📉71】─2─幻のノーベル賞。尾井先蔵。山極勝三郎。高柳健次郎。八木秀次。山岡孫吉。〜No.149No.150No.151  

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 軍国日本は、宗教的白人至上主義による人種差別に苦しめられていた。
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 科学技術に理解があった日本軍部。
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 軍国日本の敗因を「軍部が科学技術を軽視したからだ」と、戦争を戦い生き抜いた戦前の日本人の自戒する解説は傾聴に値するが、戦闘に参加せずさも見てきたように自慢げにのたまう戦後の日本人の話は聞くに値しない。
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 日本の科学技術の底力は、外国語を巧むに話す語学力ではなく、子供から老人まで、貧しい農民や庶民に関係なく最先端科学技術に対する好奇心であった。
 日本人の強みは、文系の日本国語による日本文化と理系の翻訳書籍による西洋最先端技術をバランス良く持っていた事である。
 つまりは、日本国語が潜在的に持っている柔軟性と多様性にあった。
 外国語の会話力ではなかった。
 明治以来、日本のもの作り・科学技術力を否定してきたのは、大学や専門学校など高等教育を受けた西洋礼賛の国際派日本人であった。
 日本の底力は、中等教育以下の教育を受けた身分低い職人達であった。
 つまり、現場力である。
 明治から昭和前期において、日本では世界でも驚く様な科学技術によるベンチャー起業が起きていた。
 ベンチャー起業を支援したのは、民族資本であった。
 日本人企業家は、国際資本から巨額資金を借りる意思はなく、国際資本の投資を拒絶していた。
 と言うよりも、人種差別の国際資本は日本人の科学技術力を認めず馬鹿にしていた。
 日本の強みは、国際資本に相手にされず、欧米の巨大企業との共同開発を断られ、白人科学者に無視され共同研究できなかった、からである。
 アメリカ、イギリス、フランス、ナチス・ドイツは、幾つかの分野で、ユダヤ系国際金融資本から巨額の融資を受け共同で研究していた。
 日本は世界から相手にされなかった為に、一人、孤独に科学技術力を高めていた。
 欧米の企業や学者と共同研究をしなかった為に、語学力を付ける為に無駄な時間と労力を削る必要がな、日本国語に翻訳された専門書で没頭する事ができた。
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 明治2年8月 横浜弁天灯明台〜神奈川裁判所間に電信線を敷設して、実験を行った。
 明治5年 日本政府は、電気の有効性を理解して、外国に頼る事なく独力で全国に電信線の敷設を始めた。
 明治20年 電気の供給を開始した。
 明治21年以降 東京に次いで神戸、大阪、京都、名古屋などに電力会社が設立した。
 日本人の優れていた点は、他人に過度に頼らず・依存せず、独力による自前主義であった。 
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 明治20年から明治22年までの間に、時計職人の尾井先蔵は乾電池を発明した。
 日本陸軍は、世界に先駆けて無線機に乾電池を採用し、派遣軍に配備した。
 軍用無線機は、寒冷地でも機能を発揮して勝利に貢献した。
 日本軍部は、戦争勝利の為に最新技術を積極的に取り入れていた。
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 明治37年 日本海軍は、最先端の科学技術を採用して日本海海戦に勝利した。
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 山極勝三郎は、1863年4月10日(文久3年2月23日)に 上田市の小巷鎌原(こちまたかんばら)(通称裏鎌原)で生まれた。
 父は上田藩士山本順兵衛政策で、苗字帯刀は許されてはいたが、下級武士であった。
 母は、同じ上田藩士の下級武士の林利太夫という人の三女であった。
 1908(明治41)年 がん専門研究団体である「癌研究会」が設立された。  
 1915(大正4)年5月 山極勝三郎博士(病理学者)は、世界で初めて人工的に正常な細胞を癌化させる実験に成功した。
 癌の機序を解き明かした功績に対して、ノーベル生理・医学賞に4度ノミネートされるが受賞する事はなかった。
 ウィキペディア
 幻のノーベル賞
 山極による人工癌の発生に先駆けて、デンマークヨハネス・フィビゲルが寄生虫による人工癌発生に成功していた。当時からフィビゲルの研究は一般的なものではなく、山極の研究こそが癌研究の発展に貢献するものではないかという意見が存在していたにもかかわらず、1926年にはフィビゲルにノーベル生理学・医学賞が与えられた。
 しかし1952年アメリカのヒッチコックとベルは、フィビゲルの観察した病変はビタミンA欠乏症のラットに寄生虫が感染した際に起こる変化であり、癌ではないことを証明した。フィビゲルの残した標本を再検討しても、癌と呼べるものではなく、彼の診断基準自体に誤りがあったことが判明した。現在、人工癌の発生、それによる癌の研究は山極の業績に拠るといえる。
 山極は1925年、1926年、1928年と没後の1936年の4度、ノーベル生理学・医学賞にノミネートされている。1925年と1936年は日本人からの推薦のみであったが、1926年と1928年はいずれも海外からで、フィビゲルとの連名での推薦であった。
 この中で最も受賞の可能性が高かったのは、フィビゲルが受賞した1926年である。ノーベル財団所蔵の資料によると、同年の選考過程は以下のようなものであった。
 ノーベル賞委員会は、フォルケ・ヘンシェン (Folke Henschen、1881ー1977) とヒルディング・バーグストランド (Hilding Bergstrand、1886ー1967) の2人のスウェーデン人医学者に、フィビゲルと山極についての審査を依頼した。ヘンシェンは過去にフィビゲルを推薦したことがあり、当初作成した報告書ではフィビゲルと山極の両方に高い評価を与え、「人工癌はノーベル賞に値し、もし寄生虫による発見者であるフィビゲルと、タールによる発見者である山極の両名で賞を分けるとすればそれは当然である」と述べた。バーグストランドは人工癌の意義は認めたものの、すでに知られていた煙突清掃員や放射線科医の職業癌を例に出し、それらの事実を追認したに過ぎず、癌の起源に関しては少しも新たな事実に光を当てていないとした。彼は新しい知識や手法の価値は、長期間にわたる臨床的な事実による知見でのみ実験的に確認されると考えていた。バーグストランドはオットー・ワールブルク(1931年受賞)による癌組織の嫌気性代謝に関する研究(ワールブルク効果も参照)の方が将来の癌研究には重要であるという立場から、フィビゲルと山極の人工癌の研究はノーベル賞には値しないと結論づけた。
 一方で、バーグストランドはバクテリオファージ研究者のフェリックス・デレーユを強く推薦し、この点を巡ってもデレーユの研究の独創性を疑問視するヘンシェンとの間で対立した。ノーベル賞委員会はデレーユについて別の専門家に助言を依頼し、ヘンシェンの意見が認められた。しかし、バーグストランドが人工癌への授賞に反対していたため、ヘンシェンは「フィビゲルは山極が科学界に入ってくる以前に、発見の根拠となる素晴らしいアイディアを持っていた」として、共同受賞という当初の意見を変更し、フィビゲルについてのみ受賞に賛成する新たな報告書をノーベル賞委員会に提出した。これらを受けてノーベル賞委員会は受賞者を決定した。
 ヘンシェンは、1966年10月に東京で開かれた国際癌会議の際に行った講演で「私はノーベル医学賞を山極博士に贈ることを強力に提唱したものです。不幸にして力足らず、実現しなかったことは日本国民のみなさんに申しわけがない」と述べた。また、選考委員会が開かれた際に「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」という発言や、同様の議論が堂々と為されていたことも明かしている。「東洋人」を理由とする意見はほかにもあるが、科学ジャーナリストの馬場錬成はその著書『ノーベル賞の100年』(中公新書)の中で、3回にわたるノーベル財団への取材経験から、ノーベル賞選考における日本人差別は「100パーセントないだろう。」と指摘している。前記の選考過程を検証した文書An analysis of a Wrong Nobel Prize - Johannes Fibiger,1926:A Study in the Nobel Archivesにおいても、人種的な差別については言及されていない。
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 大正15(1926)年12月26日 浜松高等工業高校助教授の高柳健次郎は、世界で初めてテレビ受像用ブラウン管の開発し、実験室で「イ」の字を映し出すのに成功した。
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 昭和2年 不破橘三は、内面つや消し電球を発明した。
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 昭和3(1928)年 東北大学八木秀次教授は、テレビアンテナやレーダーアンテナの原型となる「八木アンテナ」を開発した。
 学会は、世界初のアンテナの価値を認めなかった。 
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 昭和3年1月 日本電気の丹羽保次郎技師長は、国産初の写真電送装置を完成させ、1月16日に「写真電送変調方式」と題して特許を申請し、「NE式写真電送装置」を世界に先駆けて発表した。
 日本でファックスが誕生したが、誰も関心を持たず、西洋礼賛派の学会も産業界も話題にしなかった。
 11月6日 昭和天皇即位式
 朝日新聞電通は、ドイツ・シーメンス式電送装置を共同で購入した。
 大阪毎日新聞東京日日新聞は、フランス・ベラン式電送装置とNE式写真電送装置を購入して併用した。
 各新聞社は、昭和天皇・皇后両陛下を乗せた馬車が皇居を出発する模様の写真が撮影し写真を大阪に伝送した結果、NE式写真電送装置の写真は鮮明であった。
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 世界の時計メーカーは、明治13年にピエール・キュリーが発見した「水晶に通電すると正確に振動する」を使えば正確に時間を表示できるとしてクオーツ時計を開発し、小型化を目指したが失敗していた。
 日本の精工舎は、腕時計型のクオーツ時計を完成させ、特許を世界に公開した。
 敗戦後、駐日スイス大使カミーユ・ゴルジェは、日本の時計産業を潰す事をマッカーサーに依頼した。
 マッカーサーは、日本産業を潰すために、幣原喜重郎を呼び出して「労働組合法」を作るように銘じた。
 共産主義者も、労働組合法を利用して企業家を追放して日本産業を支配しようとした。
 経営者が労働組合の賃上げ要求を受け入れ、生産コストを高くして日本製品の価格が高くなれば、日本製品の売れ行きが悪くなると考えられた。
 日本製品が売れなくなれば労働者の給料は下がり貧困化し、不満を持った労働者が多くなれば人民革命を起こす事ができる。
 GHQやマルクス主義者が作った日本の労働組合法は、労働者の権利を守る為ではなく、日本を共産主義で崩壊させる為であった。
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 昭和8年12月 滋賀県の農家出身の山岡孫吉は、ドイツ人機械技師ディーゼルが開発したエンジンの小型化を、世界で初めて成功させた。
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 昭和5年 東京工業大学の武井武博士と加藤与五郎博士は、後のステルス技術の元になる非金属磁石フェライトを発明した。
 昭和7年 武井武は、フェライト技術の特許を所得した。
 昭和10(1935)年 秋田の貧しい農家出身の斎藤憲三は、東京電気化学工業株式会社(現・TDK)を設立した。
 戦後。オランダのフィリップス社は、フェライトはテープ・レコーダーの磁気ヘッドなど電子機器の基幹材料に最適であるとして、日本政府に対してフェライト特許の放棄を強要した。
 特許庁は、戦勝国の要求を受け入れてフェライト特許の放棄を決めた。
 東北大学教授の西澤潤一は、画期的な光通信技術を考案して特許を出願した。
 特許庁は、次世代光通信技術が理解できず、「書式に不備」「意味不明」などの難癖をつけて申請を突き返した。
 日本の官僚や政治家には、明治以来、理系より文系優位で、意味もなく西洋礼賛意識が強く、日本人の発明・発見を軽視傾向があった。
 日本の科学技術が欧米諸国より劣っていたのは、理系を「世界を理解できない視野の狭い技術屋」と馬鹿にする政治家や官僚のせいであった。
 西澤教授の特許申請と特許庁の申請差し戻しは、20回にもおよんだ。
 業を煮やした西澤教授は裁判に訴えたが、頑なに意地を張る特許庁は特許申請拒否を貫いた。
 アメリカのチャールズ・カオは、西澤論文と同じ論文を発表し、ノーベル賞を受賞した。
 アメリカのコーニング社は、西澤方式と酷似した光通信技術で特許を取得し、西澤方式を採用する日本企業を特許侵害として訴え巨額の金を得た。
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 昭和16年 日本は、欧米諸国以外で最も電話加入者数が多く、100万件を突破していた。
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 日本の科学技術力を潰し底力を衰退させたのは、科学技術が理解できない文系優位の政治家や前例踏襲主義の官僚達であった。
 彼らは日本軽視の西洋礼賛派日本人として、最先端科学技術開発によって日本の底力を強めようとする民間有志の意欲を削ぎ潰している。
 西洋礼賛派日本人は、国際派として洗練されたグローバル文化を身に着けて誇らしく振る舞い、ローカルな日本文化を低級文化として馬鹿にし理解せず拒絶し排除している。
 日本のモノ作り文化のグローバル化が、ゆっくりと進み日本のモノ作りは廃れていく。
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 日本でベンチャーが少ないのは、民間に優秀な人材がいないからではなく、目先の利権に群がる政治家や天下り先の企業を守ろうとする官僚達が規制強化でベンチャーを潰しているからである。
 理系に無理解な学者やマスコミも、失敗を繰り返し無駄な時間と労力と資金を費やすより優れた欧米の技術を移植した方が、合理的であと訴えている。
 その1つが、日本国語による理系強化ではなく英語による文系重視の語学教育である。
 優秀な日本人は、日本でのベンチャーを諦め、欧米や中国の資本によるベンチャーを目指している。
 日本の底力が日本国語である以上、英語力が高まり日本国語力が低下すれば日本の底力は衰退していく。
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 軍国日本の科学技術を潰したのは軍部ではなく、西洋礼賛主義官僚や文系革新官僚達である。
 軍国日本の科学技術を鍛えたのは、無茶な条件を強要する軍部であった。




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