🍠7〗─2─何故、皇居・御所が高い城壁や広く深い濠などの鉄壁な防御を拒絶したか。江戸城の天守閣。〜No.24No.25No.26 

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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博} ・ 
 現代日本人は、創作された架空に近い単純な時代劇は好きだが、事実に基づいた複雑な歴史は嫌いである。
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 歴代天皇は、女性神天照大神から授かった統治神託に従い、「国民と苦楽を共にする」との叡慮と覚悟から、如何なる責任から逃げる事なく、如何なる状況に置かれても国民を見捨てる事なく、その場に踏み止まっていた。
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 歴代天皇は、国民・人民が利益の為・金の為に裏切ろうとも、民族・庶民を信用して命を預けていた。
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 2019年7月号 WiLL「シリーズ『ニッポンの城』 ⑧ 江戸城
 柳営から皇居へ
  太田道灌が築城した江戸城徳川家康が天下統一後、将軍家の『柳営(りゅうえい)』(幕府の異称)として、明治維新後は『御所(皇居)』として、その役割が変化した。『平成』から『令和』へと、新たな時代を迎える皇居(江戸城)。その過去と現在の一端をみてみよう──。
 本丸天守台 2度の火災によって天守が焼失したのち、加賀前田家によって現在の天守台が再建される。だが『権力の象徴としての天守は無用』という判断から、天守本体の再建は計画のみに終わる。東京観光の活性化のための天守再建への期待は高まる一方、歴史的事実に即した再建という点では越えるべきハードルは高い
 明治維新後の皇居(江戸城
 文久3年(1863)、江戸城の本丸御殿は失火によって大きな被害を受けると、再建されることなく、西の丸御殿が将軍の居所と、幕府の政庁としての役割を果たした。そのため、慶応4年(1868)3月、西郷隆盛勝海舟が膝詰めの談判をすることにより、江戸城総攻撃は中止され、新政府軍に引き渡されると、西の丸が御所として利用された。
 明治6年(1873)、西の丸の御所が焼失すると、江戸城外の紀州藩江戸屋敷が青山御所(現在の赤坂御用地)として利用された。
 徳川将軍家が天下を統治していたころ、江戸城は、柳営({りゅうえい}中国の故事に由来する幕府の異称)と呼ばれていた。明治政府は、柳営だった時代の面影を払拭し、『天皇のパレス』として生まれ変わらせたかった。その一方で、明治天皇は宮殿建設が計画されても、『国民と苦楽を共にする』という叡慮(えいりょ)から、反対の意思を示された時期もあった。だが、富国強兵は順調に推移しているという判断から同意された。そのため、吹上({ふきあげ}西の丸の一角)に明治宮殿の造営が開始され、明治21年に完成。明治天皇は、青山御所から新宮殿へと御移居(ごいきょ)なされた。
 昭和20年(1945)5月、明治宮殿が空襲によって失われると、昭和天皇は、吹上に防空壕として建設された御文庫(ごぶんこ)を御所とされた。
 昭和43年(1968)、新宮殿が完成。昭和天皇は、明治天皇と同じように『国民と苦楽を共にする』という叡慮から、延期を希望された時期もあったものの、戦後復興の状況を判断し、建設に同意されたという。
 平成5年(1993)、上皇陛下は赤坂御所(即位前の東宮御所)から御所の完成とともに御移居なされる。
 天皇陛下が年内には改装された吹上の御所へ御移居なされるとともに、上皇陛下は、赤坂御所の改装工事を終えたのち、建物の名称を仙洞御所と改称して御移居なされる予定。
 かつて、江戸城の本丸が将軍の御座所だったのに対し、西の丸は次期将軍、または大御所(引退した将軍)の居所として使用された。
 令和という新時代を迎えると、赤坂御用地上皇陛下の仙洞御所や皇嗣の居所として利用される一方、天皇陛下の西の丸(吹上)への御移居により、江戸城は〝柳営〟から〝皇居〟へと移り変わりながらも、日本の中心としての役割を担い続けることになる。」
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 キリスト教朝鮮人テロリストや日本人共産主義者テロリストは、昭和天皇や皇族を殺す為につけ狙っていた。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として世界に売り出して大金を稼いでいた。
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 天皇の無私・無欲な神聖権威は、俗世の強欲・我欲な政治権力・宗教権威・学術権威などとは別次元のものである。
 2000年間、日本民族は、天皇の神聖権威を神聖不可侵として犯さず、血筋・血統を正統とする万世一系男系天皇家・皇室を殺されようとも命に懸けて守ってきた。
 血筋の正統とは、最高神である女性神天照大神を直接の祖先とする血統の事である。
 正統な天皇に即位できるのは、特殊な血筋・血統である特別な男系天皇家・皇室の皇族のみである。
 血筋・血統とは、女性神天照大神の、命と魂・霊魂、血と身体、遺伝子・DNA、心と志・気概を受け継いでいる事である。
 それは、人が愚考を重ねて作成した憲法や法律ではなく、自然風土から生まれた民族神話に基ずく。
 正統と正当は違う。
 天皇制度は、正統であって正当ではない。
 憲法と法律は、正当性を認める事ができても、正統性を与える事はできない。
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 皇室資産とは、国民に重税を課して貯めた搾取資産ではないし、外国を侵略して外国人から奪ってきた強奪資産でもない。
 西洋や中華の王侯貴族の封建資産とも違うし、共産主義政党の人民資産とも違う。
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 現代日本では、最高価値は金とされ、最優先目的は金儲けとなっている。
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 日本の歴史から、悪意をもって歴代天皇の功績・実績・事績が消されていく。
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 日本国内には、天皇制度の廃絶や男系の天皇家・皇室を消滅しようと策動する反天皇反日的日本人ら存在する
 反天皇反日的日本人は、日本民族の伝統・文化・宗教・歴史、神話・物語を否定している。
 天皇・皇族・皇室は、憲法が定めた「国民の総意で許された存在」である。
 つまり、憲法が保証する主権在民国民主権天皇の権威より偉く、国民は天皇・皇族・皇室よりも上位者で、国民が主人で天皇・皇族・皇室は下僕であるあると。
 反天皇反日的日本人は、高学歴出身知的エリートに多く存在する。
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 大半のユダヤ人は、反天皇反日派であった。
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 アメリカ・GHQは、戦争犯罪国日本を戦争できない国にする為の大改造に昭和天皇を利用したが、将来的に天皇制度を廃絶し皇室を消滅させ為の仕掛を幾つも日本国内に仕掛けた。
 マッカーサーが感動したのは、昭和天皇の個人であって他の皇族や皇室ではなかし、ましてや天皇制度ではなかった。
 それが、日本国憲法と改正皇室典範、11宮家の皇籍剥奪と皇室財産の没収である。
 さらに、天皇・皇族・皇室を守る宮内省は政府から分離された独立機関であったが、新憲法では宮内庁として内閣府の下に置き、宮内庁幹部(高学歴出身知的エリート)には各省庁からの出向者が任に付いた。
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 勤皇派・尊皇派として命を捨てて戦ったのは、下級武士、身分低い庶民(百姓や町人)、貧しい芸能の民(歌舞伎役者や軽業師や傀儡師など)、差別された賤民(非人や穢多)、疎外された部落民(山の民・川の民・海の民)らであった。
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