🦋8〗─1─日本衰退の理由。平成12(2000)年の森喜朗総理の日本型IT社会の実現演説。~No.32No.33No.34 

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 2021年11月6日 MicrosoftNews AERA dot.「「新人類」だった私たちが語る日本衰退の理由 真山仁×河合雅司
 © AERA dot. 提供 河合雅司さん(左)、真山仁さん (撮影/写真部・高橋奈緒
 コロナ禍で私たちの生活様式や価値観などが大きく変化した。一方で、格差・少子高齢化といった課題は残されたままだ。今夏、新刊を出版した作家の真山仁さんとジャーナリストの河合雅司さんが、この国の行方を問い直す。
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 河合:日本の衰退が鮮明になってきました。われわれは、どこで間違えたのか。振り返れば、「失われた30年」である平成期が分岐点でした。平成をどう総括しますか。
 真山:昭和の後始末もできず、いたずらに費やされた30年だったと思います。少子高齢化地球温暖化も1970年代から予兆があったのに、戦後の高度経済成長の余勢を駆って進んでしまった。必然的にバブルがはじけて経済がおかしくなった時も、見て見ぬふりをしました。『ハゲタカ』(2004年)の取材で経済誌の記者に尋ねたことがあります。「なぜすぐに警鐘を鳴らさなかったのか」と。
 バブルがはじけたのが1989年。株価を見れば一目瞭然だったのに、翌年になっても「まだ大丈夫、まだ上がる」と言い続けていましたから。「結果がわかっている今だから言えることだ」と返されましたが、それは言い訳でしょう。バブル崩壊後、95年に阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件が起きますが、それまでの6年を無駄にしたことが決定的でした。JRやNTTの民営化後の検証もできていませんでしたが、95年を境にそれどころではなくなってしまった。
 河合:私の専門分野で言えば、95年は生産年齢人口(勤労世代である15~64歳)がピークアウトした年です。この時点ですでに、将来の内需の縮小、つまり「価格優位性による量的拡大」という日本型経営モデルが崩れることは決まったようなものです。ところが、ほとんどの日本企業が対応しなかった。私どもの2世代上がエネルギッシュな団塊世代なわけですが、彼らが企業の中核を担う地位に就いた頃から、新卒者の雇用を破壊してまで人件費を削り、価格優位性を保つ旧来モデルにしがみつこうという動きが目立つようになった。
 結果として我々より少し下の世代で非正規雇用が増え、正社員でも昇給しにくくなってしまった。いわゆる就職氷河期世代ですが、その時、我々の世代はもっと声を上げなきゃいけなかった。「気の毒に」と他人事のように過ごしてしまったことへの反省の気持ちが、今になって強くなっています。
 真山:過渡期を見過ごしてきたツケを今払わされています。この30年、企業は、株価を上げることしか頭になくて、壊してはいけないものを壊してしまった。残念なのは、「それ、おかしくないですか」と声を上げる人を、日本社会は大事にしないんです。それよりも、上にこびた人が得をし、偉くなる。最近は、若い人たちですらそれに抵抗せず、上手に抜けていく“成功者”がクローズアップされる。一方で、再び不動産バブルが起こり、個人投資家が増えて格差が広がっています。過去の反省を社会が生かしているようには見えません。結局、また同じことを繰り返すのかと。
 河合:90年代半ばから刹那(せつな)主義がはびこっている気がします。渋沢栄一の「合本(がっぽん)主義(※1)」や松下幸之助の「井戸掘り論(※2)」のような、未来の公益のために「今これをやるべし」という思考が、急速に失われた。経営者は目先の利益を確保することしか考えていないし、政治家は次の選挙に当選することばかりを気にかけている。どうしたら自分だけ損をしないで得するかが価値基準になったような社会は、いつか破綻(はたん)します。
 真山:私は小説家の立場で、現状に対してフィクションでもの申したいと考えています。つまり、時には最悪の状況をも想定して警鐘を鳴らし、未来に向けて取り得る選択肢を増やしたい。例えば小松左京さんが書いた、新型ウイルスが蔓延(まんえん)し人類が滅亡の危機に陥る『復活の日』(64年)や、『日本沈没』(73年)はコロナ禍や震災後に注目されました。それらを読んでいれば、ある現実を前に「まるで小松左京の世界じゃないか」と気付かされ、小説の中と現実との相違を分析するなど、我々の想像力は大いに刺激されます。
 世界に目を向けると、小説でも映画でも、SF的想像力で未来に警鐘を鳴らす物語がどんどん作られているのに比べて、日本では少ないと感じます。エンタメは国の未来を映しています。現状を肯定するだけでは、想像力は湧き上がってこないんです。
 河合:重要な視点ですね。というのも『未来の年表』(2017年)という本を書いた時、かなり売れたんです。少子高齢が進むと将来、火葬場が不足したり、地銀がなくなったりするなど、何が起きるかについて多くの人がピンときていなかったわけです。想像力の手助けをしたことが受け入れられたんだと思います。
 こうした想像力の欠如は様々な場面で感じます。
 例えば空飛ぶクルマが話題になっていますね。国民の半数近くが高齢者になる時代に向けて、空飛ぶクルマで何を解決しようとしているのかが、さっぱりわからない。これからの乗り物に求められるのは、乗り降りのしやすさです。足腰の弱った人がかなりの割合を占める時代になると、交通機関の景色は一変します。空飛ぶクルマに高齢者が一人で乗り降りするのは難しい。人口減少社会で戦略的に縮むための想像力がここでも不足しているんです。
 真山:今の日本のように充足した社会では、新たなものづくりのイノベーションがなかなか起きません。手っ取り早いのは新しいルール作りで、明日からガラスのコップで水を飲んではいけません、陶器にしなさいという法律を作れば、陶器のコップが必ず売れます。地デジ移行がまさにそうでしたよね。ほとんどが液晶テレビに買い替えた。これも一種のイノベーションです。でも全然本質的じゃない。イノベーションが停滞している理由は、失敗を礼賛しなくなったからだと思います。
 これだけのお金を投下した以上、国も応援しているから必ず成功させろ、というプレッシャーが強い。ビジネスでいえば、新規事業に注力せず、M&Aばかり進める。失敗しないことにこの30年を費やしてきたために、失敗を乗り越えて出てくるはずの天才が突出する可能性をつぶしてしまいました。
 河合:大事なポイントですね。さっき申し上げた刹那主義がそうしたチャレンジマインドをそいできた部分があったと思います。もう一つ、平成の30年間にイノベーションが進まなかった大きな理由は、少子化にあります。若い世代が減るスピードって、ものすごく速いんですよ。我々が若かった頃は社会に余力があったので、若者の失敗は大目に見られていたし、すぐに成果を出さなくてもよかった。
 でも今は若者の数が少なく、即戦力として期待されています。すぐに会社に貢献しろと言われたらマニュアルに頼りますよね。そうすればそれなりの利益は上がるから。でも、それと引き換えに失われるものがあるんです。技術開発だけでなく流行を作るとかを含めて、いろんな意味でイノベーションは若者の専売特許です。日本は意識して若い人にチャンスを与えて「失敗していいから、どんどん挑戦しろ」と言わないといけない。
 真山:若者はすごく冷静に見ていますよね。おかしいことをおかしいと言わない大人を見て冷めていく。これが一番困るんです。学生と話していると、「こんな日本でがんばる意味があるのか」と言われてしまいます。
 河合:政治の影響もあるでしょう。例えば安倍政権で言えば、説明のつかないことが多すぎた。自分たちに近い人間へ利益を誘導して、メディアや国民がそれを批判しても一向に説明しない。
 真山:政治の良識を壊してしまいましたね。昔は「非常識」と呼ばれていた“常識破り”が常識になっている状況を認め、その呪縛を解かなければならない時が来ていると思います。
 メディアや、我々のような立場の人間が「それはおかしい」と言うと、「何きれいごと言っているんだ」と世間から非難されるかもしれません。でも、だからこそ日本はこれまで最後の一線を越えなかったと思うんです。私は死ぬまで社会にもの申し続けたいと思っています。それが、老いていく我々の世代の使命だと思うからです。
 河合:同感です。ところで、経済の視点からの好転は見込めますか。
 真山:私が『ハゲタカ』でデビューした頃は、経済がわからないと社会が見えない時代でした。ところが世界的にいろんな問題が起きてきて、政治の時代になっています。そこで登場したのがアメリカのトランプ大統領であり、ドイツのメルケル首相だった。
 2016年の大統領選で民主党がトランプに負けた時に、アメリカの政治哲学の重鎮がある本を出したのですが、これが説得力があった。民主党は10年ぐらい前から綱領で「私たち」という言葉を使わなくなり、「あなた」「私」になったんだと。つまり少数派にばかり目を向けて、肝心のサイレントマジョリティーに届く発信をしてこなかった。似たような構図は日本にもあると思います。多様性というと日本人は必ずマイノリティーを探しますが、探しちゃダメなんです。たくさんの人の中にいろんな立場や考え方がある状態を「多様」と言うのであって、立場の弱い人を見つけて守るばかりが政治の役割ではない。ところがどうしてもそこに目がいってしまう。「みんなのための政治家だろう」となぜ誰も指摘しないのか。「私たち」という言葉を忘れてしまっている気がします。
 河合:私は政治部記者だったのでどうしてもこういう答えになりますが、明らかに小選挙区制が元凶です。自分のお城を必死で守らないと議員でいられない。仕組みそのものが内向きになっている。今や中選挙区制時代を知る国会議員がほとんどいなくなり、「内向き政治」が新常態として定着してしまった感があります。
 真山:イギリスは議会制民主主義で小選挙区制です。イギリスの有権者は、自分たちが選んだ議員が地元の活動にかまけていると怒るんですよ。「国のためにがんばれ、国会議員だろう」って。選挙で投票して終わりではなく、当選した議員が国をよくするための政治活動をしているかどうかチェックしている。ところが日本では、政治はお上(かみ)がやるものという考えが根強く、この人に投票したら未来の政治がどうなるかという想像力を持って選ぶ人は少ない。好青年だから投票してあげようという態度で臨みがちです。
 河合:世襲議員が好まれるのも、それですね。
 真山:イギリスの小選挙区制をまねるなら、有権者の態度までしっかり理解した上で導入するべきでした。
 もう一つ我々世代が見過ごしてきたものに、平等教育があります。我々も競争よりは平等に重きを置いて育てられましたが、ゆとり世代ではそれが顕著になり、かけっこでみんなで手をつないでゴールするような極端な現象が起きました。「あいつ足速いな」と他人の優れた能力を認めない環境で子どもを育てると、才能をつぶしてしまう。それは社会にとって不幸なことです。
 NHKの「プロジェクトX」は人気番組でしたが、あれは、常識外れとも言える突出した天才を、多くの人がリーダーとして支えて挑戦した、成功物語です。つまり昔の日本には、天才を生み出すだけではなく、天才を認める力がありました。
 河合:人生のルートが画一的になりましたよね。いい大学に行かなければそこで負けが決まってしまうような。教育の場が、子ども自身のポテンシャルを見つける場ではなく、勝ち組コースに自分をどう当てはめていくかを教える場になってしまいました。しかしこれだけ世の中の前提が変わっている中で、過去の成功パターンを踏襲することにどれほどの意味があるでしょうか。日本の失敗は、経済成長時代に作ったマニュアルに、世の中のほうを無理やりはめ込もうとしてきたことです。例えば外国人労働者の問題がそう。日本の働き手が減ります、じゃあどこかから連れてくればいい、と。でも、そんなに簡単にいくわけがない。少子高齢は世界共通の課題ですからね。弥縫(びぼう)策にしかなり得ない。
 真山:立ち止まる勇気が必要です。そして、「失敗を語り続ける」のが大事です。コロナ禍が最後のチャンスかもしれません。うまくいかなかった事象をきちんと検証して、未来に備えることができるかどうか。済んだことは振り返りたくない、きれいごとは聞きたくないと耳をふさいでいる人たちにも届くように、私たちの責任を果たしましょう、と言い続けるつもりです。
  (構成・長瀬千雅)
 河合雅司(かわい・まさし)/1963年、名古屋市生まれ。産経新聞論説委員を経て、一般社団法人人口減少対策総合研究所理事長。2017年『未来の年表』がベストセラーに。最新刊『世界100年カレンダー──少子高齢化する地球でこれから起きること』
 真山仁(まやま・じん)/1962年、大阪府生まれ。中部読売新聞(のち読売新聞中部支社)記者などを経て、2004年に企業買収の舞台裏を描いた『ハゲタカ』で作家デビュー。著書多数。最新刊『タイムズ──「未来の分岐点」をどう生きるか』
 ※1 公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという考え方(渋沢栄一記念財団ホームページ)
 ※2 深く掘った掘り抜き井戸とは、汲み上げなくても自然に水が湧いてくる自噴泉であることから、とことん考えれば、知恵が溢れてくるという考え方
 ※週刊朝日  2021年11月12日号」
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 平成12(2000)年9月21日 森喜朗総理大臣の衆議院所信表明演説
 「日本新生の最も重要な柱はIT戦略、いわばEジャパンの構想であります。日本型IT社会の実現こそが、二十一世紀という時代に合った豊かな国民生活の実現と我が国の競争力の強化を実現するためのかぎであるからであります。人類は、そして我々日本人は、IT革命という歴史的な機会と正面から取り組む決意が必要であります。
 さきの九州・沖縄サミットにおいて、私は議長としてIT憲章を取りまとめましたが、首脳間の議論を通じて、その大きな可能性に対する認識を共有することができました。また、先般の南西アジア諸国訪問の際に、インドがIT技術者の育成に極めて熱心に取り組んでいる姿を目の当たりにいたしました。今やITは世界規模での課題となっています。我が国も、産業・社会構造の変革に向け、迅速な対応をしていかなければなりません。
 IT革命を迅速に進めるため、先般、内閣官房に官民の人材を集めた担当室を発足させました。今国会においては、法制面の対応として、いわゆるIT基本法案と、民間同士の書面の交付等を義務づけた法律を一括して改正するための法律案を提出いたします。IT基本法案は、明確な国家戦略を打ち立て、官民一体となって迅速かつ集中的に必要な施策を実施していくための基本的な枠組みとなるものであり、早急にその整備を図ることが必要であります。さらに、来年の通常国会に向けて、電子商取引の特質に応じた新たなルールや個人情報保護など、情報化社会の基本ルールの整備を行うべく、IT革命を本格的に推進するために必要な法律案の策定作業を急ぎます。
 また、日本型IT社会実現のため、早急にIT国家戦略を取りまとめます。我々の目指すべき日本型IT社会は、すべての国民が、デジタル情報を基盤とした情報、知識を共有し、自由に情報を交換することが可能な社会であります。そして、その最も基本的な社会的基盤となるのが、文字のみならず、音声、映像、経済情報などを数値であらわした大量のデジタル情報を迅速かつ低価格で交換することのできる超高速インターネットであります。
 これまでのインターネットは、主として、既存の電話回線を利用することで普及してきました。しかし、グローバルなインターネット社会においては、文字情報にとどまらない大量のデジタル情報をだれもが低価格で伝達し合うことができる必要があります。その実現のために、しっかりとした年次目標を掲げて、民間主導の原則のもと、超高速インターネットの整備を図り、インターネットサービスの低廉化や利便性向上を促進してまいります。五年後には、我が国を世界の情報通信の最先端国家に仕上げてまいります。
 また、IT社会の実現を国民的課題と位置づけるためには、IT関連の統計や施策の実施状況の速やかな公表など、情報の共有も重要であります。競争政策の抜本的な見直しも行わなくてはなりません。
 電子政府の早期実現、学校教育の情報化、通信・放送の融合化に対応した制度の整備など、多岐にわたる課題についても、IT戦略会議における議論を踏まえつつ、果敢に取り組んでまいります。また、先端インターネット技術等の研究開発、IPバージョン6などによるグローバルインターネットの課題解決への積極参加など、インターネットの発展に対する大きな国際的貢献を目指します。
 IT革命を成功に導くためには、国民一人一人がネットの主役になり、知恵を出し合って新しい仕組みをつくっていくことが重要であります。近く取りまとめる経済対策では、IT革命の飛躍的推進を第一の柱とし、学校や公共施設の高速インターネットを整備するとともに、全国民がインターネットを使えるよう一大国民運動を展開してまいりたいと思っております。それに必要な基礎技能習得のため、思い切った方策を推進してまいります。国民が自由に利用できる公衆インターネット拠点の整備についても、できる限りの努力をしたいと考えております。
 また、国民が、利便と楽しみを得られるような情報の中身、いわゆるコンテンツの発展も目指します。インターネット博覧会の実施は、その起爆剤となるものであります。ハードウエアである施設、ソフトウエアである技能、そして中身たるコンテンツの三本柱をしっかりと打ち立てることによって、だれもが家庭でインターネットを容易に利用でき、その楽しさと有用性を実感できる社会を構築するとともに、ニュービジネスの創出と既存産業の活性化を通じて、より質の高い経済社会の実現を目指してまいります。
 二十一世紀の日本を支える子供たちが、創造性豊かな立派な人間として成長することこそが、心の豊かな美しい国家の礎であります。そのため、思い切った教育改革を断行してまいります。
 教育改革国民会議においては、人間性豊かで創造性に富む日本人の育成、新しい時代の多様で自由な学校づくり、教育振興基本計画の策定、教育基本法の見直しなど、教育各般にわたり議論を重ね、明日、中間報告が行われる予定であります。その後、公聴会を開催するなど国民の皆様の御意見を広く聞きながら、年内に最終報告が取りまとめられる予定であります。私は、これを受けて、小人数授業等の実施、十分な適性を有しない教員への対策、授業妨害やいじめへの対応、家庭教育の充実、奉仕活動や体験活動の促進、教育委員会の活性化などの幅広い改革を実行してまいります。
 このため、来年の通常国会を教育改革国会と位置づけ、学校教育に関する事項、公立学校の学級編制、教職員定数の標準などに関する法改正を初め、直ちに取り組むべき課題について、一連の教育改革関連法案を提出したいと考えております。このほか、IT教育や大学改革の推進にも引き続き積極的に取り組んでまいります。
 また、教育基本法の見直しについては、教育改革国民会議の最終報告を受けて、中央教育審議会等で幅広く国民的な議論を深め、しっかりと取り組んで成果を得てまいります。
 子供のときによき節度を学び、青年時代には感情をコントロールすることを学び、中年には正義を学び、老年になってはよき助言者となることを学ぶという古い言葉があります。教育をよくするということは、決して子供たちの問題だけを論ずるのではなく、国民各層がよりよく生きられる仕組みをつくることであります。社会全体の豊かさを実現するための国民的な議論を進めることこそが、私の願いであります。
 人生八十年時代と言われて既に久しく、今日、我々は、世界一の長寿を享受できるようになり、これまで高齢者と言われてきた六十五歳の方々も、今や十分現役世代であります。来るべき世紀を活力に満ちた高齢社会とするため、豊かな知識、経験を有する高齢者が意欲と能力に応じて多様な働き方ができるよう、七十歳まで働くことを選べる社会の実現に向けて努力してまいります。さらに、その後も、社会に参加し、安心して自立した生活を送ることができる、明るく活力ある高齢社会を実現してまいります。」
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