🌌37}─1─絶滅した日本産トキを中国産トキで再生させる。〜No.188No.189No.190No191 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・   
 朱鷺の学名はニッポニア・ニッポン
 日本の白は、滅び易い、脆い、淡く、儚い白である。
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 日本産朱鷺と中国産朱鷺の遺伝的交流があれば、中国産朱鷺は日本産朱鷺と見做される。
 つまり、ミトコンドリアDNAに共通する部分があれば、中国産朱鷺は日本産朱鷺といっても差しつかえない。
 空を飛ぶ朱鷺にとっては国籍も国境もなく、日本の空を飛んでも中国の空を飛んでも朱鷺は朱鷺である。

 日本に住みついて子を生み代を重ねて数を増やせば、文句なしの日本の朱鷺と言える。

 それは、他の生物でも言える。

 少数派の外来種が環境に適応して定着し数を増して多数派の在来種を絶滅させれば、外来種が新しい在来種として多数派になる。

 それは、自然の生存原則である適者生存、自然淘汰、新旧交代、世代交代である。

 生殖機能が退化し繁殖能力が衰退した種は数を減らして絶滅するはのが、自然である。

 自然に生きるとはそういう事である。
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 2018年10月5日 産経新聞「トキ2羽、17日に日本へ 中国から提供
 環境省は5日、中国からの提供が決まっていた国際保護鳥トキが17日に日本に到着すると明らかにした。中国からの提供は2007年以来。
 環境省によると、2羽は中国陝西省で繁殖、飼育された2歳の雄と雌。17日に成田空港で中国側から引き渡され、同日中に佐渡空港新潟県佐渡市)に到着する予定。佐渡トキ保護センターに届けられる。
 中国の李克強首相が5月に訪日した際、トキのつがいを日本に提供すると表明していた。
 原田義昭環境相は5日の閣議後会見で、2羽の提供によりトキの野生復帰が安定的に進むとの認識を示し「トキが日中友好の懸け橋になってほしい」と述べた。
 新潟県の花角英世知事は「新たなトキが加わることで、遺伝的な多様性が確保され、環境への適応力が高まる。新たなトキからひなが生まれ、佐渡の大空に羽ばたく日が早くくることを願っている」とのコメントを出した。」
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 10月14日 産経新聞眞子さま、新潟・佐渡に トキの放鳥10年祝われる
 秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは14日、1泊2日の日程で新潟県佐渡市に入られた。この日は国の特別天然記念物、トキの放鳥事業が同市で開始され10年を迎えたことを記念する式典にご臨席。「野生に定着したトキと地域の人々が共生し、とき色と表現される優美な羽を羽ばたかせてトキが空を舞う光景が、さらに広がっていくことを願います」とあいさつをされた。
 式典に先立って訪れたトキの森公園で、トキが羽ばたく姿に「本当に美しい色ですね。私、とき色が好きなんです」と話された。15日には放鳥も行われる。10年前の事業開始時は秋篠宮ご夫妻が放鳥された。
 野生下のトキは約350羽に増え、野生生まれが、生存している放鳥個体を上回るまでになっている。」
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 10月17日 産経新聞「中国のトキつがい成田到着 11年ぶり提供、佐渡
 中国から提供された国際保護鳥トキのつがいが17日、航空機で成田空港に到着した。日中両政府の代表団による引き渡し式が開かれた後、2羽は同日中に新潟県佐渡市佐渡トキ保護センターの野生復帰ステーションへ移送される。中国からの提供は2007年以来、約11年ぶり。
 環境省によると、2羽は中国陝西省で繁殖、飼育された2歳の雄と雌。佐渡のトキと人工繁殖させ、遺伝的に多様になるよう目指す。5月の日中首脳会談で提供に合意した。
 日本産のトキは03年に絶滅。中国産の個体を繁殖させ、佐渡で08年から放鳥し、野生下での個体数は推定350羽超に達した。ただ、いずれも中国から提供された5羽の子孫で、抵抗力の低下などが懸念されている。」
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 2019年1月24日 産経新聞「トキ「野生絶滅」見直し 環境省、繁殖・放鳥が成功
 水田のあぜから2018年に生まれた幼鳥が飛ぶ。野生下で生まれた約半数の幼鳥は足輪が装着されていない=新潟県佐渡市(大山文兄撮影)
 環境省は24日、絶滅危惧種などを分類したレッドリストで「野生絶滅」とされている特別天然記念物トキについて、人工繁殖により野生復帰が進んだとして、絶滅の危険性が1ランク低い「絶滅危惧IA類」に指定を変更すると発表した。
 トキは1981年に野生の5羽全てが捕獲され、98年に野生絶滅に指定。日本産は2003年に絶滅したが、中国産による人工繁殖に成功。野生下に放鳥する取り組みが成功し、新潟県佐渡市などで順調に個体数が増えている。
 レッドリストは「絶滅」「野生絶滅」「絶滅危惧(I類、II類)」「準絶滅危惧」のカテゴリーがあり、I類は絶滅の危険性の高さでA、B類に分かれる。野生絶滅は、本来の生息地で絶滅し、飼育下や、自然分布域とは異なる場所で野生化して種が存続している場合に該当する。」
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 3月7日 産経新聞「トキの繁殖期スタート 新潟・佐渡、今年初の営巣
 巣作りが確認されたトキのつがい=7日午前、新潟県佐渡市環境省提供)
 環境省は7日、新潟県佐渡市で、野生下に生息する国の特別天然記念物トキのつがい1組が巣作りを始めたと発表した。今年最初の確認で、本格的な繁殖期がスタートした。つがいには個体識別の足輪はなく、野生下で誕生したとみられる。
 環境省によると、7日午前9時ごろ、コナラの樹上で巣を整える様子が確認された。2月ごろから一緒に餌を探す様子などが見られていた。
 佐渡では現在、放鳥されたトキが168羽、野生生まれのトキが180羽程度生息しているとみられる。95組程度のつがいが行動する様子が観察されており、順次巣作りを始める見通しだ。」
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 3月17日 産経新聞「中国提供のトキが産卵 新潟・佐渡、人工ふ化へ
 中国から昨年10月に提供されたトキの雌「グワングワン」が産卵した卵(中央)。上はつがいの雄=16日、新潟県佐渡市佐渡トキ保護センター提供)
 新潟県は17日、中国から昨年10月に提供され、佐渡市佐渡トキ保護センターで飼育するトキ2羽のうち3歳の雌「グワングワン(関関)」が卵1個を産んだと発表した。中国から新たに提供されたトキが日本で産卵したのは初めて。センターは確実な繁殖のため人工ふ化を進め、有精卵であれば4月中旬にはひなが誕生する見通し。
 グワングワンは雄の「ロウロウ(楼楼)」とともに約11年ぶりに中国から提供された。現在佐渡市で放鳥されているトキはいずれも中国提供の5羽の子孫。新たな2羽でそれぞれ人工繁殖することにより、遺伝的に多様になることを目指している。
 センターによると、職員が今月16日にモニターで卵を発見。同日午後4時49分ごろに産んでいたことを映像で確認した。相手はセンターで飼育してきた3歳の雄。つがいは2月中旬ごろから求愛行動の一種である小枝の受け渡しなどを行っていた。」
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 ウィキペディア
 トキ(朱鷺、鴇、Nipponia nippon)は、ペリカン目トキ科トキ属に分類される鳥類。
 2010年12月上旬の時点で中華人民共和国(中国)、日本、大韓民国(韓国)を合わせた個体数は1,814羽[5]。学名は Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)で、しばしば「日本を象徴する鳥」などと呼ばれるが、日本の国鳥はキジである。新潟県の「県の鳥」、同県佐渡市と石川県輪島市の「市の鳥」である。

 人間との関係
 日本
 古代から近世まで
 トキは日本では古くから知られていた。奈良時代の文献には「ツキ」「ツク」などの名で現れており、『日本書紀』『万葉集』では漢字で「桃花鳥」と記されている。平安時代に入ると「鴾」や「鵇」の字が当てられるようになり、この頃は「タウ」「ツキ」と呼ばれていた。「トキ」という名前が出てくるのは江戸時代で、「ツキ」「タウノトリ」などとも呼ばれていたようである。
 トキの肉は古くから食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったとされる。「トキ汁」として、豆腐あるいはネギ、ゴボウ、サトイモと一緒に鍋で煮るなどされていたようである。しかし、生臭い上に、肉に含まれる色素が汁に溶出して赤くなり、また赤い脂が表面に浮くため、灯りの下では気味が悪くてとても食べられなかったため「闇夜汁」と呼ばれた。また、羽は須賀利御太刀(伊勢神宮神宮式年遷宮の度に調整する神宝の一つ。柄の装飾としてトキの羽を2枚使用)などの工芸品や、羽箒、楊弓の矢羽根、布団、カツオ漁の疑似餌などに用いられていた。
 なお、トキは田畑を踏み荒らす害鳥であった。穢れ意識の影響で肉食が禁じられ、鳥獣類が保護されていた江戸時代においても、あまりにトキが多く困っていたため、江戸幕府にトキ駆除の申請を出した地域もあったほどである。
江戸時代までトキは日本国内に広く分布したが、明治に入り、日本で肉食の習慣が広まり、また経済活動の活発化により軍民問わず羽毛の需要が急増したため、肉や羽根を取る目的で乱獲されるようになった。

 本土絶滅へ
 日本では明治時代以降は乱獲、農薬による獲物の減少、山間部の水田の消失などにより大正時代末期には絶滅したと考えられていた[3]。1926年には『新潟県天産誌』に「濫獲の為め ダイサギ等と共に 其跡を絶てり」と記され、翌1927年(昭和2年)には佐渡支庁がトキ発見を懸賞で呼びかけた。その後、昭和に入って1930年(昭和5年)から1932年(昭和7年)にかけて佐渡島で目撃例が報告され、1932年(昭和7年)5月には加茂村(→両津市、現・佐渡市)の和木集落で、翌1933年(昭和8年)には新穂村(現・佐渡市)の新穂山で営巣が確認されたことから、1934年(昭和9年)12月28日に天然記念物に指定された[15]。当時はまだ佐渡島全域に生息しており、生息数は100羽前後と推定されていた。
 第二次世界大戦後は、1950年(昭和25年)を最後に隠岐諸島に生息していたトキの消息は途絶え、佐渡での生息数も24羽 と激減していたことから、1952年(昭和27年)3月29日に特別天然記念物に指定され、1954年(昭和29年)には佐渡で、1956年(昭和31年)とその翌年には石川県で禁猟区が設定された。しかし、禁猟区には指定されたものの生息地周辺での開発などは制限されなかった。民間の佐渡朱鷺愛護会や愛好家の手でも小規模な保護活動が行われるようになったが、1958年(昭和33年)には11羽(佐渡に6羽、能登に5羽)にまで減少した。1971年(昭和46年)には、能登半島で捕獲された「能里(ノリ)」が死亡し、佐渡島以外では絶滅した。トキの減少の一因として農薬(による身体の汚染や餌の減少)が取り上げられることが多いが、日本で化学農薬が使用されるようになったのは1950年代以降 であり、その頃には既に20羽ほどにまで個体数を減らしていた。

 全羽保護、野生絶滅へ
 1981年(昭和56年)1月11日から1月23日にかけて、佐渡島に残された最後の野生のトキ5羽全てが捕獲され、佐渡トキ保護センターにおいて、人工飼育下に移された。これにより、日本のトキは野生絶滅したとされる。
 なお、この時点に至るまでまだ中国でのトキ再発見はされていなかったため、日本のトキが生き残ってる世界最後のトキであると思われており、地球上から絶滅寸前なトキのニュースは日本のメディアで大きな扱いで報じられていた。

 なお、「中国産」と「日本産」の差異は個体間程度のものにとどまるため、中国産のトキは外来種ではない。また、昭和初期の佐渡島や韓国には、現在日本で繁殖・放鳥が進められている「中国産」トキと同じ、ミトコンドリアDNAのハプロタイプがタイプ2にあたる個体がいたことも判明しており、日本と大陸の間でも遺伝的交流があったとみられる。「ミドリ」や「キン」の組織は冷凍保存されており、この2羽の皮膚細胞から人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作り、日本産の遺伝子を受け継ぐ個体を復活させる取り組みを、国立環境研究所が2012年から開始している。

 人工繁殖成功、野生復帰へ
 1998年、中国の国家主席であった江沢民が中国産トキのつがいを日本に贈呈することを表明し、翌1999年1月30日にオス個体「ヨウヨウ(友友)」メス個体「ヤンヤン(洋洋)」が日本に寄贈された。2羽は新潟県新穂村(現・佐渡市)の佐渡トキ保護センターで飼育されることとなり、人工繁殖が順調に進められた。

 第6回までに放鳥された91羽のうち、2012年9月17日の時点で4羽が既に「死亡」、26羽が1年以上に渡って確認が取れていない「死亡扱い」となっており、他にも5羽が6か月以上確認がとれない「行方不明扱い」、過去6か月間に生存が確認されている「生存」個体は54羽となっている。また、2012年1月には、猛禽類による負傷で2羽が相次いで保護されている。これらの放鳥は全て佐渡島で行われたものであるが、放鳥後に数羽(特にメス)が佐渡島から離れ、新潟県の本州側や、長野、富山、石川、福井、山形、秋田、宮城、福島の各県にも飛来している。複数の個体が佐渡島を離れ生息していることについて、佐渡市市長の髙野宏一郎は「佐渡島に野生のトキを復活させるという当初の目的から外れており、好ましいことではない」と不快感を表明している。
佐渡市の地元住民の多くはトキの野生復帰に肯定的であるが、反対派や「どちらとも言えない」としている住民も少なからずいる。理由として、高齢化が進む農村においては農作業に必要な除草剤・殺虫剤の使用が制限されること、稲が踏まれて荒らされることなどが挙げられており、これは反対派だけでなく賛成派からも懸念されている。
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