🗡11〗─1─メイド・イン・ジャパン。自転車。人力車。富岡製糸場。日本・金融。~No.38No.39No.40 @ ⑤

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 メイド・イン・ジャパンの誕生と成功は、外国語の翻訳力、文系の日本国語力、理系の現場力であった。
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 メイド・イン・ジャパンとは、1980年頃まで、戦前・戦中の技術を転用し完成させた日本製品の事で、1990年以降の日本製品ではない。
 戦前戦中を生き抜いた日本人が作り上げた日本製品であった、現代の日本製品の事ではない。
 現代日本には、メイド・イン・ジャパンとして世界に売る出せる目玉製品は、一台数十万円から数百万円の自動車と、新幹線システムや原子力発電システムといったワンセット数百億円プラス毎年のメンテナンス料数十億円しかない。
 反原発市民団体は、原子力発電産業の廃絶を求めている。
 新幹線売る込みは、中国に相次いで敗北している。 
 中国共産党政府は、新幹線システムと原子力発電システムを世界中で売っている。
 日本産業は、中国産業の攻勢によって衰退している。
 日本には、国内で生産しメイド・イン・ジャパンとして売る出す日本製品が乏しい。
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 メイド・イン・ジャパンの崩壊は、理系論理思考の硬直化による組織内サイロ(分断化した組織)がもたらした蛸壺化である。、 
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 1791(寛政3)年 中国地方一円に、金屋子神社に寄進したたたら場や鍛冶屋の軒数は250軒あまりあった。
 中国地方は、全国の鉄生産量の90%を占めていた。
 中国山脈のたたら場の守り神は、鉄の神・金運の神である金屋子(かなやご)神で、奥出雲の金屋子神社本社に祀られている。
 安部正哉(金屋子神宮司)「諸説がありますが、八幡神が中国地方に残ったというのが有力です。主祭神は『金山彦命カナヤマヒコノミコト)』と『金山姫命』ですが、女神だけだと思われている人が多い。科学的知識のない時代に、砂から鉄ができる。神業に映ったでしょう。女性が子どもを産む事に着目して、良い鉄を産んで頂く女の神様と思った事でしょう。 
 たたらは、山が一つ裸になるほど大量の木炭と砂鉄が必要で、失敗すればすべておじゃんです。3日3晩の操業は真剣勝負で、オーナーの鉄師からすれば、もしその間に綺麗な女性でも来たら、荒くれ男達の気が散る。そこで『金屋子さんは女性嫌い』としたと思います。(鉄師は、不安定なたたら製法では同じ製鉄は作れなかったが、もしたたらに失敗すれば死を覚悟していた。)
 金屋子神が亡くなった時、『我の死骸をたたらの押立柱に立てかけろ』と託宣され、鉄が良くできたという伝説もあります。死は新たな生命の誕生という意味を込めての習わしだったと思いますね。
 (司馬遼太郎金屋子神は死の穢れを忌まず、むしろ死人が好きだという性質があったからである」死と再生の思想。)
 良質な製鉄が安定して供給されるや、鉄製道具の生産高も伸び、道具の進化も進み、多様な道具が作られ、多方面で使われた。
 一芸は百芸につながり、百芸は一芸に通ずる。
 司馬遼太郎「精度への忠実と厳格さが、19世紀後半、西欧の機械文明を受け入れる上での受け皿になったかと思える」
 豊富な製鉄が鍛冶職人の創作意欲を掻き立て、尽きぬ好奇心と探究心から一つ目的の精度の高い道具を数多く作り出した。
 たたら場には、天孫降臨神話に基ずく感性的文系的現実思考とモノ技術に対する感覚的理系論理思考が共存していた。
 司馬遼太郎「紙障子の桟(さん)を削るためのみの鉋(かんな)や、障子の敷居のみぞをうがつだけのノミといったようにである」
 メイド・イン・ジャパンの原点は、江戸時代の匠を極めるという神話的文系現実思考と経験的理系論理思考にあった。
 道具に魂を込め擬人化して、誕生と死の物語り紡ぎ、使えなくなれば廃棄する時は魂抜きの供養祭を行った。
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 2016年3月3日 週刊新潮「世界史を創ったビジネスモデル 野口悠紀雄
 『シビル・エンジニアリング』は民生だけ?」 
 「明治期に多くの専門用語を日本語で表す必要が生じたが、『土木工学』もこのとき生まれた用語の一つだ。これは、英語のCivil Engineeringの訳だ。英語の意味は、軍事関連施設の建設のための工学に対して、民間施設の建設のための工学ということだが、日本語には軍事、民生の区別はない。発生時には、本文で述べたように、戦時の技術を平時に応用しただけだから、日本語の呼び方の方が適切とも言える」
 人間は、一人では生きれない弱い動物ゆえに群れを成して社会を形成し、他人とコミュニケーションを取る事で安心する。
 社会を維持するには、良好な関係を維持し付き合っておけば自分の利益になるという信頼が欠かせなかった。
 お互いがけっして相手を裏切らないという保障の為に、良好な関係としての信頼より一歩踏み出して親密な関係としての友情を求めた。
 友情を保つ為には、相手が苦境にある時に多少の不利益を覚悟して助けるという勇気が必要であった。
 友情とは信頼であり、友とは多少のリスクを負っても助ける事である。
 社会を維持する行動原則は、社会を構成する人々がお互いに相手を思いやり、喜怒哀楽や時と場の危険を共感する事である。
 共感し合う為には、お互いの体温や息づきを感じる必要があった。
 その為に、助け合い、励まし合い、癒やし会う、他者への無防備な状態を曝け出す依存が欠かせなかった。
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 メイド・イン・ジャパンとは、どんな現象でも如何なる思考でもこだわりなく変換できる曖昧な日本国語と感性的文系現実思考・感覚的理系論理思考で、長年の伝統と優れた伝承を持つ職人が個人芸的匠を生かして作り出した物である。
 つまり、伝統と歴史と文化と宗教と信条・信念を持った成熟した人間の総合力である。
 そこには、強欲や傲慢もなければ奢りも怠惰もなく、仕事に対する一途な妥協なき一徹さがあるのみである。
 職人は、仕事から離れれば、よく酒を飲みながら談笑し、うかれて踊り歌って笑い、怒りに任せて喧嘩をし、金が余れば女を買い賭け事で全てを使い尽くした。
 商人や武士ではない庶民は、貯めて財産を殖やそうとはせず、「宵越しの銭を持たぬ」と?せ我慢的な啖呵を切って、その日暮らしを楽しんだ。
 財産や物事に拘らないという生き方は、「命あっての物種」という自然災害多発地帯日本で生きる智恵であった。
 優れた職人は、優れた物を作り得たのは絶対神のお導き・恩寵・ご加護であるという愚にもつかない馬鹿馬鹿しい信仰を持たず、神の御利益の後押しを得た自分が作り出したという謙虚さを持っていた。
 成功するもしないのも、絶対神の思し召しではなく、自分次第であると。
 神聖な作業場には、自分を曝け出し命を賭るよいう神への信心はあっても、自分を捨て去るような盲目的な絶対神への信仰はない。
 職人が道具を作る時に考える事は、その道具を使って仕事をするお客の事である。
 優れた道具を作って誰かに売る、のではなく、必要とする人に買って貰もらって気持ちよく使って貰う事であった。
 特定少数の個人に喜んで貰う為に、創意工夫を凝らして新しく良い物を作ったのである。
 特定少数の個人とは、圧倒的多数の一般消費者ではなく、良し悪しの目利きができる厳しいお得意さまであった。
 物の良し悪しが分からない、価値観のない多数の一般消費者などに売る気はなく、最初から相手にしなかった。
 そうした多数の一般消費者に買って貰う為に説明し実演して物の価値を分からせるという無駄な努力は不用とし、所詮は「猫に小判」「豚に真珠」と切り捨てた。
 職人の仕事は、多数の一般消費者相手の大量生産大量消費低価格販売ではなく、特定少数のお得意さま相手の少量生産少量消費高価格販売であった。
 職人は、商売人でなかった為に商売下手で、大金を稼いで資産を増やして豪勢な暮らしをしたいという願望はなかった。
 ゆえに、身分は商人よりも上位とされ、御上から武士に負けない位階と名誉と報奨金が与えられ、名は全国に公表され、世間・社会から「日本一」「世界一」と尊敬された。
 職人とは、与えられた仕事を時間内で消化する金で雇われた労働者ではなく、自分で考えた自分で仕事を仕上げる苦労人である。
 職人は、仕事と働きを区別し、片方しか出来ない未熟者を一本立ちできない「半人前」と軽蔑した。
 職人の頑固さとは、一人前であるという事であった。
 一人前は一瞬の気の緩みで半人前に落ちる為に、職人は何時いかなる時も細心の気配りを怠らず極度の緊張を自分に課していた。
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 明治新政府は、国防の為に政治と軍事の諸改革を行ったが、国富の経済は民間に任せた。 商才のない上級武士等は、殿様商売として設ける工夫も努力も自分ではせず、言葉巧みな近寄って着る他人に金を預けて利益を得ようとした。
 他人任せの商売は大半が失敗して、上級武士等は貧困層に転落した。
 小店主や下級武士で、独自の経済理論を持ち商才のある者は社会の混乱を好機と捉えて努力と工夫で財を成した。
 大正・昭和前期に栄えた幾つかの財閥や大企業は、こうした中流層以下から誕生した。
 明治期の日本産業は、政府の経済支援政策は有ったにせよ、他国のような利権や特権を利用して上から降りてきたのではなく、利用できるモノは全て利用し、創意工夫で新しいモノを作って下から立ち上がっていた。
 日本経済の強さとは、公権力とべったり癒着した特権資本ではなく、泥臭い地場産業という民間産業にあった。
 つまり。国際資本より民族資本、中央より地方、そこに底力の源泉があった。
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 日本の近代化。鈴木淳東京大学教授)「日本は急速に近代化し、欧米と並ぶほどになった。燃料となる石炭を掘り出し国内で自給できた事が、日本の産業革命を進めていくうえで重大な事だった。軍備目的という面もありましたが、機械化や鉄道の整備など、多くの恩恵をもたらしました」
 明治初期の日本には、燃料や原材料を海外で購入し輸入するだけの外貨がなかった。
 安易に国内の利権を担保として欧米列強から借金するのではなく、困難であっても外国からの投資に頼らず民族資本だけで自前で近代化を目指した。
 国内の炭鉱を自力で掘り、生糸など自給できる原材料で製品を作って輸出した。
 薄利多売的に、安い生糸を大量に売って巨額な最新鋭軍艦を購入した。
 伝統的技術に自信を持っていた職人達は、西洋の新しい知識や最新技術を柔軟に受け入れ独自に変化させ、自給自足による自力生産で国際市場に日本産を売り出していた。
 メイド・イン・ジャパンは、優れた相手に教えを乞うても無条件に頼らず依存せず、自分の古いモノと他者の新しいモノとを組み合わせて新しい価値観に基づく新製品を作り出す事によって生まれた。
 日本製品は、欧米の物真似ではないし、中国の海賊版や偽物でもなく、あくまでも日本独自のオリジナルである。
 短期に利益を出す目的で日本製品からオリジナル性を捨て、儲けている他人の商品を安易に真似ると、本当の意味でのメイド・イン・ジャパンは消滅する。
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 明治新政府は、日本産業の発展育成の大原則として自前主義を採用し、外国の紐付き借款や外国資本の縛り融資をなるべく避けた。
 日本は、世界常識を破って排他的閉鎖的独自路線に固執し、結果的にアジア・アフリカ地域で驚異的な日本式近代国家を建国した。
 関税や鉱山採掘権や鉄道敷設及び港湾建設権を担保にする事は、決してしなかった。
 初期の基幹産業は紡績業で、商品は絹糸と綿加工品であった。
 アジアに於ける綿花の一大生産地はインドであり、綿製品一大消費地もインドであった。
 イギリスは、インドを近代化しインド人の生活を豊かにする気はなかった為に、家内工業以外の工業を制限していた。
 日本は、インドから綿花を輸入し加工して輸出した。
 大手綿糸メーカーは、「豊田自動織製作所」であった。
 イギリスの紡績業は、安くて品質の良い日本製綿糸によってアジア市場から駆逐され始めた。
 イギリス政府は、自国産業を保護する為に保護政策を取り始めた。
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 サムライ崩れと下層階級上がりの成り上がり者は、直感力(セレンディピティ)を頼りに、日本人的発想で、海に乗り出して突進していった。
 成功を夢見て、失敗を恐れず突破していった。、
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 明治政府は、人材養成と資本集中によって技術革新と制度整備を行った。
 日本には、清国ほどに、土地を切り売りできる程に広くなく、人を労働者として売るほど多くなく、開発資金を借り受ける為に代金代わりに担保できる鉱山資源もなかった。
 1873(明治6)年から1877(明治10)年までの、年平均の輸出額は2億2,125万円で輸出額は2億6,586万円であった。
 小国日本は、欧米列強の侵略から祖国を守るには富国強兵策しかなく、その為には武器や機械製品を購入する外貨を稼ぐ必要があった。
 植民地化されたアジア・アフリカ諸国諸地域の様に手っ取り早く多額の借金ができる利権がない以上、貿易を盛んに行って大量の製品を作って海外に売るしかなかった。
 強い輸出力を持つ為には国際競争力が重要で、欧米諸国が独占している国際市場で負けない製品を作る必要があった。
 その為にも、欧米列強からの投資や借金・借り入れに依存しない独自資本による殖産興業策を取らざるを得なかった。
 メイド・イン・ジャパン。日本は、国際競争力のある産業を幾つか江戸時代に誕生させ、製品向上の為に技術を磨いてきていた。
 その主力製品が、生糸であった。
 財政難にあった各藩は、養蚕業に取り組み、他藩に負けないように優れた生糸を生産する為に技術革新をたえず行ってきた為に、生糸の品質は優秀であった。
 生糸は古代エジプトや古代中国から受け継がれた人類最古の産業ゆえに、国際市場は厳しく、絶えず品質を向上する為の研究と優れた製品開発の技術の開発が欠かせなかった。
 その努力を怠った繊維業者は、廃業に追い込まれた。
 ヨーロッパで蚕の病気が発生し、国際市場で生糸が品薄になり、アメリカで生糸の需要が急増した。
 日本から生糸が輸出され、20世紀初頭で世界の全消費量の38%を占め、遂には7割となるほどの世界最大の生糸輸出国に成長した。
 日本の製糸業界は、生糸輸出だけでは飽き足らず、絹製品を製作販売にも意欲を見せ始めた。
 文明開化と殖産興業で、欧米列強から最新機械と共に新たな糸素材として綿糸が紹介された。
 綿花に目を付けた商人らは、新たな主力輸出商品とするべく紡績会社を次々の設立した。
 イギリス紡績業界は、生産する綿布用に細い糸を生産していた。
 日本紡績業は、アジアなど発展途上地域では丈夫な厚手の綿布が好まれる事を調査して、イギリスの綿糸と競争しないように太い綿糸を生産して別の市場を開拓して売り込んだ。
 綿糸市場は、細い綿糸の英国製と太い綿糸の日本製が住み分けるようにして独占し、アメリカ、ドイツ、フランスなどが生産する綿糸の売り上げは少なかった。
 1908(明治41)年から1912(明治45)年までの、年平均輸出額は44億4,805万円、輸入額は48億5,489億円となった。
 綿糸はアメリカやインドから綿花輸入して糸にする加工業であったが、生糸は純国内産業であった。
 白人キリスト教徒の資本家のみが支配する世界経済に於いて、日本が幾ら優れた技術を持ち資本を蓄えても所詮は部外者、良くてもお情けでテーブルの末席をあてがわれるだけであった。
 単細胞な日本人は同じ人間として理解され認められると信じ切った所に、滑稽なほど日本の悲劇が起きた。
 宗教的人種差別、白人至上主義が支配する世界に於いて、日本人は非白人であり、非キリスト教徒であり、非欧米言語であった。
 キリスト教に改宗し、欧米語を話せるようになっても、劣等種族有色人種である事には変わりなく、やはり差別され見下される事には変わりなかった。
 島国日本は、古代から孤立化する事が運命付けられていただけに、賢く考え、上手く行動するしか宿命付けられていた。
 その過酷な立ち位置を知っていた日本人は、他国からの自立独立、他国に依存しない自主防衛を訴え、殖産興業と富国強兵を国是にする事を提唱していた。
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 1873年 東京・銀座に、日本で最初の煉瓦造りの洋館が並び舗装道路の西洋館街が作られた。
 洋館は、日本の気候風土に合わず、湿気が強く住み心地が悪かった為に評判が悪かった。
 東京府が入居すれば地租を4ヶ月分免除すると発表した為に、徐々に入居希望者が増えた。
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 1896年 明治政府は、日本を海洋国家とするべく、造船奨励法や航海奨励法を施行した。
 日清戦争までは、軍艦をイギリスやオランダなどから購入した。
 日露戦争では、戦艦は購入したが、補助艦は国内で生産した。
 第1次世界大戦時では、全ての軍艦を国内造船業が造船した。
 日本は、約20年でイギリス、アメリカに次ぐ造船国家となり、船舶輸出国家となった。
 日本の工業力は停滞する事なく発展を続け、最新研究を取り入れて技術革新を繰り返し、軍艦を100%国産で賄っていた。
 その傑作軍艦が、戦艦「大和」であった。
 最新兵器である航空機開発が進むや、海洋決戦に於ける主兵力は航空機に取って代わると予想した海軍軍人は、航空母艦研究を始めた。
 武器を国産で賄っていたのは、欧米列強のアメリカ、イギリス、フランス、ドイツと、アジアの日本のみであった。
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 海洋国家日本は、ロシア帝国や中国からの侵略に備えて軍事産業の育成を急いだ。
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 日本の製鉄業は、日清戦争の賠償金で建設された八幡製鉄所が始まりである。
 現代日本は、軍需産業を育成する為に清国から賠償金を取った事は犯罪行為と非難している。
 中国は、国際社会に対して、日清戦争は軍国日本が仕掛けた大陸侵略の為の戦争であると訴えている。
 昭和初期には、ほぼ自給が可能となり、昭和7年には輸出するほどになっていた。
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 1970(明治3)年 和泉要助、鈴木徳治郎、高山幸助の3人は、人力車を発明し、東京府から製造販売と営業許可を得た。
 1872(明治5)年 人力車の急速な普及で駕籠(かご)が消えた。
 人力車は、世界に輸出された。
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 1871年 廃藩置県で藩が消滅するや、各藩のお抱え鉄砲職人や刀鍛冶は失業した。
 失業した鉄砲職人や刀鍛冶は、輸入された自転車に目を付け、まずその修理を始め、その製造を理解するや生産し始めた。
 1890年 冨田製鉄所が、自転車の生産を始めた。
 1923年 年間7万台を生産した。
 1928年 年間12万台を生産。
 1933年 年間66万台を生産。
 1936年 年間120万台以上を生産し、輸入から輸出に転じた。
 日本の自転車は、安価で性能が良いとの評判を得て、アジア市場を席巻してイギリスの自転車産業を脅かした。
 1937年 機械系輸出品目。第一位、自転車。第二位、船舶。第三位、鉄道車両。第四位、自動車及び自動車部品。
 日本の武器は、天皇から下賜される国の宝という位置から、多くを輸出する事はなかった。
 輸出するのは、親日的友好国に対して武器製造技術のみであった。
 日本陸軍は、機動力を上げる為に自転車を採用した。
 自転車は、ガソリンを使わない日本陸軍の秘密兵器であった。
 欧州の固く平坦地が多い大地は戦車を走らせるのに適していたが、軟弱でジャングルの多いアジアの大地は自転車が適していた。
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 血盟団事件。「財閥は、腐敗政治家やワイロ官僚と結託し、私腹を肥やす為に私利私欲に走り、国防を軽視し、国利民福を蔑ろにした」
 貧富の格差の拡大が社会不安を生み、その格差を是正できぬまま大日本帝国は戦争に突入して自滅した。
 貧富の格差は、社会の崩壊の始まりである。
 商社や財閥は、実体のともなわないドルへの投機でマネーゲームを行い、巨額の金を得た。
 資金力のない中小企業は、経営不振になり倒産した。
 国民は、利益優先の財閥や商社と結託して私腹を肥やす政治家に絶望し、軍部に社会の改革を期待した。
 軍部をの暴走を支持したのは、国民であった。
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 現代日本も、貧富の格差が増大し、政策力のない無能な政治家が増え、省益と天下り先しか考えない官僚も増えている。
 現代日本人全体の生き方は、世間体を気にして自制・自省する戦前に比べて、他人を無視し自分の権利だけを主張する歪なものとなっている。
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 2013年 世界を舞台に戦う日本の老舗大手総合商社は、多国籍企業として飛躍する為に、活動の場を広げる為に国外に本社機能を移転させても良いのに、何故かローカル的に日本に拘って留まり続ける。
 だが、事業内容は欧米のグローバル企業に引けを取らない。
 久保巌「綜合商社は国内企業の求めに応じ、外国政府や企業との交渉、原材料の開発、製品の販路確保まですべてを担当してきました。だからこそ、自動車、鉄鋼、電機などのメーカーは、製品開発に集中でき、他国の追随を許さない高い技術力を磨く事が出来たのです」
 「資源・エネルギーに頼りすぎると、価格が暴落した途端に業績が悪化します。今後は国内の規制改革の流れに乗って新規事業に投資する一方、アフリカや中近東、アジアや中南米などの新興国に肥料工場や発電所を作るといったビジネスをこれまで以上にやっていかなければならないでしょう」
 「日本の商社は国内での販売を中心にやって来ましたが、最近はアメリカの小麦を直接、欧州に輸出するといった取引が増えています。こういう取引ばかりだと、日本の商社は無国籍企業になりかねないが、戦後の日本経済を支えてきた商社マンには、日本人として強いアイデンティティーがあります。海外で活躍する商社マンにはサムライが多い。『日本で生まれ、世界で育った』と称される三井物産をはじめ、単なる金儲けだけでなく、生まれた国の為に働くからこそ、商社マン達はやり甲斐を感じている」
 伝統的日本商売とは、他利による儲けにあった。
 日本の存在感とは、非白人の先進国として、日本が生み出した最先端技術や商品を発展途上国に提供して、相手国を豊かにし雇用を増やして、その国の国民を貧困から救い教育を施し幸せにする事であった。
 戦後日本で、一代で富を稼いた起業家の中には、損を承知で相手につくすという義理人情的経営理念を古臭いと切り捨て、相手に損を出しても自分は損をする前に逃げるという合理的経営方針で大金を手にれている者がいる。
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 2013年 1億円以上を保有している日本人富裕層・セレブ達は、所得税相続税の低い諸外国に移住し始めているといわれている。
 海外移住する日本人富裕層によって、年間390億円以上が国外に持つ出されている。
 「稼いだ金の半分以上を所得税や住民税で巻き上げられ、それだけの税金を払った上で蓄財した資産を相続税で取り上げられるのが日本。
 それって努力する人間、頑張った人間をあまりに馬鹿にしていませんか。国境の垣根が低くなった今日、日本を脱出する私のような人間はますます多くなる」
 「中小企業の経営者からするととても頷ける話なんです。所得税相続税だけでなく法人税も同じくらい日本は不平等。私の周りでは本社機能を海外に移す人が出てきています。でも実務は日本で行なう。会社を海外に移して、一旦は海外で仕事を受けて、それから日本に発注する。日本国民として、日本に税金を納めなければならないという意識はありますが、経営者の視点からすればまずは自分の会社を守らなければなりません」
 「若い起業家にとって挑戦しずらい環境が間違いなく今の日本にあります。以前と比べて海外での事業展開は簡単。どこにいてもパソコンがあればビジネスは出来る」
 「国だってサービス業でしょう? 税金を払う人間がいるから公務員は給料が貰えるし、国民にサービスを提供できる。で、あれば富裕層で税金をたくさん払う人には子供の教育、清掃、ゴミの回収、警備・・・何でもいいのですが、税金を沢山払っていて良かったと思わるものが必要なんじゃないでしょうか」
 北欧諸国では、日本以上に富裕層への税率は高いと言われている。
 財政が赤字になれば、貧困者から税金が取れない為に、富裕者に課税するのが普通である。
 政府は、2013年3月29日に成立した「13年度税制改正法」で、所得税相続税最高税率がそれぞれ「40%から45%」、「50%から55%」に引き上げる事とした。
 左翼・左派は、企業には内部留保としての大量の含み益がある以上、それを出させるように圧力をかけるべきだと主張している。
 企業は、自己防衛として課税から逃れる為に本社機能を国外に移転させ、国内は空洞化して雇用が消失し、失業者が増え始めている。
 稼いだ利益は、将来の為の設備投資や従業員の給与は後回しにされ、株主への配当で消えている。
 弱肉強食のグローバル時代、安い人件費を求めて多くの工場が中国に移転し、中国人の反日暴動から東南アジアに再移転させつつある。
 国際競争に勝ち抜く為に、ローカルからグローバルとの旗印の下で、正規社員を非正規社員に代え、日本人労働者を外国人労働者に代え、そして日本を捨てて外国に出始めている。
 日本に残るのは、英語が話せない、能力主義成果主義から、意欲のない高齢者と落ちこぼれた失業者と気力の無い貧困者のみになりつつある。
 日本のから、国際競争力が急速に失われ始めている。
 貧富の格差社会が進むにつれて、富は僅かな富める者に独占され、多くの貧者は取り残される。
 若年層の精神が荒び道徳心や公共心が消失し、法秩序は崩壊して治安が悪化し、自分本にで快楽目的の凶悪犯罪が多発しはじめている。
 だが、子供を躾けるべき大人自体が常識を失い始めている。
 市場原理主義は、強者に有利・弱者に不利な思想である。
 そして、弱者と貧者は社会から切り捨てられる定めである。
 日本の衰退は、加速し始めている。
 グローバルが進めば、国境は姿を消し始め、経済や軍事など国力に強い国が周辺諸国を飲み込んで行く。
 今や。中国は、日本以上に、アメリカに次ぐような巨大な軍事大国に成長し領土的に膨張し始めている。
 その証拠が、尖閣諸島領有問題である。
 「富裕層が、日本にいなくなっても仕方がない」
 寝食を忘れ血の滲む努力を積み重ね人一倍苦労して稼いだ資産から、40%を税金で徴収される。
 税金で3代で家が潰れる。
 富裕層にとって、今の日本は暮らし辛く魅力の乏しい社会となっている。
 その国その社会を選ぶのは、そこに住む住民の責任であって、他人でも他国でもない。
 日本の衰退は、中国のせいでもなく、アメリカのせいでもなく、日本人の責任である。
 つまりは、自業自得というしかない。
 現在の厳しい税制に不満を持つ富裕層は、日本に魅力を感じず、「日本はもうだめだ」としてを国外に脱出し始めていると言われている。
 一部の企業は、国際競争力アップとコスト削減の為に人件費の安い国へと海外進出し、価格を抑える為に品質が落ちても海外生産に拘っている。
 日本を見限った彼らの常套句が、「グローバルな時代であるからには、意欲ある日本人は閉鎖的な日本を出て、成果主義能力主義の国際市場で勝負すべきである」である。
 昔は貧しい者が着の身着のままでアメリカに移住したが、今は豊かな者が全財産を持ってアメリカやカナダなどに移住している。
 いずれにせよ、性能の良い商品を自信を持って提供するという古き良き日本システムは廃れ、日本の頑固な職人的物作り文化は消滅しつつある。
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 2014年6月21日 msn産経ニュース「富岡製糸場世界遺産へ ユネスコ委、21日にも決定 富士山に続き18件目
 世界遺産登録が期待されている富岡製糸場=20日午後、群馬県富岡市(蔵賢斗撮影)
 カタール・ドーハで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ世界遺産委員会は20日、各国が推薦した候補の登録可否の審議を始めた。日本政府が推薦した「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の世界文化遺産登録を21日にも決定する見通し。国内の世界遺産登録は昨年の「富士山」に続き18件目で、近代の産業遺産は初となる。
 構成施設は、官営工場として1872(明治5)年に設立された富岡製糸場と、近代養蚕農家の原型「田島弥平旧宅」、養蚕技術の教育機関「高山社跡」、岩の隙間から吹く冷風を利用して蚕の卵を貯蔵した「荒船風穴」の4カ所。
 西洋の技術を取り入れつつ、独自の技術革新で生糸の大量生産を実現させ、日本のものづくりの原点となった。(共同)
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 6月21日 msn産経ニュース「富岡製糸場世界文化遺産に登録決定 富士山に続き14件目[歴史・考古学]
 世界文化遺産登録決定を前に、富岡製糸場に詰めかけた大勢の観光客ら=21日、群馬県富岡市
 カタールのドーハで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は21日、日本政府が推薦した「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)を世界文化遺産に登録することを決定した。明治期の高い技術革新と、海を越えて絹産業の発展をもたらした歴史的価値が世界に認められた。日本の世界文化遺産登録決定は昨年の「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」(山梨、静岡県)に続いて14件目、自然遺産も含めた世界遺産全体では18件目となる。
 「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、西欧からの最新技術を導入して明治5(1872)年に設立された富岡製糸場と周辺の養蚕関連施設の計4件で構成。富岡製糸場のほかに、近代養蚕農家の原型である「田島弥平旧宅(たじまやへいきゅうたく)」▽養蚕技術の教育機関「高山社跡(たかやましゃたく)」▽岩の隙間から吹く冷風を利用して蚕の卵を貯蔵した「荒船風穴(あらふねふうけつ)」−がある。
富岡製糸場世界文化遺産に登録決定 富士山に続き14件目
 この日の世界遺産委員会に先立ち、ユネスコの諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が4月、富岡製糸場について「19世紀末期に生糸産業の革新に決定的な役割を果たし、日本が近代工業国に仲間入りする鍵となった」と高く評価。世界文化遺産への登録を勧告していた。
 国内の世界文化遺産は「姫路城」(兵庫県)や「原爆ドーム」(広島県)など13件。政府は来年の世界遺産委員会で「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡県など)の登録を目指す。 
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 6月21日 msn産経ニュース「「最高の気分」と製糸場勤務のフランス人 観光客はバンザイ
 「世界遺産登録は最高の気分」と語る富岡製糸場の国際交流員、ダミアン・ロブションさん=群馬県富岡市富岡製糸場
 「日本の産業近代化の出発点である富岡製糸場が登録されたことに、フランス人としてうれしく誇りに思う。最高の気分だ」
 登録決定を受け、製糸場の国際交流員、ダミアン・ロブションさん(27)は流ちょうな日本語で喜びを爆発させた。
 ロブションさんはフランス北西部のサルト県サブレ市出身。昨年8月から国際交流員として勤務している。国際交流員に応募した昨年2月ごろまでは製糸場の存在すら知らなかったが、明治政府のお雇い外国人でフランス人のポール・ブリュナが製糸場の建設や操業を指導したことなど、日仏の深い関係を学んだ。
 製糸場での仕事はフランス語文献の翻訳、外国人見学者への解説、PR活動…と多岐にわたる。今回の登録について「富岡製糸場が(昨年登録された)富士山と同じくらいの価値があることの証明」と評価する一方で、「世界では知名度がほとんどない。歴史的背景を強く広く発信していく必要がある」と言い切る。
 富岡製糸場を訪れる観光客は、今年4月の国際記念物遺跡会議(イコモス)による登録勧告以前は休日で2000〜3000人程度だったが、勧告後は倍近い約5000人が訪れるなど、連日にぎわいを見せている。
 登録決定のニュースが流れ、富岡製糸場の正門近くでは、居合わせた観光客らから大きな拍手と歓声がわき起こった。「バンザイ」の声も繰り返し上がり、世界遺産の正式登録をみんなで祝った。
 群馬県昭和村から来た会社員、勝見里巳さん(48)は「身近な所に世界遺産があるなんて、こんなにうれしいことはない。群馬に生まれてよかった」と興奮気味に話した。同県伊勢崎市のボランティアガイド、桜場善文さん(61)も「製糸場が世界に認められて大変うれしい。製糸場の価値をみんなで共有し、活用してもらいたい」と話していた。
 製糸場近くの商店街では、さっそく店のガラスに「世界遺産登録決定」と書かれた紙を貼り付けたほか、ちょうちんパレードが盛大に行われた。




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