💫9}─2─人類の移動「弱者がはじき出された」。止められない人の「移動」。~No.73 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 弱い者・負けた者・敗者は、食べものが豊富で安定した安全な土地を強者・勝者に追われ、食べ物が乏しい不毛な土地、不安定で危険な土地へ逃げて生きのしか選択祉がなかった。
 弱肉強食の世界では、弱く小さな生き物は強くて大きな捕食者に抵抗せず、抗わず、命大事に仲間を犠牲にしながら逃げ回った。
 惨めな生き物、それが弱い者・負けた者・敗者である。
 が、食べものが少ない不毛な土地には、逃げてきた弱い者・負けた者・敗者よりもさらに虚弱で貧弱な生き物がいた。
 先に住んでいた虚弱で貧弱な生き物にとって、逃げてきた弱い者・負けた者・敗者は狂暴な捕食者であった。
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 2019年7月1日 産経WEST「【ニュースを疑え】人類の移動「弱者がはじき出された」探検家 関野吉晴さん
 欧米でポピュリズムを促した大きな要因が、多くの移民や難民だった。人はなぜいまのすみかを出て新天地を目指すのか。移動の根源をたどれば、人類がアフリカで誕生しユーラシア大陸経由で南米に到達した「グレートジャーニー」に行き着く。人類拡散の道をたどった冒険家、関野吉晴さんはひとつの結論に至ったという。「進取の気性に富んだ人々が出ていくわけではない」。どういうことなのか、聞いた。(聞き手 坂本英彰)
 せきの・よしはる 人類拡散の道や日本列島に来た人たちの道を自転車や丸木舟などでたどった探検家。外科医でもある=大阪市北区(須谷友郁撮影)
 --一橋大の探検部時代から南米に通いはじめたのですね
 「20~30代、アマゾンやアンデスなど南米に通いました。うち10年間ほどは、先住民たちと同じ屋根の下で同じものを食べて暮らした。後にスペイン語圏から来た人々とは違う独自の文化を持つ彼らは、全くラテン的ではありません。とてもシャイなんです」
 「出アフリカ」6万年前
 「顔や背格好、しぐさ、性格も東洋的で、町では私もよく先住民に間違えられました。お土産でもらった先住民の籠や太鼓を持って町を歩いていると『おまえ何族だ』って呼び止められる。先住民の言葉で『ナロ、マチゲンガ(私はマチゲンガです)』と言うと『あっそう』と全く疑われない。先住民の村に行って私はよく、親戚の誰それと似ているなどと言われていました」
 〈マチゲンガはアマゾン川源流域に住む先住民〉
 --それがグレートジャーニーに挑むきっかけなのですね
 「南米の先住民と20年つきあっていると、このひとたちは一体、いつ、なぜ、どうやって来たのだろうかという思いが募ってきました。アジア系の人たちがシベリアからベーリング海峡を渡りアラスカから南下してきたと、頭では理解している。彼らと私が似ている理由はわかっているのですが、実感を伴わない。だから旅をしたいと思ったのです」
 「ホモ・サピエンスはアフリカで20~30万年前に生まれ、6万年くらい前にアフリカを出た。ベーリング海峡を渡ったのが約1万5千年前で、南米に到達したのは約1万2千年前だと言われています。彼らの旅路をイギリス人の考古学者がグレート・ジャーニーと名付けた。私は近代的な動力は使わないというルールを課し、足かけ10年かけて日本と行き来しながら南米からアフリカへの道をたどったのです」
 南米最南端に到達した人たち
 --なぜ人類はグレート・ジャーニーをしたのか、体で納得するための旅だったのですね
 「旅する以前、私は人類の移動は獲物を追いかけているうちに起きたのではないかと考えていました。南米に到達した先住民は採集狩猟民でした。あの山を越えたら獲物や木の実があり、もっと豊かな生活ができるのではないかという向上心。山の向こうに何があるんだという好奇心。それらがあいまって最初は若者たちが様子を見に行く。いいところだと報告を受けると、じゃあ皆で移ろうと。そういう繰り返しだと思っていたのです」
 --旅をしてみて考えが変わったのですか
 「いろんな土地でいろんな人々を訪ねるうちに、それは違うのではないかと思うようになりました。もし好奇心や向上心が移動の理由なら、最も遠くまで行ったひとたちは最も好奇心や向上心にあふれ、進取の気性に富んだひとたちのはずです。ところが南米の南端、私の旅の出発点となったナバリーノ島の先住民ヤマナはそのようなひとたちではなかった」
 「彼らは海岸で貝を集めたり海に潜ってホタテ貝を採ったりしていた。アシカ科のオタリアという動物の油を体に塗って水温3度の冷たい海に潜るという能力を持っていた。とはいえ、できることならこんな自然厳しい島に来たくなかったのではないかと思ったのです。ヤマナとは人間という意味で、いまは80代のおばあちゃんがひとり。絶滅寸前です」
日本列島に来た「追いやられた」ひとたち
 --来たくなかったのに来たとはなぜですか
 「南米大陸にはアメリカダチョウやラクダ科の野生種グアナコなどがいました。マゼラン海峡を渡った大きな島、フエゴ島でも狩猟はできますが、さらに南のナバリーノ島は山だらけで狩猟できるような陸上動物はない。向上心を持ったひとたちが豊かな生活を求めて行くような島ではないのです。だからできることならフエゴ島にとどまっていたかったが、仕方なく出てきた。弱いからはじき出されてしまったんじゃないかと思い始めたのです」
--はじき出される理由はあったのですか
 「もといた場所で人口が増えて食料が不足するなどし、誰かが出て行かなくてはならない状況になったのだと思います。南米大陸で人口圧が高まるとフエゴ島へ、さらに同様の事態がフエゴ島で起き、ナバリーノ島へと弱いひとたちが移っていった。こうしたことの繰り返しによって人類が世界中にひろがっていったのではないでしょうか」
--南米以外でも、具体例はありますか
 「例えばラオスの山岳地帯に住むモン族も、もともとは中国の長江流域にいました。古い時代に戦乱を逃れて南下し、山の上で米をつくってひっそりと生きていくようになった。彼らも弱いひとたちだった」
 「日本列島に来たひとたちも、そうだったかもしれません。これ以上、東へは行けないところまで追いやられたのですからね。ただ日本人というグループがどこかにあって移ってきたのではなく、いろんなところから来た人たちがここで混血し、日本人というグループができたのです。ヨーロッパの端にある島国イギリスも、日本に似た状況があります」
 動く人、ホモ・モビリタス
 --ヤマナやモン族と違い日本やイギリスは繁栄した
 「弱いひとたちが、弱いままではないこともあるということです。フロンティアでパイオニアとなって新しい文化をつくり、人口を増やし、そこで繁栄していくこともできる。追い出したひとたちより経済や軍事で優位になって負かしてしまう場合もある。その一方、新しい土地に適応できず滅びてしまったグループもたくさんあったはずです」
--弱い人が移動するとの考えは、いまも通用するのですか
 「明治時代、農民で土地をもらえない次男以下の多くが南米やハワイなどに移民しました。近年、日本に来る外国人もお金持ちは爆買いしたり土地まで買ったりしてすぐに帰るが、貧しいひとたちは働くために来るからすぐに帰りません」
 「内戦下のシリアでは、最も弱い人たちはどこへも行けず、ヨーロッパを目指せるのは地中海を渡るお金やガイド料が払える小金持ちです。ただ本当に強い政府側のひとたちは残るから、そういう意味では弱いひとたちが出て行くといえるでしょう」
 --人の移動は止まらないのでしょうか
 「人間の特徴について道具をつくるとか遊ぶとか、宗教があるとかいろいろ言われますが京大名誉教授の人類学者、片山一道さんは移動だと言っている。人間はホモ・モビリタスだと。私もそう思います。こんな動物は他にいません」
 「クマをみてください。熱帯のマレーグマ、日本のツキノワグマ、北極圏のホッキョクグマは種が違う。クマはいろんな土地にいるが、進化して種が変わって気候に適応したのです。ところが人間は同じ種で北極圏にも熱帯も砂漠にも高地にも住む。肌の色や体格の違いは移動して気候や環境に適応したからなのです」
 止められない人の「移動」
 --人間とは移動する動物だということですね
 「じつはグレートジャーニーという言い方はちょっと間違っていると気付きました。アフリカを出て南アメリカに達した人たちも、ヨーロッパやオセアニアに行った人たちも、日本列島に渡った人たちも元の場所には帰っていないのですから。旅というより移住。グレートイミグレーションというのが正しい。トランプ大統領が壁を造ろうと何を言おうと、南米や各地で弱い立場のひとたちがはじき出される。人の移動を止めることはできないと思います」
 【プロフィール】関野吉晴 昭和24年1月、東京生まれ。一橋大法学部在学中に探検部を創設しアマゾン川下りなど行った。先住民との交流で医療知識の必要性を感じ、横浜市立大医学部に入り57年に卒業。外科医として勤務の傍ら南米通いを続けた。平成5年から14年、人類拡散の道をカヤックや自転車、犬ぞりなどでたどる「グレートジャーニー」に挑み、フジテレビでシリーズ放映された。16年から23年は「新グレートジャーニー 日本列島にやってきた人々」として3ルートを設定し、丸木船でインドネシアから石垣島まで航海するなどした。今春17年間務めた武蔵野美術大教授(人類学)を退職し、現在、同名誉教授。」
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