🍙59〗─1─戦後日本の粗末な危機管理。〜No.307No.308No.309 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 2021年3月13日 MicrosoftNews JBpress「震災で露呈、コロナでも露呈、日本の粗末な危機管理
 © JBpress 提供 3月8日、参議院予算委員会での菅義偉首相(写真:つのだよしお/アフロ)
 © JBpress 提供 『東京終了―現職都知事に消された政策ぜんぶ書く』(舛添要一著、ワニブックスPLUS新書)
(舛添 要一:国際政治学者)
 東日本大震災から10年が経った。震災からの復興はまだ十分ではない。そのような中で、日本、そして世界は新型コロナウイルスに襲われている。幸いなことにワクチンの開発が順調に進み、世界中で接種が始まった。しかし、変異株の発生など、ウイルスを抑制するところまでは行っていない。パンデミック宣言から丁度1年が経過したが、終結宣言を出すまでにあとどれくらいの月日が必要かは見当がつかない。
 首都圏に出されていた緊急事態宣言は2週間再延長されたが、その後も感染は下げ止まりしており、21日に解除できるかどうかは不明である。大震災のときに、福島第一原発が事故を起こし、それもまた多くの人の日常生活を奪う原因となった。しかし、日本の今後のエネルギー政策をどうするかは、まだ定まっていない。
 問題が山積する中で、今は日本全体がコロナ対策で精一杯の状況であり、しかも東京五輪を控えて、その準備にも通常以上の神経を使わねばならなくなっている。10年前の大震災の際の教訓が十分に活かされているとは思えない状況なのである。
 「最悪の事態」を想定しない日本の危機対応マニュアル
 津波で子どもたちなど84人が犠牲になった石巻市の大川小学校を訪れたことがある。友人の彫刻家が鎮魂のために母子像を製作したので、それを一緒に届けるためである。校庭の裏山に逃げていれば助かったのだが、北上川の方向に生徒は移動させられ、川を逆流してきた津波に飲まれてしまった。
 現場を見て、なぜ先生は子どもたちを裏山に引率しなかったのかと不思議に思った。指導者の決断が生死を決めたのだが、津波到来を想定した避難マニュアルは準備されておらず、裏山に逃げるシナリオは書かれていなかったという。
 危機管理とは、最悪の事態を想定して準備することであったが、それを怠っていた。また、リーダーの指示がいかに重要かである。適切な指示によって、命が助かった例も多数報告されている。
 私は都知事のとき、2015年9月に危機管理のためのマニュアル『東京防災』を作成して、東京都の全世帯に無料配布したが、それはこの大震災の際の反省からでもある。
 震災時の教訓が生かされていない現状
 リーダーの資質については、福島原発事故時の菅直人首相の対応は大きな問題を残した。私は、原子力発電については海外の原発を視察するなど一定の知識を蓄積していたが、事故の時はまずは水を入れて冷やすことである。ところが、自らが理科系で知識が豊富だという自信からか、現場の専門家に任せずに下手に介入し、対応に手間取ってしまった。首相も東電本社も現場にいないまま、指示を乱発し事故を拡大させたのである。情報をきちんと収集することがいかに重要かも再認識させられたものである。
 現場第一ということもまた重要であり、一秒を争うからこそ緊急事態なのである。火が燃え上がっているのに、本部の指示がなければ放水もできないようでは、消防士は仕事にならない。ところが、福島では、その信じがたいことが起こっていたのである。
 大震災、原発事故から10年経っても、被災者や遺族の悲しみは消えない。生活の再建も思うようには進んでいない。しかし、何よりも危機管理の教訓が伝承されていないことは問題である。それは、1年にも及ぶ新型コロナウイルス対策の失敗に如実に表れている。
 正確な情報、集める体制できているのか
 私は、厚労大臣として2009年の新型インフルエンザ感染流行に対応したが、そのときの対応、そして3・11の経験を振り返りながら、感染症についての危機管理の原則を列挙してみたい。そして、今回の政府や自治体の対応が、それからいかに乖離しているかを指摘する。
 まず、第一は情報公開である。感染症が流行するときには、流言飛語の恐れがある。それに対抗するには正確な情報を細大漏らさず国民に伝えることである。
 たとえば、どういう症状が出るのか、どこで発生したのか、特効薬やワクチンの開発状況、マスクの生産状況はどうなのかなどである。
 感染症対策の大原則は「検査と隔離」である。しかし、PCR検査の数は公表されないまま、感染者数のみが知らされる。マスコミもそのことを問題にしない。検査数が一定でないのに、感染者数の推移のみを追ってもあまり意味がない。しかし、今でもこの状態は続いている。
 コロナ患者用の病床がどうなっているかという情報も不十分である。情報公開という点では、東京都の対応は酷すぎる。小池百合子都知事は、口では情報公開を唱えながら、実際に行ってきたのは情報の隠蔽である。
 しかも、重症者の基準が国と異なるため、その病床使用率が比較するに足らないものとなっていたのである。それを是正したのはごく最近のことであり、1年にわたりこの状況が放置されてきた。
 政策は科学的データに基づいて立案されるべきであり、国と対立することで注目を浴びたいという不純な政治的動機で動かされてはならない。
 政府のブレーンたちにしても、現場で患者の治療に当たっている医者だけではない。一番大事なのは、医療現場からの情報であるが、それが伝えられたのだろうか。医療スタッフや医療機器の不足に苦しむ現場の声が政策に十分に反映されてきたとは思えないのである。
 新型インフルのときは、最初に患者の診療に当たった神戸大の岩田健太郎教授から毎日場のデータをもらい、厚労大臣の私自らが会見して国民に直接伝えたものである。
 「船頭多くして船山に上る」のコロナ行政
 第二に必要なのは、対策立案の元となる情報や提案を複数のチームに提示させることである。実は、2009年の新型インフルのときも、政府の諮問委員会の長は尾身茂氏であった。しかし、その委員会は厚労省の官僚機構が使いやすい専門家のみを集めた組織であり、限界があった。そこで、私は、岩田教授ら若手で第一線で活躍する専門家を集めて、厚労大臣の私的諮問機関としてチームBを作ったのである。
 反政府の立場でも何でも構わない、とにかく科学的データがほしかったからである。何度か会合を重ねた結果、尾身チームよりもチームBのほうが遙かに有益な提言をしてきた。治療の現場にいる者とデスクワークしか行わない者との差は歴然であった。
 今回のコロナ対策を見ていると、尾身チームのみで、チームBが不在である。自分の属する組織が、人事と予算の面で政府に厚遇されるためには、御用学者に撤するしかなくなってしまう。それが、政策を歪ませたことは否めない。
 それは、PCR検査を一貫してサボってきたことに典型的に現れている。欧米に比べて日本は感染者数も死者数も少ないと誇るが、東アジアでは劣等生である。中国、台湾、韓国、ベトナムなど、いずれも日本より優れた成果を上げている。
 今後変異株の感染拡大が懸念されるが、対応を誤れば、感染力も強く、取り返しのつかないことになる。
 第三に、感染症対策の要諦は一人のリーダーに権限を集中させることにある。それは厚労大臣である。感染症法の体系がそうなっているし、いずれの国も厚労大臣(保健大臣)が先頭に立って対策を指揮している。ところが、日本だけは、田村憲久厚労大臣に加えて、西村康稔大臣、さらには河野太郎大臣が加わって、3人にも担当者が増えている。安倍内閣に続く、菅内閣の失態である。一番困るのは、厚労官僚であり、現場の医療従事者である。まさに「船頭多くして船山に上る」を絵に描いたような姿である。
 10年前の福島原発事故では、情報発信元が一元化せず、首相、官房長官原子力安全・保安院東京電力などがバラバラに説明していたし、各人の説明に食い違いが見られた。コロナ対策で3人も担当大臣がいて、同じ間違いを犯さない保証はあるのだろうか。
 ワクチン担当に河野大臣が任命されたからといって、ワクチン供給量が増えるわけではない。副反応などの問題が生じれば、責任をとらされるのは厚労省の担当課長である。そして、その課長は厚労大臣の指揮命令下にあって、河野大臣の指図で動くわけではない。
 指揮命令系統は、首相→厚労大臣→厚労官僚の一本でよい。他の省庁を動員する必要があるときには、トップの首相が命令すれば済む話である。これまでも、○○特命大臣などという者を置いて、事態が前に進んだ試しはない。実働部隊を持たない大将のようなもので、戦はできない。
 担当者や組織を乱立させて責任の所在が不明瞭に
 私が厚労大臣のときも、少子化担当の特命大臣が置かれたことがあったが、結局はその分野を担当する厚労省の役人が動くしかなかったのである。彼らは、厚労大臣の指揮命令下にあるので、結局は特命大臣→厚労大臣→官僚というラインとなり、無駄なだけであった。要するに、このような特命大臣はマスコミ向けの世論対策要員にすぎない。
 そのような役立たずの組織の最たるものが、小池都知事が設置した東京版のCDCである。思いつきの人気取り策の域を出ず、何の役にも立っていない。これでは東京都の感染が収まるはずはない。科学よりも政治を優先させると、こういう愚にもつかないことが起こるのである。
 変異株の感染が拡大している。IOCも日本も東京五輪は何が何でも開催するという方針であるが、コロナの感染状態によってはどうなるか分からない。鍵を握るワクチン接種も順調に進む保証はない。
 きちんとした危機管理が不在な日本、今後も予想される自然災害、パンデミックにどう対応するのか。今行うべきは、この1年間のコロナ対策失敗の検証である。」
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 日本民族性を失い始めている、西洋化もしくは中国化している高学歴知的エリートや高学歴進歩的インテリ(知識人)。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の自然は、心癒やされるほどに豊で美しい。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張そして宗教は無力で役に立たない。
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