🗡2〗─3─刀剣や鎧兜・甲冑などの戦いの武具は、最先端の文化・芸術・技術の結晶であり、もの作りの原点であった。~No.8No.9No.10 @ 

戦国武将の鎧兜

戦国武将の鎧兜

  • 発売日: 2016/02/26
  • メディア: 単行本
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 刀剣は、斬り合いに打ち勝って敵を殺し自分を守るか。
 甲冑は、敵の如何なる武器の攻撃にも耐えて自分を守るか。
 刀剣や甲冑などの武具の目的は、命のやり取りをする戦場で、敵を滅ぼし、勝利して生き残るかが、最重要目的であった。
 人類の歴史、人間の歴史が平和の歴史ではなく戦争の歴史である以上、如何なる技術も戦争との関係を否定できないし、殺し合いの中で進歩発展してきた。
 生物の中で最もひ弱な生物である人間は、生き残る為に道具を発明し、道具を武器に進化させた。
 道具の歴史及び道具の改良進化において、生活道具より武器が先を行っていた。
 人類史・世界史・大陸史は、戦争の連続である以上、劣った武器を持つ国家や民族は弱者であり、強者に侵略され虐殺され死滅した。
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 日本の刀剣や甲冑は日本独自で発展進歩した武具であって、中国はもちろん朝鮮とも関係ない。
 それは、武士や忍者が中国や朝鮮とは無関係な日本だけの特殊職業集団である、と同じである。
 中華世界では、元寇で高麗・蒙古連合軍を撃退した日本武士が使用した武具は高評価をえ、室町時代では日本の武具は高級品として高額で取引された。
 日本の主力輸出品が武具である以上、日本の基幹産業は武具生産であった。
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 日本のグローバル的知的エリート達は、欧米の洗練され高尚な西洋文化を熟知しているが、ローカル的日本文化を深く理解できっているとは限らない。
 中には、戦後の日本を貶める歴史教育の影響で、ささ日本文明は中華文明(中国文明)の亜流であり、日本文化は中国文化や朝鮮文化のお陰で成立発展進歩したと信じている知的エリートが少なからず存在する。
 この傾向は今後ますます増えていき、何時か、日本人は生き残っても歴史と文化と伝統で培ったきた民族性はもちん民族の心や志や気概そしって武士道精神も消え去る。
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 2018年3月号 Voice「ニッポンの匠 第8回 
 甲冑(かっちゅう)  早坂隆
 伝統工芸の粋が凝縮
 日本の甲冑文化は、独自色の強い進化を遂げてきた。兜(かぶと)にせよ鎧(よろい)にせよ、一見すればそれが世界的にも他に類を見ない独特の造詣であることがわかる。そこには日本人ならではとも言うべき美意識や精神性が反映されている。
 加藤鞆美さんはそんな甲冑を現代に再現する職人。日本を代表する甲冑師である。
 甲冑師の仕事は極めて多岐にわたる。甲冑師には金工や漆工、皮革工芸、染色、彫金といった様々な技術が求められる。加藤さんはこう説明する。」
 『日本の甲冑というのは、素材だけ見ても本当に多彩です。鉄も使われれば銅合金も使われる。金も銀も使う。それから、革。その革も鹿革、牛革などがある。その他に紐(ひも)や紙や布。漆も欠かせない。漆で強度を増すわけです。平安時代の甲冑でも、漆の部分はしっかりと残っています。甲冑には日本が培(つちか)ってきた伝統技術が凝縮されている』
 一体の甲冑には、日本の様々な伝統工芸の粋(すい)が凝縮されている。言わば甲冑とは『総合的な工芸品』。加藤さんは言う。
 『日本の甲冑は非常に洗練されています。細部にわたって卓越した技法が駆使されています。これはもちろん私の個人的な感覚ですが、日本の甲冑ほど美しい甲冑は、世界を見渡しても他にありません』
 甲冑師としての矜恃(きょうじ)が言葉に宿(やど)る。それでは甲冑師の具体的な仕事とは、いったいどのようなものになるのであろう。
 『原寸大の鎧や兜の製作、修繕はもちろん、縮尺したものも作ります。「五月人形」ですね。ただし、原寸の甲冑でも、縮尺した五月人形でも共通しているのは、かつての技法や素材をとことん研究し、それを現代に忠実に甦(よみがえ)らせていくこと。それが私の仕事です」
……
 あくなき探究
 全国の武将たちが覇を争った戦国期が終わりを告げ、世が泰平の時代を迎えると、甲冑にも変化が表れる。
 『日本の武具という事実ものは元々は合戦のためのものだったわけですが、江戸時代には装飾的な要素が濃くなり、観賞用として発展していくことになります。ですから、江戸期の甲冑には芸術品という意味合いが強い。そこが日本独特の
さらなる甲冑の進化に繋がりましいた』
 戦国時代までの甲冑は、あくまだも機能性が重視された。身体の俊敏な動作に対応するため柔軟性が求められ、軽量化にも知恵が絞られた。そんな『戦場の晴れ着』が有しいたのが『機能美』であった。
 しかし、大規模な戦乱が収まった時代においては、自ら権威を誇示するような華美な装飾が設けられることが多くなった。すなわち『飾り甲冑』への移行である。機能美としては失われた
部分もあったが、成熟した高い水準を誇る江戸期の工芸技術が随所に盛り込まれる盛り込まされるようなり、美術品として価値はいよいよ増した。
 こうして日本の甲冑文化は、豊かな芸術性をまとうようんになった。
 ……
 五月人形の世界
 『江戸甲冑』という言葉がある。一般的には、あまり聞き慣れない言葉かもしれにい。
 江戸甲冑は『東京に由来する製法によって生産される五月人形』のことを指し、国の伝統工芸品にも指定されている。すなわち『江戸甲冑』の『江戸』は、『時代』を表すのではなく『地域』を示している。京都の貴族社会で発展した雅(みやび)できらびやかな『京甲冑』に比べ、武家社会で愛された江戸甲冑は力強く剛毅(ごうき)な雰囲気を持つのが特徴である。
 端午の節句を祝う原点は、奈良時代宮中行事にまで遡(さかのぼ)ると言われる。元々は菖蒲(しょうぶ)を使ったて邪鬼を払う風習であったが、時代が下がるにつれて男の子の誕生や成長を祝う行事として広まった。『菖蒲』と『尚武(しょうぶ)』の言葉のもじりがその理由であるかあらというから、日本史というのはつくづく面白い。
 鎌倉時代には早くも鎧兜を端午の節句に飾る風習が始まったとっも言われるが、広く定着したのは
江戸時代の中期であるとされる。加藤さんは言う。
  ……
 『江戸時代までは武家の風習ですね。それが庶民の文化になったのは、明治に入ってからのことです。それでも明治期はまだまだ富裕層中心。現在のように多くの人々に親しまれる文化として定着したのは戦後のことです』
 ……
 『武具というのは元々は争いごとのためのものですが、それが子供の成長を祝うものとして発展した。ここに日本独特の面白さを感じます。』
 職人の心中には、こんな思いがあるのだという。
 『本物の兜や鎧なら、日本中の子供たちの笑顔が見られるのでは』
  後継者について
 ……
 東京オリンピックを控えて
 国際社会は今まさに『サムライブーム』。日本の侍や武士道に関する著書や映画は、国際的なヒットコンテンツとなっている。『観光立国』を目指すという国の方針の結果、外国人も増えていますが。2020年には東京五輪?パラリンピックも控えている。ビジネスとして考えた場合、販路を広げる機会っは大いにありそうだ。私はそんな話を向けたが、職人の心は
まったく別のところにあった。『日本で行われる世界的なスポーツの大会で、優勝チームした選手に日本の兜などが副賞として贈られることがあるでしょう?あれを見ると「やめてくれ」と思うんですよ。理由ですか?それはあまりにもちゃちなものだから。私の目からすると、「もう少しマシなものをあげてくうれないか」と思うくらいひどいんです。ですから、東京オリンピックも不安がありますね。あんまりひいどいものだと、恥をさらすことになりますから』
 どこまでも貫かれる『本物志向』は父親譲りか。その根底にあるのは甲冑への果てなき思いであろう。加藤さんが改めて胸を張る。
 『世界の他の国々の甲冑と
比べても、材料や技法などが最も多く使われているのが日本の甲冑。これは世界一だと思いますね』
 加藤さんは言う。
 『日本の甲冑は世界でも最も美しい。だからこそ、その美しさをしっかりと残していきたい。綺麗ななものを綺麗なまま残したい。間違って残したくないです。私の思いはそこに尽きます』
 甲冑作りの職人の心にあったのは、名誉や廉恥(れんち)を重んずる武士道の気風であった」

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【決定版】図説・戦国甲冑集

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  • 発売日: 2016/04/12
  • メディア: 単行本
すぐわかる日本の甲冑・武具 改訂版

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日本甲冑図鑑

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  • 発売日: 2010/07/28
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図説 西洋甲冑武器事典

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