⚡1】─2─第四次産業革命。AIが管理する社会。操作し支配する少数派は富み、支配され操作・管理される多数派は貧しくなる。~No.5No.6No.8 @

人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊 (文春新書)

人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊 (文春新書)

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2016年6月18日号 週刊東洋経済「経済を見る眼 柳川範之
 人口知能と人材移動
 いつの間にか、世の中はすっかりAI(人口知能)ブームである。その影響はまだ不確実な部分が多いし、どこまで革新的な変化が生じるのかについて専門家によっても意見が分かれている。しかし、およそ意見の一致を見ているのは変化が急速だろうという点だ。
 それはAIの発展にとどまらず、近年のITを中心とした技術革新の波が急速だったことからも明らかだろう。今では当たり前のように使っているスマートフォンタブレットも10年前には影も形もなかったことを思えば、変化の大きさと激しさは知れる。当然のことながら、この変化は社会や経済構造を急速な勢いで変えていくことになる。」
 したがって、AIの発展がどのような経緯を取ろうと、今後必要なる大きなポイントは、いかに迅速に対応できる社会にしていくかである。
 変化への対応というと、多くの人がすぐに思い浮かべるのは、経営者の迅速な意思決定という側面だろう。確かに、技術革新や外的な環境変化に適切に対応して経営戦略を変化させていくのは、企業経営者にとっても重要なことだ。今後は、今まで以上に速くなる環境変化に会社の戦略をいかに合わせていくかが重要な課題になってくるに違いない。
 ただし、その際に大きな課題となるのは、やはり雇用の問題である。会社の戦略や組織構造を大きくかつ速く変えていこうとすればするほど、それは雇用の問題とぶつかる。
 たとえば、ある製品を造る工場を閉鎖して、まったく別の製品を新たな海外工場で造る決断を迫れたとしよう。もしも、閉鎖する工場で働いていた従業員が海外工場でその別製品を直ちに造れるのであれば、問題は小さい。しかし、別製品がまったく別の産業に属する場合も出てくる。そうなれば、要求される製造技術はまったく違ったものになり、従業員はそのようなスキルを残念ながら持っていない。
 されにいえば、企業自体が環境の変化によって市場から退出を迫られる場合もある。そうなるとそこで働いていた従業員は別の企業で働く必要が生じる。が、その退出が産業全体の衰退や構造変化から生じているとすれば、同じ産業内に十分な雇用のない可能性が高い。そうなると、別の産業で職を得る必要が出てくるが、そこで要求される能力は今までとは違ったものとなり、十分な働き場所が得られなくなってしまう。
 自分の身に付いた能力やスキルでずっと働きたいと考える人は多いし、働き続けられたほうが安心感もある。いかし、変化の激しい時代はそれを難しくしている。
 新しい環境に必要とされる能力をいくつになっても身に付けられるようにしないと、激しい環境変化の中で働き続けることは難しい。これは、決して容易なことではない。無理だと考える人も多いだろう。しかし、それができなければ、多くの人が活躍できる社会の実現は難しい。
 これは、これから全世界が直面していく共通の課題だ。が、特に長期雇用や社内教育を重視し、少子高齢化が進む日本では深刻な問題だ。したがって、これを変化において新しい機会を得るチャンスととらえ、そんな能力を身に付ける機会を、国を挙げて早急に作り出す必要がある」
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 第四次産業革命時代は、個人もしくは仲間・組織で世界のナンバーワンを目指し、他人と差別化を図って優位に立てるオンリーワンとなり、他人よりも二歩も三歩も先を独走しなければ生きられない。
 つまり。人を使って裕福になるか、人に使われて貧困になるか、である。
 現実問題として、将来、使う者と使われる者の貧富の格差は縮まるどころか広がるばかりである。
 人の話は積極的に聞くべきであるが、他人の成功談は役には立たない。
 特に、1945年当時の人口7,000万人が1990年頃に1億2,000万人に人口爆発した時の成功談は、人口激減時代に突入する将来において糞の役にも立たない。
 人口激減とは、生産力ではなく消費力の衰退、内需の激減である。
 ハイパーインフレどころか、ハイパーデフレである。
 人口爆発時代の内需成功神話は、人口激減時代では無意味どころか「百害あって一利なし」である。
 第四次産業革命の外国人成功者が、敗者の日本人の支配者となる。
 その外国人成功者が、アメリカ人なのか、インド人か、中国人か、韓国人かは分からない。
 敗者となった日本人には、不平不満を言う資格はない。
 白人は優秀だがアジア人やアフリカ人は劣っていると考える日本人には、将来はない。
 日本人は、特別優秀ではなく、極普通な在り来たりの人間に過ぎず、保護し守る必要はない。
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 操作する少数と操作される多数。
 操作されるのは日本人だが、操作するのは日本人でなくても構わない。
 AIとロボットを操作して支配する頭脳明晰な才能豊かなマイノリティーの若き外国人移民と、科学技術の進歩が理解できずAIとロボットに支配され操作されるにマジョリティーの老いた日本人。
 それも、多様性の1種である。
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 2017年1月19日号 週刊新潮「金儲けで進化する『AI』への根本的な懐疑 佐伯啓思
 2016年のヒット商品番付なるものには『AI(人工知能)加速』がランクインしています。また昨年末の新聞には、こんな見出しが躍っていました。
 〈AI関連銘柄/AIが選別〉
 AIビジネス関連企業の株価指数を、AIが算出するのだとか。『希望』の最先端技術、AI。だが果たして、我々はAIを野放図に礼賛し、受け入れて良いでしょうか。
 まず、AIについて考える際に留意しなければならないのは、それが『ビジネス』として語られている点です。現に、AIやIoT(モノのインターネット)の出現による第四次産業革命は日本の成長戦略に組み込まれている。そして、高度な専門家や技術者に巨額の研究開発費が投入されています。
 しかし、AIの技術が進んだとしても、利益を得るのは、その技術を開発し、商品化した一部の専門家やエリート企業に限られる。その恩恵を受けられるのも、一部の富裕層に限定されるでしょう。
 もちろん、例えば、iPS細胞を使った治療が行われるようになるかもしれない。それでも、保険を適用すれば相当な国費が必要となります。現実的にそれは難しく、最先端の治療を受けられるのはほんの一握りの金持ちだけとなるはずです。介護の現場でもロボットなどを導入するかもしれませんが、それが本当にメリットなのかどうかはわかりません。
 AIも同様で、開発にかかった莫大な費用、それには研究開発費という名の我々税金が投入されますが、これに見合った恩恵に、『普通の人々』が浴せるのか、甚だ疑問です。つまり、AIの開発は本当に『割に合う』のでしょうか。
 無邪気な進歩思想
 そもそも、イノベーションによってこそ成長するという『イノベーション信仰(イノベーショニズム)』自体を、疑いたくなります。AIは人間の頭脳労働を代替することになる。その頭脳労働分野で働いていた人々は、生産性の低い分野へと追いやられる。彼らの所得は下がり、消費は停滞する。これで、社会が経済成長できるはずがありません。一部の『AIエリート』が儲かるだけです。
 いや、いずれはAIが隅々まで普及し、皆がハッピーになると主張する人もいるでしょう。結果的にそうなるかもしれません。しかし、そうならなかった場合のリスク、莫大な研究開発費をどう回収するのかについて、『イノベーション信仰者』は語ろうとしない。
 もちろん、AIにも良いところはあります。生活が『便利』になるでしょう。しかし、これ以上、便利にしなければならないことがどれほどあるのか。朝4時に起きて薪をくべ、火をおこし、ご飯を炊いていた主婦の目の前に炊飯器が現れたら、誰もが飛びつくでしょう。でもAIがないからといって、今、生活に不便なことがありますか?少なくとも、AIによって我々の生活が根本的にどう変わるのかを示してもらわないと、先の『リスク』を抱え込むわけにはいきません。要するに、国民的なコストに見合う国民的なベネフィットがあるかどうかです。
 AIはビジネスではなく、技術開発、人間の進化の問題なのだと言う方もいるでしょう。古来、人間は火を制御して使いこなしたように、あらゆる技術をコントロールしてきた。技術の進化を止めることは、火を使えないサルに戻ることを意味する、と。
 この考え方は、理解できなくもない。火もそうですし、農耕もそうですが、確かに人間は道具・技術を使いこなして自然に対し働きかけてきました。『こちら』に理性を持った人間がいて、『あちら』に自然があり、道具でもって『こちら』が『あちら』をコントロールしてきた。
 しかし、AIはこうした話とは次元が違っている。なぜなら、人間の脳がAIに取って代わられることになるわけです。それはすなわち、科学技術によって人間そのものを技術化することです。技術の進歩によって、技術を使う主体であるはずの人間そのものが技術に置き換えられてしまう。
 人間の脳や身体に人間が手を加えて、人間自身を改造していくことは、『火を使う』こととは別次元の恐ろしいさを孕(はら)んでいます。これはもう、技術の進歩を止めるとサルになる、といった議論とは全くレベルの違う話で、人類が『こちら』も『あちら』もない新しい局面に突入することになる。
 要は『人間とは何なのか』という根源的な問いを、我々は自らに投げ掛けなければならないのです。それを抜きにして、『技術の進歩』などと無邪気に言うわけにはいきません。
 ところが現状は、AIによって人間が改造されるという本来とても恐るべき事態についての倫理的議論を脇に置き、どこの国が、どの企業が、第四次産業革命のグローバルマーケットを制するのか、とどのつまり『金儲け』の話としてAIが進められている。しかも、リスクの議論も放ったらかしにして。
 過剰なイノベーション信仰という点において、盲目的なAI礼賛は、技術が進歩し、経済成長しさえすれば──これ自体疑わしいわけですが──それが人間の『幸福』であると信じて疑わない。これまた、イノベーショニズムとグローバリズムによって成長を達成するというアメリカ的価値観の限界、行きづまりつつある『アメリカ病』と言えるのでしょう」
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 日本人は戦後の反戦平和教育で人格改造が行われは、他者を支配し管理するのではなく、他者に支配され管理される事に、快感を覚えるようになった。
 それは、日本民族日本人が原始から持っていた習性とは正反対の最近作られた人工的習性である。
 現代の日本人は、自分を支配し管理する相手が優秀な渡来系日本人であってもAIとロボットであっても、自分と家族の生活に害をもたらさず利益を与えてくれれば下僕のように従順に従う。
 日本人は、夜郎自大となり自己満足のオンリーワンに安住し、自己卑下となり衆目が憧憬するナンバーワンを目指さない。
 負け犬根性として、日本はおろか世界の一番ではなく二番や三番で満足する。
 そうした、劣位に安心する改造日本人が増加する事を喜ぶ日本人が少なからず存在する。
 人口激減時代に必要なのは、AIやロボットといった最先端技術を理解できず操作できないその他大勢の日本人ではなく、理解し操作できる極少数の外国人移民者である。
 AIとロボットには技術的限界があって人間を超える事はできないが、超えられない人間はAIとロボットを支配して操作する小数の実力ある人間であって、それ以外の多数の実力のない人間はいとも簡単に超えられる。
 一番を目指すマイノリティーの外国人移民者と、二番・三番に甘んじるマジョリティーの日本人。
 だが、外国人移民に日本国籍を与えて日本人とすれば、渡来人とは言え同じ日本国民(市民)日本人である。
 それが、現代日本が目指す「多様化」という美名の下の外国人移民推進である。
 いずれにせよ、自給自足できない資源輸入・製品輸出国日本は、ソ連サウジアラビアなど中東諸国のような裕福な資源輸出大国ではないく、アメリカやイギリスや中国のように自国のエゴを世界に強要できる軍事大国でもない。
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