⚡1】─3─第四次産業革命のAIとロボットで、雇用創出と経済成長は起きず、貧富の格差は拡大する。~No.9No.10No.11No.12 @ ①

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 2017年1月号 Voice「AIに奪われる成長 佐伯啓思
 『日本型経済モデル』を確立できるか
 第四次産業革命は経済成長をもたらさない
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 たしかにアベノミクスが目標に掲げた『デフレからの脱却』はいちおう成果を上げている、といってよう。政府・日銀のインフレ目標2%は達成していないけれども、少なくともデフレではないし、GDP(国民総生産)の成長率もプラスになっています。
 ところが、景気の実感が乏しいという国民の声は依然として多い。なぜでしょうか。
 第1に、賃金が伸びていないからです。とくに若年層の給料が上がっていません。
 第2に、都市と地域のあいだで格差が生じている。2000年代に小泉政権構造改革を断行して以来、各種の規制撤廃とともに、公共部門の資金を民間に回すことで市場競争を促進しました。必要なところに人や資本が投下されれば雇用の需給バランスは保てれる、と信じられたからです。ところが、結果はどうなったか。生産性の低い地方の中小企業や能率の悪いサービス業は淘汰され、失職や転職を余儀なくされる者が続出し、商店街のゴーストタウン化が進みました。
 アベノミクスの効果を確実なものとするということで、安倍政権は現在、イノベーションによる成長戦略を訴えています。具体的には、AI(人口知能)や認知科学脳科学)、生命科学を軸とした第四次産業革命を起こすことで経済を成長させ、激しいグローバル競争を勝ち抜いていくという方針です。
 この成長戦略が実現できれば、景気が回復して経済成長が可能だという。しかし私は、それは楽観的すぎると思います。AIを活用した第四次産業革命が長期的に見て成長をもたらすと思えないからです。
 考えてみてください。そもそも経済成長を決定する要因は、労働人口の増加と労働生産性の上昇です。人口減少に向かう日本で経済成長を達成するためには、労働生産性を上げるしか術(すべ)はない。その意味では、AIやロボットに人間の仕事を代行させれば、差し当たり一人当たりの労働生産性は向上します。
 しかし、それは人間の頭脳労働や事務作業、肉体的労働がAIやロボットに置き換えられることです。だからこそ生産性が上がるのです。一方でそれは企業で余剰人員を生み出し、大幅な人員整理が行われるでしょう。
 しかも、『働き方』改革に見られるような労働時間の短縮が進めば勤労者の賃金も下がります。これでは、勤労者全体の総所得が伸びることはない。しかも将来に対する不安が高まれば、消費も落ち込む可能性が高い。経済活動の行き着く先は、最後は人びとの消費ですから、消費が伸びなければ、どれだけ生産性が向上してもGDPは増えません。そして、労働生産性とは、事実上、GDPを総雇用数で割ったものですから、結果として生産性もさして伸びないことになる。じつに単純な論理ですが、事実です。この現実を無視して、どうして経済成長は可能だと言い切れるのでしょうか。
 計測されないところに価値がある
 さらに簡単な理屈で考えても、第四次産業革命によって新たな雇用やビジネスが創出されるという主張は一面的な見方でしかありません。
 第1に、単純な計算の誤りです。たとえばAIに取って代わられた労働者が50万人いたとして、生産性を上げている他社に50万人がそのまま移管するなどということはありえない。生産性の高い企業は、そもそも追加の雇用をする必要がないからです。したがって雇用創出効果は考えづらい。
 同様のことは、すでにAI革命のときに起きました。インターネットが普及したことで、流通など多くの業種で効率化が進みましたが、新たに創出された産業が雇用の受け皿になることはありませんでした。パソコン一つで仕事ができてしまうIT産業は、雇用創出効果は小さいのです。だからこそ、IT分野は生産性が高かったわけです。
 第2に、新規のビジネスが生まれても、人材の置き換えが困難だからです。有り体にいえば、魚屋を営んでいた店主がいきなりAIの開発に携わるなどということは、現実にありえません。
 第四次産業革命は、一部の知能労働者や関連企業には大きな利益を与える半面、一次産業や二次産業に従事する大多数の勤労者の生活に大打撃を与えてしまう。その先にあるのは、さらなる格差の拡大です。
 またAIの普及は、第一次産業第二次産業だけでなく、三次産業のサービス産業にも多大な影響を及ぼすでしょう。日本の『おもてなし』を例に出すまでもなく、サービスとは本来、『効率の悪い』ものです。日本の飲食店に入れば客の眼が届かないようなところまで清掃が行き届いており、店員が無料がで席まで水を運んでくれる。床屋に行けば理容師がお客と会話を交わしながら、ゆったり時間をかけて丁寧に散発してくれる。
 こうしたサービスの仕方は、商売上の手法というよりむしろ文化と呼ぶべきものです。だから構造改革派の合理主義者・効率主義者にとってムダなものとして映る。欧米には、サービス業は、文字どおり奴隷的(スレイブリー)な仕事という観念がある。『文化が違う』のです。
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 AIや先進医療の開発・研究はもちろん重要ですが、それらを公的にかつようしつつ、いかに持続的な成長や社会的な幸福につなげるかを模索することが、第四次産業革命より先に求められていることなのです。経済とはもともと『経国済民』であって、市場競争ではないのです。
 情報過剰社会と日本文化
 さらに第四次産業革命は、医療やサービスを抜本的に変えるだけでなく、『情報過剰社会』をもたらすでしょう。情報や知識には、自然資源のような制約がありません。また、製造業のような『限界費用の逓増(ていぞう)』もありません。だから、情報化は無限に拡張します。ビッグデータは無限に膨らみ、AIが進化すれば、人間に代わって無限に情報を供給、伝達する。するとどうなるか。およそ日常の『生』とは直接関係のない過剰な情報が溢(あふ)れる。にもかかわらず『周囲が知っているから』という理由だけで関心をもたざるをえなくなる。情報を使うより情報に使われるようになる。不要な情報に人間が追い立てられる社会は、われわれをますます幸福から遠ざけます。
 また、情報過剰社会は、自然との調和を重視する日本文化とも馴染まないでしょう。日本人は、自然との調和や、自然のもつリズムのなかに自らの生き方を見出してきました。何かを過剰なまでに追い求めらるよりも、欲望を抑え、足るを知り、いわば『引き算』の美学のようなものを大事にした。自我を抑制して自然と接したときに周囲との調和が生まれ、幸せを享受できる。しかも、この安楽もいつか消え去るという無常観や哀愁に根差した自然観が日本文化や日本人の感受性に受け継がれている。千利休が広めた茶の湯のように、小さい茶器にわずかなお茶を注いで丁寧に味わう一瞬に精神の安楽を求める。この過剰性を排する『引き算』も日本人の精神文化の一つでしょう。
 しかし今日の情報過剰社会は、つねに新しい情報を発信し、消え去ることなく延々と蓄積していく。そこには、はかなさや『もののあわれ』が介在する余地はありません。一冊の書物に寄り添い、一人の友人を得、一つの大事な茶碗を愛(め)でる。こうした日本文化の尊さがITやAI文化によって破壊されることを危惧してしまいます。
 『脱工業社会』は到来しなかつた
 1973年に出版された『脱工業社会の到来』で、アメリカの社会学者ダニエル・ベルは概略、次のように述べています。大量生産・大量消費に基づく工業社会はいまや限界を迎え、製造業の第二次産業からサービス業を中心とする第三次産業に移行する。さらに将来、専門的で高度な『情報・知識』が重要視されるだろう。
 しかし情報や知識は『市場的価値』で測ることはできない。そこでベルは、情報・知識は万人が自由に使える『公共財』として活用すべきだと考えました。
 ベルはさらに『脱工業社会』においては、人びとは私的消費財の拡張ではなく、教育や医療など公共サービスの充実に『生活の質』の向上を求めるようになる、という。質の高い生活とは、美しい風景や清浄な空気、家族や友人との寛(くつろ)ぎの時間といったものです。つまり経済的価値として測らず、効率性にも直結しないものこそ重要になる、と。
 そして、自然科学や医療、教育などあらゆる専門的な知識を動員して、人びとの生活の質を高めるための公共的政策が必要とされると。私も、かつてこの考え方に賛同していました。
 しかし、1980年代になって到来したのはベルの予想とはまったく異なる、市場競争を中心とする社会でした。それまで優勢だったケインズ主義(政府主導の有効需要創出によって景気刺激をめざした経済政策)に代わり、ミルトン・フリードマンをはじめとする市場原理主義が提唱した経済理論がアメリカの経済学会を席捲しました。
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 大企業が大儲けしても、富裕層がさらに金儲けしても、その金はおお裾分けとして中小企業や一般人のところに回ってこない事は証明されている。
 日本においても、貧富の格差は解消されないどころかあらに広がっていく事が分かっている。
 富める者は益々富み、貧しき者は益々貧しくなる、それが未来である。
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 日本は、食糧・資源・エネルギーをアメリカの支配下の国と地域から輸入し、金融・サービス・情報をアメリカに依存し、交通・輸送・運輸・流通をアメリカ軍の保護を受けている。
 日本全体を潤し生活と仕事を維持しているは、残念ながら大企業であって中小企業ではないし、外国政府や国際市場が相手にしない資産のない個人でもない。
 現代日本のリベラルや左翼・左派が如何に国内で騒いで影響力を発揮した所で、国外に一歩出れば無能無知の愚か者に過ぎず、誰からも相手にされないどころか、話を聞いて貰えないし、見向きもされない哀れな存在である。
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 イノベーションで生産性を上げ優れた製品を作っても、その価値が分かって買ってくれる消費者がいなければ無意味である。
 需要と供給。
 人口激減とは消費者の消失、需要インフレである。
 労働者不足で困っているのは現在であって、将来は消費者不足となる。
 現代社会は、そこそこの資産を持つ老人と、わずかな資産を持つ中年と、資産が貯められ層のない若者の三層構造である。
 中年や若者達は、老後資金を貯める為に見栄を張って買い物をせず、無駄な買い物もせず、ひたすら貯蓄に励む。
 30年、40年後は、わずかな資産しか持っていない老人と、資産が乏しい中年と、資産が全くない若者の三層社会になる。
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 外国人移民を増やしても、外国系日本人は日本民族日本人と同じ消費活動をしない。
 外国人移民は、労働者人口を増やしても、消費人口を増やさない。
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 第一次産業とは、農業・林業水産業など直接自然に働きかける産業。
 第二次産業とは、地下資源を取り出す鉱業と、鉱産物・農林水産部などをさらに二次的に加工する工業。工業には、製造業と建築業とが含まれる。
 第三次産業とは、商業・運輸通信業・サービス業など第一次や第二次産業以外の全ての産業。
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 サービスの人類史的世界史的大陸的な認識は、被支配者が支配者に、領民が領主に、下位者が上位者に、奴隷が主人に、貧乏人が富裕者に、弱者が強者に、幾ばくかの金を貰う為に奉仕する行為である。
 ボランティアとは、支配者が被支配者に、領主が領民に、上位者が下位者に、主人が奴隷に、富裕者が貧乏人に、強者が弱者に、心のゆとりとして行う施し・お恵みである。
 それは縦社会の行為であり、サービスは義務であるが、ボランティアは義務ではない。
 そこには、水平(横)社会の日本的な「お客様は神様である」は存在しない。

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