🍠5〗6〗─1─小氷河期の江戸時代、老人の多くが凍死していた。年寄りの冷や水。〜No.15No.16No.17No.18No.19No.20 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 江戸時代は、小氷河期で寒く、冷夏による凶作で飢饉が発生して大量の餓死者を出し、冬は極寒の冷えで大雪が降っていた。
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 江戸時代は、人生50年時代で、若者が多く、老人が少なかった。
 日本人の特徴として、50歳~60歳の働き盛りの男性の突然死が多く、60歳以上で一人暮らしの男性独居老人の孤独死孤立死・無縁死も多い。
 50歳以上の老人が少なかったのは、姥婆捨て山に捨てられたのではなく、50歳までに大半が死亡したからである。
 江戸時代、余りの貧しさゆえに結婚できない男性、結婚しない男性が多かった。
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 日本人男性は、年を取ると体温調整が弱くなり寒さを感じなくなり、その為に低体温症となり凍死しやすい。
 その傾向は、ひとり暮らしの孤独な老人に多い。
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 日本には、欧米のような被災者を助けるボランティアもキリスト教会もなかった。
 そして、貧民救済の為にキリスト教会に寄付する信仰心篤い富裕層もいなかった。
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 日本人における、男性の孤独と女性の孤独は違う。
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 日本民族日本人は、温暖な地で生活していた琉球人とは違い、寒冷地で動物の肉を食い毛皮を着て生活していた逞しいアイヌ人とも違っていた。
 日本民族日本人は、寒さに弱い。
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 現代の日本人と昔の日本人は、社会的人間としてには別人だが、生物学的人間としては同じである。
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 個人の完全な自由。生きるも死ぬも自由勝手気まま。
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 2020年3月6日号 週刊朝日熱中症より危険
 うっかり凍死に気をつけろ!
 7割以上は高齢者 室温18度を下回ると循環器疾患の恐れ
 夏のなると熱中症で亡くなる人が相次ぐが、実は冬に凍死する人のほうが多い。しかも、屋内(おくない)で亡くなる例が少なくない。今年は暖冬といっても昼と夜の寒暖差は大きく、底冷えの日もある。温度の感度が鈍くなった高齢者は低体温症による〝うっかり凍死〟になりかねない。……
 ……厚生労働省の『人口動態調査』(2014~18年)のグラフを見てほしい。15年以外は毎年1,000人以上が凍死している。猛暑だった18年以外は、熱中症で亡くなった数より多い。年齢別では、全体の78%を65歳以上が占めている。
 場所別(その他、不明を除く)では、18年は家(庭)が540人と最も多く、全体の約42%だった。また、日本救急医学会が10年12月~11年2月に実施した、低体温症についての全国調査によると、屋内発症(303例)が屋外発症(100例)の3倍に達した。屋内の場合、約4分の3は寒冷環境で発症したという。
 東京都監察医務院の担当者は『一般論』と前置きした上で、こう話す。
 『屋内で凍死する原因は、暖房を使用するなどの温度管理ができていないから。基礎的な体力が低下している高齢者に多く、健康的な人では起きない』
 『芝大門いまづクリニック』(東京都港区)の今津嘉宏院長も、屋内にいても寒さによる低体温症で多臓器不全が起きて凍死する可能性があると指摘する。
 『低体温症は、体の中心部の深部体温が35度以下の状態です。普段、体温計を脇に挟んで測るのは皮膚温。深部体温のほうが1度高く、普通は約37度に保たれています。寒さで体熱が奪われ、低体温症になると臓器が機能不全状態に陥り、死亡率が上がります』
 低体温症にはどんな兆候が見られるのだろうか。
 『まずは、手足の末端が収縮して冷たくなり、体が震えてきます。動作が鈍くなり、体内の機能も低下するので、便秘も体が冷えているサインです』
 ……
 また、1日で一番体温が低下する朝に、具材入りの温かいスープを取りたい。
 具材が消化されるまで胃腸の筋肉が動き、熱が発生する。だから、温かいものをのむだけでなく、きちんと食べることも大切だ。
 アルコールで体を温める人もいるだろう。だが、血管が拡張して一時的に温まるだけで、逆効果になる。
 『頻尿を招き、尿から熱を放出して結果的に体温を下げるので避けてください。高齢者で夜間頻尿が多い人は、温かくして寝ると、頻度が減ってきます』
 住まいにも気をつけたい。近畿大学建築学部長の岩前篤氏は、一般社団法人『き塾』で、安全で住みやすい木造建築を広める活動をしている。
 『18年11月、世界保健機関(WHO)は、「住まいと健康に関するガイドライン」において、寒い季節の安全な室温を18度以上にすることを強く推奨しています。屋内の温度が低いことで健康への影響が大きいという結論からです』
 室温は暖房設定温度ではなく、洗面所を含めた家の中全体を18度以上にすること。下回ると、心臓発作などの循環器系疾患を起こす恐れがあると報告されている。寒暖差によって起きるヒートショックを防ぐことにもつながる。
 家の断熱性を高めることも大切だ。ただ、高齢者の住む昔ながらの一軒家には、断熱材が施されていないことが多いだろう。
 国土交通省は、住宅用の室温変化が居住者の健康に与える影響を調べた。断熱改修の前後を比較したら、こんな結果が出た。
 『改修後に、居住者の起床時の最高血圧が有意に低下』
 『室温が低い家では、コレステロール値が基準範囲を超える人、心電図の異常所見がある人が有意に多い』
 『床近傍(床近辺)の室温が低い住宅では、様々な疾病・症状を有する人が有意に多い』
 ……
 『朝方の寝室の温度は、10度以下になる家が少なくありません。一方、布団の中は25度くらいになります。温度差がかなり大きくなりますから、せべての部屋に断熱材や内窓を付けるのが難しければ、寝室を優先することをお勧めします。防音にもなり、睡眠の質も良くなります』
 ……
  油断して凍死しないよ、命を守る対策をしてほしい。
     本誌・岩下明日香」
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 江戸時代は、貧富の格差が極端に酷い、救いのないブラックな時代であった。
 自己責任、自助努力、自力救済が鉄則で、他人の助けなどはなかった。
 一人は万民の為、万民は1人の為、公助・共助などはなかった。
 生きるも死ぬも自分唯一人で、他人や世間はあてにできず、親兄弟の家族も頼れず助けにはならない。
 事実、家業が破綻で一家離散した家庭の子は、親の兄弟や親族に預けるが、たいていは無駄飯食い、穀潰し、厄介者、邪魔者と邪険に扱われ、差別され、意地悪され、苛められ、嫌がらせを受け、5~6歳で奉公に出た。
 兄弟の子や親類縁者の子はもちろん他人の子など引き取って面倒を見て育てる日本人はほんの極僅かで、大半は嫌がって為なかった。
 旅の病人や怪我人は、天下の五街道では宿場が責任も持って助けたが、それ以外では誰もが面倒臭く金の無駄として助けなかった。
 見捨てられて死んだ人間は、埋葬される事なく山野に打ち捨てられ、野犬やカラスなどに食われ、腐敗し、骸を晒して、土となって消えてた。
 野垂れ死にした人は、生きていた証しもなく、誰の記憶にも残らず、記録にも記載されず消滅した。
 それが、自然と共に生きていた江戸時代である。
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 ブラックな日本では、救ってくれる救世主(メシア)は現れないし、奇跡を起こし恵みや恩寵を与えてくれる神も存在しなかった。
 つまり、いざという時に神や仏など無力で頼りにならなかったが、それでも「困った時の神頼み」として神仏に祈りを捧げた。
 日本民族日本人が有宗教無神論者であるのはその為である。
 ブラックな日本で生きて行くには、神仏や他人を頼る他力と自分を信じきる自力の均衡が重要であった。
 ブラックに生きる日本民族日本人は、人は一人では生きていけない事を、ブラックな日本で生きて痛切に自覚していた。
 それが、日本民族日本人の生き方である。
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 江戸時代は小氷河期で、冬の寒さは厳しく、冷夏による凶作で飢饉が度々発生し、夥しい餓死者が出ていた。
 そんな、過酷な自然環境における悲惨なブラック国日本から、海外、朝鮮半島や中国大陸へ難民として逃げ出す者は誰もいなかった。
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 貧しい庶民は、最悪な住環境で、助け合いのない、悲惨なブラック社会を生きていた。
 「お裾分けによる三軒両隣は家族付き合い」という長屋付き合いは、極稀な事例で、実際はあり得なかった。
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 老後の保証がなかった為に生涯現役として、動けなくなるまで、働けなくなるまで、仕事を続け、動けなくなったり働けなくなったら後は死ぬだけであった。
 人生に、生きる事に夢も希望もなく、その日その日を、働き、飯を食って寝る、それだけの一生であった。
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 住まいの長屋は、大火における破壊消防が簡単にできるように低予算の安普請で、今で言う所の手抜き建築であった。
 建て付けが悪く隙間風が吹き込み、壁は薄く隣の家の音や声が漏れ聞こえていた。
 真冬の極寒の夜は、その冷え込みで屋内の湯飲み茶碗の水が氷るほどであった。
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 食事は、季節のモノ・旬のモノ・新鮮なモノ・目の前で取れたモノを料理していたが、総じて栄養価の低い粗食を僅かな量を食べていた。
 飲料の上水は、必ずしもキレイとは言えず、一度沸かしてから飲むのが普通であった。
 台所から出は排水は、長屋の真ん中を流れる溝に流す為に不衛生で、夏には悪臭が酷く、蚊や蝿が発生していた。
 日本人は、不潔・不衛生な食物や飲み水を体内に取り入れる為に、腸の中には回虫やサナダ虫などの寄生虫が多くいた。
 魚は生で刺身・寿司として食べたが、野菜は虫や虫の卵が付いていた為に必ず火に通し、煮炊きして食べていた。
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 着る衣服は少なく、冬は長襦袢と股引しで寒さをしのいでいた。
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 寝具は、粗末な布団しかなく、冬は包まって辛抱して寝た。
 寒くて眠れない時は酒を飲み、酔いの勢いで寝た。
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 身体を温める方法としては、炭を燃やす小さな火鉢しかなく、囲炉裏や暖炉などはなかった。
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 部屋には、食事を作りお湯を沸かす煮炊き用の小さな竈が土間に備え付けられているだけで、風呂もトイレもなかった。
 風呂は町中の銭湯(共同浴場)で、トイレは井戸同様に共同使用として外にあった。
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 大火や地震などの災害で寝る所を失った人々は、幕府が用意したお救い小屋で炊き出しや治療を受け、長屋が完成するまでの数十日を過ごした。
 お救い小屋は、雨風を凌げると言うだけのにわか作りの掘っ立て小屋であった。
 それが冬場であれば、掘っ立て小屋での凍死、災害関連死が急増した。
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 江戸・大坂・京など都市部では、男性が多く女性が少なく、結婚できず年老いて死んでいく男性が大半であった。
 地方・農村部では、貧しい農家はたいがい子沢山であったが乳幼児死亡率が高く、成人する子供は少なかったが、家や田畑を相続できるの跡取りは長男若しくは元気な次男三男で、残りの男子は男子のいない家の婿養子になるか、手に職を付ける為に商家の丁稚になるか職人の弟子になるか、さもなくば都市部の貧困部落に流れ込んで穢れた単純な肉体労働に有り付くしかなかった。
 その意味で、職業選択の自由と居住移動の自由はあった。
 職業選択の自由と居住移動の自由がなかったのは家を継ぐ者だけであった。
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 領主である武士達は、年貢を増やして財政を安定させる為には人口を増やす必要があるとして、生めよ殖やせよとして出産を奨励し、他領からの流民・放浪者を呼び込み定着させる必要があるとして、領内の開墾と現金収入に結びつく特産品生産に力を入れた。
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 現代において、未婚の男性(できなかった、しなかった)、妻と死別・離別して再婚しなかった男性は、年老いて、一人という侘しさ・寂しさ・切なさに絶えられず70歳までに孤立死・無縁死する例が多いと言われる。
 孤独に耐えられる男性独居老人のみが、80歳、90歳、100歳まで生きる事ができる。
 男性と女性の、平均寿命が違うのも、老人における人口差も、孤独感が違うからである。
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 楽しく長生きする事が人生の勝者というのならば、女性こそ勝者で、男性は惨めな敗者である。
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