🌀7〗─10─素人無責任国家日本における武漢肺炎感染拡大防止政策。~No.45No.46 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 明鏡国語辞典厚生労働省
 〘名〙国の行政機関の一つ、社会福祉社会保障・公衆衛生、および労働者の福祉・職業の確保などの行政事務を担当する。長は厚生労働大臣
 ◇厚生省・労働省を統合して2001年1月に発足。
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 世界で最強の軍隊は、アメリカ人将軍、ドイツ人参謀、日本人兵士。
 世界で最も弱い軍隊は、中国人将軍、日本人参謀(エリート軍人官僚)、イタリア人人兵士。
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 武漢肺炎封じ込め対策で、台湾政府は成功し、日本政府は失敗した。
 マスクは、台湾では不足していないが、日本では深刻な品薄状況にある。
 日本は、東アジアで負け組である。
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 物分かりが良い日本人は2割、物分かりの悪い日本人は3割、何となく声高に叫ぶ相手に盲信し盲従する日本人は5割。
 良い人間をマネるより、悪い人間をマネた方が、気楽で楽しい。
 悪貨は良貨を駆逐する。
 日本人は、お上に弱い。
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 2020年5月号 文藝春秋「『狡猾なウイルス』に試されている
 国や社会の仕組みが浮き彫りになった
 橘玲(たちばなあきら)
 今年はじめ、ひとびとがなにに夢中になっていたか覚えているだろうか?
 欧米では、『大人が私の未来をだいなしにしようとしている』と叫ぶスウェーデンの少女が大人気になり、気候温暖化で人類が滅びるのを防ぐべく、CO2(二酸化炭素)を大量排出する航空機に乗らない『飛び恥 Flight shame』が流行語になった。
 香港では民主化を求める若者たちが毎週のように警官隊と衝突し、中国の武力介入が近いのではないかと危惧されていた。フランスでは黄色のベスト(ジレ・ジョーヌ)を着た草の根的デモ……。
 しかしいまでは、香港でもフランスでもデモは行われていない。というか、世界のほとんどの場所でデモ(集会)自体が禁止されてしまった。もはや誰も気候温暖化のことなど気にしていないし、……。
 それ以外でも、ひとびとは多くのことに興味を失っている。なぜなら、はるかに重大な関心事ができたから。それは『生き延びる』ことだ。
 世界を大混乱に陥れた新型コロナウイルス感染症新型肺炎)の本質は『死の恐怖』だ。生き物としてのヒトのもっとも強烈な欲望は『生きたい』であり、それに比べれば正義とか、愛とか、人類滅亡ですらどうでもいいのだ。この生々しい現実を、私たちは日々、目にしている。
 感染症は社会の本質をあぶりだす。たとえば、ウイルス感染者を乗せて横浜港に停泊した大型クルーズ客船ダイヤモンド・プリンセス号。乗客・乗員合わせて4,000人ちかくを14日間も『隔離』した結果、官房長官が『感染拡大防止を徹底』と胸を張ったにもかかわず、感染者約700人、死者10人の〝大惨事〟を引き起こした。
 ちょうど同じ時期、カンボジアが同様の状況にあったクルーズ客船を受け入れ、症状のない乗客全員を検閲もせず下船・自由解放させた。これを日本のメディアは『中国におもねっている』とさんざん批判したが、その後、確認された感染者は1名だ。どちらの対応が正しかったかは議論の余地すらなく、当然のことながら、感染の恐怖に怯える乗客・乗員を非人道的な環境で拘束した日本の対応は海外メディアからさんざん叩かれた。
 ウイルスが未経験であることを考えればいちがいに責めることはできないものの、『政治は結果責任』というのなら、正しい判断は全員を検査して陰性の者を下船させるか、それが無理ならカンボジアと同様に2週間の自宅隔離を求め、外国人は各自で航空券を手配させ、空港まで送って帰国してもらえばよかっただけだ。これなら、2週間もウイルスを〝培養〟したあと乗客を下船させて公共交通機関で帰宅させて新たな感染者が続出するという無様な結果を避けられただろう。
 感染症対策の責任者は誰れ?
 だが、本当の問題はそこにはない。誰だって失敗することはあるだろうが、この国では、失敗の責任がどこにあるのかわからないようになっているのだ。
 クルーズ客船が全国民の注目を集めていたとき、説明にあたったのは厚生労働大臣だが、経歴は国立大学経済学部卒の学士だ。船内で陣頭指揮をとったとされる厚労副大臣も市立大学の文系で、感染症についてなんの専門知識もないだろう。ついでにいうと、いまの厚労事務次官も国立大学法学部卒の学士だ。そうした『素人』たちを補佐するために官僚がいるはずなのに、奇妙なことに、現在にいたるまで厚労省感染症対策の責任者がまったく知られていない(厚労省の組織図を見るとそれらしき部署はある)。
 さらに奇妙なのは、メディアも厚労省の『責任者』に取材しようとしないことだ。感染症の専門家である国立大学教授がクルーズ客船に乗船し、その後、『感染対策がほとんどできていない』とインターネット上で告発したとき、新聞は『厚労省幹部』なる人物の反論コメントを掲載した。このような重大な社会問題で、批判する側が実名で、それに答える公務員が匿名というのはおかしなことだと思うのだが、メディアもそれを当たり前だと受け止めている。なぜなら記者クラブ制度で囲い込まれていて、官僚となれ合っているから。
 ところで、なぜ『厚労省幹部』は堂々と名乗り出て反論しないのだろうか。私は、その理由はひとつしかないと思う、それは、この人物が『素人』だからだ。感染症の専門家と渡り合うだけの専門知識がないから、こそこそ隠れて文句をいうしかないのだ。
 厚労省の2つの〝事件〟
 これが私の偏見でないことは、2019年1月に発覚した『統計不正』事件を振り返ればわかる。このとき厚労省は、雇用保険労災保険の算出などに使われる『毎月勤労統計』の調査で、本来なら東京都が全数調査しなければならないものを、『大変だから』といわれて法令に反して抽出調査にすることを認め、そのうえ全数調査の結果に合わせる補正をしていなかった。その後、不適切な扱いに気づいた職員が補正を行うのだが、そのことによって統計結果がさらに歪んでしまった。こんなことを気軽にやるのは、統計を自分たちの都合で勝手にいじっていいと思っているからだろう。
 不正があきらかになって、過去の経緯が不明だと野党から追及されたが、組織的に隠蔽しているというより、担当者が何人も代わって誰が何をしたのかわからなくなっていたのではないか。過去の統計資料を廃棄していたことも明るみに出たが、これも悪気があるのではなく、『どうでもいい』と思った担当者が独断で捨てていたと考えるのが自然だ。2018年2月の『働き方国家』でも同様の〝事件〟を起こしている。労働実態調査で、裁量制労働者の1日の労働時間と、一般労働者がもっと多く残業した日の時間を比較するなどして国会が紛糾したのだ。野党はこれを厚労省の陰謀だと批判したが、〝陰謀〟ならバレないようにもっとちゃんとやるだろう。
 専門家のふりをした素人集団
 2年つづけて起きたこの不祥事からわかるのは、厚労省の統計部門には統計の専門家が誰もおらず、〝素人〟によって運営されていたということだ。最初はちゃんとした専門家がいただろうし、大学院で統計学を学んだキャリアが配属されたこともあったかおしれない。だが霞が関の官僚は2~4年で異動するので、いつのまきか統計の基礎すら学んだことのない素人が責任者になるのだ。
 統計のような専門性の高い部署ですら専門家がいないのなら、感染症対策の部署に感染症の専門家がいなくてもなんの不思議もない。こう考えると、国民の一大関心事だったクルーズ客船問題のときに、なぜ厚労省の感染対策の責任者が前面に出られなかったかがわかる。それが素人(たとえば国立大学法学部卒の学士)だったら、これまでずっと隠してきた秘密、すなわち厚労省が『専門家のふりをした素人の集団』だということがバレてしまうのだから。
 もちろん私は厚労省の内情を知っているわけではないから、これは『陰謀論』の類だ。だがそう考えると、クルーズ客船問題から現在に至るまで、なぜ厚労省感染症対策の責任者がただのいちども私たちの前に姿を見せないのか、その謎がきれいに解るのではないだろうか?
 
 1923(大正12)年12月27日、国会議事堂に向かう皇太子(後の昭和天皇)の車が狙撃された。犯人は難波大助は、父親が衆議院議員という山口県の名家に生まれた24歳の若者で、ステッキに仕込んだ散弾銃の銃弾は車の窓を破ったものの、同乗していた侍従長が軽傷を負っただけで皇太子には怪我はなかった。
 欧米のジャーナリストを驚かせたのは、事件よりその後の出来事だった。
 内閣総理大臣山本権兵衛はただちに辞表を提出し、内閣は総辞職した。当時の警護の責任をとって警視総監と警視庁警務部長が懲戒免官となったばかりか、道筋の警護にあたっていた(事件を防ぐことはとうていできなかった)一般の警察官までもが責任をとらされて解雇された。
 難波の出身地の山口県知事は減俸、上京の途中に立ち寄ったとされる京都府の知事は譴責(けんせき)処分となり、郷里の村は正月行事を取り止めて『喪』に服した。難波が卒業した小学校の校長と担任の教師は辞職し、衆議院議員である難波の父親は自宅の門を青竹で結んで蟄居し、半年後に餓死した。

 政治学者の丸山真男はこの皇太子狙撃事件を例にあげて、日本社会の特徴は範囲の定めのない無限責任にあると論じた(『日本の思想』岩波新書)。いったん不吉なことが起きると、関係する全員がなんらかの〝けがれ〟を負い、批判の矢面に立たされるのだ。
 こうした無限責任の社会では、責任を負わされたときの損害があまりにも大きいので、誰もが責任を避けようとする。その結果、天皇を〝空虚な中心〟とする、どこにも責任を取る者のいない無責任社会が生まれ、破壊的な戦争へと突き進んでいったというのだ。
 無限責任=無責任社会
 『無限責任=無責任社会』の構造は戦後も連綿と引き継がれ、現在に至っている。日本社会は本来、『どこにも責任者がいない』ことが常態なのだ。
 ところが欧米流のグローバルスタンダードでは、責任と権限がセットになっているので、『誰に責任があるのか』が常に問われることになる。これは日本人にとってはきわめて居心地の悪い状況で、自らは責任をとらないまま、人身御供の『責任者』を立てようとする。会社なら『社員代表』としてのサラリーマン社長であり、役所にとっては政治家だ。
 日本の会社で、しばしばなんの能力もない凡庸な人物が社長になるが、これで問題なく組織が運営できるのは、いざというときの『人柱』以外のことを誰も期待していないからだ。意思決定は稟議書に全員が印鑑を捺し、その稟議を通すために会議を開き、その会議のために下打ち合わせをし・・・というように、関係者全員が合意してどこにも責任が生じないような巧妙な仕組みがつくられている。
 役所などの行政機関もこれは同じだが、誰かが『決定』しなければ物事は先に進まない。このときに必要なのが政治家で、役人のいうがままに『決めて』くれさえすれば素人でもかまわない。というか、ヘンな専門知識をもっているより、素人の方が御(ぎょ)しやすい。なぜなら、あちこちの部署を異動している当の役人にも専門知識がないから。日本型組織の特徴は専門性や合理性を憎んでいることで、『素人が考えたことを素人が決定する』ようにできているのだ。
 その結果、すべては場当たり的な対応になり、状況の変化に適応できず、最初に決めたことを変えられない。『変更』は責任問題を生じさせるのだ。クルーズ船が『ウイルス培養船』になったことがわかってからも乗客・乗員の拘束にこだわり、多数の隠れ感染が疑われても、当初の予定どおり下船を強行したことはこれで説明できる。結果がどうであれ、これなら責任をとるのは政治家(厚労大臣)で、すべて決められたとおりに行った官僚たちは無責任のままでいられるのだ。
 これはまさに、太平洋戦争のインパール作戦の構図とまったく同じだが、このように考えるといろいろなことがすっかり理解できるだろう。
 小中髙の全国一斉休校は安倍首相の独断で決まった。メディアからは『証拠(エビデンス)がない』とさんざん批判されたが、なぜこんなことになるかというと、官僚はあとで責任をとらされるようなことをなにひとつ決定できないのだから、『証拠』があろうがなかろうが政治家が決めるほかないのだ(その後、欧米各国が続々と学校閉鎖に踏み切ったことで、いまではこの決断は高く評価されている)。
 決めたことを変えられない
 東京オリンピックの延期が正式に決まる前、安倍首相が大規模イベントの自粛を要請するなか、大会組織委員会は仙台駅に聖火(復興の火)を展示するイベントを行い、5万人を集めて世間の顰蹙を買った。これなどは『最初に決めたことを変えられない』典型だろう。
 2月になってようやく発足した『新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(専門家会議)』も同様の問題を抱えている。クルーズ客船への対応で素人の厚労大臣を説明役にしたことで、厚労省は『専門的な見解を示せ』とさんざん批判されたが、省内に『素人』しかいないのだから、あとは外部から専門家を連れてくる以外にない。
 ところが、専門家会議の役割は『医学的な見地から助言等を行う』こととされ、どのような権限があるのかいっさい明確にされていない。これは権限を付与すると責任が生じるからであり、専門家が権限をもつと自分たち(厚生官僚)の権限が侵されるからだろう。だからこそ、感染症対策について国民への提言を行うという重要な役割を担いながら、なんの権限もなければ責任も負わない奇妙な組織になったのだ。
 このように感染症は、『権力の中枢を素人集団が無限責任と無責任で運営している』日本社会の暗い秘密をあぶりだした。
 東アジアは感染に強い
 ところで、話しはここで反転する。すでに明らかになっているように、新型肺炎は欧米で未曾有の混乱を引き起こし、本稿執筆時点(3月25日)で、北イタリアでは殺到する患者を医療機関が受け入れることができず、トリアージ(年齢などによる患者の選別)で多くの高齢者が生命を落とし、積みあがる遺体を軍隊が域外に搬出していると報じられた。近隣国のスペインはイタリアを上回るペースで死者が増えており、今後、フランス、イギリス、ドイツなどヨーロッパ諸国がそれにつづくことになる。
 アメリカではニューヨークで爆発的な感染が始まり、州知事がロックダウン(都市封鎖)を命じてからわずか4日で医療崩壊が始まった。デトロイトニューオリンズなど他の都市にも感染が広がっているが、それにもかかわらずトランプ大統領は経済活動の再開を目指していて、このままでは大きな混乱が予想される。
 それに比べれば、感染者数が増えているとはいえ、日本の状況は平穏そのものだ。スポーツイベントは中止され、ライブハウスやスポーツジム、ホテル・旅館業や航空会社など大きな影響を被っている業界もあるが、カフェや居酒屋は若者たちで込み合い、桜の名所は宴会なしの花見でごったがえした。
 彼我を比較して、多くのひとが『日本は正しく、欧米は間違っている』と考えるのは当然だ。だとすれば、『素人』が無責任に場当たり的な判断をすると感染症が抑制でき、権限と責任のはっきりした組織だと感染爆発を引き起こし、多数の死者が出るのだろうか。
 だが、当初は武漢を中心に大きな被害を出した中国は2カ月で感染をほぼ制圧し、香港、シンガポール、台湾は日本よりも上手く対処しており、大邱で集団感染が起きた韓国も医療崩壊を起こさず感染拡大を防いでいる。ここからわかるのは、『どのようなやり方をしても東アジア社会は感染を一定の範囲に封じ込めている』ことだ。これはおそらく、政治や行政がすぐれているのではなく、国民の気質や生活習慣のちがいだろう。
 心理学ではパーソナリティ(性格)を大きく五つに分類するが、東アジア人種は神経症傾向と内向性スコアが高いとされている。これは、『不安感が強く対人接触を嫌う』ということでもある。感染症を抑えるには頻繁な手洗いと『社会的距離』を取ることが大事だとされるが、この性格類型はその対策にまさにぴったりだ。
 行動経済学はさまざまな実験で、ひとは目の前のことを過大に評価し、将来のことや遠くの出来事を過小評価することを明らかにしてきた。日本が新型肺炎で大騒ぎしたのは隣国で感染が拡大したからで、その頃欧米は対岸の火事のように眺めていた。その後、北イタリアで感染が広がっていることがわかっても、スペインはマドリードで国際女性デーのイベントを開催し12万人が参加、それが爆発的な感染の引き金を引いたとされる。ひとびとがこの病気のことを真剣に考えるようになったのは、病院が機能不全に陥って高齢者が次々と死ぬ姿を突きつけられてからだが、そのときにはすでに感染は広範囲に拡大していて手のつけようがなくなっていた。
 クルーズ客船問題で政府・厚労省の対応が海外メディアから叩かれたとき、日本の専門家から『アメリカのようなCDC(疾病予防管理センター)をつくるべきだ』との声が沸きおこった。だがそのアメリカは、このままでは先進国でもっとも大きな被害を出すのではないかと懸念されている。
 いつか必ずやってくる危機
 責任と権限を明確にした専門家組織があっても、トップが感染症に無関心なら(トランプは『新型肺炎民主党のでっちあげ』といいつづけた)機能するわけがない。専門家がどれほど警告しても、危機が目の前で起きなければひとびとは事態を理解できない。感染を拡大させたのはウイルスではなく『ヒトの本性』なのだ。
 進化医学では、ヒトとウイルスは『軍拡競争』をしているとする。人間の武器は生まれもった免疫力と科学のちからだ。それに対してウイルスは、短期間で変異することでヒトの包囲網を突破しようとする。
 このたたかいを繰り返していると、いつかかならず現代文明に最適化したウイルスが誕生する。それが潜伏期が長く、弱毒性で、宿主に効率的に感染を広めさせるコロナウイルスだったのだろ。今回は中国から始まったが、それは『いつか必ずやってくる危機』だったのだ。
 この狡猾なウイルスによって、ヒトの本性や社会の仕組みが次々と浮き彫りになった。そしておそらく、これからもっと驚くようなことが起こるだろう」
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 日本軍の敗因は、後方の安全な東京の陸軍参謀本部や海軍軍令部で、現地の戦況や兵站の確保などを無視し、都合のいい情報や統計数値を使って作戦を立案して現地軍に命令していた、エリート軍人官僚であった。
 軍人は理系で現場重視であったが、中枢のエリート軍人官僚は文系に近く格調高い文書を作成していた。
 現場の軍人は作戦に失敗し敗北すれば、責任を取って自決した。
 エリート軍人官僚は、立案した作戦が失敗しても責任を取る事がなく、年功序列的に出世し高級官職に就任していった。
 エリート軍人官僚の、無責任な作戦で日本人将兵約200万人が犠牲となり、その責任を隠蔽する為に大元帥昭和天皇の名と靖国神社の軍神が悪用された。
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 一寸の虫にも五分の魂があるように、ウイルスや細菌も命を守り子孫を残すという生き残り戦略として疫病・伝染病を引き起こしている。
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 人類は文明の進化と経済の発展の為に、行動範囲を広め生活圏を拡大する事で動植物からウイルスや細菌の生存圏を侵蝕し破壊してきた。
 人類の進化は、体内に侵入した有毒なウイルスや細菌を数万年~十数万年の時間を掛けて無力化し、生存するに為に利用してきた歴史である。
 腸内には、善玉菌・悪玉菌・日和見菌がウヨウヨしている。
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 追い詰められた時、困窮した時、人の本性が解る。
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 現代人類のホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人やその他の人類と雑居し乱婚し混血児を増やす事で彼らが持っていた免疫力を、遺伝子レベルで受け継いで生き残ってきた。
 変化に強い雑種・混血種は寛容な多様性を深めて生き残り、変化に弱い純種・純血種は排他的な一様性で滅びた。
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 日本は、アジアの中では先進国の一員であったが、バブル前ほどの経済力はなく、昔ほどの魅力はなかった。
 外国人が憧れる現代とは、子供向けの漫画・アニメであって大人の科学技術ではない。
 来日する外国人の観光の目的は、現代日本が自慢する近代的都市ではなく、前近代的町並みと昔ながらの自然風景である。
 つまり、現代日本には魅力を持って外国人を惹きつける処がない。
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 専門家は、蛸壺化しやすく、閉鎖的排他的傾向が強い。
 和田秀樹「専門家会議が感染症学者ばかりだからいけない。専門バカ会議になっています。栄養学者や免疫学者、精神科も加え、総合的に判断する必要があります。
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 東日本大震災福島第一原子力発電所事故の対応は、専門知識を持っていると過信した理系内閣で失敗した。
 専門家ごとに対策会議を設置して、会議を重ね、個別に提言を出しても役に立たなかった。
 日本人は、時間を無駄に浪費して誰も決められない「小田原評定」がにあっている。
 強いリーダーは独裁者として嫌われ、弱いリーダーは臆病者として批判され、何もしないリーダーが誰からも愛される好人物として絶大な評価を受ける。
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 日本人は一度皆で話し合い全会一致で決めた事を、途中で状況が変わっても、空気圧・同調圧力から自分の一存で決定を変更する事ができない。
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 戦後日本の政界・政治家、官界・官僚、経済界・経営者、学会・学者などの主要ポストに、素人的ゼネラリストが就任した。
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 感染症拡大は、観光客が浪費するマネーに期待し依存しようとして、約4,000万人の観光立国や約1,000万人の外国人移民受け入れのツケである。
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 1,100兆円の財政赤字に、毎年約40兆円の赤字が加算されていく。
 少子高齢化で人口が減少し、人生100年時代で高齢者が増え若者が減っていく。
 社会の活気は消失し、経済は衰退していく。
 日本は、アメリカのようにはなれないし、中国に追い付く事もできない。
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 日本国家は静かに衰退し、日本民族日本人も静かに消滅に向かっている。
 昔の日本国や日本民族日本人が凄く賢く優れていたからといって、現代の日本国家や日本国民日本人も同様に賢く優れているとは限らない。
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 不要不急の行動という意味では、昔の日本人であれば自分で考えて何となく理解し自己責任で行動したが、現代日本人は1から100まで全てを子供に言い聞かせるように懇切丁寧に説明されないと理解できないし行動もできない。
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 現代日本人は、他人から認められなければ、他人から褒められなければ・煽てられなければ、自信を持って行動できない。
 行動するのも、決まったマニュアルを正確に実行するだけである。
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 西洋礼賛派は、キリスト教価値観で劣った日本を優れた欧米のように生まれ変わらせようとしている。
 親中派媚中派は、儒教価値観で野蛮な日本を教養ある中国の様に改造しようとしている。
 キリスト教価値観も儒教価値観も絶対価値観から、人の命を区別し、生かすか死なせるかの線引きを行う。
 何故なら、キリスト教価値観も儒教価値観も貴賎の選別として奴隷を含む階級制度を認めているからである。
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 中国発祥新型コロナウイルスは、中国人が多く住み各国で猛威を振るい、感染者を拡大していった。
 爆発感染を起こし医療崩壊した国では、助ける感染者と助けない感染者を決める命の選別が始まった。
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 媚中派親中派や経済界そして人種差別反対派は、中国人や韓国人の入国禁止には猛反対した。
 野党やメディア・報道機関は、武漢肺炎感染者が死んでいるにもかかわず、感染予防対策討議より桜を見る会疑惑追及を優先した。
 リベラル派や革新派の野党、メディア・報道機関、人権派護憲派、一部の保守派は、国権で私権や自由を制限する緊急事態宣言には反対であった。
 戦前の反省から、国家を信用せず、国家を愛さず、国益を無視し、国家権力に逆らう事が英雄視された。
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 日本の組織は、多方面の知識を一通り知ったゼネラリスト=文系人材を必要としたが、特定分野だけのスペシャリスト=理系人材は求めなかった。
 日本のゼネラリストは、状況に応じて民間のスペシャリストを専門家会議に招聘し意見を聞いて対応した。
 ゼネラリストとは、特定の専門を持たない「素人」で、平時的事務処理能力は高いが戦時的事態対応能力は低い。
 専門家会議に招聘されるスペシャリストの多くは、政府の意向に沿った提案を提言できる御用学者である。
 専門家会議は責任逃れの方便でもある。
 東日本大震災福島第一原子力発電所事故において、日本政府は数多くの専門家会議や対策協議会など設置した。
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 日本政府・担当省庁の災害や感染に対する行動は遅く、初動からチグハグで、場当たり的に行動に終始し、対応は後手後手で右往左往するばかるであった。
 そして、現場の作業員との間に大きな認識のズレが埋まる事がなかった。
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