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2017年4月6日号 週刊文春「文春図書館
フランスの『考える方法』教育、シモーヌ・ヴェイユの哲学 鹿島茂
ここ3年ほど、大学でエマニュエル・トッドの学説を敷延(ふえん)した授業を行っているが、トッドの思想を乱暴に要約すると、人類は多死多産型社会から少死少産社会へテイク・オフされる原因となったのは経済ではなく教育であり、これにより人類はアーサー・C・クラークのいう『幼年期の終わり』を迎えようとしているとなる。では、民族や国民によってテイク・オフの時期が異なっているのはなぜかといえば、それは家族類型が異なるからである。では、それぞれの家族類型における決定的要因はなにかというと、これが女性の地位の高さなのである。日本やドイツのような直系家族においては女性の地位が比較的高かったために、識字率が高く出て、教育熱心となったのだが、フランスは平等主義核家族という家族類型のために女性の識字率が低く出て、あまり教育熱心な国とはいえなかった。だが、第二次大戦後、進歩の差は教育にありと気づいたフランスは教育の民主化に踏み切る。そのとき旧来のリセで行われた『哲学する人間を育てる』という理念が大衆化されたため、生徒たちは自分の頭で考えるという習慣を次第に身につけるようになる。とりわけ、大学への女性の進学率が上がってからは、この教育法の影響は大きくなっている。
中島さおり『哲学する子どもたち バカロレアの国フランスの教育事情』(河出書房新社……)は二人の子供をコレージュ(中学)とリセ(高校)に通わせる日本人の親の目から見たフランス教育の独自性のレポートである。
まず強調されるのは、フランス国民をつくるのは教育であり、ゆえに教育は無償でなければならないという理念。および自分の頭を使って論理的にものを考える『方法』を生徒たちに教えることが中等教育の最終目的だということ。『私が本当にすごいと思うのは、私たちが日本で高等教育を受けても一度も習わないことを、フランス人たちは、どこにでもいる高校の先生に習っているということなのだ。それはサルトルがどう考えたとか、ニーチェが何を言ったとかではない。「抽象的にものを考えて他人に示すにはどのようにやるか」という実に具体的な方法である』
……
こうした教育法で鍛えられるフランス人は暗記詰め込みを金科玉条とする日本人とはなんと異なった国民となることだろう。教育により、日本人とフランス人は対蹠(たいしょ)点(アンティポッド)に置かれることになるのだ」
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