⛻12〗─2─1820年時点のGDPは、アメリカを1として、イギリスは2.8倍、日本は1.75倍、オランダは0.3倍。~No.55No.56No.57 @ 

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 江戸経済は、大名・武士バブルから町人・商人バブルに移り経済成長した。
 100万人以上の江戸の町の人口は、生産する町人人口50万人と消費する武士人口50万人であった。
 江戸時代は、緩やかに人口が増加し、特に町人人口が増えた。
 世界第2位の経済成長ができた原因は、商売相手を武士から町人に換えたからである。
 町人相手の商売は急増し、様々の職業が溢れた。
 商人経済の急発展によって、庶民の間で貧富の格差が広がった。
 何時の時代も、バブルが発生し、そしてバブルが崩壊した。
 商人は、バブル崩壊で弱肉強食の仁義なき競争を生き残る事で店を守った。
 そこには、人情味は一切なかった。
 日本には、200年・300年と続く老舗店舗が数多く存在する。
 幕府・大名・武士は、貧富の格差を改善できず、貧者の救済にも有効な手が打てなかった。
 裕福な商人達は、貧者の攻撃(打ち壊し)を避ける為には、貧富の格差を解消し、貧者・弱者を救済するしかないとして町会所を幾つも作った。
 町会所は、江戸経済や町人生活を支えていた水路(インフラ整備)の修復・修繕、管理維持に資金を出し、弱者に食べ物を分け、貧者に仕事を与えた。
 使った金額は、現代の金額で100兆円以上と言われている。
 江戸の庶民の生活は、西洋や中国・朝鮮の民衆に比べて安定し、それなりに豊かであった。
 西洋では、貧者や弱者を救済したのはキリスト教会であった。
 キリスト教会は、裕福な資本家からの献金・寄付金を集めて貧者や弱者に分け与えて救済した。
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 江戸の消費を生み出し、内需を拡大させ、経済発展をもたらしたのは多発する自然災害と火事・大火である。
 再建。復興。復旧。復元。
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 ウィキペディア
 アンガス・マディソンによれば(後述書 pp.195 - 196)、1820年(享保年間)時点のGDP、アメリカを1とした場合、日本はその1.75倍、オランダは0.3倍、イギリスは2.8倍であり、1850年になり、アメリカが日本の2倍近くに達する(磯田道史 『日本史の内幕』 中公新書10版2018年 pp.195 - 196)。江戸期における1人あたりの生産量は、0.15%である(高島正憲 『経済成長の日本史』 2017年)。

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