⚡9】─1─GE社と福島第一原子力発電所。東電の賠償請求権とPL法(製造物責任法)。~No.52No.53No.54 * 

PL法(製造物責任法)の知識とQ&A (くらしの法律相談)

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 2018年4月号 正論「松井知事よ!新潟知事の反原発論はこう論破しろ
 米国製の旧式原発と最新鋭の柏崎刈羽原発
 ……
 3・11以来、反原発の潮流は、原子力さえなくなれば、明るい日本の未来が開けるという、いわば逆メシア信仰にまで、昇華してしまったのである。日本が原子力を止めたからといって、北朝鮮が核ミサイル開発を放棄するわけでもないし、日本の少子高齢化が防げるわけでもない。そんなことは、自明の理のはずだが、人々は原発廃止に希望を託すまでになってしまった。
 本題に入るまえに、日本の原子力開発の経緯を、簡単におさらいしておこう。多くの日本人が、原子力の平和利用という崇高なスローガンに酔っているため、しばしば誤解していることだが、核エネルギーの利用は、核兵器ばかりでなく、原子力発電も、軍事目的で開発されたものである。アメリカ原潜の父と言われるハイマン・リコーバー提督が、艦船の動力として原子力を利用することを推進し、ジェネラル・エレクトリック(GE)社、ウェスティングハウス(WH)社のあいだで、コンペが行われ、WH社の加圧水炉(PWR)が採用された。このとき、GE社は、まだ沸騰水炉のコンセプトが固まっていなかったため、中速ナトリウム炉という炉型で、コンペに臨んだ。もんじゅ事故などで知られるようになったが、ナトリウムは水と過激に反応する。試作艦シーウルフ(初代)は、WH社の加圧水炉を用いた原潜ノーチラスに及ばず、採用とならなかった。GE社は、遅ればせながら、沸騰水炉(BWR)のモデルを実用化したものの、時すでに遅かった。アメリカ政府は、膨大な開発費の負担にあえぐGE社を救済するため、アメリカ国内では少数しか建設されていない沸騰水炉の採用を西ドイツ(当時)、日本などに迫り、実現された。
 こうして、東京電力〜GE社〜沸騰水炉〜東日本、関西電力〜WH社〜加圧水炉〜西日本という日本の炉型の二大系列が定まり、原子力の時代が開幕した。もっとも、西日本でも、中国電力のように、いわば沸騰水炉の飛び地となっている地域もある。
 福島第一原子力発電所の一号機は、GE社とのターンキー契約(稼働するまでの一括契約)で建設されたもので、圧力容器、格納容器ともに、GE製である。日本では、東電の非を鳴らす報道が蔓延していたためか、非常用電源を地下に設けたのは、GE社のマニュアルに従ったためである。アメリカの原発は、内陸型が多く、電源を高所に設けると、竜巻(トルネード)の被害に遭って電源を喪失する危険が大きいからである。GEのマニュアルでは、津波など想定していなかったのである。当時GE社では、東電からの賠償請求におびえていたという噂もある。
 早くから建設に乗り出したアメリカは、100基以上の原発を建設してから、三十数年にわたって、新規には竣工させていない。当時、世界第2位の原発国だった日本は、核アレルギーに近い反対が多く、フランスに抜かれて3位に転落したものの、新規の原発の改良、建設を続け、技術的には本家のアメリカを凌駕するまでになった。
 自身でも安全性を実証済み
 東京電力東芝・日立が、世界に問うた技術の集積が、柏崎刈羽原子力発電所である。合計出力は、821万2,000キロワット、世界最大の原発サイトとなった。単に出力が大きいだけではない。六号機、七号機は、世界初のABWR(改良型沸騰水炉)であり、開発メーカーであるGE社をしのぐ技術で改良され、整備性、安全性も向上し、また耐震設計も進歩している。これらABWRは、1969年から開発している。その安全性は、2007年の新潟中越沖地震の際、見事に証明された。三号機の外部変圧器に火災があった程度で、IAEA(国際原子力機構)をはじめ、各国の専門家から称賛されたほどである。
 しかし、前途洋々と見られた日本の原発に、悲劇が襲った。3・11である。当時、想定外はゆるされない、という言葉が、流行語になった。しかし、あの地震津波は、想定外も想定外、想定外も想定外だった。フランスのサルコジ大統領も、訪日第一声で、デザストゥル(災害)と言わずに、カタストロフェ(大災厄)と呼んでいる」


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