🍠7〗─1─天皇・皇室を守ったのは百姓・部落民・賤民と農本主義である。〜No.21No.22No.23 

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 2019年8月31日 朝日新聞「読書
 『農本主義という世界』 網澤満昭〈著〉
 国家を超える自治社会の光景
 評・保阪正康
 冒頭で、戦後日本の農本主義研究の俯瞰図(ふかんず)を描いている。総じて農本主義天皇制度国家のイデオロギーだったというのが軸であるが、反近代、反国家の思想としての、敗北の構造分析も重要であると説く。
 本書は、著者の研究のまとめの書でもある。近代日本の農本主義者たちの思想やその動きを、著者の関心の枠で丁寧に書いている。丸山真男をはじめとする研究者たちは一線を引いた姿勢が注目される。
 著者には初期の段階で、農本主義の思想家・権藤成卿研究の書があるが、本書でも、権藤の提起した様々な問題は解決され得たのかを説いている。権藤の思想の核である『社稷(しゃしょく)』(広義には、天皇、社会の意味)の理念と、柳田国男の『常民』との関わりを論じる部分が興味深い。
 柳田の中には『祖先との共生の国家』という視点があり、これを分析していくと、権藤の社稷思想は国家を超える地点に辿(たど)りつく、と説明する。常民の生活に魂を揺さぶられた先に、社稷自治の光景が見えるというのであろう。
 権藤と柳田の共通基盤への着目の他に、石川三四郎や岩佐作太郎らを例に、社稷思想がアナーキストとどう交錯するかを論じる。岩佐は農本主義ではないが、彼の反国家、反権力の母体に日本の伝統的農耕社会の倫理を見る。同時に擬装的日常性という語での分析も刺激的だ。
 昭和恐慌期には、実は多くの農本主義者が輩出した。その中には国家改造運動と連動した者もいる。権藤のほかに橘孝三郎岡田温、山崎延吉らだが、なぜそうなったのか。都市中心主義、個人主義、知育偏重、西洋化学愚術文明などが共通の敵で、精神の拠(よ)り所になったのは『皇道文明』だとみる。橘が、5・15事件後に天皇論の執筆を終生の責務としたことに、それが窺(うかが)えるともいう。
 本書の魅力は、著者の研究事跡に裏打ちされた論とその視点の深さである」
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 日本天皇と日本農業は一体である。
 天皇家・皇室を支えていたのは、地方の農村、地位が低く貧しい百姓達であった。
 百姓は、天皇制度を打倒し、天皇家・皇室を滅ぼそうとした共産主義マルクス主義)やキリスト教を嫌った。
 死を覚悟して伝統的天皇制度、万世一系男系天皇家、神の裔である皇室を守るのは、日本民族日本人特に地方の百姓しかいなかった。
 賤民や部落民達も、尊皇派・勤皇派として命を捨てて天皇家・皇室を守った。
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 農本主義とは、自分という現代を起点とした祖先の過去と子孫の未来を繋ぐ縦軸と現代を自然と共に生きる百姓という横軸からなっている。
 つまり、主体として土に依って土地を耕して生産して生きる事である。
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 キリスト教共産主義マルクス主義)は、自分一人以外は切り捨てる宗教であり思想・主義であり、命・血・魂・霊魂の繋がった祖先や子孫との共生を否定し絆を切断している。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇と皇族を殺すべくつけ狙っていた。
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