば戦国時代から江戸前期にかけての江戸・大坂・名古屋などの各地の城下町であり、人災であれば明暦の大火であり、天災であれば関東大震災であり、戦災であれば太平洋戦争後の名古屋と広島である。
 現代日本の防災と減災による復興・再生の能力は、阪神淡路大震災東日本大震災を見ればわかる。
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 昔の日本人の防災と減災による復興・再生には、現代の日本人が盲信している安全神話を生み出す前例主義や横並び、出る釘は打たれるなどという無能を証明するような愚策は存在しない。 
 昔の日本人と現代の日本人の違いは、生きるか死ぬか、天災・人災・戦災・その他の不幸・不運に「いつか必ず」襲われであろう自分達の命がかかっているからである。
 それが、事に当たる上での真剣度が雲泥のさほどに違いにあられてくる。
 それこそが、「正しき言霊」である。
 地獄の様な災厄に備える防災・減災を封じ込め排除する各種安全神話とは、「悪しき言霊」である。
 その悪しき象徴的事故が、ウソの安全神話が原因で起きた東日本大震災福島第一原発事故という人災である。
 故に、悪しき言霊を盲信する現代の日本人は、正しき言霊を信奉していた昔の日本人とは全然違う日本人である。
 「転ばぬ先の杖」。昔の日本人は人は必ず転ぶとして杖を用意し、現代の日本人は自分は転ばないとして杖を用意しない。
 現代の日本と昔の日本の明暗の違いは、ここにある。
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 日本の民族文化の隠された正体とは、美醜混合のエログロ・ナンセンス、変態性欲である。
 日本民族がドン底から這い上がる活力・底力もまた、美醜混合のエログロ・ナンセンス、変態性欲であった。
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 徳川幕府は、庶民が贅沢にして豪華ではなやかな町人文化を花開かせると、質素倹約で弾圧した。
 庶民は、御上が押し付ける清廉潔白を良とする儒教的道徳に逆らう様に、野卑で淫靡なエログロナンセンス、変態性欲を持て囃して反抗した。それが、艶話や物の怪話、春画や怪奇画などであった。
 春画の代表的作品が、葛飾北斎の「蛸と海女の戯れ」である。
 が、同じ性風俗と言っても、昔の日本と現代の日本とでは全然違う。
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 日本は、江戸時代の昔から深刻な被害をもたらす甚大な災害が起きると、その後の復興事業では必ず減災対策を施してきた。
 その代表例が、明暦の大火と関東大震災であった。
 が、戦後の日本、特にバブル経済繁栄以降の日本人は何ら根拠のない愚かな安全神話に取り憑かれた偏狭信者として悪しき言霊をまき散らして日本の屋台骨の強靱度を軟弱にし無力化して、日本は数多くの破壊的壊滅的自然災害が同時多発的に複合発生する恐ろしい危険地帯である事を忘れてしまった。
 それが、阪神淡路大震災東日本大震災及び福島第一原発事故であった。
 つまり、現代の日本は昔の日本とは全然違う日本である。
 その違いは、復興・再生までにかかった年月である。
 昔の日本人と現代の日本人との違いは歴然としている。
 言霊には、人を殺す悪しき言霊(呪詛)と人を生かす正しき言霊(言祝ぎ)が存在する。
 なぜ違うかと言えば、それは数万年前の石器時代縄文時代、数千年前の弥生時代古墳時代からの先祖が命を犠牲にしながら育んできた民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力を持っているかいないかである。
 では、その犯人が誰かと言えば、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者と学者・教育者らである。
 つまり、昔の日本の復活を阻止してきたキリスト教価値観及びマルクス主義価値観の戦後民主主義教育世代である。
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