🦋7〗─3─メディアが煽った風評被害。ダイオキシン汚染と環境ホルモン騒動。平成10年。~No.30 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本人は、善意の暴走や正義の暴力を起こす性癖がある。
 それが同調圧力である。
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 2021年11月13日・20日号 週刊現代「人は間違える
 『ダイオキシン騒動』と『環境ホルモン』に踊った23年前のこと
 NHKも『ニュースステーション』も、煽りに煽った
 目に見えない『毒』が私たちを滅ぼすかもしれない──。98年、化学物質への不安が世紀末の雰囲気と相まって、大騒動が巻き起こった。
 あれは何だったのか、今こそ振り返ろう。
 NHKの『造語』だつた
 『環境ホルモンという言葉はもともと存在していませんでした。
 当時NHKの番組製作に協力していた私は、自然環境中に放出されていた農薬やプラスティックの原材料に、人体のホルモンの働きを阻害する化学物質があるという研究を紹介することになっていたんです。
 それらは「内分泌攪乱化学物質」と総称されていたのですが、視聴者のために呼び名をもっと柔らかくできないかと番組担当ディレクターらと話し合った結果、「環境ホルモン」と言い換えようと決めました』
 こう語るのは、基礎生物学研究所名誉教授の井口泰泉氏である。井口氏によると、『環境ホルモン』は、97年5月に放映されたNHKの科学番組『サイエンスアイ』で初めて使われた『造語』だ。
 化学物質が生物を奇形にすると指摘した世界的ベストセラー『奪われし未来』(96年)の日本語版が97年に刊行されたことをきっかけに、環境ホルモン、そしてその1種であるダイオキシンをめぐる騒動が起きた。
 同じ年の11月に放送されたNHKスペシャル『生殖異変 そのびよる環境ホルモン汚染』でも大々的に使われたこともあり、98年に入るやいなや、メディアが盛んに取り上げる言葉となった。
 だが今では、環境ホルモンは話題に上ることがほとんどなくなった。あの騒動は、一体何だったのだろうか?
 当時の関係者の証言とともに、何が起きたのかを追っていこう。
 前出の井口氏が続ける。
 『乳幼児向けおもちゃへの化学物質の使用が食品衛生法で規制され、コンビニ弁当、缶詰や缶飲料のコーティング方法などが改善されましたから、当事者として、決して無駄な騒動ではなかったと考えています。
 ただ、胎児以外の人間が微量の環境ホルモンを摂取したからといって、それほどの悪影響は出ないでしょう。環境ホルモンが身体にどういう影響を及ぼすかが研究され尽くされていないうちに、危険だと煽ってしまう報道が次々に出たことは疑問でした』
 当時の新聞や雑誌にはこんな見出しが躍った。
環境ホルモン溶ける不安 給食の食器を調査へ(朝日新聞98年3月28日付)
・『新しい毒性』疑惑の70物質 ルポ・環境ホルモン朝日新聞98年3月31日)
・関東の雄カレイ、雌化環境ホルモンの影響か(読売新聞98年4月2日付)
環境ホルモンで生物の総メス化進み 人間の精子も減っている(『週刊朝日』98年1月26日号)
 『環境ホルモン』がタイトルに打たせた書籍は、98年だけで46冊も刊行され、この年の『新語・流行語大賞』にも選ばれた。
 もしこの覚えやすい名称がついていなければ、世間の耳目を集めず、あれほどの騒動は起きていなかったかもしれない。
 内分泌攪乱作用が疑われる環境ホルモンには、DDTなどの有機塩素系の農薬や、68年に起きた『カネミ油症事件』の原因となったポリ塩化ビフェニル類、ダイオキシン類などがある。
 拡大した風評被害
 ……
 環境ホルモンの中でも、『最も有害な化学物質』と恐れられたのが、ダイオキシンである。青酸カリの1,000倍の毒性をもった猛毒物質と主張する識者もいた。
 当時、環境ホルモンの危険性を指摘していた摂南大学名誉教授の宮田秀明氏が語る。
 『ダイオキシンベトナム戦争時に撒かれた枯れ葉剤に大量に含まれ、それを摂り入れた母体から先天性奇形が多く生まれてきました。発がん性や生殖毒性、免疫毒性がありながら、これを規制する法制度が日本にはなかった。産業廃棄物を燃やすことで排出されるダイオキシンについいぇは、ほとんど野放しの状態だったんです。
 騒動をきっかけに99年、ダイオキシン類対策特別措置法ができて規制されたことは良かったと思います』
 産業廃棄物処理施設などからの有害と思われる煙の排出が抑えられたという成果は、この騒動のひとつの側面である。『危ない』と騒ぎになったこと自体は間違いではないかもしれない。
 だが、ダイオキシンが人体にどのような影響を与えるかは現在に至っても判然としていない。
 農林水産省は、〈どの程度有害な作用があるかを見極める試験法は今なお開発中であり、それらを環境から摂取したことにより、有害な影響を受けた事例はこれまでにない〉という見解を示しており、有害か無害かの結論は出ていないのだ。
 本当に危ないのか、何が危ないのかしっかり検証せず、ひたすら極端な事例を取り上げて煽り、根拠に乏しい風評被害を拡大させたことは、明らかな『間違い』と言える。
 その被害を最も受けたのが、所沢市(埼玉県)の農家だった。
 当時、50ヵ所以上の産廃処理施設があった所沢では、環境庁が安全とする基準以上のダイオキシンが検出されていた。
 そこに着目したのがテレビ朝日ニュースステーション』だ。99年2月、『所沢ダイオキシン農作物は安全か?』という特集を放映し、所沢産の野菜は危ないと煽ったのである。
 司会を務める久米宏氏が、所沢で獲れる数種類の野菜のダイオキシン濃度をフリップで示す。そこに野菜の具体名は示されていなかったが、
 『(高濃度の数値を指して)これはほうれん草と思っていいのですか』
 『所沢の野菜は、ダイオキシン濃度は100倍高いということですか』
 などと、ゲスト出演していた研究者に驚きながら問いかけた。これを見た人々は、所沢産ほうれん草に大量のダイオキシンが含まれていると信じ込んでしまった。
 ほうれん草農家の悲劇
 現在も所沢で農家を営む、アグリ昴(すばる)社長の関谷豊氏が明かす。
 『いまだから想い出話として話せるけれど、あれは死活問題でした。報道があった2月は、この辺りではほうれん草の収穫最盛期です。それが市場でタダ同然になりました。原発事故後の福島産野菜と同じです。
 それまでテレ朝のディレクターのダイオキシン取材に協力していたのに、裏切られた気分でした。産廃施設からの煙で苦しんでいるわれわれ農家の傷口に塩を塗るのかと。1週間経って風評被害が収まらないので、テレビ朝日本社に100人ほどで行き、「社長を出せ」とロビーで訴えました。社長は出てきませんでしたが、代わりに報道局長だった早河洋さんが話を聞いてくれたんです』
 実際にダイオキシンが検出されたのは、ほうれん草ではなく加工食品の煎茶である。しかも、それを飲んだとしても健康に害は及ぼさない程度の数値だった。
 番組が放送された2週間後、久米氏が農家を訪れて直接謝罪したが、農家側は風評被害を受けたとして、テレビ朝日などを相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こす。
 ……
 テレビ朝日は04年、農家側に謝罪し、和解金1,000万円を支払うことで『ダイオキシン訴訟』は終わったのである。
 こうした23年前の大騒動を経た今、環境ホルモンを検証する報道はほとんどなくなった。
 前出の宮田氏が、『当時は母体から取り込まれたダイオキシンが乳幼児のアトピーを誘発する可能性もあると指摘しましたが、あまり関係がなかったと今では思います』と振り返るように、時代が下がるにつれて明らかになる事実もあるにもかかわず、である。
 『日本人は熱しやすく冷めやすい。環境ホルモンのような新しい問題が生じると、調査研究が一気になされるのですが、5年ほど経つと興味が失せてしまい、20年後にはどうなったかなど検証せず、うやむやになってしまうんです』(前出の井口氏)
 騒ぐことが『正義』だった
 大騒動を改めて振り返るとき、環境ホルモンダイオキシンの有害性に警鐘を鳴らすことが、買い控えや風評被害のような社会的コストと果たして見合うものだったかが疑問となるだろう。
 メディアで喧伝された極端な『有害説』に、大多数の日本人は付和雷同し、強い不安を覚えた。なぜ、こんな騒動が起きるのか。
 社会学者の橋爪大三郎氏は、それをビジネスにする人々がいるからだと語る。
 『そもそも長期的に悪影響を及ぼす可能性のある毒物については、それが有害かどうかを判断するのは困難です。一定の経過観察が必要になりますし、有害か無害かのエビデンスなど誰も持ち合わせていませんから、大メディアの匙(さじ)加減ひとつでどちらかに決まってしまうことになる。
 他方、有害か無害かを判断する基準がないと、大多数の一般人は不安になります。不安になっているからこそ、続報が欲しい。そこで何度も同じ話題を取り上げると、テレビは視聴され、新聞・雑誌は売れる。だからメディアはわざわざ騒動に乗っかるんです』
 危なくないと冷静になる人もいれば、ひたすら危ないと思って騒ぎたい人もいる。所沢のダイオキシン訴訟を検証した、目白大学名誉教授の林俊郎氏が語る。
 『当時は、ダイオキシン汚染地帯で赤ちゃんの死亡率が増加しているという根拠に乏しい主張までなされました。私がそれを批判する「ダイオキシン情報の虚構」を99年に刊行したところ、職場に「林を辞めさせろ」「本を回収しろ」「謝罪しろ」というクレームが次々に寄せられました。当時は誰もが、ダイオキシン問題について、騒ぐことそのものが正義だと思い込んでいたんです』
 何かが危ないと思う人は、危ないと騒ぐことイコール正義と感じてしまう。コロナ禍にもこれは当てはまるのではないか。破産しようが倒産しようが、居酒屋は酒を出さず時短営業を守れ、自粛もできない奴は叩かれても仕方がない──。
 風評被害を受けて苦しんだ所沢農家の人々の気持ちは、今の飲食業者に通じるものがあるかもしれない。
 『騒いでいる人は、「騒がないと正義ではない」と思い込んでいるわけです。こういうときに騒ぐ権利があるのは私たちではなく、科学者です。科学者以外の人は落ち着いて、騒がないことが正しい振る舞いです』(前出の橋爪氏)
 今、目の前で起きている騒動は、社会や生活、人生を犠牲にしてまで起こすべきものなのか。
 後でそれが『間違いだった』とわかっても、壊れた社会は二度と戻らないことを胸に刻んでおく必要があるだろう。」
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 戦後民主主義教育とは、戦前まで日本民族石器時代縄文時代弥生時代古墳時代から受け継いできた民族的な歴史・文化・伝統・宗教そして世間・家族・地域など全てを無価値として破壊・崩壊し消滅する事であった。
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 1980年代以降の現代の諸問題は、現代の問題であってそれ以前の昔の問題ではなく、その原因も昔ではなく現代に存在する。
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 日本人は、自分で考えて行動せず、権威ある発言を盲信し、周りの同調圧力・場の空気・空気圧に流されて行動する傾向がある。
 そうした正義面・善意面した流言飛語・風評・噂話に付和雷同して行動した事例が、日本の歴史の中に山と存在している。
 その象徴が、東京で10万人以上が犠牲になった地獄のような関東大震災後の大混乱時に発生した朝鮮人惨殺事件であった。
 それは、日本人の朝鮮人への差別ではなく朝鮮人への恐怖、朝鮮人はどさくさに紛れて何をするか分からない得体の知れない怪物・犯罪者ではないかという人間不信であった。
 それは、敗戦後に日本各地で起きた朝鮮人の凶悪犯罪を見れば一目瞭然である。
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 日本人とは、優しく他人を気遣い思い遣るは建前で、本音は他人軽視の自己中心的な人間で薄情・非情・冷酷・冷血で醜いほどにえげつない。
 彼らの御為顔で語りかけてくる甘い言葉を真に受けて信じると、後々大変な事になる。
 何故なら、彼らは乱取りを行った日本人の子孫だからである。
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