- 作者:広瀬 隆
- 発売日: 2002/11/30
- メディア: 単行本
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
モーゲンソー財務長官「3つの通貨。即ち、円ブロック、スターリング(英国貨幣)ブロック、ドルブロックの三つ巴の戦いだった。」
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1940年には、アメリカの金準備は約200億ドルを越したが、産業界は世界大恐慌下の大不況から脱出できずにいた。
1,600万人以上の失業者が巷に溢れ、貧富の格差に不満を持つ貧困層や黒人は各地で暴動を起こしていた。
政府は、警察隊や軍隊を出動させて、多くの死傷者を出して暴動を鎮圧した。
ルーズベルトは、「参戦せず」を公約として3期目の大統領選に当選した。
チャーチルと蒋介石は、アメリカの参戦を要請していた。
ワシントンは、対独参戦の為に、日本を追い詰める事に決めた。
9月25日 アメリカは、日本軍と戦う蒋介石に対して2,500万ドルを借款供与した。これ以降、アメリカによる財政及び軍事支援が本格化する。
アメリカ軍も、正規兵を意図的に除隊させて抗日中国軍に派遣した。
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1941年 アメリカは、暗号解読で、日本の事は知り尽くしていた。
ホワイト・ハウスは、日本を戦争に追い込めために、慎重に、そして巧妙に罠を仕掛けた。
共和党のスチムソン陸軍長官は、日本に最初の一弾を発射させる為に、ハル国務長官を無視してルーズベルトに外交的助言を続け、軍隊に参戦準備を急がせた、
モーゲンソー財務長官も、国務省の外交とは別に、独自で日本経済金融を崩壊させる為の経済封鎖策を推し進めていた。最大の眼目が、在米日本資産の凍結であった。
1月26日 アメリカ国務省は、日米通商航海条約(1911年成立)を一歩的に破棄し、今後は短期的な個別協定交渉で貿易を行うと通告した。両国は無条約状態に突入し、アメリカは日本に対して保護を与える義務から解放された。
日本側は納得のいく説明を求めたが、アメリカ側は誠意ある回答をしなかった。
これ以降、アメリカによる経済制裁としての原材料の輸出規制が強化された。
さらに、アメリカは日本船籍のパナマ運河通行禁止を検討し、イギリスはインド洋に通ずるマラッカ海峡の閉鎖を準備し始めた。
実質的な、日本貿易の経済封鎖であった。
全ては意図的に行われ、日本が如何に弁明したところで聞く者は誰もいなかった。
3月 アメリカ議会は、武器貸与法を可決した。中立国アメリカは、枢軸国と戦う全ての民主主義諸国に経済援助を行い、勝利に必要な軍需物資(総額501億ドル相当)を送った。
イギリスに、314億ドル。
ソ連に、113億ドル。
フランスに、32億ドル。
中国には、日本と戦う為に16億ドルの軍需物資を送り続けた。
日本に対しては、石油や鉱石などの戦略物資輸出を制限し、日本の対外資産を凍結して食糧を含む全ての物資購入を禁止した。
アメリカの、枢軸国への経済制裁を強化する事で、事実上の参戦を果たした。
日本は、アメリカとの関係を悪化させない為に、中国に対して宣戦布告をしなかった。
中国は、ソ連、アメリカ、イギリスなどの反日諸国の支援を受けるべく、日本に対して宣戦布告をした。
中国は、侵略者日本と戦う為に、さらなる軍事支援を得るべく蒋介石夫人宋美齢をアメリカに派遣した。キリスト教徒の宋美齢は、得意の英語を駆使し、涙ながらにアメリカ世論に軍事支援を訴えた。
キリスト教会は、絶対神の正義の為にも悪の日本と戦う中国を支援すべきであると、敬虔な信者に説いていた。
アメリカ世論は、軍国日本と戦う中国へのさらなる軍事支援を政府に圧力をかけた。
アメリカ世論は、親中であり、反日であった。
アメリカは、この時をもって対日戦に参戦したといえる。
日本は、抗日中国の向こうにいるアメリカとイギリスのユダヤ系国際金融資本と戦っていた。
5月 イッキーズ内務長官は、日本を対米戦に追い込む為に禁輸品リストに石油を加えるように進言した。
ルーズベルトは、戦争準備が調っていないとして提案を退けた。
ユダヤ人のモーゲンソー財務長官も、日本を中国市場から完全追放し、日本経済を破壊する為に経済制裁の強化を訴えた。
スチムソン陸軍長官は、対日強硬派急先鋒として、ユダヤ系国際資本と協力して日本を戦争に追い詰める為に活動していた。
7月25日 アメリカは、在米日本資産を凍結した。
7月28日 日本は、南部仏印に進駐した。
8月1日 アメリカは、対日石油禁輸を断行した。
対日経済封鎖の完成であり、日本経済は国際市場から完全に閉め出された。
日本に残された道は、破滅的戦争を始めるか、アメリカに全面降伏するかであった。
国際社会は、日本の言い分を一切聞く気はなかった。
アメリカは、対独戦参加の為に日本を追い詰めていたのであるから、日本がアメリカの要求を全て受諾したとしても、日本叩きを止めるつもりはなかった。
8月12日 大西洋憲章。アメリカは、日本を利用して参戦する事をイギリスに約束した。両国は、日本を追い詰めて先に攻撃させる事で合意した。両首脳は、国家元首・天皇と日本政府に対して、宣戦布告とも言える対日共同戦争警告を発した。日本には、戦争から逃れる術はなかった。
フーバーFBI長官は、ルーズベルトに、日本軍が真珠湾に奇襲攻撃を仕掛ける恐れがあると警告した。ルーズベルトは、その件は管理している伝え、外部に一切漏らさないように命じた。
10月16日 スチムソン「我々が直面しているこの微妙な問題は、外交的な垣根を作って、責任は日本が負うよう、そして最初の行動も日本によってとられるよう、仕向けなければならない」
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10月18日 昭和天皇は、アメリカとの戦争を回避する為にA級戦犯・東條英機を首相に任命した。
東條英機は、日本を戦争の惨劇から救う為に、A級戦犯達の協力を得て話し合いによる外交交渉を根気よく続けた。
連合艦隊司令部と軍令部のほんの一部の高級将校は、極秘で真珠湾攻撃計画を進めていた。
東條英機首相ら政府や陸軍は、海軍が極秘で進めている真珠湾攻撃計画を全く知らされていなかった。
イッキーズ「日本を利用して参戦するのが最も良い方策だとずっと信じてきた。そして、対日戦争を我々が戦う事になれば、必然的に、対独戦争にも参戦する事になる」
アメリカ政府とアメリカ軍は、日本との戦争を想定して準備を始めていた。
日本国内の協力者は、日本政府や軍部の情報をアメリカに伝えていた。
日本は戦争を始める前に、情報戦や謀略戦ですでに敗北していた。
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11月1日 チャーチル「もし、鋼鉄が現代戦争の根本的基礎であるならば、年間約700万トンに過ぎぬ鋼鉄を生産している日本のような国が、現在7,000万トンもの鋼鉄を生産しているアメリカとの闘争に全く不必要に挑戦するのは、どちらかといえば危ない事のように思えます」
11月26日 アメリカは、軍国日本が貯め込み国外で使えるだけ金貨や金塊が底をついた頃を見計らってハル・ノートを突き付けて、軍国日本を戦僧衣と追い遣った。
11月29日 ハル国務長官は、チャーチルに日米交渉は終わり、後は戦争しかないとの電報を打った。
12月6日 アメリカは、軍国日本の外交暗号を傍受し解読して、ワシントン時間「7日午後1時」以降に日本軍が攻撃を仕掛けてくる事を知っていた。
ただし、日本人は目が悪くて飛行機を操縦できないという生物学的知見を信じていた為に、真珠湾を攻撃するとは信じてはいなかった。
いずれにせよ、暗号解読から「7日午後1時」という指定が何を意味するかは理解していた。
12月8日(日本時間) 日本海軍による、真珠湾攻撃。日本は、騙し討ちによって、永久的な戦争犯罪国家となった。
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1943年1月 カサブランカ会議。アメリカとイギリスは、枢軸国に無条件降伏を要求する事に合意した。
11月 カイロ会談。中国は、日本分割を主張して、朝鮮と沖縄の領有を希望した。日本が無条件降伏させるまで戦いを止めず、戦後は日本が獲得した全ての海外領土を剥奪する事に合意した。宣言文は、日本に対する過酷なものとなっていた。
11月 テヘラン会談。ルーズベルトは、スターリンに「四人の警官」構想を説明したが、実質はアメリカの民主主義とソ連の共産主義が世界を二分割するという「世界分割計画」であった。
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1944年には、世界の通貨用金の7割がアメリカの管理下に入っていた。
7月1日 ブレトウッズ連合国経済会議。今大戦が、ブロック経済などの排他的経済政策が原因であったとして、植民地主義的保護経済を止める事を決めた。
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1945年 日本やドイツなどの敗戦国から、復興資金として所有している金を押収した。その総額は、不明である。
2月 ヤルタ会談。
7月 ポツダム会談。
12月 国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(世界銀行)、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)による、ブレトンウッズ・ドル体制が成立する。米ドルが、金にかわって基軸通貨となる。
アメリカは、世界の指導者になる事は神から与えられた「明白な使命」であり、世界市場を開放して自由な貿易を拡大する事は「神聖な権利」と主張した。
全世界は、自由貿易の名の下で、アメリカの金融・経済に依存する事となった。自由貿易による利益の大半が、アメリカの極一部の富裕層の手に渡った。
市場原理によって、富める者はさらに富、貧しい者はさらに貧しいという、貧富の格差が増大した。
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敗戦国日本では、海外から600万人が引き揚げた為に、国内の総失業者は1,000万人以上となった。
ニューディーラーであるユダヤ人マルクス主義者は、日本を共産主義化するべく日本経済・産業を破壊する為に経済・金融政策を実施した。
日本を軍事国家として復興させない為に、325社の主要な企業集団を財閥と認定して解体を命じ、有能な企業人を公職追放で経営の第一線から閉め出した。
会社に残ったのは、自分で決断し行動できない主体性無き三等重役のみであった。
三等重役の能力や見識では、強硬的占領政策を推し進めるユダヤ人経済官僚には抵抗できなかった。
ユダヤ系国際資本の指示を受けた彼等の最終目標は、敗戦国ドイツ同様に、敗戦国日本を競争相手にしない為に、主要産業を持たない平和な農耕国家に改造する事であった。
日本の左翼・左派のマルクス主義者や全官公労共同闘争委員会も、日本を共産主義化する為に、賃金アップや食糧遅配の改善などを求めてストを繰り返した。
それは、「敗戦から革命へ」というレーニンの共産主義革命論であった。
この後、日本経済はアメリカ国際資本の支配下に組み込まれ、アメリカ政府の対日経済政策を無条件で呑まされた。
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ヘンリー・キッシンジャー「金融を掌握すれば、全世界が支配できる」
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ジョージ・ケナン「我々アメリカ人は世界人口の6.3%に過ぎないが、世界の富の半分を所有している。この格差は、とりわけ我々アメリカ人とアジア人の間の格差として顕著である。このような状況下で、我々が嫉妬と反感の対象となるようなヘマは断じて犯してはならない。これから我々が行うべき本当の仕事は、アメリカ国民の安泰たる生活を毀損する事なく、この格差ある誇るべき地位が維持できるように国際関係の有り様を細心の注意を払って工夫する事だ。その為に、あらゆるセンチメンタリズムやおとぎ話は唾棄されなければならない。我々の喫緊の国家目的全ての面に我々は非常なる神経を集中させなければならない。今日、他利主義とか世界人類への慈善などと言う贅沢な思想を語っている余裕はない事を、我々は自らに厳しく言い聞かせる必要がある」(1948年)
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小国が自衛戦争を発動する時、大国に対して宣戦布告と共に奇襲攻撃を行った。
小国の生存をかけた自衛的軍事行動が否定された時、小国は大国の属国以下の奴隷国家なるしかない。
小国の国民は、生き延びる為に誇りも体面も全ての自尊心を捨て、武器を取ってて抵抗する事さえも止め、大国の奴隷となって命令に従って自由を放棄した。
それが、非暴力無抵抗主義による「完全なる平和」であった。
戦時国際法は、東京裁判で小国・日本の奇襲戦法を戦争犯罪と認定した。
つまり、大国アメリカは正義で有り、アメリカの行う行為全てが合法的であると。
それを公式に認めたのが、東京裁判であった。
故に、靖国神社は排斥される定めにある。
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親日国家アルゼンチンは、局外中立を保ち、牛肉や穀物を輸出して国富を蓄え、世界第二位の金保有国として豊かな国であった。
自主独立国の主権である通貨発行権を持ち、他国通貨の干渉を受けず、自国の通貨で金融・財政策を採用していた。
アメリカは、中南米大陸の金融・財政を支配する為に、アルゼンチンに対して通貨発行量を手持ちの外貨ドル以上にすらない様に圧力をかけた。
アルゼンチン政府は、経済力はあっても軍事力がない為に、アメリカの恫喝に屈して通貨発行量を制限する法律を制定し、自主的通貨発行権を放棄した。
アルゼンチンは、国際通貨・ドルの支配下に入った事で経済は失速して低迷し、国富は国際金融資本に持って行かれて急速に失われ、貧しい後進国に転落し、国民は貧困生活を強いられる事になった。
貧困生活に追い込まれた国民は、アメリカの顔色を窺い、アメリカに媚びる様な金融政策を行う政府に不満を抱いて反米運動を起こした。
アルゼンチン政府は、アメリカの機嫌を損なわない様に、国民に対して銃を向け反米運動を武力で弾圧した。
国民の反米運動が暴力で鎮圧されるや、反政府武力闘争に発展して国内は騒然となり、社会秩序は崩壊して治安は悪化した。
戦後の日本は、アメリカと国際金融資本の金融支配を排除する為に通貨発行権を死守し、日本円に替わってアメリカ軍票・米ドルを通貨とする事を断固として拒否した。
独自通貨としての日本円と主権の通貨発行権を、占領軍に譲渡せず守り通した事によって、日本の戦後復興と経済発展は成功した。
日本とアルゼンチンの違いは、日本はローカル通貨としての日本円を守り通し、アルゼンチンはグローバル通貨としての米ドルを受け入れた、ことである。
独裁政権の様に通貨発行権で、計画性もなく大量の通貨を発行して流し続けると、通貨は国際金融市場で価値を失って紙屑となる。
通貨の信用を維持する為には、自己責任による健全な通貨政策を維持する責任がある。
通貨発行権は、国際ルールに従い国際金融市場に対して主権国家としての重い自己責任が問われる。
日本は、国家として、国際ルールに基づき自己規制と自己責任を果たして、条件付きドル借款を受ける事なく焼け野原から立ち直った。
借金をせず自己資金のみで経済を回復させる、それが日本の健全な金融・経済政策であった。
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