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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
戦後焼け野原から復興できたのは、英語力ではなく、科学技術優位によるモノ作りに徹し、欧米の最先端技術から生み出された製品を、子供心の好奇心で受け入れ学んだからである。
戦前の科学に興味がある子供は、児童用科学専門雑誌や一般的児童雑誌の特集号などで原子爆弾を知っていた。
輸出による第2位の経済大国を実現できたのは、日本国語力で原理原則を読み解き、、得意分野を定め選別と集中で独自的改良技術で開発した新製品を売り出し、欧米が世界基準として世界市場を席巻していた製品を駆逐した。
注文があった部品を生産して供給するだけの安定した下請け中小企業ではなく、意欲を持って、他には真似できない独自技術で差別化を図り、魅力ある製品を大手製造メーカーに買わせる独自採算性の強い中小企業を目指した。
苦を苦と感じず、意欲を持って技術を磨く。
日本経済・製造業の凋落は、日本モデルを世界基準となっていた欧米モデルを押しのけて新たな基準として定着し、古い日本モデルを破壊して新しい日本モデルを作り出そうという欲望・野心を失った事にある。
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元々、日本人は自分が知らない事に対して好奇心が旺盛であった。
小学校しか出てい一般人(男性、女性、老人、子供に関係なく)でも、高等教育を受けた専門家さえ理解しずらいアインシュタインの相対性理論やダーウィンの進化論に関心があり、理解できないのに講義を聞いて分かった気になって自慢していた。
日本人にとって科学とは、生活に役立つ便利な道具であって、欧米人や中華世界のように自分たちを滅ぼす危険のある警戒すべき対象ではなかった。
日本人と欧米人の科学に対する認識の違いで、ロボットに対する感情も全くと言っていいほど異なる。
日本人の無宗教論的人生観や死生観から、進化論に対する拒否反応は少ない。
その代わり、人類の中でも臆病で気が弱く小心者の部類に属し、窮地に追い込まれると我を忘れ狼狽し慌てふためき恥も外聞もなく醜態を晒す。
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日本を背負っていく子供達に必要なのは、英語会話力なのか日本国語力なのか。
英語会話力には、日本国語力のような無限に広がる奇抜な空想力、発想力、想像力は育たず、事務能力のみが鍛えられる。
花鳥風月として「朧(おぼろ)月」を連想できるのは、英語の「ムーンライト」か、日本国語の「月の光」の何れか、である。
英語会話力は、国際的事務系エリートのみを大量生産するが、時代の最先端を切り開くテクノクラートを育てない。
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日本のアメリカ留学者は、高度経済成長期頃は4万〜5万人であったのが2010年代には2万人前後と半減し、留学目的の先端技術や最新学問を学ぶという向上心から語学目的の遊学志向に変わった。
中国のアメリカ留学者は、1980年代の改革開放時代は日本留学が多く3万人程度であったのが、2010年頃に経済力で日本を越すや23万人以上と急増した。
アメリカにとって、経済力と国際競争力が低下した日本、留学者が減少した日本人よりも、経済力と国際競争力を高めた中国、留学生が急増した中国人に親近感を持つのは当たり前の事である。
同盟国と言っても、アメリカに利益をもたらさない国など相手にはされない。
国際関係、国家対国家の関係は、ウィンウィンであり、ケースバイケースである。
アメリカにとって、日本が利益をもたらさず不利益だけを押し付ける同盟国ならば、表面的に同盟関係を維持しながらいざとなれば切り捨てるだけである。
その道理は、人類はおろか、全ての生物に適応される生存の大原則である。
それが理解できない日本人は、救いがたい奇形の生物である。
彼らが称える妄想的理想論は、「死中に活を求める」というサムライの武士道とは真逆の、死をもたらすの「滅びの囁き」にすぎない。
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