🌀7〗─13─日本国憲法は如何なる理由であっても人権や自由を奪うロックダウンを認めない。~No.51No.52 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2020年4月17日11:30 産経新聞「ロックダウンできない日本 諸外国で目立つ強制力
 新型コロナウイルスの感染拡大で実施の是非が注目を集めた「ロックダウン(都市封鎖)」。海外ではロックダウンした上で外出禁止令を出したり、違反者の逮捕や罰金に踏み切ったりする国もある。日本では緊急事態宣言が出され、16日に対象地域が全国に拡大したが外出に罰則などはなく、政府も海外のような都市封鎖は「できない」との立場。背景には憲法が絡む問題もあるという。(桑村朋、杉侑里香)
 交通網封鎖、外出禁止
 「フランスのようなロックダウンはできない」。4月1日の参院決算委員会で安倍晋三首相が答えた。フランスは厳しい外出制限を設け、違反者に罰金を科していた。これに対し日本では、こうした対応は法律上不可能だという。
 ロックダウンは本来、刑務所の封鎖を意味するとされる。暴動などの後、安全のために囚人を監房に閉じ込める措置を指す。これが緊急時の安全確保を目的に、国が人の移動や企業活動などを制限する意味に転じたとされる。
 中でも大きな特徴は、当局が強制力を使い、個人の私権を制限することだ。
 現に海外では、厳しいロックダウンに踏み切る例が目立つ。
 ウイルス蔓延(まんえん)の発端となった中国・武漢市は全交通網を封鎖。外出も禁じ、食料品の購入も宅配利用を徹底させた。英国やイタリア、米国も罰則付きの外出禁止令を発令。企業活動を停止させた国もあった。
 緊急宣言も「要請」止まり
 日本はどうか。
 政府が4月7日に7都府県に緊急事態宣言を出した際には、各知事が外出や店舗営業の自粛を要請できるようにした。また3月に改正された感染症法は、72時間以内との条件つきで、集団感染が起きた場所などの周辺への立ち入り制限を可能とした。
 だが宣言後も、一般市民の暮らしに大きな強制力は及んでいない。海外メディアからは「見せかけだ」と実効性を疑問視する声も上がった。また、感染症法による制限も消毒作業などを目的とし、厳格なロックダウンを想定したものではなかった。
 なぜ日本では強制力を伴う措置ができないのか。
 「日本国憲法に国家緊急権が規定されていないことが背景にある」と指摘するのは、大和大の岩田温(いわた・あつし)准教授(政治学)だ。
 国家緊急権は戦争や大災害の際に憲法秩序を一時停止し、国民を守るための緊急措置を取る権限。憲法などに緊急事態条項として規定されていたりするが、こうした国では新型コロナウイルスの感染拡大で、外出禁止違反者への罰則をはじめ、私権を制限する法整備を行うことも多い。
 フランスは3月24日、衛生緊急事態法を施行。首相に人の往来制限や国家の物資管理の権限を与えた。外出禁止令に30日以内で4度違反すれば、最大3750ユーロ(約45万円)の罰金や禁錮刑を科す。イタリアや英国も違反者に罰則を科す。いずれの国も何らかの緊急事態条項を有している。
 私権制限、是非は
 日本も戦前の大日本帝国憲法には国家緊急権の規定があったが、現行憲法には存在しない。戦争の反省から国家の暴走を防ぐ意識が働いたとされる。このため日本では戦後、大災害など有事の際は個別の法律を新設、改正して対応してきた経緯がある。
 ただ、今回のような未曽有の事態はいつどこで起きるか分からない。日本も国民の私権を制限してまで外国のようなロックダウンを行うようにすべきなのか。
 岩田氏は「立憲主義の観点から私権制限には慎重な判断が必要」とした上で、「憲法を守るより、国民を守る政治的判断がより重要となる局面はあり得る。これを機に、憲法に例外的な緊急事態条項を設ける議論をすべきだ」と訴える。
 一方、「憲法を変えずとも強い措置は可能」との考えを示すのは東京都立大の木村草太(そうた)(きむら・そうた)教授(憲法)。科学的根拠があって基本的人権に配慮した感染症対策は、現行憲法は禁じていないとし、木村氏は「憲法上の個人の権利と統治機構のルールを守った上で法整備し、行動規制すればいい。改憲論議と結びつけるのは違う」と論じた。
 データも裏付け
 一方、位置情報をもとに米グーグルが公開する世界の人の移動に関する最新データ(11日時点)では、ロックダウンの有無の影響が如実に現れている。
 日本では2月下旬比で「外食・娯楽施設」がマイナス30%、「公共交通機関」はマイナス48%と、それぞれ訪問率が減り、緊急事態宣言の一定の効果がみられる。
 ただ強制的な措置に踏み切った欧米各国は、さらに大きな減少率を記録した。
 データは「COVID-19コミュニティモビリティレポート」。約130カ国を対象に、外食・娯楽施設▽食料品店・ドラッグストア▽公園▽公共交通機関▽職場▽住宅-の6つの分野での訪問率を公開。2月29日を起点とし、4月11日までの推移を示した。
 これによると外食・娯楽施設では、強制力の伴う外出禁止措置が出されたフランスとイタリアがともにマイナス86%の大幅減。在宅勤務に移行する企業の増加で、職場は日本が22%減、米国が38%減、フランスが55%減だった。
 差が顕著だったのは公園。日本は息抜きを求める人の増加を反映して3%増だったが、フランスでは74%減、イタリアでは83%減となった。
 同レポートはグーグルのアプリで位置情報の提供を有効にしている利用者のデータをもとに作成。日本は全国の傾向のほか、都道府県別の状況も含まれている。
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 産経新聞
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躊躇した緊急事態宣言、安倍総理が抱くべき「戦時内閣」の覚悟
 『小倉正男』 2020/04/09
 小倉正男(経済ジャーナリスト)
 トップダウンで行うというのが、「クライシスマネジメント」(危機管理)の鉄則である。
 有事には、ボトム(現場サイド)の意見をこなして調整に時間をかけていては決断、判断の時期を逸するということになりかねない。クライシスが顕在化した場合は、決断、判断を担っているトップがその仕事を果たさなければならない。
 日本のあらゆる組織は平時に慣れ過ぎており、一般的にクライシス対応は上手いとはいえない。トップがボトムを通さないで決めると、「それは聞いていない」と必ず不満が出る。“護送船団”のスローボート型の決定システムでスピードは求めようがない。
 日本の組織の多くは、現場などからの意見、情報を吸い上げて、トップ層がおもむろに議論するボトムアップでつくられている。いわゆる「日本型経営」が典型だが、企業が得意にしているシステムだ。平時はそれで問題はなく、組織全体のやる気を醸成できる面がある。しかし、有事にはその身についたシステムでは対応できない。
 「国民の命と健康を守るため、警戒を緩めることなく、必要な対策は躊躇(ちゅうちょ)なく決断して実行する」(3月12日、安倍晋三首相が記者団に表明)
 新型コロナウイルス感染症の問題では、安倍首相はこの発言通りにトップダウンで指揮をとって、素早く対策を打ち出し続ける必要があった。
 「躊躇なく決断して実行する」というのだから、間髪を置かずと誰もが受け止めた。
 確かに、日本銀行は上場投資信託ETF)の買い入れ目標の上限を従来の6兆円から12兆円に引き上げると決定した。3月16日、黒田東彦(はるひこ)日銀総裁は「当面必要ある限り12兆円ペースで買う」と表明した。
 安倍首相の要請を受けた動きとみられ、大幅に下落した株価を下支えする政策を打ち出した。低落している株式を大量に拾っているわけだから、日銀の財務悪化が懸念される事態である。是非をめぐる議論はあるが、株価下落の不安に一定の歯止めをかけた緊急措置だったのは間違いない。
 問題は一般の国民向けの緊急対策で、矢継ぎ早に打ち出されるとみられていた。だが、その後は事あるごとに首相周辺も含めて「躊躇なく」「前例のない」「大胆な」「思い切った」と大仰な言葉を繰り返し並べるばかりだった。言葉の動員は躊躇ないものだったが、肝心の目に見える具体策は何も示されなかった。
 目に見える具体的な政策が出たのは月を改めた4月1日。布マスク2枚を全世帯に配布すると表明した。遅れに遅れたうえに中身の乏しさに「これが前例のない大胆な政策か」と国民を落胆させた。スピード感を云々する以前の緩いスピードであり、早速「アベノマスク」と名付けられた。アメリカメディアは「エイプリルフールの冗談では」と辛辣だった。
 兵力=政策の逐次投入というか、いや逐次投入ならまだしもあまりに「小出し」に過ぎるものだった。予告編、すなわち「前例のない」「大胆な」「思い切った」と大仰な前宣伝が効き過ぎており、それが裏目に出ている。サプライズには違いないが、バッドサプライズになった感が否めない。
 4月3日には、所得が一定程度減少した世帯に30万円を給付することが明らかになった。給付を受けるには自己申告制とされている。所得減少をどう証明するのかなど制限もあって運用面ではきわめて曖昧(あいまい)だ。時間を要したのにもかかわらず基準はこれからつくるという詰めの甘いもので、多くの人に役に立つものかどうか判然としない。
 首相官邸幹部の「(自己申告は国民の)性善説に立つしかない」という談話は、給付金の立て付けの不具合さを如実に認めたものだ。「性善説」をにわかに求められた国民にとっても気持ちがあまりよいものではない。
 国民は生活人であり、生活人は家族を含めてその日の糧があるかないかが、一番大事だ。「性善説」などを持ち出すのではなく、誰にでも分かる制度にすることが根本である。
 30万円の給付金には、国民が元気にするものがなく、スッキリとした政策になっていない。「さすが」、と手を打つようなサプライズがない。ここでも空前の前宣伝がサプライズを先食いしている。サプライズを巻き起こすというなら大仰な予告編は逆効果であることを裏書きしてしまった。
 安倍首相は、自ら「最悪の想定」を何度も強調したが、「最善の想定」に立っているのではないかといわれかねない。結局、国は給付金を惜しんでいることが確認されたわけで、それで遅れに遅れて決断を躊躇してきたということが大枠判明した。遅いうえに給付対象を制限して絞り込むなどセコいという印象を与えたことになる。
 「クライシスマネジメント」では、最重要なのは情報収集だが、成功したとはいえない。とりわけクライシス初期における情報収集は難度がきわめて高いが重要な仕事になる。1月、2月に中国の武漢、北京、上海などで起こっていた極度の異変を見過ごしてしまった。
 情報収集とともに行うのが「初期消火」である。情報収集、そして「初期消火」ともにそのかけがえのない時期に有効な策を打てず、後手に回ってしまった。最も重要なときに、国家の危機管理、あるいは安全保障(インテリジェンス)本能が働かなかった。
 2枚の布マスク配布、所得減少への30万円の給付金にしても、さまざまな官庁を含めて多くの人に相談して意見を聞けば、第一に時間が膨大にかかる。第二には平均以下の保守的な結論になる。専門家に意見を聞くたびに「なるほど」と足して2で割る。さらに意見を聞いて「それもそうだ」と足して2で割るためだ。
 「平時のシステム」、官僚などから意見・アイディアを吸い上げてトップが判断するというボトムアップ方式では有事に対応できない。時間がかかるばかりで中身が乏しい平凡な政策になるものである。
 マスク2枚配布、所得減少で一定基準を満たした世帯への30万円給付という表明は、「国難」といわれるクライシスに引き合うものか。「最悪の想定」どころか「最善の想定」に立ったものにみえる。
 結局、フリーランスなど個人商店主への給付金などの追加の救済策もさらに逐次投入方式で検討されている。逐次投入では、総額やら名目は膨らんでいくがインパクトは小さい。一生懸命にやっていてもサプライズやインパクトは希薄化される。
 「クライシスマネジメント」の最終目標はサバイバル(生き残り)にほかならない。
 トップの器量、すなわち情報の収集力、分析力を筆頭に決断力、判断力、行動力、想像力、演技力、発信力などすべてが問われる。日々、状況が変わっていく。現状で正しい判断と思ったことが数日後に「最善の想定」に立った甘い判断だったということになりかねない。有事では思い切った手を打って、「最悪の想定」に立ってやり過ぎたと後悔するぐらいに行う覚悟が必要である。
 緊急事態宣言(7都府県対象に4月7日発令)、あるいは都市封鎖にも躊躇する姿勢が顕著だった。「医療崩壊寸前の状態」「ギリギリの状態」というなら迷わずやるべきものではなかったか。感染爆発=医療崩壊してから緊急事態宣言を行っても、それは状況の追認であり「敗北宣言」にほかならない。
 緊急事態宣言は、小池百合子東京都知事、吉村洋文大阪府知事、さらには横倉義武日本医師会長までが強く要望していた。ボトム(現場)が揃って要求しているのにもかかわらずトップはなかなか決断をしなかった。これは不可解というか、ボトムアップ方式にもあてはまらない。
 緊急事態宣言の表明においても、内閣、自民党との調整を経て最後に諮問委員会との確認というのだから、どこまでムラの根回しをやっているのかという次元になる。
 緊急事態宣言、さらに都市封鎖は何のためにやるのか。国民のサバイバル、国民の生活手段である経済のサバイバルを最終目標にするべきである。
 最終目標が曖昧だから、その手段である緊急事態宣言、あるいは都市封鎖の意味合いが捉えきれない。最終目標がはっきりすれば、「ダメージコントロール」という手段の意味合いが明確になる。
 緊急事態宣言が遅れたのは、経済のダメージを恐れたためといわれている。これは最終目標が曖昧なためで、問題の本質を見誤っている感がある。緊急事態宣言による経済の停止は、もちろんダメージは小さいわけではない。
 ただ、手をこまねいているうちに感染爆発=医療崩壊という最悪の事態になれば、ダメージの極大化を招くことになる。それでは取り返しがつかない。
 緊急事態宣言は、むしろ新型コロナウイルス問題が解決された後を睨(にら)んで、経済のサバイバルに備えるために行うものだ。国民(ヒト)の生命の安全を確保するのが先決である。
 経済は一時的に停止するにしても生産・物流・販売の経済は再開に耐えられるように温存する。一時的なダメージは出るが、それは避けられないものだ。そうであるならそのダメージは極力コントロールしながら受け止める。それが「ダメージコントロール」にほかならない。
 珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦などの航空戦の空母のようなものだ。空母というものは、攻撃力は強いが、防御力は脆弱(ぜいじゃく)である。
 航空戦で魚雷や爆弾を何発か受けても、空母の沈没といった最悪の事態は回避してドッグに帰港できるように被害をコントロールする。ドッグで緊急修理を経て次の航空戦に備える。ダメージを受けるのは避けられないと覚悟のうえで、サバイバルを最終目標にした「ダメージコントロール」を行う。
 経済のサバイバルには国民のサバイバルが前提になる。国民の生命を新型コロナウイルス感染症から守るには、緊急事態宣言、あるいは都市封鎖などやれることはすべてやる。それによって感染爆発=医療崩壊を全力で避けることが必要だ。医療がギリギリでも健在を保てるなら国民の大部分を守ることができる。
 経済のサバイバルを担保しながら経済を一時的に停止させる。その損失は膨大なものになるが、国と地方自治体で補償する。緊急事態宣言、あるいは都市封鎖による経済の打撃は覚悟して受ける。しかし、その「ダメージコントロール」を行ってサバイバルに耐えられる能力を守る。財政は大きく悪化するが、生産・物流・販売の経済が再稼働すれば元は取れる。
 国民も経済も守れないとしたら、後の歴史家から、国や東京都を筆頭に神奈川県、千葉県、埼玉県など地方自治体は国難(有事)対応を誤り、日本を衰退に導いたといわれるに違いない。
 新型コロナウイルスと正しく戦え、というのは簡単だが、敵の正体は見えず、戦う武器もない。それは「2枚の布マスク」が証明している。新型コロナウイルスという凶悪な敵と対峙する「戦時内閣」として、国民のサバイバル、そして経済のサバイバルに向けて有事に立ち向かうべきだ。
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