🦋10〗─4─平成30年史 大震災の時代(1)。東日本大震災の津波被害。〜No.47No.48No.49 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2017年3月6日 産経新聞「【平成30年史 大震災の時代(1)】波打つ大地 また神が潰された、あの時も… 猛火と道路・情報寸断のすべてが同時に
 東日本大震災津波被害に遭った岩手県陸前高田市で、整備中の防潮堤がほぼ完成し、高さ12・5メートル、全長約2キロの巨大構造物が姿を現している。さらに海側には、高さ3メートルの防潮堤が完成しており、二段構えで津波の威力を低減させる(本社チャーター機から、川口良介撮影)
 揺れは不意に来た。縦に跳ね上げられる。横に振られる。へたり込んで立ち上がれない。食器棚から皿が飛び出して床に散らばるのをなすすべなく傍観する。
 平成23年3月11日。
 宮城県石巻市の国分あや子さんは自宅アパートで東日本大震災に見舞われた。79歳の時だった。
 揺れが止まらない。長い。このままなら建物の下敷きになる。はうようにして表に出た。震動時間は体感的には30分にも1時間にも感じられた。実際は3分間だったと後で聞かされる。
 「津波が来るぞ!」
 誰かが大声で叫んだ。何も持たずに飛び出し、近くの市役所に駆け込んだ。
 続々と人が逃げ込んでくる。建物の奥へ奥へと押し込まれる。押し合いへし合いとなり、怒号が飛んだ。
 恐る恐る窓から外をのぞいた。車が流されている。車内に人の姿。すぐに目をそらした。その場で一夜を過ごす。停電で明かりが落ちた。暗闇が不安をあおる。
 「遺体が何体も揚がったそうだ」
 ひそひそ話が聞こえる。
 街が惨劇に直面していることと自分が生きていることだけ確認できた。
 何日かして水が引き、表に出た。見たことのない光景が広がっている。見渡す限りがれきと泥。道端に魚の死骸が横たわっていた。
アパートは見る影もなかった。津波が流れ込み、室内は土砂にまみれていた。
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 市内を流れる旧北上川沿いに「巻石」と呼ばれる岩がある。
 縦3メートル、横1メートル。水がぶつかると渦を巻くことから名付けられた。石巻の地名の由来といわれる。
 〈水位が巻石より上がると津波が来る〉
 そう言い伝えられている。予兆を知らせて避難を促す。守り神として神格化されている。
 巻石は水の底に沈んでいた。がれきが覆いかぶさっている。
 神がやられた。
 あの時も。
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 国分さんの目の前で、神戸市民の氏神様として知られる生田神社が阪神大震災の餌食になっていた。拝殿はぺしゃんこ。屋根が柱を押し潰した。
 7年1月17日。63歳の時だ。出身地の石巻市から神戸市へ移り住み、現地のマンションで1人暮らしをしていた。境内の石畳が波打つように割れ、鳥居も根元から折れた。周囲の家屋が焼け落ち、木の焦げた臭いが鼻につく。
 「神様の神通力も効かない」
 早朝に襲った揺れ。突き上げられるような強震。棚が倒れ、食器が宙を舞う。表で火の手の上がるのが窓越しに見えた-。
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 自宅を出た国分さんは、神戸市中央区のJR三ノ宮駅近くにある勤め先に向かった。道路のアスファルトがうねるように割れている。電車も車も使えない。探り探り歩を進める。
 生田神社の変わり果てた姿を目の当たりにしたのは、その途中だった。ビルや建物もそちこちで傾き、倒れていた。
 この世の終わりのような光景。神の依(よ)り代(しろ)も人間の営みも全て破壊された。
 友人が亡くなった。自分もけがをした。急に心細くなる。自分の年齢を顧みて、今後の身の振り方を考えた。
 震災の3カ月後、国分さんは神戸に別れを告げ、古里の石巻に帰った。その時は、16年後に再び、さらに大きな震災が襲ってくるとは夢にも思わなかった。
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 平成期に発生した地震で、気象庁が名前を付けた大地震は14回にのぼる=別表。一定期間に大地震がこれだけ頻発したのは、貞観地震(平安期)、慶長地震(江戸期)など有史上でも数えるほどしかない。
 地震は静穏期と活動期を繰り返す。阪神大震災東日本大震災と続いた平成期は、地震の大活性期に入ったとされる。その活動は首都直下地震南海トラフ巨大地震をにらむ。最大の国難で時代を語るなら、昭和期は戦争の時代。そして平成期は大震災の時代と断言できる。幾多の大地震を経験したわれわれは、備えを整えているのだろうか。
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 夕方の帰宅ラッシュ。いつもの改札口で、行き場を失った男性客が駅員に向かって声を荒らげた。
 「いつになったら復旧するんだよ!」
 昨年5月18日、東京・池袋駅。埼玉と東京を結ぶ東武東上線脱線事故で不通になっていた。影響人員は18万人。周辺道路は渋滞し、タクシー乗り場には100人以上の列。だが動く気配はない。沿線の住宅地にある保育園に娘(5)を預けていた会社員女性(45)は「歩いて帰ろう」と意を決して幹線道路に出た。多くの人が徒歩で家を目指していた。
 「もしこれが首都直下地震だったら」。ふと頭をよぎる。夫は単身赴任中、実家は遠い。娘の泣き叫ぶ声が聞こえたような気がした。人の波をすり抜けるように走り始めた。
 首都直下地震で政府が描く最悪の被害想定では、外出先での滞留者は約1700万人。池袋のケースがすべての主要駅で同時に起きる規模だ。最大震度は7、震源地は東京湾北部。木造住宅が密集する「木(もく)密(みつ)地域」は、都心を包む墨田、荒川、品川などの各区に広がる。その地域で次々と火の手が上がり、歩いて帰宅する人の行く手を阻む。死者最大2万3千人のうち、1万6千人が焼死と想定される。
 昨年12月、木密地域で出火し147棟が焼けた新潟県糸魚川市の密集度は1ヘクタール当たり36戸。だが、東京は80戸以上だ。現場を視察した東京理科大の関沢愛教授(68)=建築・都市防災=は「焼け跡を見たとき、デジャビュ(既視感)を感じた。22年前の阪神大震災で広大な焼け跡を見た時と同じ、夢を見ているかのような感覚だった。東京で同時多発的に起きれば、まず(消し)止められない」と話す。
 炎が上がるなか、都心の避難所は人であふれ、入り切らない人が公園に野宿する。携帯電話は通じず、ネットではデマが流布される。断水、停電、液状化、物資不足、道路の封鎖。家族の形が多様化するなか、愛する人の安否に心を切り裂かれる人が足止めを余儀なくされる-。近い未来の「首都直下地震」では、このすべてが同時に起きる。
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 平成29年3月初め。国分さんは石巻市仮設住宅にいた。本格的な生活拠点となる災害公営住宅に移り住む見通しは立っていない。仮住まいの暮らしは7年目に入る。役所の不手際で住宅関係の手続きが滞ったことがある。「こんなに時間がかかるなら終(つい)の棲(すみ)家(か)が決まる前に火葬場行きになる」
 職員に食ってかかった。今年で86歳になる。
 「平成を代表する2つの大震災を経験するとはね」と自嘲気味に言う。そして「経験しないと分からないことがある。これからの世代に残していくことは大事だと思うね」と話すと、思わず関西弁になった。
 「忘れられへんで」
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 阪神大震災東日本大震災。平成期、日本は大震災の時代に突入した。未曽有の被害をもたらした震災を経て国、地方、地震学者、そして人の心の「かたち」は変わったのか。近い将来に高い確率で起きるといわれる首都直下地震南海トラフ巨大地震にどう立ち向かうのか。東日本大震災の発生から6年を機に考える。」
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の自然は、心癒やされるほどに豊で美しい。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして宗教は無力で役に立たない。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
 日本は、異種異文の朝鮮や中国を差別して排除し、同種同文に近い琉球人とアイヌ人を同化させた。但し、特権を有していた高級知識階級の久米三十六姓は区別し差別した。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 日本民族集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
 日本には、西洋的ボランティアがいない。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりとお互いさま・相身互いに根差している。
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 日本民族集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
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