💫10}─1・A─現生人類(ホモ・サピエンス)。モンゴロイドの誕生。5万年前。〜No.76No.77 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 現代人につながる現生人類は、未熟で欠陥も欠点もある不完全な人間であった。
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 勢いと偶然と幸運(判断を誤っても上手くいった)。
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 人類は、遺伝子の中にトレジャーDNAを持ち、両親から受け継いだDNAの中で70個が突然変異を起こす。
 70個の突然変異が、特別な遺伝子として多様性を生み出し、生き残る必然異変となる。
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 現代人の直接の祖先であるクロマニヨン人ホモ・サピエンス・サピエンス=知恵のある人)は、10万年前のアフリカ大陸に新種(ミュタント、突然変異体)として出現した。
 自然界で白いカラスや白いトラが生まれる様に、猿の兄弟である人類にも数千年の環境変化で突然変異体が生まれた。これを、ヒトの進化と呼ぶ。
 地球環境の変動にともない、700万年前から今日までに約20種類の人類が出現して滅びたと言われている。
 人類の誕生を、宇宙人飛来説や神の創造に求めるのは非科学的である。
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 自然環境の変化(異常気象)に適応できなかった人類は、ダーウィニズムの原則に従って滅びるしかなかったのである。それは、理屈による智慧の優劣ではなく、素直に受け入れるという順応性による。
 クロマニヨン人も、他の人類同様に地球の異常気象(温暖化もしくは寒冷化)に適応できなければ、何時の日か滅びるのが自然の法則である。
 自然環境とは、人類の生存や富の為にあるのではなく、地球自身の存続の為にあるのである。
 クロマニヨン人は、何らかの理由で人類共通の「母なる大地」であるアフリカ大陸を出て地球各地に移住して行った。
 クロマニヨン人は、感情表現豊かな言葉と複雑な記号(壁画から文字)を持ち、脳を発展させる事によって他の人類(ネアンデルタール人など)を地球上から駆逐した。同時に、地球規模の異常気象による環境崩壊で食糧危機となって大地を放浪した。
 現生人類である彼らも、アフリカを出て世界中に渡り、その環境に順応しながら白色人種や有色人種を形成した。
 有色人種の一つが、中央アジアからモンゴルの地に移り住んだ。
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 現生人類(ホモ・サピエンス)は、クロマニヨン人など多の人類と雑婚する事で優れた生殖能力を獲得し、驚異的に個体数を増やし爆発的にユーラシア全体に移住していった。
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 氷河期の食糧が乏しい荒涼とした雪原が、人類に個ではなく集団で生きる宿命を与え、集団をつなぎ止める道徳と良心をもとらした。
 閉ざされた空間で生きる重苦しいストレスが、非常に好戦的な遺伝子を創り出し、そのストレス発散から暴力的衝動を生み出した。
 人類は、ストレス解消として暴力欲求の遺伝子を獲得した為に、暴力・争い・戦争からは逃れられない。
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 最後の氷河期が終わるや、地球は温暖化し空気は乾燥して砂漠が拡大した。ゴビ砂漠タクラマカン砂漠、シリア砂漠、サハラ砂漠カラハリ砂漠、その他。
 採取と狩猟の生活をしていた人類は、大森林地帯を失い大平原へ移動した。人口を徐々に増加させ、集団となって河川流域に集まり狩猟と牧畜生活を始めた。土地に定着する事によって、大地を耕すという農業を始めた。
 人が社会性を持ったのは、狩猟や農業などの生産活動の為であったが、それ以上に人より強い猛獣が数多く周囲を徘徊していたからである。
 自然界では、弱い生物ほど集団で生きるしかなかった。
 人類は、絶対神に愛され、絶対神に似せて土やチリから造られたのではない。
 自然界で、環境異常に適応しながら生まれた突然変異・ミュータントに過ぎない。
 太古にける人類の祖先は、下等生物、バクテリアや珪藻であった。
 他の地球型惑星からUHOに乗って飛来した宇宙人の子孫というのは、人を馬鹿にし愚弄する荒唐無稽の話である。それを、宗教に取り上げるのは、純真無垢な人から知性の芽を奪い愚民とするものである。
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 5万(〜3万年前) 会津磐梯山は大噴火して大崩壊し、猪苗代湖が形成され始めた。
 気候変動が1万年前頃まで激しく、約2万年前が最も気温が低下した。
 気温低下に適応できなかった生物は、絶滅した。
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 人類が最初に信じた宗教は、自然物、自然現象、生物に宿る見えざる精霊信仰(アニミズム)である。
 変わるモノと変わらないモノ。
 生まれてきて有る事と死んで消える事。
 時が来て枯れて死ぬが、時が来れば生を受けて生まれる。
 精霊は到る処に存在し、その精霊の働きによって人間は生かされていると信じた。
 精霊が、寄り添う事で生き、離れると死ぬ、と恐れた。
 その後に、全ての精霊を生み出す母なる大精霊としての地母神信仰(アニマニズム)が生まれた。
 全ての精霊の生み出す地母神の住まいは地中にあるがゆえに、大地は母であると考えた。
 ネアンデルタール人は、打製石器を作り、火を使っていたが、使える言葉が少なかった為に高度な知識を共有できず、精霊信仰という原始宗教を持つという知的活動までは発達しなかった。
 南フランスの洞窟に壁画を残したホモ・サピエンスクロマニヨン人)は、自然現象を観察し原始宗教の精霊信仰を生み出した。
 精霊信仰や地母神信仰から、古代神話が生まれた。
 地母神信仰は、地動説の元である。
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モンゴロイドの誕生。
 アフリカで人類が誕生してから20種の人類が生まれては死滅した。
 クロマニヨン人の名の由来は、フランス南西部のクロマニヨンさんの家の裏にあった洞窟から貴重な遺物が発見された事による。
 5万5000万年前 中東で、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスが同じ地域で生活していた。
 ネアンデルタール人は、ホモサピエンスが雑居し雑婚し混血化し、ネアンデルタール人の遺伝子を受け継いだ。
 日本人にも、約2%のネアンデルタール人の遺伝子が存在する。
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 5万年前 地球の気候変動で、急激な寒冷と乾燥が発生した。
 アフリカに住んでいたホモ・サピエンスは、飢えと寒さで人口は約1万人以下に激減した。
 絶滅の危機に追い込まれたホモ・サピエンスは、食べ物を求めてアフリカを出た。
 アフリカを出たホモ・サピエンスの人数は、少なくて150人から多くて4,000人と言われている。
 R・ダンバー「共同体をまとめているのは仲間に対する義務感と相互依存だが、150人より大きい集団ではそれが効力を失ってしまう」(『友達の数は何人?』)
 ネアンデルタール人は、大型獣を狩猟して生きていた。
 ホモ・サピエンス(現生人類。新人)は、アフリカを出た所で中東に住んでいるネアンデルタール人と出会い、一緒に住む内に雑婚してネアンデルタール人の遺伝的能力を手に入れた。
 環境の変化で大型獣がいなくなり、ネアンデルタール人は食糧を確保できず死滅した。
 ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人に比べて狩人としての身体能力は劣っていたが、多様な言語能力を駆使して高度な思考能力・知恵を獲得していた。
 オーストラリアに住むホモ・サピエンスは、サバンナに生えている木々の下草を燃やした。
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 ネアンデルタール人は、鍾乳石を並べてストーンサークルを作っていた。
 ネアンデルタール人の頭蓋骨は、ホモサピエンスよりも大きく、知能は高く、言語を話し、独自の文化を持っていた。
 アレンの法則で、氷期の寒冷地で生活していた為に胴長短足であった。
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 ネアンデルタール人は、体力があった為に大型動物を肉弾戦で狩猟を行っていた。
 ホモ・サピエンスは、体力がなかった為に小型動物を狩猟していた。
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 新種の現生人類は、先発人類のネアンデルタール人と交配する事で免疫系遺伝子を受け継ぎ、自己の免疫機能と掛け合わせる事で変異させ、各種の病気への強力な抵抗力を獲得した。
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 4万5000万年前〜2万年前 北海道に、ケナガマンモスが暮らしていた。
 獲物を捕りながら大陸を放浪していた人類は、生き残る為に家族・同族・仲間以外の集団には本能的に恐怖心を持っていた。
 見知らない人間は敵になる可能性のある相手として警戒し、意味もなく近寄らず、近寄らせず、一定の距離を置いて棲み分けていた。
 人間の生存本能として、自分とは異なる集団を排除し忌避する為に差別や偏見を用いる性癖がある。
 4万5000年前 狩猟採集民が、中東からヨーロッパに移動してきた。
 クロマニヨン人は、旧石器時代後期の人類として、4万〜1万年前までヨーロッパで生きていた。
 現代型ホモ・サピエンスは、野ウサギなど俊敏に動く小型動物を狩って生き抜いた。
 ペルシャから草原地帯に移動したグループ(草原モンゴロイド)は、二手に分かれた。
 一手は、東進して中国に入り黄河を下った。
 一手は、3万年前に中央アジアからバイカル湖周辺に落ち着いた。
 ペルシャから西に移動したのがコーカソイド(白色人種)で、アフリカに留まったのがネグロイド(黒色人種)である。
 1974年に、オーストラリアのウィランド湖群で100体以上の人骨の化石が発見され、特に二体の人骨化石が注目をされた。
 一体目は、4万年前に儀式を受けて埋葬された50歳前後の男性「ムンゴマン」の化石。
 二体目は、2万6000年前に火葬された女性「ムンゴレディ」の化石。
 1万8000年前の遺跡からは、先の尖った石器で仕留めた獣の肉を火で焼いて食べた跡が見つかった。
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 4万3000年前 ホモサピエンスは、体力がなかった為に道具の革新を行い、アラトラトルなどの飛び道具を生み出していた。
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 ネアンデルタール人は、血縁による家族単位で十数人の小さな集団で形成して暮らしていた。
 ホモサピエンスは、血縁・家族を超えて数百人の大きな集団で生活し、宗教を生み出して更に大きな集団へと発展していった。
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 2016年2月1日 産経ニュース「【科学】4万年前にマンモス狩猟 北極圏に人類進出
 4万年前にマンモス狩猟 北極圏に人類進出(米科学誌サイエンス提供)
 中央シベリアの凍土で発掘された約4万5000年前のマンモスの骨に、狩猟によるとみられる傷痕が残っているのを見つけたと、ロシアの研究チームが米科学誌サイエンスに発表した。これまで人類が北極圏に広がったのは約3万5000年前と考えられていたが、1万年ほどさかのぼる可能性を示すという。
 チームは2012年、北極海に面した断崖から約4万5000年前のマンモスの全身骨格を発見。体長約3メートル、高さ約1.8メートルの15歳ほどの若い雄で、背には脂肪などの組織が残っていた。
 発掘して調べたところ、肩や頬、あばらの骨などに多くの傷があった。形状から、先のとがった武器で突かれたり、刃物状のもので切られたりした際の傷と判明。マンモスの特徴である湾曲した牙には、根元から切り取ろうとした傷もあり、狩猟によってできた傷痕と判断した。」
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 二重構造説。 
 4万年前 日本列島。二重まぶたで鼻が高い南方系海岸モンゴロイドは、第1の渡来人として、沖縄から日本列島に渡り定着した。
 後に。北東アジアの寒冷化で一重まぶたの北方系雪原モンゴロイドの1種が、第二の渡来人である。
 最後に、西方系草原モンゴロイドが、第3の渡来人として中国大陸・朝鮮半島から日本列島に渡ってきた。
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 4万年前 デニソワ人。シベリア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟にネアンデルタール人とは違う、新種の旧人が住んでいた。
 アジア内陸部に移住した現生人類は、ネアンデルタール人やデニソワ人と交配して新たな子孫を産みながら東アジアやチベットに生息圏を広めていった。
 いつしか、デニソワ人はネアンデルタール人と共に忽然と絶滅した。
 ネアンデルタール人の喉仏(のどぼとけ)は、ホモサピエンスに比べて少し上にあった為に、母音の発音が難しく言語体系が整わずコミュニケーションが発達しなかった。
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 3万7000年前 スリランカの遺跡からビーズなどの装飾具が発見された。
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 3万2000年前 フランス南部、ジョーヴェの壁画。
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 3万年前 ナウマン象が、本州から北海道に北上した。
 群馬県岩宿遺跡、日本で最古の石器が発掘された。
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 石器は、獲物を仕留める為に使ったのではなく、肉食獣が食べ残した死骸の骨を叩き割って骨髄を啜る為に使用していた。
 身体機能が劣っていた人類は、果敢に獲物を狩猟したのではなく、惨めに残飯漁りとして死骸に群がっていた。
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 2万9000年(〜2万1000年) 旧石器時代。マンモスや野牛を追って移住生活をしていた人類は、雨風を避ける為に洞窟や岩陰を探して仮の宿としていた。
 彼らは、捕った獲物を解体し、その肉を火で炙って食べていた。
 霊能力のある呪術師は、マンモスの牙、野牛の骨、加工しやすい石に精霊を人体に像を刻んみ、霊力を吹き込んだ。
 人体像は女性像(ヴィーナス像)で、人と動物の生死を司る大地の精霊・地母神を表していた。
 旧石器時代の女性像は、ヨーロッパやロシアで発掘されているが、日本や中国では出土していない。
 高度で実用的な石器は東に伝わったが、信仰と文化的な女性像は新石器時代に入るまでは伝わらなかった。
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 2万8000年前 鹿児島湾で火山の大噴火が起きた。
 火山灰は、西日本に50センチ、関東で20センチ、東北・北海道で数センチ積もり、日本列島に壊滅的な被害をもたらした。
 日本の火山の寿命は、短くて数十万年で、長いと100万年くらいあるといわれている。
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 2万5000年前 氷河期となり、気候の急激な変化に適応できなかった大型哺乳類の多くが絶滅した。
 現代の気温より、7〜8度低かった。
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 2万4000年前 ロシアのマリタ遺跡。
 2万3000年前 中東の肥沃な三日月地帯あは、野生種の麦が食べられていた。
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 2017年5月19日 産経フォトニュース「石垣で国内最古の全身人骨 旧石器時代「埋葬初確認」
 沖縄県石垣島石垣市)の「白保竿根田原洞穴遺跡」で2016年までの調査で見つかった旧石器時代の人骨が、全身骨格がほぼ残った人骨としては国内最古の約2万7千年前のものとみられることが分かった。同県立埋蔵文化財センター(西原町)が19日発表した。人為的に安置されていたとして「旧石器時代の埋葬と墓域を初めて確認した」としている。
 これまで最古とされていたのは、沖縄本島南部で発見された「港川人」の約2万2千年前。同センターの金城亀信所長は19日の記者会見で「日本の人類史に新たな一ページを刻むことができる重要な発見だ」とした。
 同センターは、地中に埋葬せずに風化させる「風葬」が行われていた可能性に言及。全身人骨が地上の狭い岩の間に、あおむけの姿勢で、膝を胸の前に、肘は両手が顔の近くになるように折り曲げられていたことを明らかにした。」
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 過剰殺戮説と気候変動説。
 2万年前 最終氷河最盛期、陸地の約3割が氷床に覆われていた。
 群れで生活する、中型以下の哺乳類は集まってお互いの体温で暖を取って生き延びた。
 プレート運動によって大陸は分裂と衝突を繰り返し、陸地には山脈が形成されて大気の流れが複雑になり、海は海表面と海洋底の海流による大きな水循環を生み、暑い地帯と寒い地帯の熱移動という気候システムが完成した。
 地球の公転軌道(地軸)の傾き角も長い時間で変動し、地上に届く太陽エネルギー量も変化で、地球の温度に影響を与えていた。
 さらに。火山活動の噴煙で大気中にはき出される、二酸化炭素や硫黄等のガス成分とチリや灰などの物質も気象に影響をもたらしていた。
 雨は、大気中のガス成分や不純物質を地上や海上に降らせた。
 陸地にあったカルシウムや塩分は、雨によって海へと流された。
 海中の珊瑚は、炭酸イオンとカルシウムイオンを取り婚で成長した。
 昆布やまこもなどの海中植物は、太陽光による光合成二酸化炭素を取り込んで酸素を吐きだし、大気を生み出していた。
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 ハインリッヒイベント。
 ヨーロッパは大きな気候変動に襲われ、ホモサピエンスは同じ宗教を信ずる者が遠く離れた集団と助け合っていた。
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 2万年〜1万年前 地球の寒冷化という異常気象に見舞われた北方アジア人種(バイカル湖人・古モンゴロイド)は、南の温暖な豊かな地を目指して移動した。
 彼らは、生きる為に、中国各地で原住民と土地や獲物をめぐって争った。
 現代の分別である「話し合って仲良く生活する」などは、食べ物が少ない原始時代ではありえない話しである。
 弱肉強食の時代では、相手を殺して生き残るか、相手に殺されて死ぬかの、二者択一しか存在しない。
 勝った者は、その土地と獲物を所有して、負けた者を追い出すか、奴隷とした。
 負けた者は、勝者に追われて別の土地を目指した。
 食べて生き残る為には、勝者となって奪い独占するのが大陸での掟であった。
 弱い者を暖かく受け入れてくれる者がいない大陸では、殺されて死滅するか、死ぬまで彷徨うかであった。
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 2万年前 温暖と寒冷の周期が数十年と極端に変動し始めた。
 植物は、温暖で生い茂り、寒冷で枯れ果てた。
 大型の植物食哺乳類は乏しくなって植物の為に大量に死に、植物食哺乳類を捕食していた大型肉食哺乳類も激減した。
 ネアンデルタール人クロマニヨン人らは、激減した大型植物食哺乳類を食糧にするべく、大型肉食哺乳類と奪い合った。
 人類が生存競争に勝利した為に、大型の植物食哺乳類と肉食哺乳類が絶滅した。
 アフリカの大型の植物食哺乳類と肉食哺乳類は、植物が豊富のうえに凶暴な人類が少なかった為に、数を減らしても生き残った。
 ネアンデルタール人クロマニヨン人らは交配し、現代に通じる現生人類を生み出していた。
 ネアンデルタール人は絶滅し、現生人類のみが生き残った。
 中型小型の動物は、気候変動に負けず、多産生で子孫を増やす事で絶滅を免れた。
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 ネアンデルタール人の絶滅。
 2016年5月1日 読売新聞「ヒトとイヌ 最高の相棒 柴田文隆
 ネアンデルタール人を追い詰めたのは寒冷化と現生人類の登場だと言われる。米ペンシルベニア州立大学名誉教授のP・シップマン博士(古人類学)はこれに加えて、『イヌの家畜化が絶滅と関係しているのではないか』(『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』原書房)と主張する。
 イヌが家畜化された時期は従来、1万4000年前と言われてきた。最近の精密測定で3万6000年前との有力説が出されて議論を呼んでいる。いずれにせよヒトは、オオカミから従順な性質のものを選抜し、友とした。イヌを一緒に埋葬した墓の遺跡も見つかっている。
 生態系の頂点に立つヒト、ネアンデルタール人、オオカミのうちの2者がタッグを組んだことで、ネアンデルタール人は食料難、住宅難に追い込まれていったと博士は考える。
 ヒトとイヌは最高の相棒だった。ヒトは体力では劣っていたが、他者と協調する精神に富んでいた。イヌは獲物を見つける優れた嗅覚、追い詰める走力を持っていた。ヒトとイヌの連帯が生まれて以降の遺跡からは、マンモスの骨が異常なほど大量に見つかっている。イヌに包囲させ、遠くから弓矢やヤリなど得意の投てき具を用いてマンモスを倒したのかもしれない。
 イヌは人間の意図を読み取ろうとする。イヌが人間を凝視する時間を調べると、オオカミより2倍長かった。人間が指をさした方向に注意を向けることもできたが、これはチンパンジーにも難しい反応だ。人間とイヌはお互いにアイコンタクトをとることさえ可能だった。
 イヌは獲物の運搬にも役立った。宿営地では、ほえて危険を知らせる早期警戒網となり、いざとなれば食料にもなってくれる。まさにイヌは人間にとって『理想的な「道具」』(J・ホーマンズ『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』CCCメディアハウス)だった。
 人間・イヌ連合に比べ、ネアンデルタール人の生き方は硬直的だった。人間は食に貪欲だったが、彼らはそれほどの多様性はなかったらしい。
 大型動物に接近戦を仕掛ける狩猟スタイルにも固執した。それは狩る側もケガをしやすく成功率の低い狩猟法だった。
 彼らは愚か者ではなく、火を使い、或る程度の文化・芸術も持っていたが、自由な発想、豊かな想像力、柔軟な行動など点で、人間の敵ではなかったのである」
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 2万年前 海水面の低下で、ベーリング海峡の海底が低下して陸続となり、アジア系人類が北アヌリカへと移住した。
 アジア系イ人類は、氷床の手前で定住した。
 ニューヨークは氷河に覆われていて、セントラルパークなどに残る迷子石は氷河によって運ばれてきた堆積物である。
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 1万1700年前 完新世
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 1万5000年前 北米の大西洋沿岸北部で発見された遺跡の中から、ヨーロッパの遺跡で発見されたクロービス石器によく似た石器が多数発見された。、
 1万4000年前 氷床の一部が解けて南への道が出現するや、動物を追って南下し始めた。
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 ホモサピエンスは、ネアンデルタール人とは闘わず、同じホモサピエンスと殺し合っていた。
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 ホモサピエンスが生き残り、ネアンデルタール人が絶滅したのは集団の大きさであった。
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 定住革命。
 1万9000年前〜1万6000万年前 パレスチナ地方のオハロⅡ遺跡。 
 後期旧石器時代。沖縄・サキタリ洞遺跡で貝器が出土した。
 知念勇(沖縄考古学会長)「沖縄には本土とは異質の先史文化があったとみるべきで、東南アジアなど南方文化との関係を検討する必要がある」
 1万8000万年前 最終氷河期最盛期のピークに達し、次第に気温が上がり始めた。
 フランス西南部、ラスコーの洞窟壁画。
 精霊信仰を持つ狩猟民族は、捕った獲物の霊魂=精霊に感謝し、速やかに再生して目の前に現れる事を願って地下深くの洞窟に絵を描いた。
 精霊信仰では、生物の霊魂=精霊は死ぬと身体から抜け出して地下の地母神の住まいにもどり、地母神からエネルギーを授かって地上に生まれ出ると信じられていた。
 絵を描いたのは、繁殖能力があり生命力の強い女性であった。
 女性が描く壁画には、狩りに参加しなかった為に、弓矢や槍などで獲物を追う人の姿はなかった。
 スペイン北部、アルタミラの壁画。
 1万6000年前 急激な温暖化によって、寒冷に適応して進化した動物は絶滅した。
 生物の生存における大原則とは、生き物は今の地球環境に於いて生きられるが、2度以上の急激な寒冷化若しくは温暖化に順応して進化できなければ絶滅する。
 特に、絶滅の脅威は寒冷化ではなく温暖化であった。
 温暖化によって地球の気候が激変し、氷河が溶けて海水面が90〜120メートル上昇して大陸棚という浅瀬が広がり、海藻が爆発的に増殖して魚介類も多様に数を増やした。
 同時に、水没した沿岸部の平野で生きてきた生物は絶滅した。
 日本列島はアジア大陸から離れ、イギリスはヨーロッパ大陸から離れ、北米大陸ユーラシア大陸をつないでいたベーリング陸橋は水没した。
 現代の陸地と海洋は、この時、生まれた。
 そこには、運悪く絶滅した多くの生物が存在し、運良く生き残った生物は数を増やし環境に適応しながら進化を遂げ数を増やしていった。
 生物の誕生からここに到るまでで500億〜50億の生物が誕生したが、その99%以上が絶滅して地球上から消えた。
 絶滅を免れた生物のみが、今を生きている。
 だが、生き残った生物も、何時新たな自然環境の変化で絶滅に追い込まれるか分からない。
 無数の偶然に助けられ、一回性の幸運で生き残り、幸運に見放されると確実に絶滅する。
 最初の絶滅を免れ、最後のチャンスとして急激な環境変化に適応して進化できれば生き残れた。
 進化して絶滅を免れたのではなく、絶滅を免れて進化できたのである。
 各地に新たな森が出現して、人類は狩猟採取の遊牧生活から農耕を始め定着し始めた。
 1万5000年前 狩猟採集民は、冬に備えて澱粉質(糖質)の多い木の実を貯蔵していた。
 木の実を砕いて食べていた為に、一緒に固い殻を食べて歯は摩耗し、痛んだ歯は虫歯に罹っていた。
 発掘された人の歯に、虫歯が多く見られた。
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 1万3000年前〜1万2000万年前 ヤンガードリアス期。地球の温暖化によって、極地の氷が大量に溶けて淡水が海に流れ出し、深層海流が弱まり、暖流の流れが変わって地球は急激に寒冷化して多くの動物が絶滅した。
 寒冷化が終わり温暖化に戻る為に、約1000年という長い年月がかかった。
 地球は、第六回目の大量絶滅時代に突入した。
 自然における絶滅以外に、人類が有用と無用及び有害で生物を選別して死滅させていた。
 人類は、人類が生きやすいように、自然治癒能力を破壊して自然の調和を修復できない所まで追い遣り、生物の多様性を壊して多くの生物を死滅させた。
 ナトゥーフ文化。
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 200万前〜1万年前 八ヶ岳で大規模な火山活動が続いていた。
 20万年前 大規模な山体崩壊を起こしていた。
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 1万3000年前 ナトゥーフ文化期。
 アルゼンチン南部、クエバ・デ・ラス・マノスの壁画。


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