🍙44〗─2─高度経済成長は人の移動から始まり、科学技術の進歩と生産性の向上で成功した。~No.264 

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 2018年7月号 Voice「人手不足が『移動』と『成長』を促す
 高度成長が終わっても『動く』ことで生産性は向上する
 飯田泰之
 人口減少は絶望ではない
 日本経済の将来を語るとき、枕詞(まくらことば)のように出てくるのが『人口減少』です。『人口が減るのだからマイナス成長になるのは常識である』という言説が、世の中に抵抗なく受け入れられています。しかし私は、人口減少のインパクトが大きく見積もられすぎているきらいがあると思っています。人口減少が経済に影響するのは当然のことですが、経済学的にみると人口要因は決定的なものではありません。
 高度経済成長期の日本は、年率平均10%ほどの成長を続けていましたが、そのうち人口要因は1.5%程度にすぎません。当時の日本が成長できた最大の要因は、生産性の向上です。
 多くの経済学者が用いている『成長会計』の考え方によると、先進国においては、おおよそ次のような式が成り立ちます。

 経済成長率≒生産性上昇率+0.35×資本増加率+0.65×労働投入増加率

 この式からいえるのは、人口要因(労働投入増加率)よりも、生産性要因が大きなウェイトを占めているということです。
 世界銀行のデータによると、2000年代の各国の人口増加率と経済成長率には相関関係はそこまで明確なものではありません。ごく弱い相関ですが、人口増加率が低いほうが、一人当たりのGDP(国内総生産)成長率が高くなる傾向さえある。人口が減っているのに経済成長率がプラスだとすれば、人口一人当たりの成長率が高くなるのは当然ともいえます。
 成長会計の式を使って、日本の人口減少が最も激しくなるとされる2030年代の経済への影響を計算してみると、人口減少のなかでも高齢者・女性の活用を進めて働き手を1%程度にできれば、成長率の下押しは0.65%程度です。喜ばしいことではありませんが、絶望するほどの数字でもありません。
 人口減少と生産性との関係については、人手不足は生産性を向上させるという『高圧経済(ハイ・プレッシャー・エコノミー)』論があります。人手不足になると、労働者の実質賃金が高くなります。経営者は労働者に高い賃金を支払いたくないので、新技術の導入を早め、それによって成長が起こるという見方です。もともとは、『産業革命がなぜイギリスで始まったのか』という歴史に関する問いで注目され、ジャネット・イエレン前FRB議長が言及したことで有名になりました。
 経済成長は『移動』から始まる
 私は、高圧経済論よりもさらに重要な機能が人手不足にはあると考えています。それは、人手不足が人の『移動』を促すことです。
 日本の高度経済成長は、人の『移動』から始まりました。地方の農村地帯から沿岸部の工業地帯、商業地帯に人が移動する事によって、生産性が上昇したのです。より高いパフォーマンスを発揮できる場所に『動く』ことで生産性を向上させる経済成長は、『古典派成長』または『ルイス型成長』と呼ばれています。
 日本を含むアジアモンスーン地域は、ルイス型の成長のための条件が整っている。主要農産物であるコメは、他の主要穀物に比べて播種(はしゅ)効率が良く、土地の肥沃(ひよく)。狭い土地で多くの人を養うことができた。
 かつての日本の農村家庭は兄弟の多い大家族でした。5、6人の兄弟のうち、長男以外が都会に出てしまっても、コメの収穫高にそれほど影響はない。農業の生産は落ちず、都市部に出て行った人が別の生産活動を行います。1960年代半ばごろまで集団就職によって地方の人が都会に移動するだけで経済が成長する状況が続きました。
 ほかのアジア諸国をみると、中国は2005年でルイス型の成長は終わった、といわれていました。一方で、中国は広大な少数民族地域を抱えているためまだルイス型の成長が続いているのではないか、と唱える学者もいます。
 途上国型の成長と思えあれがちなルイス型の成長ですが、現代の日本においても、『動く』ことによる成長の余地は残っています。日本は先進国のなかでは都市居住率が比較的低い国です。ここでいう都市とは、東京、大阪などの大都市だけでなく、地方の『市』という名前が付いている地域も含みます。日本は全国津々浦々まで道路網が整備されているので、車を使えば生活ができる。そのため、都市部に移るインセンティヴ(動機付け)が薄い。五軒ほどしか民家がない集落にも電気が届き、家の前まで道路が整備されている。彼らが100軒ほどの集落に降りてくるだけでも、行政の生産性は大きく向上します。
 一方、東京など大都市近郊においても、『移動』することが生産性を高める余地があります。東京の外縁部に住んでいる人は片道の勤務時間に1時間以上かかることも多く、1日に2時間以上の通勤に費やしている人も多い。職場と自宅を接近させて移動時間を減らすだけでも、生産性お向上につながります。
 日本が経済成長をするためには、人材の流動性を高めることも重要です。転職しても不利にならない仕組みをつくったり、移住を促進する税制・政策を講じたりする必要があります。
 動く、出会う、親しむ
 昔は『供給が需要を創造する』といわれていあした。しかしいまは、『需要が供給を創造する』時代です。生産性というと、発明や発見、特許などがイメージされがちですが、物的生産能力よりも新たな需要を考えつくことのほうが重要です。物事の新しい活用の仕方や販路を見出すことが、現代のイノベーション(技術革新)です。
 人の『移動』は、そうしたイノベーションの起点となります。経営学の分野では、スキル多様性がある人が『弱いつながり』をもつと『アイデア』が生まれる、と考えられています。人の『移動』が増えると、『出会い』が起こり、弱いつながりができてアイデアが生まれやすくなる。
 ただし、アイデアが生まれただけではイノベーションとはいえません。現実化して利益化してこそ価値があります。実生活に落とし込むためには『弱いつながり』よりも、『強いチーム』が求められます。お互いに深いつながりになり、『親しむ』ということです。これからの日本の経済成長の核になるのは、『動く成長』『出会う成長』『親しむ成長』の三つです。
 では、この三つを同居させられる場所はどこかというと、私は『地域』だと考えています。全国の中核都市が地域の強みを利用して、人を呼び込む。
 一つは、周辺部の人口の少ない地域から人を集積させること。そうすると、地域全体の効率が上がります。もう一つは、地方で生まれ育った人が都心で働いたのちに再び出身地に戻って働く『Uターン』や、出身地とは別の地方に移り住む(とりわけ都市部から田舎に)『Iターン』によって、東京から人を集めること。この二つによって人の『移動』が起こり、新たな『出会い』が生まれて、経済成長が始まります。
 地方の財界は東京に比べて狭い範囲で活動しており、ほとんどの人たちが知り合いです。お互いに誰がどんな強みをもっているかを把握していて、独自の人的ネットワークが広がっています。新しいアイデアが生まれれば、現実化するための強いチームづくりがしやすい面があります。『動く』『出会う』『親しむ』の三つを同居させられる地方には大きな強みがあるのです。
 移動を起点とした経済成長の流れを生み出すには、地方の中核都市が人を惹(ひ)きつけるまちづくりをしていかなければなりません。ところで地方の中核都市は現在、魅力的なまちづくりができていない。それは、地方が東京の模倣に終始していることが原因の一つでしょう。
 ジェイコブス型まちづくりのすすめ
 まちづくりの考え方は主に二つあります。一つは、フランスで活躍した建築家ル・コルビュジエが提唱した『輝く都市』の街並みです。有(あ)り体(てい)にいえば、機能的でおしゃれなまちづくりです。
 二つ目は、米国のエッセイストであるジェイン・ジェイコブスが示したまちづくり。街路の幅が狭く、曲がっていて、一つひとつのブロックの長さが短い。古い建物と新しい建物が混在している。コルビュジエとは逆のゴチャゴチャとした街です。
 私は、地方の中核都市がコルビュジエ的なきれいなまちづくりをめざすことによって、むしろ貧しくなっているのではないかと危惧しています。駅前を再開発して、東京からチェーン店を呼び込む。すると地方が活性化しているようにみえますが、実際はチェーン店の利益が東京の本社に吸い上げられています。お金が東京に流れているだけで、地域経済の活性化にはほとんど役に立っていません。
 コルビュジエ的な街をつくることは劣化版の東京をつくるようなもので、地方の魅力を薄めてしまう。地方の中核都市は、ジェイコブス型の街をつくって魅力を高め、東京から人を惹きつけるべきせす。
 東京都内は2020年のオリンピックに向けて、ジェイコブス的な雑多な街並みが減っている。地方がジェイコブス型の街をつくれば、そこに魅力を感じる人が東京から移住してくる可能性があります。地方の中核都市が魅力的なまちづくりをすることが人の移動を促し、将来の日本経済を成長させるために重要だと私は考えています」
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 日本の進歩モデルは、国内における好奇心旺盛な日本人の活発な移動と国外からの新しい知識・科学技術・商品や好ましい親日派知日派の外国人の流入であった。
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 日本の歴史は民族の歴史であり、発展の歴史ではなく進歩の歴史である。
 中華世界(中国・朝鮮)は、孔子儒教が掲げた徳を持った聖人君主が治める社会を目指すべき理想社会とし、その古代の伝統様式から逸脱しないように様にして発展してきた。
 日本は、古くなった服を新しい素材による新しい服に着替えながら進歩してきた。
 日本の進化は、移動と流入であった。
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 日本の成長は、中華(中国・朝鮮)とは違い、古いままの成長ではなく新しいものへの成長であった。
 今風に言えば、日本の成長の原動力は絶え間ないイノベーションである。
 イノベーションによって新しいものに成長できなくなったとき、日本の進歩は消滅する。
 日本が目指すべきは、古いままの発展ではなく新しいものへの進歩である。
 日本の進歩とは、古き良きモノと新しき良きモノの調和と融合である。
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 その原型モデルは、縄文時代から日本列島、日本民族日本人の中に存在する。
 それを文字化したのが、鴨長明の「方丈記」と松尾芭蕉の「奥の細道」である。
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 日本民族日本人が目指すべきモノは日本国内にあったし、求めるとすれば中世まではインドであり近世からは西洋にあり、中国や朝鮮にはなかった。
 強いて中国に求めたモノといえば、隋唐の律令制度と唐文化まで、それ以降は微々たるモノに過ぎない。
 朝鮮は求めたモノは、ないに等しい。
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 日本が進歩した重要な要素は、「帰省本能」と「祖先神・氏神の人神信仰」である。
 生まれ育った郷里・故郷、地方・田舎への郷愁と、自分を産み育てくれた祖先に対する感謝である。
 日本民族日本人のおおらかに一つに集(つど)うという同一性・均一性は、ここから生まれている。
 日本民族日本人の統一性・一体性とは、「郷に入っては郷に従う」という同一性・均一性であって、「白黒ハッキリつける」といった排他的・不寛容な唯一・単一・画一ではない。
 それを見える化したのが、皆一緒に輪になって踊る「盆踊り」である。
 輪には、前列も後列も、先頭も後尾も、上も下も、右も左も、差別するモノは一切存在しない。
 輪は和である。
 盆踊りは、西洋のダンスではなく、踊りの巧い踊り手の踊りを見て楽しむものではなく踊りの輪に加わって一緒に踊る踊りである。
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 日本人は、田舎から都会に出て生活しても何時しか田舎に帰る。
 海外に出て外国に住んでも、老後は日本に帰国する。
 田舎・郷里を「出て、戻る」事が、日本の進化を途切れる事なく前に進めた。
 日本人は、「故郷に錦を飾る」が好きな民族である。
 故に、日本人は野口英世が好きである。
 だが、「出て、戻る」の帰省本能には成功した失敗したは関係なかった。
 中国や朝鮮には、それが乏しかった。
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 キリスト教の人生観・死生観は、日本よりも中国・朝鮮に近い。
 キリスト教世界では、生まれ育った故郷・郷里に対する愛着や郷愁は乏しい。
 何故か。それは、イエス・キリストが生誕の地ベツレヘムに戻ったら、顔見知りである住民から迫害近い扱いを受けた為に立ち去った福音の話があるからである。
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 現代日本は、世界基準のグローバル・モデル、発展モデルで大改造される事で民族的なローカリ・モデル、進歩モデルが消滅し始めている。
 つまり、何時かは戻りでたいという帰省本能と、心の拠り所である祖先神・氏神の人神信仰の消失である。
 強いて言えば、都市の雑然の中を這いずる回り喧騒に追われて生きる事に歓喜して、里山に流れる小川の「花鳥風月プラス虫の音」という風情への哀愁の消滅である。
 事実、夏の風物詩であった「盆踊り」が「個の独善的暴走」で急速に減ってきている。
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 日本の民族文化は、金儲け主義によってイベント化された日本の祭りではない。
 イベント化された日本の祭りには、「儲け」はあっても「日本の心」はない。
 それが、祭り文化のグローバル化でもある。
 人が集まらず儲からない祭りはイベントとして成立しないければ、如何に歴史があろうと伝統であろうと無用・無駄な行事として棄てられる。
 それが、文化のグローバル化である。

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