🐡6〗─3─宝暦年間の大飢饉。〜No.20No.21No.22 

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 宝暦の飢饉は、江戸時代、宝暦4年(1754年)から宝暦7年(1757年)にかけて東北地方を襲った大飢饉。現在の岩手・宮城の両県にわたる範囲で約5万ないし6万人の餓死犠牲者が出たとされる。
 被害はそれだけにとどまらず、現在の青森県の一部を治めていた弘前藩領内では財政の立て直しをしたため餓死者は出なかったとも言われていたが、実際には多数の犠牲者がいたことが墓石調査により確認されている(弘前大学関根達人教授(考古学)による)。
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 一揆
 1748年(寛延2年):姫路藩寛延一揆
 1748年(寛延2年):寛延の百姓騒動[20]
 1753年(宝暦3年):籾摺騒動
 1761年(宝暦11年):上田騒動
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 サイバー記念館
 本記念館は、由利本荘市矢島地域(旧矢島町)に関係のある人物、史跡、歴史をネット
 ワークで紹介するものです。一部未整備の内容のものもありますが、資料が整い次第
更新してまいります。
 このページに対する問合わせは 由利本荘市矢島町総合支所市民サービス課
TEL 0184-55-4951  FAX 0184-55-2157
mail ysm-shinko@city.yurihonjo.lg.jp へ
 農民の生活をおびやかした飢饉 
 この時代の農民を極度に苦しめたものの一つに飢饉がある。その被害は、三年ごとと称せられるほどに周期的連続的なものであり、近世農村生活の破滅を招くほどのものでもあった。当地方においてもこの飢饅が数えきれないほどに発生しているが、当時のことは、今もなお語りぐさに伝えられ、或は文献に書き残されている・中でも被害の最も多く、近世における東北の三大凶荒と称せられている宝暦、天明天保年間の飢饉についてその概要を記します。
 宝暦年間の大飢饉
 宝暦5(1755)6,7年の3ケ年間、東北地方一帯をおそった凶作の被害は実に大なるものがあった。当地方においてもその被害は甚だしく、特に宝暦5年は、最も惨状をきわめた。この年は、なが雨が降り続き、冷気殊の外甚だしく、ついに大きな凶作となった。
 この時の記録によれば「宝暦五乙亥歳、冷気強くして大凶作なり。矢島御領分にては御毛引26,000俵なり。新荘村にては251俵、坂ノ下村にては540俵なり。乞食村里に満ち、餓死人路の辺にたおるもの実に多し。御上にては舞杉に大いなる穴を堀り、餓死人を埋む。或は兄弟妻子別れ去り、家をあけて他所へ出る者多し。百宅、直根に別して多し。家を離れて他所へ出る者は多く餓死せりという。この冬大雪にてとろろ、わらびの根など堀ることならず、餓死人いよいよ多し。御上にては、毎日かゆをにて飢人を救う。山寺に非人小屋をかける。ありがたきことなり。家財諸道具売りに出ることおびただし、盗人大いに起こる。」とある。又別の記録には「直根、笹子、中奥の沢方面の餓死実に多く、餓死人御領分にて三千余人。」と記されてある。その惨状は推して知ることができよう。
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 日本災害史
 日本人の死の歴史の中で「大量死」を経験してきた場合、それは災害をさすのではないだろうか。また日本人の死生観は構想の教えや時々の道徳によって生まれることもあるが、むしろ衝撃に満ちた災害や事件の体験から生まれるのではないだろうか。
 今回の「デス・ウオッチング」では、日本の歴史の中で、多くの人命を犠牲にした災害である飢饉、地震、火災を年代順にとりあげ、どんな教訓を与えてくれるかを探ってみたい。
 ●飢饉
 『日本書記』の欽明天皇の巻に、「郡国大水となり、飢えて人互いに食べる」という記事がある。飢餓の原因として干害(ひでり)、冷害、風水害があるが、戦国時代までは干害が最も恐ろしいとされた。
 1756年 宝暦の飢饉
 近世の四大飢餓の一つであるこの飢饉では、岩手と宮城の両県で合計約5万人の死者を出している。死者の葬送で、枕団子を持って行くと、流民たちがかけよって、それを奪い合うことも見られたという。
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 弘前市弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
 通史編2(近世1)
 新編弘前市史 通史編2(近世1)
 第4章 幕藩体制の動揺と民衆
 第一節 藩体制の動揺
 一 宝暦・天明期の飢饉と農村
 (一)宝暦の飢饉
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 宝暦の飢饉
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 続く宝暦の飢饉でも八戸藩では、史料によって数値は違うが、四〇〇〇人から七〇〇〇人といわれる犠牲者を出し、『八戸藩史料』によると逃散も含めての数字であろうが、人口は一年間で二万人もの減少になっている。他の北奥諸藩でも同様で、盛岡藩では四万九四九五人の餓死者(「篤焉家訓」による。ほかに遠野通一一五一人)、仙台藩では全体で二万人程度の餓死者(『宮城県史』二二)を出したという。八戸藩は表高二万石のうち一万八五七三石の損毛(そんもう)、盛岡藩は表高一〇万石のうち七万七一七〇石の損毛であった。凶作は日本海側の諸藩にも及び、地域によっては水害や虫害も加わり被害を大きくした。
 この年もまた冷害に見舞われ、雪の消えるのが遅く、四月から八月までヤマセが吹き、さらに雨が降り続いて寒く、夏のさなかでも春の彼岸のような気候であったという(資料近世2No.一)。八月中には二度の霜害を受けて、成育がよくみえた田畑も立ち枯れて、ついに大凶作に至った。深沢・上磯(かみいそ)・下磯(しもいそ)および三新田では田畑がいっさい稔らず、十月に藩が幕府に届けた損毛高は表高四万六〇〇〇石のうち三万四二八〇石、新田一九万六三五三石余のうち、一六万一一三〇石であった(同前No.二)。
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 WEB防災情報新聞
 日本の災害/防災 年表「気象災害 ①古代~江戸時代編」
 wpmaster 2020年2月6日 0 comment
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寛延元年9月風台風、九州、四国、中国地方に暴風、高潮
……… 1748年9月24日~25日(寛延元年9月2日~3日)
寛延2年中国地方畿内風水害 ……… 1749年8月14日(寛延2年7月2日)
薩摩藩木曽川宝暦治水完成させる。総奉行・平田靱負自刃 ……… 1755年7月1日(宝暦5年5月22日)
・宝暦5年球磨川の洪水、せき止め湖決壊し八代大水害「瀬戸石崩れ(くえ)」
 ……… 1755年7月17日(宝暦5年6月9日)
・宝暦の大飢饉、東北冷害で大凶作となり米価高騰
……… 1755年7月下旬~56年5月(宝暦5年6月中旬~6年4月)
・宝暦6年畿内暴風雨、淀川、紀ノ川氾らん ……… 1756年10月9日~10日(宝暦6年9月16日~17日)
・宝暦7年梅雨前線豪雨、東海、甲信越、関東で水害、信濃川田切れ-大河津分水建設を嘆願
 ……… 1757年6月~7月(宝暦7年5月~6月)
・宝暦7年7月台風、紀州、四国、中国が暴風雨、高潮で被害に
……… 1757年9月8日~9日(宝暦7年7月25日~26日)
庄内藩、砂防林計画を本間家に許可-酒田港の繁栄を支える ……… 1758年4月13日(宝暦8年3月16日)
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 天変地異年表 近世後半(A.D.1716~1867)
 西暦    年号
1716(享保 1)年
  2月18日 霧島山が噴火。八重川増水し、死魚が流れる。(震災予防調査会報告86)
  9月26日 霧島山西岳大爆発。大被害をもたらす。(西藩野史19)
 12月 6日 京阪で地震。(続史愚抄69)(月堂見聞集 9)
 12月26日 霧島山噴火。(西藩野史19)
    この年、霧島山噴火し、災地積136300坪に達する。翌4月まで続く。(日向郷土史年表)
1717(享保 2)年
  1月 3日 霧島山噴火。134戸が倒壊し、死傷31人。(震災予防調査会報告86)(萬年記11)
  1月 7日 江戸で地震(月堂では8日)。(萬年記11)(月堂見聞集 9)
  4月27日 京で地震。(続史愚抄69)
  6月 1日 京で地震。(続史愚抄69)
  8月16日 京で地震。(続史愚抄69)
  8月15日 霧島噴火で近郷の田畑数十里が埋没。(西藩野史19)
  8月19日 浅間山噴火。(日本災異誌)
 12月 8日 数日にかけて江戸で地震。(月堂見聞集 9)(萬年記11)
1718(享保 3)年
  2月10日 江戸で地震。(日本災異誌)
  7月26日 飯田、伊那、伏見、淀で地震。(月堂見聞集10)(萬年記11)(続史愚抄69)
  9月 3日 浅間山噴火。(震災予防調査会報告86)
  9月12日 信濃で大地震。飯山城大破。民家多く倒壊。(月堂見聞集10)(談海続 2)
1719(享保 4)年
  1月    岩手山噴火。北麓へ溶岩流出。(震災予防調査会報告86)(地学349)
 12月 1日 江戸で大地震。(萬年記11)
1720(享保 5)年
  2月26日 京師で地震。(続史愚抄69)
  5月 1日 浅間山噴火。(日本災異誌)
  6月 4日 京師で地震。(続史愚抄69)
1721(享保 6)年
  5月28日 浅間山噴火。関東の者16人、石に当たり15人が死亡。(震災予防調査会報告86)(日本火山総覧)
  8月29日 京暴寒。鞍馬や貴船で雪が降る。(続史愚抄70)
1722(享保 7)年
  2月17日 京で地震。(続史愚抄70)
  7月    佐渡で疫病が流行。死者600人を越える。
  8月14日 東海道で海嘯。(日本災異誌)
    この年、浅間山噴火。(日本災異誌)
1723(享保 8)年
  1月 1日 浅間山噴火。(震災予防調査会報告86)
  2月 3日 京で地震。(続史愚抄70)
  7月20日 浅間山噴火。(震災予防調査会報告86)
  8月10日 五十里湖が決壊し、鬼怒川流域で181人が死亡。
 11月20日 九州で大地震。(続日本王代一覧 6)(大地震歴年考)(十三朝記聞 4)(泰平年表)(編年大事記)
 12月10日 京で地震。(続史愚抄70)
1724(享保 9)年
  6月20日 京で地震。(続史愚抄70)
1725(享保10)年
  3月 6日 京で地震。(続史愚抄70)
  4月18日 江戸で地震。(萬年記12)
  7月 7日 江戸・信州で大地震。(萬年記12)
  9月25日 長崎で大地震。昼夜に80余回起こる。(大地震歴年考)(十三朝記聞 4)
       (泰平年表)(続日本王代一覧 6)(編年大事記)
1726(享保11)年
  2月29日 越前勝山で津波大風。人畜溺死多数。(続日本王代一覧 6)(十三朝記聞 4)
   (地歴)(泰平年表)
  3月10日 江戸で地震。(萬年記12)
  3月14日 越前で大地震。470余人死亡。(徳川十五代史12)
  3月19日 越前弁慶ヶ岳で地震。大河が堰止められ洪水。(浮世の有様 2)
  4月15日 江戸で地震。(萬年記12)
  8月16日 京で地震。(続史愚抄70)
 11月27日 江戸で地震。(萬年記12)
1727(享保12)年
  1月 3日 京で地震。23日にも地震。(続史愚抄70)
  3月 4日 江戸で地震。(萬年記12)
  9月13日 江戸で地震。(萬年記12)
1728(享保13)年
  9月 2日 関東で大洪水。両国橋等が流され、3500人が死傷(死者1万余とも)。
       (萬年記12)(泰平年表)(柳営年表)(有徳院殿御実記28)(日本凶荒史考)
       (談海続 2)(窓の須佐美 2)(十三朝記聞 4)(一話一言 3)(続日本王代一覧 6)
 10月 9日 浅間山噴火。(日本災異誌)
 12月25日 江戸で地震。(萬年記??)
1729(享保14)年
  1月22日 江戸で地震。(萬年記12)
  2月 9日 江戸で地震。(萬年記12)
  7月 7日 能登鳳至郡で大地震。輪島で300余戸損壊。(石川県史 2)
  7月    広島城下で疱瘡と麻疹が流行する。
    秋、東国で疫病流行。(有徳院殿御実記30)
 10月    浅間山噴火。(震災予防調査会報告86)
1730(享保15)年
  1月24日 対馬で大地震。(日本災異誌)
  3月 7日 江戸で地震。24日にも地震。(萬年記12)
  7月17日 江戸で地震。(萬年記12)
 10月 1日 江戸で地震。4日にも地震。(萬年記12)
1731(享保16)年
  2月 3日 江戸で地震。(萬年記12)
  7月11日 江戸で地震。(萬年記12)
 12月25日 岩手山噴火。溶岩流出。(日本火山総覧)
1732(享保17)年
  1月 3日 江戸で地震。(萬年記13)
  1月13日 江戸で地震。(日本災異誌)
    夏から秋にかけて西国・四国・中国で蝗害。公私46藩236万石中収穫は628000余石のみ。
       (泰平年表)(続日本王代一覧 6)(続史愚抄71)(広島市史 2)(有徳院36)(大阪市史 1)
  9月26日 長崎で地震。昼夜80余回震動。(甲子夜話続58)
    この年、西日本で蝗害が多発し、飢饉となる。(浮世の有様 2)
1733(享保18)年
  4月16日 京で地震。(続史愚抄71)
  6月20日 浅間山が大噴火。前掛山残らず割れる。(震災予防調査会報告86)
  8月11日 広島で大地震。奥郡で被害多数。(広島市史 2)
    夏、西日本で疫病が大流行。(萬年記13)
1734(享保19)年
 10月27日 江戸で地震。(続史愚抄71)
 11月 7日 京で地震
 12月 5日 赤小豆の如き物降る。みな空穀なり。(本草綱目啓蒙23)
1735(享保20)年
 閏3月14日 江戸で地震。(萬年記13)
  9月    中国九州で犬の疫病流行し、多数死す。風犬と呼ばれる。病犬、人を咬殺する事多し。
       (続日本王代一覧 7)(泰平年表)(続史愚抄72)
 12月    江戸で疱瘡が流行し、幕府は直参に丸薬を配る。
1736(元文 1)年
  3月    仙台で大地震。(日本災異誌)
1737(元文 2)年
  4月 1日 江戸で地震。(萬年記13)
  9月 2日 広島で高潮。竹屋町の下堤を越え、堀川町・古月町浸出す。(広島市史 2)
1738(元文 3)年
  2月16日 江戸で地震。(萬年記13)
 10月18日 江戸で地震。(萬年記13)
1739(元文 4)年
  1月18日 江戸で地震。(萬年記13)
  7月 5日 中国地方で大風雨。出雲では民家2223戸、稲4万石が損害。
  7月12日 八戸で地震。(青森県史 4)
  7月14日 蝦夷松前で山崩れ。震動は津軽に及ぶ。(震災予防調査会報告86)
  9月11日 江戸で地震。(萬年記13)
1740(元文 5)年
  2月 1日 江戸で大地震。(萬年記13)
  5月    鳥海山が噴火。硫黄明礬の気が渓流に混入し、田地作物が損失。4、5年間河水に魚見ず。
        (震災予防調査会報告86)(日本火山総覧)
  6月27日 京で地震。(続史愚抄72)
  7月19日 松前海嘯。人家多数流出。死者多し。(青森県史 4)
 閏7月16日 集中豪雨により鴨川が洪水。三条大橋が損壊。
 閏7月17日 洪水により大和御所町で659軒が流出、218人が死亡。
  9月 1日 江戸で大地震。(萬年記13)
 11月28日 伊勢国紀州藩領で108村が蝗害のための減免を強訴。
1730~1740
    この頃、近江野洲郡橘村に一石が落ちる。掌の大きさで、甚だ硬く重くして、金色文理(筋目?)あり。(雲根志前 3)
1741(寛保 1)年
  7月19日 蝦夷渡島大島の江良岳が早朝爆発。大津波が発生し、松前藩領などで死者1467人以上。
        791戸が流出し、152隻が破損する。津波佐渡にいたり、東北地方で8人が死亡し82戸が流出する。
       (福山秘府)(津軽藩歴代記類)(佐渡年代記)(続史愚抄73)(続日本王代一覧 7)(十三朝記聞 4)
       (談海続 3)(北海道志)(青森県史 2)(日本火山総覧)
  9月 3日 江戸で地震。(談海)
1742(寛保 2)年
  1月    彗星河鼓南及河鼓に現る。(紫芝園漫筆 8)
  3月 2日 8日にかけて桜島噴火。(震災予防調査会報告86)
  4月17日 江戸で地震。(萬年記13)
  7月26日 江戸で地震。(萬年記13)
  7月28日 中部から近畿地方で、大風雨により洪水多発。小諸、松代等の城が破損。三条大橋が流出。
  8月 3日 大風雨で利根川や荒川が洪水。80万余石が水没。3900人が溺死(18000余とも)。
       (萬年記13)(年代著聞集下)(柳営年表)(談海続 3)(紫芝園漫筆 8)
1743(寛保 3)年
  5月10日 京師で地震。(続史愚抄73)
 10月 6日 長州藩領内で風雨・洪水で13万石余が被害、家屋3484戸が倒壊。
 11月    彗星東壁に出現。光芒斜め、奎指にあり。二旬稍衰。
 12月28日 彗星再度明るく輝く。11月以来稍が西北、営室下星へ向かい、近営室下星で切れる。(紫芝園漫筆 8)
1744(延享 1)年
  8月10日 西日本大荒れ。(広島市史 2)(日向郷土史年表)
  8月    長州藩領で風雨洪水。12万石が被害、5080戸が倒壊。
  8月    江戸芝で海嘯。家屋多数倒壊。死者多数。(日本災異誌)
1745(延享 2)年
  1月30日 京師で地震。(続史愚抄73)
  5月21日 京師で地震。(続史愚抄73)
1746(延享 3)年
  2月17日 京師で地震。(続史愚抄73)
  4月24日 江戸で強震。家屋多数破損。(談海続 4)
  8月23日 土佐で大風雨。(日本災異誌)
  8月    長州藩領で風雨洪水。13万石が被害、3670戸が倒壊。
 10月29日 京師で地震。(続史愚抄73)
1747(延享 4)年
  4月24日 京師で大地震。(続史愚抄73)
1748(寛延 1)年
  9月    中国地方で風雨洪水。安芸で死者132人、6421戸が流出。
        広島・三原両城破損。周防・長門では6830戸が流出。(広島市史 2)
1749(寛延 2)年
  4月10日 広島で大地震。(広島市史 2)
 10月17日 京師で地震。(続史愚抄74)
 11月19日 京師で地震。(続史愚抄74)
    この年、桜島噴火。(日本災異誌)
    この年、冷害と蝗害により東北大飢饉。(青森県史 2)(山形県史 2)(津軽凶歉記録1班)(津軽旧記類)
1750(寛延 3)年
  4月    武蔵で雹が降り、人馬作物に被害。
  7月30日 京師で地震。(続史愚抄74)
  8月23日 日向大風。高鍋藩領1300余石損。佐土原藩領200余戸倒壊。(日向郷土)
  8月26日 洛中大風雨。二条城天守閣落雷で焼失。(続日本王代一覧 8)(泰平風也集上)(泰平年表)
1751(宝暦 1)年
  2月29日 京で大地震。余震続く。人家土蔵多数破損。余震7月まで続く。
       (十三朝記聞 5)(泰平風也集)(地歴)(続日本王代一覧 6)(年代著聞集10下)(続史愚抄74)(浮世の有様)
  4月25日 越後高田で大地震。1日30余回。城下で大被害。死者千とも16300ともいう。
       (地歴)(続日本王代一覧 8)(泰平風也集)
 閏6月19日 讃岐で洪水。
1752(宝暦 2)年
  2月25日 会津地震。(石川県史 2)
  8月 3日 因幡で暴風雨により洪水。
1753(宝暦 3)年
  1月 9日 京師で地震甚だし。洛中築地破損多数。(続史愚抄75)
  2月16日 江戸で地震。(武江年表 5)
1754(宝暦 4)年
  6月19日 浅間山噴火。煙、地に這い作物を害する。秋過ぎまで度々噴火。(震災予防調査会報告86)
1755(宝暦 5)年
  4月10日 地震により日光山奥院が崩壊。
  7月13日 津軽大雪。3尺余積もる。(十三朝記聞 5)
    この年、翌年にかけて諸国大飢饉。(山形県史 2)(秋田県史 2)(青森県史 4)(凶荒史 2)(日向郷土史年表)
1756(宝暦 6)年
 7月 晦日 近江・大坂などで大地震。(日本災異誌)(十三朝記聞 5)(泰平年表)(編年大事記)
  8月 3日 大坂で大地震、火災。(日本災異誌)
  9月16日 翌日にかけて近畿、濃尾地方で暴風雨。淀川や紀ノ川が氾濫。
       (続日本王代一覧 8)(続史愚抄75)(泰平年表)(十三朝記聞 5)
    この年、桜島噴火。(震災予防調査会報告86)
1757(宝暦 7)年
  5月 4日 常陸で洪水。
  5月29日 加賀で大雨により金沢城下で被害。(泰平年表)
  5月    大雨で尾張等で洪水。322300余石が被害。(続史愚抄76)(十三朝記聞 5)
  6月19日 幕府、氾濫河川の普請のための検分に人を派遣する。
  6月26日 安芸で洪水と高潮。27118戸が被害。
  7月26日 出雲、讃岐、土佐で洪水。死者多数。
  8月20日 但馬出石で洪水。14000石が浸水。
  9月 5日  讃岐高松再度洪水。
 12月21日 幕府、信越、伊勢などの洪水被害諸藩に拝借金を貸与。
 12月    幕府、節倹令を出す。(徳川理財会要)
1758(宝暦 8)年
  2月19日 京師で地震。(続史愚抄76)
1760(宝暦10)年
  4月 5日 京師で地震。(続史愚抄76)
1761(宝暦11)年
  1月24日 京師で地震。(続史愚抄76)
 11月10日 京師で地震。(続史愚抄76)
1762(宝暦12)年
  4月18日 京師で地震。(続史愚抄76)
  7月16日 伯耆大山爆発。激水湧出し、100余人が死亡。(続史愚抄76)
 12月16日 八戸で大地震。被害多数。(青森県史 4)
1763(宝暦13)年
  1月27日 八戸で強震。家屋土蔵破損多数。(青森県史 4)
  2月 2日 京師で地震。(続史愚抄77)
  2月27日 京師で地震。(続史愚抄77)
  7月 9日 以降1769年にかけて三宅島噴火続く。(伊豆七島志)
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