🍙45〗─1─高度経済成長の光と影。地方・農村・農家での悲惨な女性達。~No.266No.267 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本国とは、武士道を持った武士・サムライの国ではなく、副業を持った百姓の国である。
 日本の百姓とは、日本民族日本人の事である。
 日本農業には、外国人を強制連行し農業労働奴隷(農奴)として使役した歴史は存在しない。
 日本の奴卑や小作人は、世界の奴隷ではなかった。
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 2018年11月15日号 週刊文春「文春図書館
 東京の変わり方、農村の変わり方  酒井順子
 オリンピックのムードがそこはかとなく感じられる昨今だが、しかしそれは1964年の東京オリンピックの時とは全く違うのだろう。最初のオリンピックを前にした東京は、どのような雰囲気だったのか。ずっしりと厚い『ふたつのオリンピック』(ロバート・ホワイティング KADOKAWA 2,400円+税)を、手に取る。
 1962年に、著者がアメリカ空軍の軍人として初めて東京に来た時、東京は騒音の中にあった。2年後にオリンピックを控え、東京は大改造の最中。人口は増え続け、街は常に沸き立っていた。それは、『史上最も偉大な、〝都市の変貌〟』だった。
 そんな中で著者は軍を辞め、日本で生活を始める。
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 ホワイティング氏の初来日の6年前、やはりアメリカ軍属として日本に初めてやってきたのは、『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』(光文社新書 1,500円+税)の著者である、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。
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 『60年前の東京・日本』は、日本が変化していくスピードには、ムラがあったことを伝える。たとえば鉄道網に比べると、道路の整備は遅れていたり、日本の中でも、地域によって開発の具合に差があったり。
 氏は農村風景も撮っているが、『鉄道などの技術の進歩に比べると、農村の変化はゆっくり』であると感じたのだろう。機械化された農業の国の人から見ると、日本の農業は『ガーデニングに近い』とも。
 細かな作業を、せっせと人力で行わなくてはならない。・・・そんな日本の農業の犠牲になっていたのは女性達であったことを伝えるのが、『農家女性の戦後史』(姉歯暁 こぶし書房 2,200+税)。
 日本農業新聞に、女性向け投稿欄『女の階段』が登場したのは、1967年のこと、それからの50年の日本の農業の歩みを、様々な投稿とともに振り返る。
 1967年といえば、戦争が終わってから20年以上が経っているが、農家においては依然、強い家父長制が残っていた。熱心な投稿者の多くは、明治生まれの舅・姑に仕え、戦後生まれの嫁に挟まれるという『サンドイッチ世代』として、ひずむに苦しんでいる。
 舅・姑は、無償の労働力として嫁を捉えていた。嫁には現金が与えられないため、子供に学用品を買ってやることもできない。運動会や学芸会が近づくと、子供のために母親が万引きをするという事態が、どこの農村でも見られたとのこと。また臨月でも雨の日でも『休みたい』と言うことができず、本や新聞を読む時間もない。舅・姑が老いれば、介護の重荷も一身に引き受ける・・・。
 農家の嫁達は、自分の欲求を口に出せずに、自己を犠牲にし続けた。家庭内で欲求や意見を口にできないのはもちろん。地元の人々の前でも話すことができなかったのは、ムラ社会において平穏に生きていこうとするならば、やたらなことは話せないから。
 『女の階段』は、そんな女性達の唯一のはけ口となっていたようだ。読者達による『回覧ノート』のシステムができると、家族にも地元の人にも話すことができない思いの丈が、ノートに記されるように。ノートの到来がどんなに楽しみだったかを、読者達は語る。
 ホワイティング氏が来日した頃、東京はオリンピック前の大改造の時期にあったわけだが、その時に実際に働いていたのは、出稼ぎに来ていた農家の男性達だった。オリンピック前が出稼ぎのピークであり、夫が不在の間、農作業は嫁に任され、のみならず育児や介護といった負担ものしかかったのだ。
 変わり続ける東京の背景には、変化の速度が遅い農村が控えて、東京を支えた。農家の女性達が置かれた状況も、戦後の農業の変遷も、全く知らなかったということを知らされる一冊。」
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 12月1日号 週刊現代「リレー読書日記
 女性たちはいかにして男性社会に翻弄されてきたか『ジェンダー』をめぐる3冊
 武田砂鉄
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 ヴィクトリア・ヴァントック著/浜本隆三・藤原崇訳『ジェット・セックス スチュワーデスの歴史とアメリカ的「女性らしさ」の形成』
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 農家の女性の心の叫び
 姉歯暁(あねはあき)『農家女性の戦後史 日本農業新聞「女の階段」50年』は、1967年から続いてきた投稿欄に寄せられた声をふもときつつ、強固な『家』制度の中で対外的に言葉を発する機会を持てずにいた女性たちの拠り所となった場から、農家の女性の歩みを追う。
 終戦後、新たな日本国憲法では男女同権が確立されたはずなのに、農家の女性たちは有無を言わず差別のもとに置かれた。自らの利得などもってのほか、一家の財布は舅姑が握るので、学校の運動会や学芸会が近づくと地域では小さな万引きが増加したという。
 戦後の成長経済の中で、農民たちは『闘う農民』から『支持政党の支持母体』へと変貌させられ、国からいくら補助金を引っ張れるかばかりを考えるようになる。女性は相変わらず、住居と職場が一体化して空間で働き詰め。友人の結婚式に出たいと申し出ても、姑から『その乳飲み子は誰がみるんだい?』と返ってくる。休みなど1日もない。悩みを吐き出す投稿欄『女の階段』を、早朝のわずかな空き時間に読む。それが、社会との限られた接点だった。
 本書ではその窮状を乗り越えてきたじょせいたちにインタビューを試みている。若くして夫を亡くした女性が、その家に残り、義父母から農作業を押し付けられ続けた日々を語る。彼女らが言う。『なぜ一度でも「休め」と言ってくれなかったのか』。
 国力を最大化しようとする政府は、農家を繰り返し混乱させてきた。増やせ、と言えば、次には、減らせ、と言う。その中で沈黙を強いられてきた女性の声が重い。
 牟田和恵『ここからセクハラ!アウトがわからない男、もう我慢しない女』
 」
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 東京・大阪など大都会は、地方・農村からの出稼ぎ労働者の陰で造られたのであって都市住人が造ったわけではない。
 それを可能にしたのは、地方・農村の人口爆発である。
 日本経済の発展は、地方・農村の余剰人口が中央・都市に大移動して成功した。
 昔から日本を支えてきたのは、中央・都市ではなく地方・農村である。
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 女性が減る国・社会は、男性が多くても人口は減少し、子供が生まれずやがて消滅する。
 日本人男性の精子劣化(老化)と日本人女性の卵子老化で、日本は人口を激減させる。
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 勤皇派・尊皇派そして保守派の、多数派は地方・農村で、中央・都市は少数派であった。
 日本軍が強かったのは、中央・都市の住人が兵士となったからではなく、地方・農村の住人が兵士になったからである。
 戦後。強固な日本を解体する為に農村改革が断行され、ムラ・農村の崩壊と農家の解体と農民の解放が行われた。
 つまり、日本農業の破壊である。
 その手段が、補助金付けにして労働意欲を奪い、後継者を都市に移動さ、生産農地を平等相続とすて細分化させ生計手段にさせない事である。
 都市の拡大とインフラ整備の名目で農地を売らせ土地成金を量産する事である。
 日本農業の消滅は、1946年以降に、計画的意図的に行われてきた事である。
 農業・漁業・林業など生産活動は、貴い仕事であるという耕作美学を打ち砕くき、卑しい過酷の奴隷的重労働であると洗脳教育を行った。
 その成果が、2000年代以降の日本農村の衰退と日本農家の後継者不足として現れた。
 日本農村と日本農家の再生の為に採用されるのが、外国人労働者・外国人移民計画である。
 日本民族日本人を、日本農業・日本農家から切り離すこと。
 中央・都市の住民は、農産物生産の為に外国人労働者・外国人移民を地方・農村に住まわせ任せる事に賛成している。
 世界基準を正義とする高学歴出身知的エリート層にその傾向が強い。
 日本に大挙して移住してくるのは、中国共産党の教育を受けた中国人だけである。
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 日本の女性が男性よりも優秀で賢いのは、明治の儒教的男尊女卑と戦後のキリスト教的家父長制で、傲慢な男達に虐げられてきたからである。
 日本人男性は、学歴に頼らないと賢くも優秀にもなれない。
 日本人女性は、学歴に頼らなくとも賢く優秀である。
 その違いがどこから来るのかと言えば、現実の世界・直面している生活で身を挺して本気で真剣に生きているかどうかである。
 それは、現代においても変わりない。
 故に、日本人女性は日本人男性よりも数段も賢く優秀である。
 だが、短絡的で愚かな日本人女性が徐々に増えている。



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稲作の戦後史

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