🍘2〗─1─日本の災禍は終わらない。復興過程は漸騰型と優柔型。〜No.2No.3No.4 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本列島は、雑多な自然災害、疫病、飢餓・餓死、大火などが同時に発生する複合的災害多発地帯であった。
 毎年、季節ごとに、何らかの災害が発生していた。
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 2020年8月号 Voice「現代社会  開沼博
 災禍は終わらない
 漸騰型と優柔型
 人類を襲う災禍(さいか)からの復興過程は、大きく二つに分別できる。ここでは『漸騰型(ぜんとうがた)』と『優柔型(ゆうじゅうがた)』と名付けよう。コロナ禍は後者だ。
 どういうことか。地震津波の被災地と原発事故の被災地とでは根本的に被害の質が異なるのではないか、という議論を聞くことがある。そしてそれを天災と人災の違いだと。おそらく、本質はそこにはない。より根本にある差異は、一方が災禍の直後が最悪の状態であり、そこから基本的には右肩上がり状況が改善していく漸騰型の復興過程を歩む。片や原発事故の災禍がダラダラ・ジワジワと進行・拡大しつつ、復興も進む優柔型の構造をもつ。
 優柔型災禍は、時間という変数の扱いが漸騰型災禍よりも複雑だ。端的にいえば、漸騰型は災禍からの回復の時間軸は短ければ短いほど良いが、優柔型はそうではない。無理に回復を急げば別のリスクがもち上がる。原発事故ならば、廃炉のリスクは時間軸を意識しながら統制されるべきものであり、そこを顧慮(こりょ)せず拙速(せっそく)に作業を進めようとすれば費用や作業員被曝量が青天井に増加しかねない。コロナ禍においても、感染拡大を速く完全に止めようとすれば、経済活動への被害を拡大させる。複数のリスクを同時に視野におさめながら、アクセルとブレーキをバランスよく踏む必要がある。
 しかしながら、多くの災禍は漸騰型災禍であるゆえ、その復興は『何が何でもとにかく速く進めることこそ絶対善』という前提で議論されがちだ。これは、さまざまな混乱の根本にある問題だ。拙速よりも巧遅(こうち)が求められることもある、という当然の認識が私たちのなかに共有されにくいのである。
 この歪みは、『災禍はいつ終わるのか』という問いが多くの人の関心事であるがゆえに生まれている。多くの人はこの苦難の終わりを想像することに希望をもとうとする。あるいはそういう前提のもとコミュニケーションをとる。だが、ここにこそ現実と認識のねじれがある。
 終わりがこないなかで
 『いつ終わるのか』。その問いの答えは明確だ。『災禍は終わらない』。たとえば、阪神・淡路大震災で家を失い仮設住宅に入り、被災者向けの公営住宅に移り住む、25年経(た)ったいまでも歳を重ね続けている人は存在する。いくら大々的な公的支援がなされても『あの災禍さえなければ、いま私はこうなってはいない』と恨(うら)む人は存在する。いくら表面的に街が綺麗になろうとも『あの失われた風景は二度と戻らない』と悔(く)やむ人はいなくならない。無論、大多数の人は時間の経過のなかで、災禍の非日常から離れ日常のなかに戻っていく。現段階でもコロナ禍など無かったかのような日常を送っている人はすでに少なくない。ただ、災禍の完全なる社会的な終わりは来ない。
 そのなかでできること、実際に人類がしてきたことは、大きく二つあるだろう。一つは、『災禍は終わらない』という前提を受け入れ、その終わらない部分にいる人を長期的に支える手立てを考えることだ。それは金銭的に解決できることもあれば、承認感・充足感のような感情面での補完こそが必要となることもある。もう一つは、社会的な節目をつけることだ。1923年の関東大震災のあと、そこからの復興の過程を示すべく日比谷公園で『帝都復興展覧会』が開かれたのは1929年のことだった。1995年の阪神・淡路大震災の際、当時の総理府が『阪神・淡路大震災復興誌』を取りまとめるというかたちで復興の歩みが振り返られたのは、震災から5年後の2000年のことだった。2002年には震災と防災をテーマにした科学施設『防災未来観』(現『人と防災未来センター』)ができている。
 これらは漸騰型災禍の例だが、より混乱が持続化した=優柔型災禍に近かった原爆投下後の広島において、広島平和記念公園が完成したのは1955年。つまり、5年から10年ほど経ったときに、社会的に災禍を振り返る場がつくられ節目がつけられている。無論、いずれの節目も『終わったことにされてたまるか』という一部の人の思いが残るなかにあるが、それでも仮に何の節目もつけずにきたら、災禍の風化はより明確だったに違いない。3・11については、岩手・宮城・福島に復興祈念公園が設けられる動きがここ数年で本格化しているが、これは歴史的にみれば順当だ。5年から10年先、いかに私たちはこの経験に節目をつけているのだろうか。」
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 日本の歴史における最大の人災とは、戦国時代、同じ日本人が乱取りで捕まえた敵の日本人を奴隷として中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人に売って金儲けした事である。
 現代日本人は、日本人を奴隷として売って大金を稼いで日本に住み続けた日本人の子孫である。
 その事実を歴史の闇に葬り知らぬ振りをして綺麗事を言う現代日本人は、悍ましい日本人である。
 が、それが子供たちに教えられている日本の歴史である。
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 もし、日本でもアメリカのBLM運動が本格的に行われるのであれば、日本人が日本人を奴隷として金を稼いでいた事実を明らかにする必要がある。
 なぜなら、奴隷として売買された事実はアフリカ人でも日本人でも同じ事だからである。
 もし、奴隷問題を人道の罪として後世に残そうとするのなら、日本人が奴隷として海外に売られていった長崎や天草など中世キリスト教会が支配していた土地に記念碑を建てるべきである。
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 日本民族日本人は、数万年前から複合的災害多発地帯の日本列島で避難しても逃げ出さず、甚大な被害と夥しい犠牲者を出しながらも、堪えに堪えて、辛抱強く・我慢強く・頑張って生きてきていた。
 破壊されても復旧させ、崩壊して復興し、石にかじりつくように同じ場所で生活していた。
 それは、日本民族日本人の意地であった。
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 現代の日本人と昔の日本人は違う日本人で、グローバル思考の現代の日本人はローカル思考の昔の日本人が採用した災害対策や復興過程を時代遅れとして否定している。
 その為に、全国に残された災害の記録や復興の跡は軽視どころか無視されている。
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 日本人、特に現代日本人には歴史力がなく、歴史を学ぶ能力も低い。
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