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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本の悲劇は、昭和9年と10年に北海道・東北地方を襲った冷夏による大凶作であった。
昭和11年2月26日、2・26事件。
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所詮、足りない食糧は海外から大量に輸入し食べられるのに生ゴミ・残飯として捨てて恥じない、全てを金で解決しようとする傲慢な、飽食化した現代日本人には理解できない。
現代日本には、食糧は輸入すればいいという「日本農業不要論」や「救うべきは日本農業であって日本人農家ではない」という農業改革案が根強く残っている。
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2019年7月27日 朝日新聞 読書「『農業と戦争 知られざる満州報国農場』 足達太郎、小塩海平、藤原辰史〈著〉 岩波書店
学生立ちの死 責任うやむやに
戦前、大学の実習として旧満州(中国東北部)に送られた学生の多くが死亡した。東京農業大学が1944年4月、旧満州に開いた『満州報国農場』の話だ。45年度の実習生は6割が死亡または行方不明となったが、正式な謝罪は大学としてではなく、その責任も現地で死亡した指導者に押し付けられてうやむやになったというから悪質だ。本書の執筆者のうち2人は同大の教授であり、内部告発の書の趣もある。
旧満州には70近くの報国農場が存在、若者を中心に各県からも4,600人ほどが派遣されたというが、資料の不足で研究は進まなかった。敗戦時に国内外で大量の文書が焼却されたが、その中で開拓団や報国農場関係の書類も廃棄された。巻末にある各県別の報国農場の回想や関係者がまとめた記録はそれゆえ貴重だ。
興味深いのは、『明治農業の祖』と言われた初代学長の横井時敬らの農業論を検討する第2章だ。国家のための農業を目指す横井には、立ち話や歌いながら作業する農民たちの自然かつ伝統的な姿は怠情とうつった。田植えはまるでお祭りのようだと蔑み、東北の凶作も『著(いちじる)しく労働が足りない』と切り捨てた。宮沢賢治は『農民芸術概論要綱』の中で、かつて『そこには芸術も宗教もあった いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである』と記して『農民芸術』の必要を唱えたが、明治以降、富国強兵の掛け声の中、横井らの主張が横道となり、農業の現場も変質していったことに気づかされる。
人間の小ささを忘れず、自然に感謝し、隣人と分かち合う。自らも農業のそんな理想に惹(ひ)かれて農業を選んだという小塩海平の『ビジネスや戦争に取り込まれると、農業はたちまち取引や搾取の道具へと変容する』という指摘は重い。それでも農を自分たちの手に取り戻す、賢治も指摘したそんな希望への道程をさし示してくれる言葉でもあるように思う。
評・寺尾沙穂。」
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日本の大陸政策とは、慢性的食糧不足を解消する為の食糧確保策と人口爆発による余剰人口を減らす人口抑制策の二本柱であった。
日本国土で生産される食糧で養える人口は、約6,000万人であった。
日本は、マルサスの悲劇に襲われていた。
日本の食糧不足の原因は、日本人農民が農作業に精を出さず怠けるという、生産性の悪さ、効率の低さにあった。
食糧増産の為には、農民を副業・兼業を行う百姓から農業専業の農業労働者へ意識改革をする事であった。
つまり、農業から多様性を排除し、農民を食糧生産に専従させる事でった。
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日本の満州経略は、国内の食糧不足と余剰人口の解消であって、大地主となって農耕地を奪って中国人を奴隷として働かせて搾取する為でもなく、統治者として領民と産業に重税を課して搾取する為でもなかった。
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日本は、約3,000万人であった明治維新時の人口が1940年頃には爆発して7,000万人超になったが、食料生産量は増えず慢性的な食糧不足になっていた。
不足した食糧を東南アジアの西洋の植民地(ベトナム、ビルマ)とタイから輸入していたが、アメリカの対日経済制裁で食糧輸入が危ぶまれ始めた。
日本は、開発が遅れている満州を一大食糧生産地に変えるべく侵出したが、中国人やソ連・共産主義勢力の抵抗によって満州開拓計画が頓挫し欠けた為に、軍事力を持って暴走した。
日本にとって満州開拓は、日本国内で餓死者を出さない為の苦肉の策であった。
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人口爆発を抑えて食糧を確保する為に、余剰人口をハワイや南北アメリカ大陸に移民させた。
アメリカの排日運動で新たな移民が不可能になり、治安が悪く反日運動が盛り上がっている中国・満州に余剰人口を送り出した。
海外移民は、アメリカ大陸は人気があって喜んでいったが、中国・満州は不人気で誰も行きたがらなかった。
政府は、人口と食料政策として移民政策を推し進め、余剰人口を国策として満州へ半強制的に送り出した。
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世界は、日本が餓死者を出しかねない深刻な食糧不足にある事を知っていた。
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現代日本人の真っ当な言い草、反対できない正論は、内容が乏しく、薄っぺらで、虚しい。
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