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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
研究者の分かり易い研究・論文がアイデア力を潰す。
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現代の日本には、江戸時代の粋な日本人であれば嫌悪して見向きもしない紛(まが)い物や中途半端なガラクタが溢れている。
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2019年10月号 中央公論「『3万年前の航海 徹底再現プロジェクト』から見えたもの
対談 ニッポン発の人類学、そして科学を創り出そう
海部陽介×川端裕人
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川端 ……もう一つ科博(国立科学博物館)で印象的なのは、本州のあちことで3万年くらい前の地層から出てくる黒曜石の話です。分析したら神津島産のものとわかって、舟で取りに行かなければならないのに、その石が日本各地から出てくるってすごいですよね。最近では沖縄で世界最古の釣り針が出たという話題も取り入れられています。日本は意外にネタが豊富だということがわかります。
人類がアフリカから、ユーラシア、シベリアを経て南アメリカの南端まで移動したという、いわゆる『グレートジャーニー』の中では、アジアはただの通過点になってしまいますが、日本もそのストーリーの一部であるということが伝わってくる。私たちの足下にも、先祖の豊かな物語がある。科博を訪れる人には、ぜひそこを見て欲しいと思います。
海部 大多数の方が旧石器人はどこかの山の中に住んでいたと思っておられますが、平地に住んでいました。それだけでも面白いと思います。
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博物館の役割には、そうした実物標本を展示するほかに、もう一つ、研究の標本の保管・管理があります。博物館には一般公開していない収蔵庫があって、そこで、研究者が基礎的な研究を行っています。
川端 つくば市にある科博の収蔵庫には、江戸時代の人骨コレクションのようなものが際限なくありますね。モグラの研究者がひたすらモグラの標本を集めていたりもします。それを100年後の人が使うかもしれません。実際に100年前のもので研究している人もいるわけですから。
海部 技術が発展していくと、昔はできなかった解析ができるようになります。私たちは人骨をたくさん集めていますが、例えば、縄文人の骨の成分を分析すると、何を食べていたのかがわかるようになりました。DNAの研究も進んでいます。
古い貝があれば、気象観測が始まる以前の気候が読み取れます。物を持っていることによって私たちは情報を増やすことができる。それも博物館の役割です。理解のない一部の政治家などは、1度論文を書いたら標本はもうすてればいいなどとい言ますが、貴重な情報のバンクとしての博物館の存在意義も知ってほしいものです。
川端 海部さんを考古学者だと思っている一般の方もいるようで、DNAとか言われると、『おやっ』となるかもしれなせん。考古学と人類学は実際に隣接しているので混乱するのも当たり前ですが、そういう感覚とは別に、学問のジャンルとしては文系の考古学、理系の人類学が分断されていますね。海部さんの世代になってから交流するようになってきたと聞きます。
海部 僕はもともと化石の形態学が専門で、インドネシアの原人を20年くらい研究していました。文化人類学にも関心はありましたが、文理分断された教育体系の中で育ってきたため、十分に学ぶことはできませんでした。しかし、人類は歴史に興味があって、進化について研究したいっと思っていました。
かつて人類進化と言えば、アフリカやヨーロッパの話題がほとんどでした。しかし、僕はずっと自分の足元であるアジアの進化を知りたかったのです。当時、アジアでは北京原人とジャワ原人が知られる以外、ほとんど何もわかっていませんでした。クロマニョン人がいた時代に日本列島に誰がいたのか、気にもとめられていません。
原人を研究したのも、今の人間を理解したいからです。人間になる前のことがわかれば、ホモ・サピエンスがもっとわかるだろうと考えた。人間を知りたくて研究しているわけですから、考古学であろうと人類学であろうと手段は選びません。
ホモ・サピエンスの通史を描くということ
川端 『サピエンス全史』が大ベストセラーになっていますが、最近の人類史ブームをどう見ていますか。
海部 ある意味で当然の流れだと思います。ホモ・サピエンスのアフリカ起源説は基本的に正しいというフレームワークができてきたので、そこから得られる情報を統合されて、ホモ・サピエンスの通史を描こうという動きが出てきているということです。
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僕が書くかどうかは別にして、日本では欧米で書かれたものを紹介しているだけという面があります。日本人自身がアジアという視点からもう少し考えるべきだと思います。日本だけでなく、中国や韓国もみんなヨーロッパを向いてコミュニケーションを取っている。
川端 フィリピンのルソン島で見つかったアジアで五番目となる新原人ホモ・ルゾネンシスや、先日チベットの山岳地帯で見つかった謎の人類デニソワ人などは、人類史的にもものすごいことだと思うし、アジアの人類を理解するためのとっかかりになると思いますが、いかがですか。
海部 これまでジャワ原人と北京原人以外のアジアはほとんど空白でした。近年、その空白地域から予想外の発見が次々なされています。最近、インドネシアではフローレス原人と呼ばれる身長1メートルほどの小型の人類が、5万年前まで暮らしていたこともわかってきました。 ただ、やや残念なのは、これらの新発見の多くが欧米の研究者の成果であることです。
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アジアが急に面白くなってきているので、世界中が関心を向け始めています。全体としては歓迎すべき流れができていますから、その中で研究者として次に何をすべきかを考えなければいけません。
研究のためというよりも、世の中のために大事だと思うのは、人間を知ることです。例えば、台湾への旅行者は台北など都市部を中心に回ると思いますが、先住民のことはほとんど知る機会がないでしょう。彼らの暮らしは決して豊かとは言えませんが、不幸せかというとそうではない。僕は彼らのことを羨ましいと思うことがあります。例えば、お祭りの時にみんなで一緒に歌える歌を持っている。一緒に踊れる踊りがある。
いい面も悪い面も含め、そうした現実を知ることから、本当の関係は始まると思います。今は政治、経済が国際関係の話題の中心ですが、人類学はすではない交流ができる分野です。そういう分野で社会に貢献できたらなと思っています。
アイデア不足の日本の研究者
川端 海部さんは考古学と人類学を区別せず研究の場を広げてきました。今回のプロジェクトのように普通の研究者には考えつかないような発想で研究の幅も広げていますし、クラウドファンディングのような仕組みも積極的に取り入れた。その海部さんから見て、今後の日本の科学界にはどんな課題があるとおもいますか。
海部 資金不足などもありますが、別の大きな課題は、日本の研究者にアイデアが不足していることだと思います。だから先進的な発明が乏しい。学会に行っても若い人たちの発表に面白いものが少ないですよ。おそらくは産業界でもおなじではないでしょうか。
川端 論文になりそうな、手堅いことばかりをやってしまうということですか。
海部 そうですね。それから、教わったことだけをやっている。学生が既存の分野の重箱の隅をつついている。これに対し、欧米の研究が進歩しているのは、どんどん新しい手法が生み出されているからです。新しい手法で革新的なことが出てくる。それは若い人がやる仕事です。どこかの研究所がオーガナイズしてやることもあるでしょうが、日本では大学院生がすごい発明をしたということをほとんど聞かない。これは日本の弱点でしょう。原因はお金だけの問題ではありません。
例えば、オワンクラゲの発光物質を見つけた日本の研究者は偉いのですが、でもそれを利用して、ミクロの生命現象を可視化する技術を生み出した米国人研究者の斬新な発想には、舌を巻きました。そんな応用法があったのか、という驚かされるような発想が、日本からはなかなか出てきません。
若い研究者は、面白いことを見つける目を養ってほしい。研究者自身に面白いことを見つけるアンテナがなければ、発信もできません。
川端 最近思うのは、選択と集中は殊(こと)に基礎研究にとってやはりマイナスだということです。選択と集中をした段階ですでに有望だと思われているわけだから、もう基礎研究ではないですよね。オワンクラゲの研究なんて、有望とは誰も思わなかったはずです。今はそういう分野にチャレンジできる環境がないということでしょう。
海部 研究の自由は必要ですが、自由を与えられた人間が次にどうするのかということもきちんと組み立てておかないといけない。他方、例えば目を中国に向けるとものすごい業績主義で、欧米の研究機関に若手を次々と送り込んで学ばせています。論文を書けとプレッシャーをかけて、業績をあげた人をどんどん昇進させている。極端な業績主義には反対ですが、日本の学界も何かを変えなくてはいけないと思います。これでは日本が負けても仕方ありません。今の状況を見ると、『研究者は自由にしておけ』というだけでは、明るい未来はないと思います。」
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ヒト・モノ・カネなど全ての面で不足していた昔の日本は、無いなら無いなりに、足りないなら足りないなりに、有る物で創意工夫で乗り越えてきた。
江戸時代の経済やモノ作りは、イギリスには遠く及ばなかったがオランダには負けてはいなかった。
江戸時代の日本人は、文系現実思考と理系論理思考を持っていただけに、文系か理系の何れしか持っていない現代の日本人よりもアイデア力があった。
文系現実思考を養ったのは、俳句・和歌などの短詩表現や茶道・華道などの身体表現であった。
理系論理思考を養ったのは、今ある道具の技術を継承し独自に崩して発展させる伝統的モノ作りであった。徹底して物真似をし、その形を破って変化させる事である。
故に、江戸時代を一言で表現する事は不可能である。
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日本の強みは、組織・団体の総合力ではなく個人の凄技・職人の名人芸で、個人・職人の一芸にあった。
一芸は、工夫して、利用し、応用し、変化させる事で百芸に通じた。
例えれば、宮本武蔵や平賀源内らである。
日本文化の多様性とは、「異質なモノが数多くある」ではなく「あるモノが異なるモノに数多く変化していく」と言う事である。
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