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2020年3月15日 読売新聞「文化 本よみうり堂
評・加藤聖文
『女工哀史』を再考する サンドラ・シャール著
人間らしい姿明らかに
『女工哀史』という大正末期に出た細井和喜蔵のルポルタージュは、教科書に必ず載っていて、中身を読んでいなくとも、逃げられない悲惨さを背負い込んだタイトルだけは、誰もが覚えていよう。
富国強兵を目指した大日本帝国の影で、苛酷な労働を強いられた貧しい農村出身の女工のイメージはここから始まる。
戦後になると。山本茂美が『あゝ野麦峠』で女工へのインタビューを通じて彼女たちの実像に迫り、ステレオタイプ化された女工像の見直しに迫った。しかし、皮肉なことに同名の映画化は、女工の悲劇性を強調したものとなって、『女工哀史』的イメージがより強固なものとして広まった。私たちの抱く女工像は『女工哀史』と映画『あゝ野麦峠』で作られたものだ。
本書は、このように固定化した女工像を歴史学の立場から見直そうという試みだ。
歴史学とは、記録という証拠に基づいてある仮説を証明していく作業であって、記録がすべて。しかし、残された多くの記録は、社会的強者によって作られたもので、社会的弱者が遺した記録はほとんどない。
本書が対象とした女工も同様で、彼女たちは、自らの体験を記録にする術(すべ)を持たなかった。彼女たちの姿は、企業や役所や労働組合の男性目線で作られた記録のなかい、単なる統計上の数字か器械のような物質でしか現れない。
著者は、言葉に対する感性の鋭さとフランスの社会学の手法を応用して、その実像に迫った。当時の女工が歌っていた『糸ひき歌』と元女工の聞き取り──女工たち自身の口から発せられた文字にされない記録──を武器に。
この試みが成功したかは、読み手によって評価が分かれよう。しかし、方言がちりばめられた女工たちの言葉に耳を傾けながら、女工たちの多様で人間らしい姿を明らかにした功績は大きい」
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開国した日本では、海外に輸出できるのは生糸しかなかった。
明治新政府は、近代化の一つである殖産興業に製糸産業を据え、良家の子女や職を失った士族の子女を女工として製糸場で働かせた。
製糸は、女性の仕事とされ男性は排除され、上流階層の女性が許された数少ない仕事であった。
その代表が、富岡製糸場であった。
富岡製糸場のある群馬は、「上州女とからっ風」と言われるほど男性より女性の方が強かった。
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資本家は全国に製糸場を作ったが、士族の子女だけでは女工の数が間に合わない為に貧しい家庭の少女達を前金を払って親元から引き離して集め、製糸場に押し込めて働かせた。
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製糸とは、重労働・肉体労働であった。
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重労働・肉体労働とは、楽しみが全くない、辛く苦しく疲れるだけの苦役で給料も安く、好きな者は誰もいなかった。
仕事の感想を聞かれれば、悪く言うが良くは言わなかった。
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ユダヤ教・キリスト教・イスラム教さらには中華儒教などでは、重労働・肉体労働は神の罰・天の罰として嫌っている。
人は、絶対神の命に背いたという原罪によってエデンの園を追放され、絶対神に対する原罪の罰として重労働・肉体労働を科せられたのである。
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産業革命後の近代国家は搾取社会となり、資本家が絶対神に代わり、労働者は資本家の為に重労働・肉体労働を強要され、資本家に背くとペナルティーが科せられた。
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天孫降臨神話では、稲作・コメと蚕・生糸は神聖な物とされていた。
高天原神話では、最高神である女性神の天照大神は機織りや田植えをしていた。
神話に従って、天皇は神田で稲作をして米を作り、皇后は蚕を飼って生糸を作っていた。
日本中心神話とは、神々が率先して働く神話である。
日本が近代国家や経済大国になれた要因は、「神々が働く(重労働・肉体労働)」神話があったかである。
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仕事を卑しい行為と否定する中華儒教は、働く日本国を野蛮国、仕事をする日本民族日本人を野蛮人と軽蔑し、差別し、迫害し、罵声を浴びせて見下し、嘲笑し、神聖な中華大陸を毒さない為に寄せ付けなかった。
最も日本国や日本民族日本人を嫌ったのは、不寛容排他的儒教原理主義=朱子学に毒された朝鮮であった。
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