🍠28〗─5─首都直下地震で甚大な被害をもたらす縄文時代の埋没谷と腐植土層。~No.93 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2021年8月12日・19日号 週刊新潮「『山の手』も危ない!
 ついに判明 東京地下の『地質地盤』
 『首都直下地震』にそなえよ
▶激震への〝地雷〟はあちこちに潜む『埋没谷』
▶専門家が警鐘『腐植土層』で『ゼリーのように揺れる』
▶危険地帯は『恵比寿』『高輪』『代々木』『世田谷』そしてあの街・・・
 今後30年で『首都直下地震』が起きる確率は70%と言われる。都民はまさしく大災害と隣り合わせの生活を送っているわけだが、先ごろ都心部の『地質地盤』を始めて詳細に表した立体図が完成。何と、被害が予想される下町とともに、山の手もまた危ういというのだ。
 来るべき震災に備え、自宅の下に広がる地盤を知っておくことは重要である。が、東京23区では開発が進んで地層を直に見ることもままならず、これまで詳細な構造は知られていなかった。
 そんな状況を大きく変えることになるのが、今回の『3次元マップ』である。図の作成に携わった、国立研究開発法人『産業技術総合研究所』(産総研)の中澤努・情報地質研究グループ長に聞くと、
 『5月21日に、産総研のウェブサイトで「東京都心部の地質地盤図」を公開しました。立体画像を表示するソフトをインストールすれば、どなたでも無料で地下の立体図を見ることができます。また任意の箇所の地質状況がどうなっているのかを知るために、断面図を描画することもできます』
 とのことで、
 『東日本震災では、首都圏でも千葉県の浦安など一部の地域で液状化現象が見られました。東京は震度5強でしたが、屋根の瓦が落ちたり家具が倒れたりといった被害が出た地域もあります。同じ大地震でも、地域によって被害の大小があることは皆さんも実感としてお持ちでしょう。なぜそうなるかを考えると、おのずと地下の地質地盤に行きつくのではないかと思います』
 このプロジェクトは、2013年から始まった『第2期知的基盤整備計画』に基づいて進められたという。
 『産総研ではもともと、紙で地質図を出版していましたが、2次元のため平野部の地下の3次元的な広がりを表すのは難しかった。そこで立体化に取り組むことになったのです。ただ、これは全国的にも初めての試みでしたので、まずは千葉県北部をモデル地域と定め、その地質地盤図の立体化を試みました。関東平野にはさまざま地層があり、各地層が最も典型的に観察できる場所を「模式地」といいます。木更津周辺などで地層が隆起し、崖などで地層を確認することができる千葉県北部は、関東平野の地層が最も典型的に分布している地域であり、モデルに適していたのです』
 千葉県北部の地質地盤の立体図は18年3月に公開された。ここで培ったノウハウが、今回の東京23区版に活かされたという。
 ……
 『縄文海進』で
 骨の折れる作業を地道に続け、東京23区版は完成した。
 『23区は東西・南北ともおよそ32キロ、関東平野に位置しているわけですが、平野はまず台地と低地に分かれます。23区の東部は東京低地、西部は武蔵野台地が広がっており、西部の北側には荒川低地、そして南部には多摩川低地があります。その中で今回分かったのは、東京低地の地下に「埋没谷」が存在することです。ここに昔できた谷があることは知られていましたが、今回、その形状をこれまでに例がないほど詳細に描き出すことができたのです』
 〝埋没谷〟とは聞きなれない言葉だが、
 『埋没谷は、約2万年前の最終氷期に形成されたものだとされています。氷期では陸地上に氷期や氷床(ひょうしょう)が形成され、この分だけ海水面が下がっていく。最終氷期には地球上の海水面が120~130メートルほど低くなっていたといいます。埼玉地方から荒川と利根川が流れ込み、現在の足立区付近で合流して「古東京川」となり、今よりずっと陸地が南に広がっていた東京湾に注ぎ込んでいました』
 氷期が終わると、地球は温暖化して海面も上昇した。
 『いわゆる「縄文海進」といわれるもので、それまでに利根川と荒川が作った谷に海水が入り込んでいきました。内湾(ないわん)なので静かな海で、上流から緩(ゆる)やかに土砂が溜まっていき、氷期にできた谷を埋めて陸地になっていきました。こうして地下へと姿を消したのが「埋没谷」というわけです』
 東京では一般に、山の手の地盤は堅固で、下町は軟(やわ)らかいとされているのだが、
 『それは地層の成り立ちに由来します。下町、つまり東京低地は約2万年前以降に作られた地盤で、地層区分でいえば「沖積層」です。その主体となるのは泥層であり、軟弱なことが多い。一方で山の手、つまり武蔵野台地は約5万年前以前に作られ、地層区分は「更新統」。地盤は比較的固く、しっかりしていると言えるでしょう』
 実際に、今回完成した立体図を見ていくと、
 『東京低地の地下には深く埋没谷を見ることができ、新木場の西側では深さ80メートルにも達しています。また、その谷は葛飾区や足立区などに連続し、深い谷地が確認できます。ただし、一概に〝山の手は堅固で下町は軟らかい〟とは言い切れません。たとえば埋没谷の縁(へり)のあたり、江戸川区の小岩地区近辺では沖積層が堆積(たいせき)しているものの、非情に薄い。一部の台地よりもかえって地盤がよいのではないかと思われます』
 さらに続いて、
 『これまで地盤がよいとされてきた武蔵野台地でも今回、一部で軟弱層によって埋積(まいせき)された埋没谷を見出すことができました。例えば高輪から恵比寿、渋谷、代々木にかけては深さ10~30メートルほどの埋没谷があります。長さおよそ10キロで、幅は大体3~4キロになります。また、世田谷区の西部にある多摩川の北岸にも、地下に長さおよそ10キロ、幅が約1.5~3キロの埋没谷が見てとれます。これらはおよそ14万年前の氷期に造られたことがわかりました』
 ちなみに首都圏では、埋没谷は千葉の柏から印西、成田にかけても存在し、また埼玉では浦和から大宮にかけて、同様の地層がみられるという。
 『木密地域』では
 こうした〝埋もれた事実〟を知られにつけ、気になるのは地震との関係である。
 中澤グループ長が続ける。
 『一般論として、地盤が固いところは揺れにくく、軟らかいところは揺れやすいと言われます。1923年の関東大震災では、台地より低地で揺れが強く、震度にして1くらいの違いがあったという研究もある。特に、今回示した埋没谷がみられる地域では揺れが大きくなる可能性があり、地盤だけに着目すると、埋没谷が深ければそれだけ揺れも大きくなると言えるでしょう』
 関東学院大学工学総合研究所の若松加寿江研究員(地盤工学)が言う。
 『地表面の地盤の揺れやすさを表す「地盤増幅率」という数値があります。地盤がよいとされる山の手では数値が小さく、下町では大きくなっています。今回の産総研の研究の成果は、東京低地の埋没谷の形状を克明に描き出したことだと思いますが、そうした埋没谷があって軟弱層が厚ければ厚いほど、その地盤は揺れやすいといえます。産総研のデータでは足立区、葛飾区、江東区に繋がる埋没谷が見えるので、この地域は地震の揺れが大きくなる可能性があります』
 高輪から代々木にかけての埋没谷については、
 『この地域では、地表面の浅い部分に湿地の植物が腐敗してできた「腐植土層」が堆積していることが、以前から知られていました。こうしたエリアは、地震が起きるとゼリーのようによく揺れるので、この山の手エリアの埋没谷がどこまで地震の影響を受けるか、今後しっかりと研究をしていかねばなりません』
 また、京都大学の鎌田浩毅名誉教授(火山地質学)も、
 『こえまで指摘されてきた下町だけでなく、武蔵野台地の上にあって地盤がよいとされてきた高輪から恵比寿、代々木にかけて、また世田谷の一部でも埋没谷が確認できます。このことから、いわゆる高級住宅地で地価が高い地域でも、実は地震が起きたら揺れやすいということが、今回のデータで実証されました』
 そう指摘しながら、
 『あわせて警戒したいのは、地価に埋没谷が広がっていながら地上に木造建築物が密集した「木密地域」です。こうした場所では家屋の損壊や倒壊、そして火災発生のリスクがおのずと高まってしまいます』
 具体的な『木密』のエリアとしては、
 『押上や西新井、東立石などの下町に見られますが、意外なことに都心部の大崎や品川、西大井、そして世田谷にも広がっています。下町はかつて戦災があって戦後に道路が比較的整備されたのですが、大崎や品川、世田谷などには、道が入り組んでいて消防車両が入りづらいエリアがいまだに残っています。こうした場所では、家屋の倒壊で道路がふさがれてしまうと消火活動が十分に行なえず、「火災旋風」が発生するおそれもあります』
 関東大震災では、倒壊した建物の瓦礫に火が燃え移り、竜巻のような火柱が押し寄せる『火災旋風』が発生し、人的被害を拡大させた。また1995年の阪神・淡路大震災でも、神戸市長田区で発生したとの目撃証言がある。
 『関東大震災の10万人の死者のうち、9割は焼死だと言われています。火災旋風は周辺から建物、人までも呑み込みながら進んでいきます。上空の気圧配置に従って動き、その通り道は焼け野原と化すのです』
 ……」
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