📉51】─1─大学教育は理工系重視へ。消費人口激減で、内需依存(大量生産・大量消費)型成功モデルや発展モデルは消滅した。~No.107No.108 @

あなたの話が伝わらないのは、論理的思考が欠けているからだ

あなたの話が伝わらないのは、論理的思考が欠けているからだ

  • 作者:吉岡友治
  • 発売日: 2015/09/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 江戸時代後期。日本はイギリスに次ぐGDPを達成していた。
 総人口は、2,000万人台で現代日本の6分の1であったが、平均年齢50代で若者多く老人少ない若々しい社会であった。
 数多くの大火や自然災害による破壊・崩壊と再建・復興が絶えず繰り返され、内需による継続的発展が続いていた。
 そして、微細な人口増加も続き、明治に入って人口爆発が起きた。
 江戸時代の日本経済は、停滞はしても衰退する事なく、長い目で見れば発展していた。
 江戸時代は、外国に依存しなくても内需だけで世界レベルの経済を維持していた。
 ある意味、2000年代の日本よりも賢い。
 江戸時代の成功は、当時の日本人が文系的現実思考と理系的論理思考を均等に持っていたからである。
   ・   ・   ・   
 明治の近代国家、大正の5大国入り、昭和初期の軍国日本、昭和中頃の戦後復興、高度経済成長、昭和後期のバブル経済、全ては人口爆発がもたらした結果である。
 日本人は、自意識過剰で分けもなくうぬぼれが強い為に、本質を見誤って傲慢なり怠惰になってバブル経済を崩壊させた。
 日米貿易摩擦を解決する為に、外需から内需に移行できたのも人口爆発があったからである。
 人口爆発は、もう起きない。
 問題は、人口減少で労働人口以上に消費人口を減らして如何に生き残るかである。
 移民を幾ら増やして人口を維持しても、文化、宗教、風習が日本人と異なる為に、日本人と同じ消費活動はしない。
 自分達の母国から輸入した安い食材や生活道具を購入して、高い日本の食材や生活用品や電化製品は決して購入しない。
 当然、日本で稼いだ金は日本で消費せず、その多くを祖国に残した貧しい生活をしている家族や親族に送金する。
 外国人移民は、人口の数を維持しても、日本経済に貢献はしない。
 日本の公益・公共意識を、外国人移民は共有しない。
 外国人移民は、日本人とは友人と接しても、日本国家の為ではなく自分の為に働く。
 当然、日本天皇や皇室、皇族に対する敬愛も親近感もない。
   ・   ・   ・   
 メイド・イン・ジャパンとして造れば売れる時代は、終わった。
 内需の減少で日本製品は、国内ではなく国外で売らねばならない。
 内需に安住し本気で世界市場に売る事を怠ってきた日本企業の怠慢が、韓国や中国に敗れた真の原因である
   ・   ・   ・   
 是枝裕和「僕は日本政府が後ろ盾になって、日本文化をアピールする事に違和感があるんです。特にそれを映画祭でやられるのは腹立たしい」
 「日本は完全にガラパゴス化しています。日本映画はいま二極化して、興行が成立しにくい小さな映画と、国内市場だけでペイできてしまう大型映画しかない。こういう状態が続くと、作り手も配給会社も世界を意識しないでもいいという感覚になってしまう。対して、東南アジアの映画や韓国映画は世界マーケットを相手にしなければ生きていけない。その点、日本映画は世界を相手にしないで済むので、どうしても視野が狭くなる。これはここ10年くらい、日本映画の最も顕著な傾向になっています」
   ・   ・   ・  
 日本政府は、日本文化PRとして巨費を投じ、漫画とアニメそしてゆるキャラを自慢げに宣伝し酔いしれている。
 日本文化は、成熟した大人の教養から未成熟な子供の遊戯へと低俗化した。
 日本は、大人に成長するのを止めて、軽薄な幼児返りしている。
 世界に誇れる、大人の文学や映画はない。
 日本の大人が誇れる日本文化は、現代の生きている日本文化ではなく、昔々の死んでいる日本文化である。
   ・   ・   ・   
 音楽業界は、CDが売れない冬の時代に突入していた。
 対前年比143億円減の2,979億円で、10年前に比べて約4割減となっている。
 外国人移民が増えると、日本の歌謡曲市場は減少し、演歌は消滅する。
   ・   ・   ・   
 人口減少によって青少年が減るや、魅力がない大学への進学者は減り、定員を満たさない大学は経営難に陥り廃校となる。
 自分お好きな事をやって生活できるような資源大国ではない日本は、テクノロジー国家・もの作り国家とすて文系ではなく理工系を優先せざるを得ない。
 ただし。国際市場で商談をまとめる為には英語などの語学力を鍛えると同時に、日本文化を説明し世界文化を理解する教養も必要となる。
 国際人として認められる為には、文系における得意分野を持ち深い知識が必要で、文系の優れた教養のない者は野蛮人として嫌われ、差別され、仲間として受け入れられる事はない。
   ・   ・   ・   
 竹内薫「かって、鉄は国家なりと言っていた人がいましたが、未来社会では、計算力は国家なりなのです。計算力に勝る国は繁栄し、計算力に劣る国は滅びるのです」
    ・   ・   ・   
 2015年11月号 新潮45「読書日記 片山杜秀
 『高橋是清経済論』(千倉書房、1936年)。著者名が書名に込みになっている。2・26事件で殺された大蔵大臣を偲んでの緊急出版本。大正から昭和にかけての小論や国家答弁などが集められている。高橋の経済観は明快だ。近代経済はスペインやポルトガルアメリカ大陸で金銀を掘りまくって始まる。両国は無限の富を蓄えたかにみえた。が、すぐ衰えた。イギリスから物を買い、対価として吸い上げられた。お金だけあっても意味がない。価値ある物を作れる国にお金も集まる。ではどうしたら価値ある物を作れるのか。原料も必要だ。だが、原料は極端に言えばすべてを他国から輸入してもよい。十分な付加価値を付けられれば儲けは出る。すると付加価値を付けるのは誰か。人だ。国民だ。よく学び働く国民がいること。金よりも物よりも国民が大切。それでこそ近代国家。では人の学び働く動機は何か。個の幸福実現への期待だ。学び働く個々人の幸せが増す。安心して暮らせる。将来が保証される。そう信じられてこそ。従って国が繁栄したかったら国民を幸福にすればよい。個々の面倒をよく見、国民の結束を保つ。そうしてこそ国は繁栄する。はて、この論理は今日どこまで有効か。お金が欲しい。そのためには高く売れる物が要る。ここまでは同じだろう。だが物と人のあいだには一般に企業がはさまる。その企業が多国籍化したら? 人すなわちその国の国民という前提は崩れる。よく学び働く人はよその国民でもよくなる。国の繁栄から国民が切り捨てられる。国民の扱いはぞんざいになるだろう。その先? お金が国民のみならず物も切り離して暴走し、自己目的化して、ついに国を滅ぼすのではないか。他国人を奴隷にして金銀を掘らせ、さしてよい物を作らず、自国民も必ずしも大切にせず衰えていった、スペインやポルトガルのことを思い出す。歴史は繰り返す。『没落の歯車』はもう大きく回り出しているに違いない」




                
 ・   ・   ・