📉23】─1─学力低下に伴う科学技術力の危機~No.48No.49 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
 現代は、新たな世界秩序を建設する為に、大量の血が流れず、大量の死者を出さない、新次元の戦争時代に突入している。
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 少子高齢化による人口激減時代に突入する日本。
 日本の衰退・凋落は、1980年代後半から始まり、2000年頃から顕在化し、2010年頃から深刻な社会問題となり始めた。
 そして、日本の学力は低下し、凄技のもの作りは見る影をなくしつつある。
 高機能なAIと高性能なロボットが、優れた最新商品を作れるのなら、操作する人間が誰であっても同じである。
 人件費が嵩むなら、操作する人間さえ要らなくなる。
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 以前、インターネットに接続した中国産家電もしくは中国系日本企業家電から中国語の会話が流れるという怪奇現象が起きていた。
 現代では、中国家電は進化して性能が良くなり中国語が流れるという怪現象はなくなっている。
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 スピーカーは音を出すが、音を集めて聞く事もできる。
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 2019年10月号 中央公論「崖っぷちの科学立国
 価値提案型の次世代モデルで世界を主導せよ
 科学技術政策に不可欠なイノベーションの視点  上山隆大
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 わが国の科学研究と国際立ち位置
 筆者は2016年から、内閣府総合科学技術・イノベーション会議の議員として、政府における科学技術政策の議論に加わるようになった。その現場で常日頃共有していることは、我が国の科学技術の現状と将来への極めて危機感である。
 国立大学の基礎的研究費の減少、競争的研究資金の偏在がもたらす地方国立大学の研究環境の悪化、若い優秀な研究者に蔓延するキャリアへの不安、博士課程への進学数の急速な減少、世界大学ランキングにおける日本の大学への低評価、世界の国々がしのぎを削っている先端分野における日本の存在感の低下、こうした事実のすべてが日本の学術の暗い将来を暗示しているかのようである。
 とりわけ危機的なのは、我が国の自然科学分野における研究力の低下だ。巷間(こうかん)しばしば指摘されているように、論文の絶対数でも、インパクトの高いトップ10%論文の数で見ても、2000年を境に他国と比べた相対的な地位を急速に落としている。このまま何も対策もしなければ、5年も経たないうちに、我が国の学術研究は取り返しのつかない規模でその底が抜ける。
 紙幅の関係で、国際比較を詳細に論じることはできない。ここでは一つの例示(れいじ)として、人工知能(AI)分野と生化学(Biochemistry)分野のみを取り上げ、その論文数のアメリカ、中国、日本の比較データを示しておきたい。
 何よりも驚くのは、AI and Image Processing(人工知能と画像処理)では、すでに2008年には中国がアメリカを凌駕していることだ。さらに、生命科学の基礎研究としてBiochemistry and Cell Biology(生化学と細胞生命学)を見れば、ここでも中国はアメリカに追いつきつつある。これは、あくまで総論文数のデータであり、トップ10%のインパクトの大きな論文数ではないことを付記しておく。
 この事実に、かつてアジアの中で科学技術の最先端を走っていた我が国の地位低下というだけの問題ではない。中国は先端分野に巨額の国家予算を投入している。その結果として、AI、ロボティクス、バイオインフォマティクス、次世代半導体などの、基礎研究とイノベーションが密接に融合した分野での論文が急増している。それは、こうした先端基礎研究への投資こそが、グローバルな富の創出と安全保障の要であることを知っているからである。
 基礎研究こそが、イノベーションの源泉である。知識基盤社会に突入した先進諸国はこぞって先端基礎研究に巨額の資金を投入している。それがグローバル競争の中で勝ち残る有効な投資だからだ。
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 しかしながら、イノベーションの原義は『それまでの器に新しいものを持ち込む』ということであって、必ずしも経済的効果や出口を前提とする概念ではない。科学技術の文脈において、イノベーションに特定の意味を付与するとすれば、科学技術に関わる営為から生まれたすべての知識、アイディア、シーズを社会に広げていく行為と考えるべきだ。先端サイエンスの成果であれ、すでに確立した技術であれ、それを最大限に普及させ、その成果を社会で使い尽くす行為こそがイノベーションの意味するものだと筆者は考えている。
 科学や技術の恩恵を広げていくことを政策の中心の一つに据えてみると、国の政策のほぼすべてに科学技術が関わっていると考えても不思議ではない。社会における一般市民の生活のうち、科学や技術に関わらないもの、恩恵を受けないものを探すほうがむしろ難しいのだと。
 人類史的課題と日本の役割
 さらには、このような国家戦略の視点が、かならずしも一国主義に囚われるものではなく、人類史への貢献の含意(がんい)があることも強調したい。
 人類の歴史が、富の増加とその反動としての飢餓や貧困による縮小を小刻みに繰り返す、いわゆる『マルサスの罠』から初めて抜け出し、爆発的な経済成長と人口増が始まった19世紀以来、かつて先進国という尊称で呼ばれた国々は、富の創造の恩恵を一心に享受してきた。それを可能にしたのは、明らかにサイエンスとテクノロジーである。そして、科学技術と富の拡大を結びつけることのシステムは、北西ヨーロッパに始まり、そのモデルを遅れて取り入れた国々ほど、より早くより広範囲に社会の構造を作り替えてきた。これを20世紀までの発展モデルと呼ぶならば、日本はその最後のキャッチアップの国の一つと言える。
 しかし、この20世紀モデルは、もはやどのような後発の国においても成立し難くなっている。早くも1972年に公表されたローマクラブの報告書『成長の限界』は、差し迫る人口増加と環境悪化、さらには成長が蕩尽(とうじん)する地球資源の枯渇への強い警告を発していたが、地球温暖化という目に見える危機を前にして、COP21やパリ協定という悲痛の声を聞くまでもなく、我々は地球レベルでの社会モデルの改変を迫れている。
 サイエンスとテクノロジーが人類に豊かさと幸福をもたらしたのだとすれば、その躓(つまず)きを改善するのも科学技術の力であるべきだ。そして、この20世紀モデルをどの国よりも急速に習得し、その恩恵を最大限に享受したのは我が国である。同時に、高度経済成長期に重ねた環境破壊の失敗を、科学技術の進展によってどの国よりも見事に克服したのも日本であった。
そして、いま日本に与えられている新たな試練は、言うまでもなく、少子高齢化、若年労働者の大都会への集中と地域間経済格差の拡大に代表される、先進国特有の課題であり、我が国は20世紀モデルの最後の走者であったがゆえに、この課題をどの国よりも早く引き受けることとなった。それを解決するための概念的なモデルとして提示されたのが、第五期科学技術基本計画が掲げた『Society5.0』という理想であった。
 Society5.0で実現しようとする社会では、IoT(Internet of Things)ですべての人々とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、いままでにない新たな価値が生み出される。また、AIにより、必要な情報が必要な時に提供される、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題の克服を目指す。さらには、社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重しあえる社会、一人ひとりが快適に活躍できるオールインクルーシブな人間中心の社会を目指している。
 このコンセプトは、国家の戦略として掲げられてはいるものの、科学技術の恩恵を単なる一国の富の創出に限定するのではなく、グローバル世界への貢献を価値の中心に据えているのである。
 デジタル革命の進展と国民国家
 我々はいままさに『デジタル革命』の真っ只中にいる。Society5.0というコンセプトはその世界観を反映したものだ。メモリ、センサ、CPUなどの半導体エレクトロニクス技術の飛躍的進歩、1990年代に姿を見せ始めたインターネットの世界レベルでの普及、さらには、AI、IoT、ロボティクス、ビッグデータといった革新的プラットフォームの進展が、人類社会に決定的なインパクトをもたらしつつある。
 このデジタル・トランスフォーメーションは、付加価値を生み出すシステムと世界の社会構造に決定的なパラダイムシフトを起こしつつある。20世紀の経済モデルが、『もの』の提供につながる工業化社会であったとすれば、21世紀はすべての産業が、サイバー空間を通した『サービス』へと転換され、その空間は地域や国を越えて果てしなく広がっていくがゆえに、20世紀モデルを支配していた『国境』をやすやすと越え、巨大な利益を生む経済システムを作り上げてきたのである。
 他方で、知識や情報に基づく産業の隆盛は、まさに21世紀における新しいサイバー帝国の出現を予感させる。GAFAに代表されるデジタル空間での活動、さらには国民国家の否定すら念頭に置いていたにちがいない。それゆえ、これらの巨大IT企業が、タックスヘブンを用いて大規模な租税回避を図ったことは、まことに理にかなった自然な行為でもある。
 デジタル資本主義と我が国の信頼性
 現在進行しつつあるデジタル革命は、最終的に国家を超えるか、あるいは逆に国家によって完全に統御されるか、このいずれかの間でのせめぎあいを経験するだろう。中国のように、国家による情報の完全な統制を実現させつつある国もすでに生まれている。一方で、GAFAの個人情報の囲い込みに対するEUの『一般データ保護規則(GDPR)』などの政策フレームワークは、このサイバー資本主義への健全なアンチテーゼでもある。2020年代は、まさにこの2つの力の綱引きの時代となるだろう。
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 我が国のなすべきことは、このようなデジタル革命の変貌を見据えながら、今後生まれ出る新しい世界秩序形成に対していかなる貢献をなすのか、その国家戦略を独自の科学技術・イノベーション政策で語ることなのではないか。
 大西洋経済圏から太平洋経済圏へ
 このデジタル・トランスフォーメーションの覇権をめぐって、アメリカと中国との争いが、太平洋経済圏において顕在化しつつある。
 21世紀の世界秩序は20世紀が辿った歴史を繰り返しつつあるように見える。20世紀における第一次世界大戦から20年間がそうであったごとく、国家間の資源と技術のせめぎあいの時代を経て、もう1度、21世紀後半に『世界秩序』が回復する過程で、我が国はもっと厳しい地政学上の試練に直面する国の1つになるだろう。それは、日本という国が、地理的にも、今世紀後半に形成される新しい世界秩序としての『太平洋経済圏』の要の位置に存在しているからに他ならない。
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 次世代モデルと太平洋経済圏
 次世代への期待についても論じておきたい。21世紀後半のイノベーションに求められるのはおそらくは次のことであろう。社会像、幸福感、生き方、ライフスタイル、倫理性、信頼性、アート(美)と科学、新世代の公共性、市民の関わりと共感性、こうした『ソフト・パワー』の新しい価値をどのようにサイエンスとテクノロジーに結びつけることができるのか。これらの『こと(intangible goods)』に根ざす新たな『価値観』を提案できるのか。その成否によって、新しい経済圏のリーダーが決定されていくだろう。それは、そのまま国際的なビジネスへのつながっていく。そして、都市型のイノベーション、科学技術の大きな劇場舞台が太平洋経済圏で顕在化していくだろう。それは、新しいタイプのベンチャー創業のあり方とも関わっている。
 この新しいモデルの中枢をどの国が担うのか。太平洋を跨(また)いだアメリカの関与が高まるのか。中国になるのか。インドになるのか。シンガポール周辺の華僑・イスラム圏になるのか。オセアニア諸国になるのか。それは現状では予測できない。しかしながら、1つだけ確実に言えることは、この経済圏こそが、21世紀後半の世界における富の創造に中心になるということである。そして、願わくは、我が国がこの舞台の主役でありたい。
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 自由と信頼にもとづく科学技術・イノベーション政策へ
 19世紀後半から20世紀初期にかけて、当時は『自由貿易経済圏』と呼ばれたグローバライゼーションの潮流がヨーロッパを席巻した。国家間の垣根を越えて『もの』が自由に動き始め、それについで『ヒト』の動きも活発化し始めた。それは比較優位の原則によって各国に貿易上の利益をもたらしたと同時に、国家間の格差を浮き彫りにしたのも事実である。この国益の対立が引き金となって始まった第一次世界大戦から、世界経済は『ブロック化』し、第二次大戦の結末として新しい世界秩序が生まれていった。
 2020年を迎えようとする現在、国益をむき出しにした同様の利害対立が顕在化しようとしている。先鋭化するブロック化は、軍事的行動へとつながるのだろうか。現実には、『人間の命の価値』が20世紀とは比べものにならないほど高騰した現在、物理的な世界戦争の可能性はかつてよりは低いかもしれない。それでも、国によって命の価値に格差があることは考えると、未来は予断を許さない。事実、物理空間ではなくサイバー空間においてすでに大きな戦争が始まっている。」
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