💫10}─1・D─ネアンデルタール人のムステリアン文化。〜No.76No.77 

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 日本人には、ネアンデルタール人のDNAが2%前後含まれている。
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 ムスティエ文化(-ぶんか、ムスチエ文化、ムステリアン文化、ムスティリアン文化とも)とは、ヨーロッパにおける中期旧石器時代に栄えた文化のこと。氷期の時代と一致しており、ル・ムスティエで遺蹟が発見されたことにちなむ。ムスティエ文化は7万5千年前から9万年前までに発生したが、これはヨーロッパの中期石器時代に該当しており、3万5千年頃に後期旧石器時代に受け継がれた。
 型式学上では剥片素材の削器と尖頭器が多数発見されており、ルヴァロワ型石核を用いた剥片剥離を特徴とする。
 主に北アフリカ、ヨーロッパ、近東でムスティエ文化の痕跡が見られるが、シベリア、アルタイ地方まで分布が見られる。
 概要
 ムスティエ文化の遺蹟が初めて発見された洞窟
 1908年、フランス西南部のル・ムスティエ (en) の岩陰でネアンデルタール人の人骨と化石が共伴して発見された。これにちなんでガブリエル・ド・モルティエ (en) によってムスティエ文化と名称が付けられた。その他にもネアンデルタール人の骨が各地で発見されたが、これがムスティエ文化の石器と共に発見されたためにネアンデルタール人はムスティエ文化だけを持った人々であったと見做されたが、これらのことはその後の発見と研究により誤りと判断されている。
 ただし、ムスティエ文化はヨーロッパの中期旧石器文化であり古典的ネアンデルタール人らが活動していた時期に一致しているが、一部では変種も見られ、これは現世人類タイプの人々が営んだと考えられており、西アジアでは原クロマニョン人の化石と共に発見された例も存在する。
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 ネアンデルタール人(学名:Homo neanderthalensis〈※後述〉、英: Neanderthal(s)、独: Neandertaler)は、約4万年前までユーラシアに住んでいた旧人類の絶滅種または亜種である。彼らは、大規模な気候変動、病気、またはこれらの要因の組み合わせによって絶滅した可能性が高い。彼らは完全にヨーロッパの初期の現生人類に取って代わられた。
 ネアンデルタール人がいつ現生人類から分裂したのかは明らかではないが、研究では31万5000年前から80万年以上前までの様々な間隔が示されている。また、ネアンデルタール人がその祖先であるホモ・ハイデルベルゲンシスから分岐した時期も明らかになっていない。最古のネアンデルタール人の可能性のある骨は43万年前のものであるが、その分類はまだ不明である。ネアンデルタール人は多数の化石から、特に13万年前以降のものが知られている。ネアンデルタール1のタイプ標本は、1856年に現在のドイツのネアンデル谷で発見された。ネアンデルタール人は原始的で、愚かで、残忍な存在であると20世紀初頭の大部分を研究者たちは論じてきた。ネアンデルタール人に関する知識や認識は、それ以降、科学者の間では大きく変化しているが、進化していない原始人の原型のイメージは、大衆文化の中で根強いものとなっている。
 ネアンデルタール人の技術は非常に洗練されていたと考えられている。その中には、ムスティエ文化の石器産業や、火を起こしたり、洞窟の炉床を作ったり、樺樹皮のタールの接着剤を作ったり、毛布やポンチョに似た簡単な衣服を作ったり、機織りをしたり、地中海を航海したり、薬草を利用したり、重傷の治療をしたり、食べ物を保存したり、ロースト、煮沸、燻製などの様々な調理技術を利用したりする能力が含まれている。ネアンデルタール人は、主に有蹄哺乳類を中心に、その他の巨大動物(megafauna)、植物、小型哺乳類、鳥類、水生・海洋資源など、多種多様な食料を利用していた。彼らは頂点捕食者であった可能性が高いが、それでもホラアナグマやホラアナライオン、ホラアナハイエナなどの大型捕食者と競合していた。鳥の骨や貝殻から作られた可能性のある装飾品、結晶や化石を含む珍しいオブジェクトのコレクション、彫刻、ディヴィジェベイブのフルートによって示された楽曲の作曲、65,000年以前に遡るスペインの洞窟画などの表象的思考や旧石器時代の工芸の多くの例は、決定的ではないがネアンデルタール人に起因すると結論づけられている。宗教的な信念についてもいくつかの主張が行われている。ネアンデルタール人の言語の複雑さは不明であるが、おそらく明瞭に話すことができる可能性があった。
 現生人類に比べて、ネアンデルタール人はより頑丈な体格で、手足は比例して短くなっていた。研究者たちは、これらの特徴を寒冷地で熱を保つための適応だと説明することが多いが、ネアンデルタール人がしばしば生息していたより暖かく森林に覆われた風景の中での全力疾走のための適応だったのかもしれない。それにもかかわらず、彼らは特別な体脂肪の貯蔵や、暖かい空気に対する鼻の肥大化など、寒冷地特有の適応を持っていた(鼻は遺伝的浮動によって引き起こされた可能性もある)。ネアンデルタール人の平均的な男性の身長は165cm、女性の身長は153cmで、産業革命以前の現生人類に似ている。ネアンデルタール人の男性と女性の脳嚢の平均は、それぞれ約1,600 cm3 (98 cu in)と1,300 cm3 (79 cu in)で、これは現生人類の値の範囲内である。
 ネアンデルタール人の総人口は少ないままで、弱毒な遺伝子を増殖させ、効果的な長距離ネットワークを形成することができなかった。それにもかかわらず、地域文化の証拠があり、それによって共同体間の定期的なコミュニケーションが行われていた。ネアンデルタール人は洞窟を頻繁に訪れ、季節ごとに洞窟の間を移動していたのかもしれない。ネアンデルタール人は外傷率の高いストレスの多い環境で生活しており、約80%が40歳前に死亡している。2010年のネアンデルタール人ゲノムプロジェクトの報告書草案では、ネアンデルタール人と現生人類との交配の証拠が提示された。おそらく316~219千年前に発生したと思われるが、10万年前に発生した可能性が高く、6万5千年前以降に再び発生した可能性が高い。また、ネアンデルタール人は、シベリアの別の古人グループであるデニソワ人とも交配していたようである。ユーラシア人、オーストラロイド人、ネイティブアメリカン北アフリカ人のゲノムの約1〜4%はネアンデルタール人の遺伝子であり、サハラ以南のアフリカの住民はネアンデルタール人の遺伝子を持っていないか、あるいはおそらく約0.3%のネアンデルタール人の遺伝子を持っている。全体では、はっきりとネアンデルタール人の遺伝子の約20%が今日でも生き残っている。ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子の多くは有害なものであり、淘汰されたのかもしれないが、ネアンデルタール人の遺伝子移入は現代のヒトの免疫系に影響を与え、他のいくつかの生物学的機能や構造にも関与しているように見える[74]が、その大部分は非コードDNAとみられている。

 近縁種との関係
 現生人類との関係
 かつて、ネアンデルタール人を現生人類(英: Modern Humans)の祖先とする説があった。しかし、遺骨(化石)から得られたミトコンドリアDNAの解析結果に基づき、現在ではネアンデルタール人は我々の直系先祖ではなく別系統の人類であるとする見方が有力である。両者の遺伝子差異は他の動物種ならば別種と認定されるレベルであり、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスは混血できなかったとする考え方が有力であった。しかし、2010年5月7日の『サイエンス』に、われわれ現生人類のゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数パーセント混入しているとの説が発表された。

 他の化石人類との関係
 シベリアのアルタイ地方で発見されたデニソワ人はネアンデルタール人の兄弟種である可能性が高い。ただし、統計的分析ではゲノムの変化が大きすぎるため、未だゲノムが解析できていない初期人類とネアンデルタール人の混血によって生まれたのではないかということで、独立の種としてみなせないのではという議論もある。なお、同時代に生存していたインドネシアフローレス島で発見されたフローレス人はホモ・エレクトスである可能性が高い。

 研究史
 発見
 最初に発見されたネアンデルタール人類の化石は、1829年にベルギーのアンジスで発見された子供の頭骨である。1848年にはスペイン南端のジブラルタルからも女性頭骨が見つかっている。しかしこれらの古人骨が発見された当時は、その正体はわからないままであった。

 単一起源説の登場と分子生物学における研究
 ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの祖先と見る立場の場合、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへの進化は世界各地で行われたと考える(多地域進化説)。これに対し、ウィリアム・ハウエルズ (William White Howells) は1967年の著書Mankind in the makingにおいて、単一起源説を主張し、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの祖先ではないとした:228。

 1997年にはマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボらがフェルトホッファー洞窟で見つかった最初のネアンデルタール人の古人骨からDNAを抽出し、ホモ・サピエンスとの関係を検討した研究を発表。ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの祖先とする立場は否定された。

 文化
 ネアンデルタール人の石器
 彼らの文化はムステリアン文化と呼ばれ、旧石器時代に属している。 ネアンデルタール人の生息年代や生息地域が広大であることから、本項で説明する内容は必ずしも全ての時代・地域で共通してみられる文化であることを意味しない。
 人口
 これまで数千もの標本が発見されてはいるが欧州大陸での総人口は多くても6千人ほどで、 地球全体でも人口が2万人を超えることはほとんどなかったと思われる。
 石器
 ネアンデルタール人は、主にルヴァロワ式と呼ばれる剥片をとる技術を利用して石器を制作していた。フランソワ・ボルドは石器を60種類ぐらいに分類しているが、実際の用途は非常に限られていて、狩猟用と動物解体用に分類できる。左右対称になるよう加工されたハンドアックス(握斧)や、木の棒の先にアスファルトで接着させ穂先とし、狩りに使用したと考えられている石器などが発見されている。

 絶滅
 ネアンデルタール人の生存は約2万数千年前を最後に確認できないが、絶滅の原因は分かっていない。クロマニョン人との暴力的衝突によって絶滅したとする説、獲物が競合したことによって段階的に絶滅へ追いやられたとする説、身体的・生理的な能力で差をつけられ、衰退していったという説、混血を重ねたことで急速に吸収されてしまったとする説など、様々な学説が唱えられている。
 旧来、約3万年前に姿を消したと考えられていたネアンデルタール人であるが、2005年、イベリア半島南端のジブラルタル沿岸のサファイラ洞窟内部から、ネアンデルタール人が使っていた特徴のある石器類や、火を利用していた痕跡が見つかった。この遺跡は、放射性炭素による年代分析で約2万8000~約2万4000年前のものと推定された。このことから、他の地域から姿を消した後も、少なくともイベリア半島においては、ネアンデルタール人は生き残っていたと考えられている。これにより、「ネアンデルタール人は約3万年前に絶滅した」という旧説はわずかに修正されることになった。さらに、2014年8月20日、『ネイチャー』に「ネアンデルタール人の絶滅は約4万年前であった」とする学説が掲載された。しかも約4万5千年前から現在のヨーロッパで現生人類と文化・技術的にも共存・交流しており、混血もしていたという。この説は旧来の諸説より古い時期に絶滅したとしているが、精度が高い分析を行ったと著者は強調している。
 テキサス大学アーリントン校の人類学者ナオミ・クレッグホーンは、コーカサス山脈や現在のイタリアにあたる地域で約4万年前に起きた複数の噴火が、絶滅の要因となったと説明している。環境的要因は以前より指摘されていたが、クレッグホーンによれば、複数の火山の噴火が続いたうえに、ヨーロッパでは過去20万年間で最悪とされるフレグレイ平野(現在のナポリの近く)での大噴火 (cf. Campanian volcanic arc) が起きたことから、その多くがヨーロッパ大陸にいたネアンデルタール人は食糧不足に見舞われるなど、壊滅的打撃を被ったという。一方、現生人類の多くは主にアフリカやアジアに住んでいたため、絶滅するほどの影響は免れたのだという。
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