📉71】─3─日本のノーベル賞授賞ラッシュは、経済大国・科学技術先進国の最後の輝き。~No.152No.153No.154 @

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 国語力の劣化が本当の国難
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 ノーベル賞を授賞できるのもあとわずかで、その後は授賞できないし、無縁となる。
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 川村二郎「侍精神を持った日本人が復活するために必要なのは、国語力の強化しかない。
 国語力が劣化すると、理解力も伝達力も判断力も想像力も創造力も落ちて、ひいては国力も落ちてしまう。日本が直面している本当の国難は、偉そうに聞こえるかもしれませんが、少子高齢化でも北朝鮮のミサイルでもなく、国語力の低下じゃないでしょうか。
 素晴らしい!母語という家の土台がスカスカなのに、リビングを洋風に飾り立てても意味がないんです。だいたい、日本できちんと書いたり話したりできない人間が、英語ならできるなんてありえないでしょう。
 日本人は何かというと『how』を問題にするけれど、肝腎なのは『what to speak』や『whato to write』なんです。話したり書いたりする内容は、母語の日本語で身に付けるのが一番自然だと思いますがね。いくら英語がペラペラでも、日本語の能力がなければ中身のない人間になってしまうんでしょう。
 日本語を単なるコミュニケーションツールだと思ったら大間違いです。日本語は、豊かな思考を育(はぐく)む日本人としての土台だから、子供たちには『読み・書き・ソロバン』を徹底的に教えればいいんです」 
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 2016年10月20日号 週刊新潮「ビジネス書捕物帖 田中大輔
 大当たり本は翻訳家と編集者で選ぶ!
 『やり抜く力』 アンジェラ・ダックワース 神崎朗子・訳
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 表紙に大きくGRITとあるので、それがタイトルだと思っていたのだが、この本のタイトルは『やり抜く力』。GRITとはやり抜く力のことである。成功するために必要なのは才能ではなく、いかにやり抜くかであるということを説いた本だ。
 そもそも『やり抜く力』と『才能』というのは別ものなのだという。偉業を成し遂げた人を見ると、あの人には才能があるからと評価してしまう。そのほうが、才能がない自分は努力したって無理だ、という逃げ道ができて楽だからである。
 人は誰しも『才能』に偏見を持っている。『成功するためには、才能と努力のどちらがより重要だと思うか?』というアンケートをとると、アメリカでは『才能』と答えた人がおよそ2倍だったという。ある実験では、同じ能力ならば『努力家』より『天才』を評価したそうだ、みな才能というもの過大評価する傾向にあるのだ。
 しかし才能よりも大事なものはやり抜く力なのだと著者はいう。大器晩成という言葉がある。これは一つのことを長くやり続ければ、その道のエキスパートになるという意味の言葉なのではないだろうか。日々カイゼンを繰り返すことが大事なのだという。
 天才というのは、努力しなくても偉業を達成できる人のことではない。それは一つのことをやり続け、卓越性を究めることができる人のこと。誰でもやり抜くことさえできれば、そのうち周りから天才と呼ばれるようになるのかもしれない」
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 10月20日号 週刊新潮「もう一度 ゼロからサイエンス 竹内薫
 生理学・医学賞は予想しやすい?!
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 大隅さんは『酵母』一筋40年。その研究の独創性が認められて単独授賞となったわけだ……
 ところで、このところの日本人のノーベル賞ラッシュは、20年から30年前の業績が評価されたものだ。
 だが、バブル崩壊以降、日本の基礎科学は茨の道を歩んでいる。給付奨学金が欧米と比べて圧倒的に少ないうえに、博士号を取得すると企業に就職しにくくなるため、学生は大学院に進学したがらない。若手研究者のポストも減るばかりだ。
 日本の科学の裾野はやせ細ってきている。このままだと、近い将来、日本からノーベル賞が出なくなる。ノーベル賞フィーバーが崩壊への序曲とは、なんとも皮肉なことである」
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 10月20日号 週刊文春ノーベル賞大隅教授が日本に喝
 『「役立つ」ばかりを求めるな』
 10月3日、ノーベル生理学・医学賞に輝いた大隅良典・東工大栄誉教授(71)。これで日本は10年間で13人目の〝受賞ラッシュ〟となるが、大隅氏はうかれることなく、国の研究支援体制に釘を刺すことを忘れなかった。
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 受賞対象となった大隅氏の『オートファジーの働きの解明』は画期的なものだった。
 『栄養源のたんぱく質を、細胞が自ら分解して再利用し、生命を維持する「オートファジー(自食作用)」は60年代から考えられていましたが、観察が難しく研究が停滞していました。おれを大隅教授は、酵母を使う独創的な観察で解明したのです。その後、研究が世界に広がり、今では、がんや老化を防ぐ働きが期待できる段階まで来ました』(科学部記者)
 福岡市出身の大隅氏は、東大・教育学部基礎科学科を卒業、米国ロックフェラー大学への留学などを経て基礎生物学研究所の教授を務め、40年に渡り酵母の研究を続けてきた。
 小中郄の同級生である藤本顕憲・福岡市議が語る。
 『祖父が九州大の日本史学者、父が九州大の石炭エネルギーの権威。錚々たる学者一家で、本人も秀才でしたが、明るく伸び伸びしたご家庭でした。5年ほど前に、「人がやらないことに挑戦して、毎日顕微鏡を覗いていたら、新しい発見がある」と話していました』
 受賞会見には、『ワイフ』と呼ぶ東大大学院の2年後輩である萬里子夫人と共に臨んだ大隅氏。『酒でも飲み始めたらなんとなく実感が湧くのかな』と切り出したが、会見の後半、こう主張したのだ。
 『ノーベル賞学者がたくさん出てるから日本はすごいというのは、とても間違っている。次から次へとそういう若い人が生まれてくる体制を作ってくれないと、日本の科学は空洞化する危機感を強く持っています』
 今回の『オートファジーの働きの解明』のように、ノーベル賞が対象にするのは、物事の解明や新発見を目指す基礎研究だ。創薬などの成果に直結する応用研究はその次に来るが、大隅氏は、『科学は今、役立つこと(ばかり)がとても問われています』と話し、すぐに役立つと言えない基礎研究に対し、『圧倒的に日本ではお金が流れていない』と嘆いたのだ。
 『財政難や規制改革の名の下に、国立大学が独立採算制になり、大学が研究者に広く分配する研究費が減り続けています。文科省の最新の調査では、研究者の6割が、年間50万円未満の研究費しか受け取っていません』(前出・科学部記者)
 大学を頼れない研究者が求めるのが、文科省が支給する『科研費』(科学研究費)だ。だが応募制で、採択率は20%台だ。
 『申請書には、研究希望内容と見込める成果を書くのですが、たとえば「ゲノム」、「バイオ」など、その時のトレンドに絡めると通りやすく、成果が出にくい基礎研究は申請しにくい』(基礎研究えお続ける物理学者)
 京大iPS細胞研究所の八代嘉美特定准教授が語る。
 『今後どの研究がノーベル賞に繋がるか誰にも分からず、広く種をまくことが必要なのです。しかし今の日本では他人と違う研究をすることが難しい。学者だけでなく、文科省の現場も、この風潮を危惧していますが、文科省の上層部や政府が理解しないのです』
 『人と違うことを』──。
 今こそ大隅氏の言葉を肝に銘じるべきだ」
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 名人的匠によるもの作りは、費用対効果として短期的に結果を出し即利益をもたらすものではなく、無駄な時間と労力と資金を費やして得られたものである。
 人口爆発により無尽蔵に近い優秀な人材が数多く輩出され、大量生産と大量消費で無駄に使えるほどの豊富な資金を手に入れた。
 数多くの優れたメイド・イン・ジャパンを国内外に売り出す事で、今は役立たなくても将来役に立つかもしれない、一件無駄な研究や努力を諦めず続ける事を許すゆとり・寛容が生まれた。
 日本文化とは、悪い面を諦めて切り捨て、良い面は諦めず続ける事である。
 人口激減で、それら全てを失う。
 オタクン文化は、人口爆発によっ生み出された無駄・無用・無益を許容する「ゆとり文化」であり、人口減少でゆとりがなくなると消滅する独り善がりで閉じ籠もった「たこつぼ文化」である。
 メイド・イン・ジャパンの強みは、数多くあった「オタク文化たこつぼ文化」から面白いアイデアを掬い上げ遊び心風に商品化した事である。
 日本文化の栄養源は、子供のような遊び心・悪戯心・おふざけのオタク文化である。
 理系である日本職人は、同時に、余暇として、文系の俳句・川柳・和歌、茶道・華道、禅や剣道、釣りや狩猟、田舎歌舞伎・田楽踊り・民謡・祭り踊りなどを嗜む多趣味の教養人であった。
 日本文化は、理系と文系を両輪として生きていた。
 今の日本におけるノーベル賞授賞ラッシュは、一種のオタク文化の延長にある現象に過ぎない。
 何故、日本文化がオタク文化たこつぼ文化になったかといえば、日本列島特有の自然環境による。
 四季折々の豊かな恵みを与えてくれるとともに、甚大な被害をもたらす自然災害の多さである。
 日本民族日本人は、4万年前の縄文時代から、自然災害多発地帯という苛酷な自然環境で逃げ出す事なく生きてきた。
 自然災害が少ない大陸は、陸続きであるが故に他国や異民族という「人の侵略」を恐れて生きてきた。
 日本と大陸の違いは、恐れる対象が「自然」か「人」かにあった。
 大陸は、「人」に対して優れた対応ができても「自然」には不器用である。
 日本は、「人」にも「自然」にも無理なく対応できる。
 「人」に対しては、領主や政治家などの権力と富を独占した支配者が対応した。
 「自然」に対しては、百姓や町人などの身分卑しく貧しい庶民が対応した。
 「人対応」は、待ったがきくし、大抵の事は予想が可能である。。
 「自然対応」は、待ったがきかず、想定外の事が立て続けに起きる。
 が、現代日本人は、思考も行動も硬直化して民族的適応力が衰退し、「人」にも「自然」にも対応できなくなっている。
 日本が強いのは、研究所に閉じ籠もり地味に黙々と研究を続ける地味な基礎分野であって、賞讃と脚光を浴びる華やかな応用分野ではない。




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日本の歴代ノーベル賞 (アスキー新書)

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ノーベル賞100年のあゆみ〈7〉ノーベル賞を受賞した日本人

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