関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
経営者は、2流以下に劣化して将来の展望を失った。
日本の技術力は低下して、世界を驚かす製品が作れなくなった。
政治家は、3流以下へと転落して、無為無策として打開策を見いだせなくなった。
日本の経済は、馬鹿にしていた中国・韓国・台湾に抜かれ始めた。
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「高値になる国内生産を捨て、安い農産物を輸入すれば良い」
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日本の安定と発展は、海外から安定的に食糧・資源・エネルギーを輸入して得られていた。
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庶民感覚で支えられた情緒的日本社会の崩壊。
挑戦する事を諦め、出来ない事や無理な事のみをひたすら数え上げた。
可能性に賭けて冒険しないように、やるべき事や出来る事は一切考えないようにし、挑戦しようとする有能な人間から意欲を奪い無能化した。
意欲ある者は、企業や組織に絶望した。
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ドル/円の為替レートは、固定相場時代は1ドル=360円だったのが、1985年のプラザ合意で変動相場制になって1ドル=240円になった。
1987年末には、急激にドル安・円高が進んで121円台に半減した。
1994年に100円を突破し、95年4月には瞬間的に79円台を記録した。
日本企業は、急激なドル安・円高に苦しんだが、イノベーション、生産性向上、コストダウンの努力と生産の海外移転によって乗り越えた。
日本製品は、品質とブランド力の向上で高額なっても海外輸出を維持していた。
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バブル時代の、
物価上昇率は、1987年‥0.1%、88年‥0.7%、89年‥2.3%、90年‥3.1%。
GDP成長率は、1987年‥4.2%、88年‥6.2%、89年‥4.8%、90年‥5.1%。
バブルとは、株価や土地価格が急騰してマスコミが幻想的雰囲気を煽りその空気感で自制心を失い狂乱しただけであって、株や土地に関係しなかった庶民の生活には変化がなかった。
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1989年 石原慎太郎と盛田昭夫は、共同で『「NO」と言える日本』を執筆した。
日本外交に於いて、アメリカの配慮で日本側の要望を通したが、国益を守る為にアメリカに対して明白な「NO」を言い切った事はない。
対米従属が日本の国家方針であり、日米対等関係は存在しない。
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1990年代 世界経済は、市場資本主義が急速に発展して、グローバル・スタンダードによって世界的大構造変革が起きた。
日本企業の多くが、自力でのバブル経済破綻によって発生した高額な不良債権処理に失敗し、アメリカのハゲタカファンドの資金提供で倒産を乗り切った。
日本政府は、外国人投資家の投資・融資がより自由にできる様に規制を緩和するべく、日本経済の排他性閉鎖性の元凶とされた銀行や企業による持ち株制度を解消する為に国際会計基準を導入した。
戦後復興(円安)・高度経済成長(技術革新)・バブル経済(金利安)を牽引してきた民族資本による他力的護送船団方式を放棄し、国際資本の投資・融資による自力的自立航行方式を採用した。
日本の株式は外国人投資家に買われ、外国人株主の株保有率は上昇し、日本の保有する株式の32%が外資系となった。
日本企業の経営失敗による収益減で赤字が発生するや、外国人投資家は補填の為に巨額の資金提供を行い株式を買い増しして企業への影響力を強めた。
表面的には日本人が経営する日本企業であったが、その実は外国人株主に支配された外資系企業であった。
外国人株主の希望は、短期的な費用対効果で配当金を上げる事であって、長期的な展望で日本企業の健全な経営や従業員の雇用確保ではなかった。
将来的に利益を出す可能性のあだろう未開発分野への巨額の研究費投入は無意味であるとして削減し、そうした今利益を出してい分野の優秀・有能な研究者を不用社員としてリストラさせた。
外国人株主が求めるのは、今保有する株価の配当であり将来の株価ではなかった為に、企業収益が減れば容赦なく株を売却し、会社を他者に売り渡した。
だが、外国人株主や外資系ファンドの中には、日本に貢献している良心的な外国人株主や外資系ファンドもいた。
日本企業は、目先の利益を追い求め、新しい分野への意欲的もの作りを放棄した。
金子勝「商品の売買だけではない。グローバル競争の中で、企業自らの売買が行われる。会社を買うか買われるないか。賃上げや投資をするより現金保留や株を買う事で内部保留を増やす事になる。自社株を吊り上げるほど相手をのみ込めるし、自分が買われる心配もなくなる。株があれば本業がダメでも配当金で収益を出せる。資本主義が変わってしまった」
グローバル化によって、義理人情の家族的企業体質も愛社精神による忠臣蔵的企業風土も消滅した。
日本人会社員は、雇用契約に基ずく利益を生み出す従業員・労働者となった。
明治維新による殖産興業から戦後復興まで、日本経営者・企業人が目指してきた「国の為、国民の為」という日本式理想は消えた。
商品を買ってくれるお客は、神さまから消費者に転落した。
日本企業は短期的前年比黒字経営路線に切り替え、優秀な研究社員を大量にリストラした為に国際競争に勝ち抜く商品開発能力を失った。
企業は、以前は神さまであるお客の為に信用第一として手間暇掛けた品物を誠意を持って売って商いをしていたが、以降は帳面上の売り上げ数値を上げるだけの消費者として経費削減した商品を巧みに売る小売を行った。
松下幸之助「利益を目的とした経営者は視野狭窄になり、判断を誤る」
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飯田泰之(明治大学准教授)「90年代の終わりから2000年代一杯にかけて、日本は景気の芳しくない状態が続き、失業率も5%半ばまで上昇しました。企業は、人材確保が容易だった為に、従業員をまるで原材料の一部であるかの様に扱いました。
それが、ブラック企業の問題を生み出した。でも、人手不足になってくると、従業員こそが一番大切であることが分かった。日本企業で伝統的に行っていた『人を中心に据える経営』が見直されているのです」
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バブル崩壊。
1990(平成2)年 スタックポール(在日米軍基地司令官)「再軍備して復活した日本など、誰も望んではいない。だから我々はビンの蓋になっているのだ」
敗戦後の日本は、アメリカの軍事力の庇護下で国防をアメリカ軍に依存して、国家再建と経済復興に専念した。
日本の奇跡の戦後復興と経済大国は、アメリカの軍事力のお陰であって、日本人の努力だけではなかった。
日本は、アメリカ軍が世界中で「自由と民主主義」の理想で戦争をし、数多くのアメリカ人青年が戦死し、親達が変わり果てた息子の遺体を泣きながら埋葬している隙に、金儲けをして豊かになった。
日本は、アメリカに全ての面で依存している。
日本の繁栄は、アメリカ人青年の生き血で築いたものである。
それが、真実である。
ソ連との冷戦時は日本は利用価値がある同盟国として大事にされるが、ソ連が崩壊して冷戦が消滅すれば日本は経済的競争相手として攻撃の対象となる。
アメリカが日本の国防から手を引けば、日本は自国の防衛を自ら担う必要がある。
弱体化して世界の警察を放棄したアメリカは、日本の安全の為に自国の若者の命を犠牲にする事はあり得ない。
困った時に助けるのが真の友情であり、助ける事で自分も被害を受けると分かっていても手を差し伸べるのが本当の友人である。
それが、現実である。
アメリカが、本気で日本に対する優遇政策を強硬政策に変更すれば、日本経済的繁栄は砂上の楼閣的に崩壊して日本人の豊かさは朝露の如く消え失せる。
日本の存続は、戦後体制であるヤルタ・ポツダム体制下の日米同盟で保証されている。
日本の独立・主権・自主は、サンフランシスコ講和条約締結以来、アメリカに依存しているのではなく、アメリカの保護下にある。
チャールズ・ケーディス大佐「(日本国憲法の目的とは)日本を永久に武装解除させたままに置く事」
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日本企業は、時代の移り変わりが読めず、将来の展望を見出せず、思考停止と行動不全で経営が悪化した。
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1991年6月 雲仙・普賢岳噴火。
フィリピンのルソン島西側にあるピナツボ山(ピナトゥボ山)が、400年振りに、最大規模の大噴火を引き起こした。
火山噴火で多量のエアロゾル(細かいちり)が成層圏まで吹き上げられ、そのエアロゾルが太陽光を抑制した。
日本では、93年に記録的な冷夏に襲われ凶作となり、94年には米不足となり大騒ぎとなった。
エアロゾルの量から、「噴火の冬」になるほどではなかった。
近い将来、地球環境を激変させる程の大噴火が、地球上の何処の火山で起きる可能性があるといわれている。
地球の寒冷化と食糧不足で、人類は絶滅の危機に見舞われる恐れがあるともいわれている。
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1992年 国民生活白書「少子社会の到来。その影響と対応」
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平成米騒動・平成5年=1993年
エルニーニョ現象による北半球の異常気象で、戦後最悪の凶作となる。
・生産量‥783万トン
・タイからの緊急輸入量‥254万トン
6月〜8月 気温は平年に比べて2度前後も低かった。
農家の収入が激減した。
冷夏によって凶作となり、店頭から国産米が消えた。
日本経済も冷え込んだ。
人々は、米を買う為に長蛇の列米をなしたっが、売り切れて買えない人も出た。
政府は、タイからインディカ米を緊急輸入した。
ジャポニカ米に慣れていた日本人には、評判が悪く、食べる者は少なかった。
苦肉の策として、インディカ米とジャポニカ米を合わせて売り出した。
消費者は、ジャポニカ米を食べたが、インディカ米を残飯として捨てた。
タイの農民は、日本支援として高級種のインディカ米を送ったのに、ゴミとして捨てられた事に悲しみを隠しきれずに泣いた。
飽食化した現代の日本人は、自己中心的となり他人の気持ちを顧みる事なく、食べ物のありがたさを忘れ、農業の重要さも判らなくなっている。
その傾向は、とどまる所を知らず、年月と供にさらに深刻化している。
今や、日本の農業は滅びようとしている。
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1993年 ガザリー・シャフェー(マレーシア元外相)「ソビエトに自由主義陣営が勝利できたのは、経済力を持つ日本とドイツがアメリカに味方したからだ。戦争に勝つには経済力が重要な要素であり、冷戦勝利に対する日独の貢献は莫大だ」
1994年 アメリカは、日本をアメリカの財布にして日本の富を吸い上げる為に、毎年日本に通告している「年次改革要望書」に郵政事業の民営化などを盛り込んだ。
郵貯と簡保には、約350兆円が使われる事なく眠っていた。
ケント・カルダー(戦略国際問題研究所日本部長)「郵貯の活用が世界経済の活発化につながる」
郵政解散を目的とした郵政民営化法案は、日本国民の為ではなくアメリカの要求で成立した。
アメリカは、自国の国益の為に行動するのであって、日本の損害など歯牙にもかけない。
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1995年 中国共産党政府は、改革開放政策で、沿岸部に日本などの外国資本系工場を誘致し、地方部で食料の増産体制を整え、農地の継承権が認められない無学で技術のない次男三男を低賃金労働者として工場に雇用した。
中国は、国土は大きいが大半が山間地で農耕地は乏しく、世界人口の約20%を占めているが世界の農耕地の9%しか持ってはいなかった。
その不安定な食糧生産事情から、毛沢東の失政である大躍進政策で数千万人が餓死した。
世界の工場として外国からの企業進出が増えるや、農村地帯から都市部への人口移動が加速化して、地方での食料生産量が減り外国からの輸入が増え始めた。
この年、中国を凶作が襲った。
中国共産党政府は、国内の食糧流通量が減った為に、急遽コメ、小麦、トウモロコシなど総計1,800万トンを輸入した。
中国が国際食糧市場で大量買いを行っ為に、国際価格が急上昇して、食糧自給ができない発展途上国は食糧が買えなくなった。
第三世界の盟主を自負する中国共産党政府は、自給率向上に取り組んだ。
1月 阪神・淡路大震災。
阪神淡路大震災によって、交通網が大打撃を被った。
物流網が寸断された為に、政府や民間からの大量の支援物資が避難所に送れず、被災民は飢えと寒さに眠れぬ夜を過ごしていた。
震災後。兵庫県は、震災を教訓として緊急時に於ける食糧確保の重要性を訴える「美味しいご飯を食べよう県民運動」を始めた。
政府・農林省・外務省は、余剰米解消の減反政策と国外産米輸入圧力への妥協という国策を考慮して協力しなかった。
財界・産業界も、必要な食料は国外で自由に調達できるとして、過度な農業保護政策は輸出を阻害するとして反対した。
マスコミも、消費者優先から、身近な食材を大事にするという農業生産者保護運動には関心を示さなかった。
国民も、食糧自給率が低下する事に興味を示さず、安くて上手い外国産を好んで買い、値段の高い日本産農産物を敬遠した。
現代日本は、大量生産・大量消費が美徳くとされ、日本人の心から稲神話の「もったいない」という美風は消滅した。
神道的な日本人は、相対的な宗教観を信奉し、多種多様な価値観を含んだ信仰心を持っている。
戦後の平和・人権教育によって、日本人の道徳心や公徳心は低下して、オウム真理教信者などの青少年による凶悪犯罪が頻発し始めた。
日本の中国化が、加速して浸透し始めた。
日本人の若者中から、日本という国家を嫌う者が増え始め、日本という国が中国や韓国の一部になる事に気にもしなくなっている。
尖閣諸島や沖ノ鳥島が中国領になろうとも、竹島が韓国領になろうとも、北方領土がロシア領になろうとも、関心がなくなりつつある。
それが、日本の中国化の実態である。
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1996年 井上ひさし「やがて私たちの子や孫の時代は食料で苦労することになり、かれらは必ず私たちの世代を批判し、憎みもするだろう。20世紀後半の日本の大人は、いったい何を考えていたのだろうか、と。私たちは戦後、小学校の上級生になったとき、なぜ日本の大人はたちはあんな戦争をやったのかと思ったものである。しかし、それ以上に私たちは後の世代からはげしく糾弾されるに違いない。その覚悟して死んでいくしかない」(家の光協会・『日本人にとっての米』収録「水田を放っておくと日本がおかしくなる」)
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1996年 軍事用にスーパー・コンピューターの開発。アメリカは、包括的核実験禁止条約によって物理的な爆発を伴った核実験が行えなくなった為に、バーチャルな核実験を行うべくスーパー・コンピューターが必要になった。
スーパー・コンピューターを持つ事は、バーチャル空間で核兵器を持つ事と同じ事である。
2015年時で世界トップのスーパー・コンピューターを持っているのは中国共産党政府(天河2号)で、二位がアメリカ(タイタン)である。
日本は4位で、バーチャル世界では核保有事である。
最先端技術によるハイテク製品で、軍需・武器に関係しない製品は存在しない。
もし、日本の反戦平和団体が主張する非軍需・非武器製品への特化を目指すのであれば、日本は明治期頃の近代初期産業に後退させる必要がある。
10月 中国共産党政府は、『食糧白書』をまとめた。
11月 李鵬首相は、食糧問題で中国不安を取り除くべく、ローマで開催された世界食糧サミットに出席し、「中国は95%の食糧自給率を維持する」と発表した。
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1997年・98年 アメリカは、金融危機に苦しむ東南アジア諸国に対して積極的な財政支援を行わなかった為に、東南アジアに於ける影響力は低下した。
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1997年 アメリカは、日本との間で「日米防衛協力の為の指針」を取り決め、日本に対して「(紛争地帯で)日本人の救出や輸送には、アメリカは責任を負わないので自力でやるよう」にとハッキリと表明した。
アメリカ軍は、民間人救出の優先順位を定めている。
1,自国民のアメリカ人(国籍・市民権を持っていれば人種に関係なく)。2,アメリカのグリーンカード(アメリカ政府が外国人に発行する労働・永住許可証)を持つ外国人。3,アングロ・サクソンである、イギリス人、オーストラリア人、ニュージランド国民。4、その他。
日本人は、4番目のその他に分類され、同盟国アメリカ軍に救助され安全地帯に搬送される事はない。
11月24日 山一証券の野澤正平社長は、自主廃業を発表した。
法人営業で出た損失を経理操作として、自社が作ったペーパーカンパニーの損失として付け替えて隠蔽した。
うした違法行為で膨れ上がった不良債権が2千数百億円に上り、大蔵省が会社更生法による再生、事業継続ではなく自主廃業を迫ったからであった。
国は多くの従業員を抱える大手企業を潰さないと信じられていただけに、山一證券の倒産は衝撃的であった。
同時に、日本の終身雇用と年功序列という常識の崩壊でもあった。
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1998年 小渕恵三首相は、長期デフレから抜け出す為に、財政・金融の経済政策の実施した。
早期デフレ収束策は2000年に小渕首相の急死で頓挫し、さらなるデフレが日本経済を襲い、デフレ不況が長期化した。
自殺者も増え、97年に約2万4,400人だったのが98年には約3万2,900人に跳ね上がった。
自殺理由で多かったのが、倒産や失業など生活困難による路頭に迷った末の「経済的理由」であった。
夏 テキサスなどの南部諸州で、旱魃が発生してトウモロコシや小麦に大被害をもたらし、世界的に穀物価格が高騰した。
被害の原因は、地球規模の異常気象の外に、ロッキー山脈東方の南北に広がる地下帯水層であるグレートプレーン帯水層の中のオガララ帯水層水位が下がったからといわれている。
アメリカ最大の穀倉地帯であるグレートプレーンズは、戦前までは、ダストボウルと恐れられた砂塵が吹き荒れる不毛に近い大平原であった。
戦後。地中深くにある化石帯水層から大量の水を高性能ポンプで汲み上げ、荒れ地に流して潅漑する事で農作物を栽培する事が出来るようになった。
化石帯水層の水は、1000万年前から100万年前にかけて降った雨水である。
アメリカ式食糧増産方式として、農機具の機械化と大型化で大規模農業が可能となり、化学肥料で農地の改造が行われ、収穫量を増やす為の品種改良が行われ、病害虫防止の農薬が普及した。
グレートプレーンズは、世界有数の大穀倉地帯となった。
大量の穀物を収穫するべく、無計画に大量の地下水を汲み上げた為に水位は低下し、大量の化学肥料と農薬を飛行機で散布した為に土壌は汚染された。
自然の営みを無視した近代的化学農業は、自然回復力を妨害して環境破壊をもたらし、異常気象の一原因となっている。
地下水の水位は2020年までに全水量の25%が消費されるとされ、現在のまま垂れ流せば何時かは枯渇し、戦前の荒れ地に戻るとされている。
食糧輸入し飽食化した日本は、この大穀倉地帯から大量に農作物を輸入している。
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1998年 NTTドコモ株が上場され、バブル景気に沸いた。
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1998年の自給率。先進国中最低ランクの自給率
・穀物(食用+飼育用)自給率 ‥27%
・主食用穀物自給率 ‥59%
・供給熱量自給率 ‥40%
・金額ベース食糧自給率 ‥70%
日本は、自国の工業製品を輸出して他国の農産物を輸入する事で、経済大国の責任を果たそうとした。国際貢献の名の下に、経済を発展させ国家・国民を豊かにするべく、農業を人身御供として自国の自給率を犠牲にした。本音は経済の復興であり、農業の立て直しは建前にすぎなかった。活力を失いつつある日本農業の凋落は止めようがなく、自給率の回復は不可能であった。
つまり、日本の農業は守るべきだが、国際競争力がなく、後継者を持たず衰退する日本の農家保護は無用であると。荒廃した農地に外国人労働者を大量に移住させて、安い農作物を大量に生産して供給する事が消費者の為であり、閉鎖的排他的な日本式農業の国際化につながると。
時代は、生産者保護から消費者優位に移っている。
贅沢に馴れ飽食化した現代の日本人にとって、食べ物は感謝するべき物ではなく、単なる残飯になる前の一部にすぎない。日本の都市には、まだ食べられる残飯が溢れている。食べる物は、自分の手で生産するのではなく、購入する物であった。金に目が眩んだ日本人にとって、農作物は自然からの贈り物、神からの賜り物という意識は欠如し、食べ物を神聖視する事を未開人のする事と軽蔑している。
世界の食糧は国際穀物メジャーが支配していが,2009年の異常気象による食糧危機でその支配は麻痺した。食糧危機に直面した諸外国は、世界中の穀倉地を金で囲い込みを始めた。それが、世界農地争奪戦、ランド・ラッシュである。
地球の環境問題とは、食糧問題である。50年後、環境の悪化に伴う水不足によろ耕作地の激減と人口増加で、26億トンの穀物が不足するといわれている。
地球には、100億人の人類を養うだけの食糧を生産する能力はない。自然破壊を「是」とする大陸型現代文明によるの最適農地の喪失により、その生産量はさらに減少しつつある。
国際統計によると、地球上で約8億人が飢えに苦しみ、毎年200万人が餓死している。
市場経済による勝ち組と負け組という格差の拡大が、生死の境を決めつつある。
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1999年3月 ブリヂストン本社の社長室で、リストラに抗議した社員(58)が割腹自殺をした。
業績不振や経営赤字は、余剰従業員のリストラと赤字部署の廃止で乗り越える。
能力ある人・頑張る人が報われる社会を目指すとして、日本企業が守ってきた家族主義に基づく終身雇用と年功序列の破壊が始まった。
国際競争力を付ける為には「自由化」と「規制緩和」が欠かせないとして、構造改革が始まった。
それは、内需を支えてきた中間層・中流階層の崩壊であった。
遺書「寝食を忘れ、家庭を顧みる暇もなく働き、会社を支えてきた従業員の結晶が今日のブリヂストンを築き上げたのである。時流を利用した過酷なリストラに命をかけて私は抵抗した」
お客様は神様である、会社は安定した従業員の生活で守られ発展する、などという「人」中心の日本型神話は破壊し、社会的価値観は解体された。
庶民感覚で支えられた日本社会の崩壊。
帳簿上の数値が絶対とさ、前年比黒字が至上命題とされ、其の為には全てのものは犠牲とされた。
見ているのは、経理上の数値であって情緒的な人ではない。
予想していた数値が上がらなければ、右肩上がりの業績を求める経営者は、会社の名誉を踏みにじっても不正経理や粉飾を行うようになる。
そして、経営者の報酬は世界基準に照らして高額化し、従業員の給与は最小限に切り詰め、短期的に利益が上げられない研究は将来的に有望でも切り捨てられた。
会社が従業員に求めるのは、日本風の忠臣蔵のような滅私奉公的な忠誠心ではなく、大陸風の傭兵のような契約報酬に見合った実績のみであった。
そして、バブルは崩壊し日本経済は衰退した。
人口減少による消費の減少で日本経済規模は縮小し、これまでの日本モデルは通用しなくなった。
過去の成功モデルに固執する企業は、消滅した作れば確実売れるといったメイド・イン・ジャパン神話を信じ、消費者の希望を聞かず自分の思い込みで製品を作り、巨費を投じて消費者が求めない商品を市場に売り出している。
中谷巌(元一橋大学教授)「グローバルスタンダードに合わせる事が日本の活性化につながると考えたが、間違いだった。アメリカの悪い所を追いかけ、日本がこれほど問題を抱えるとは。新自由主義は能力のある人には都合がいいが、利益追求という大義の前に信頼・平等・連帯といった社会的価値を解体する危険思想。孤立する個ではなく連帯する集団としての経済システムが課題だ」
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2018年11月号 Hanada「D・アトキンス自伝 ふたつの島国で
不動産運営で見えた日本人の気質
前回、1998年にゴールドマン・サックスが内幸町(うちさいわいちょう)にある大和生命ビル(現日比谷U−1ビル)をおよそ500億円で購入したことに触れました。米外資系による不動産購入の先鞭(せんべん)をつけるもので、これをきっかけに外資系の不動産投資は加速していきます。
不良債権の最終処分は可能であり、日本の不動産は魅力的だということを世界の投資家にアピールするため、会社をあげ、実際に不動産を買う戦略が実行されました。
日本の大きな商業用不動産を購入するプロジェクトチームは、ゴールドマン・サックス米国本社の不動産グループから1人を東京に派遣してもらって、あとは東京の不動産・建設アナリストの村山利栄さん、私の3人でした。
大和生命ビルを購入した際、不動産業界の人たちから、口々にこう言われました。
『日本の不動産運営は難しいよ。アメリカと違うから、外資系には無理。絶対に儲からない』
実際に不動産運営をやってみると、その杜撰(ずさん)な管理、運営の仕方に驚きの連発。
まず驚いたのは、テナントへのフロアの貸し方です。大和生命では、広いフロアをパーテーションで区切って、テナント側の『何平米借りたい』という要望に100%沿うように貸し出していました。どのテナントも必要な広さだけ借りるので、フロアまるで不出来なパッチワーク。ところどころにデッドスペースができてしまった。テナントが出ても整理されることはなく、この『パッチワーク問題』が次第に深刻となっていきました。
これではいけないと、貸し出し効率を上げるために、これまでのようにテナントが借りたいだけスペースを提供するのではなく、『その広さだとデッドスペースができてしまうから、そこも込みで借りて下さい』と、きちんと交渉しようと考えました。既存のテナントも交渉して、フロアごとにデットスペースのないように整理することが検討されることになりました。
端から無理だと決め込む
しかし、ビルの管理をするスタッフに、テナントと交渉するように言うと、こう反論されました。
『テナントは、こちらの要望には応じません』
『交渉したことはあるんですか』
『ないけど、応じないに決まっています』
端(はな)から無理だと決め込んでいるのです。話にならないので、ことらがテナントに直接交渉すると、『ちょうどオフィスを大きくしたいと思っていたので、空いたスペースがあるなら自分たちが借りますよ』と応じてくれたり、別のスペースに移ってもらえて無駄なすスペースお整理したりすることができたのです。
日本で長年仕事をしていると、よく見かけるパターンで、やってもみないで、最初から否定してなにもしない、ということがままあります。お客さんに訊いてもいないのに、なぜできないと思い込んでしまうのか、これは本当に不思議です。
ゴールドマン・サックスは大和生命ビルの購入後、日本のゴルフ場も買っていましたが、そこでも似たようなことがありました。
一般のゴルフ場では、必ず1番ホール〜9番ホールまで回る→ランチ休憩→10番ホール〜18番ホールまで回るというのがお決まりになっていて、それ以外の周り方をゴルフ場は認めませんでした。これでは、空いた時間に少しだけコースを回りたい人などのニーズに応えられず、非効率的です。
われわれが、1番ホールからでも10番ホールからでも始められるようにし、ランチ休憩も強制ではなく、自由にできるようにしようとスタッフに提案すると、こう言わけです。『これが日本のゴルフスタイルですから、変えることは絶対にありえません!日本の文化ですから、アメリカのスタイルを日本人は受け入れません。日本のゴルファーにそのニーズはないです』
ゴルフははこうあるべきなんだと熱く語っていましたが、『このスタイルしかありえない』と言われると、疑問です。ゴルフはそもそも、私の母国イギリスが発祥といわれているスポーツ。イギリス人の私に『ゴルフのスタイルはこうあるべきだ』と言うとは、なんと大胆不敵なのだろうち思ったものです。
こういう時も、こちらが勝手に決めて推し進めるよりも、やはりお客さんに直接訊いて本人たちに確認してほうが早いですから、これまでのやり方を変更してもいいかどうか訊いてみました。すると、多くのゴルファーから、
『変えてもいいよ。調子よく回っていると、必ずお昼休憩を取らなくちゃいけなくて、それで調子が崩れちゃうことがよくあるんだ』
『いままでそういうルールだと思ってたいして疑問もなかったけれど、いいじゃない?』
お客さんの過半数は、快くルール変更を受け入れてくれたのです。日本人は、あるルールに対して『黙認』はしているけれど、別に『肯定』しているわけではないのだな、ということがよくわかりました。
当時、ゴルフ場がどんどん潰れているなか、ゴールドマン・サックスが所有していたゴルフ場は、既存のルールや非効率的な管理を改善することで利益が伸びていきました。
社長の不思議なプライド
大和生命ビルに話を戻します。
二つ目に驚いたのは、地下駐車場の管理です。駐車料金が一台あたり、かなり高かった。記憶は曖昧ですが、たしか月に10万円以上して、テナントの社長、重役しか使っておらず、利用率がほぼゼロ。
社長たちは駐車代を経費で落とせますが、一般の社員はとてもじゃありませんんが、利用することができません。地下二階まであった何十台も駐車できるのに、これではもったいない。利用料金を下げて一般の社員も利用できるようにしようと考え、テナントではなくてもコインパーキングのように時間貸しもしようと考えました。
ところが、テナントの社長たちから猛烈な抗議が入った。
『私の車の隣に一般の社員が駐車するようになると、社長としての品格が下がる』
『知らない人間の車が隣に駐車するなんて嫌だ』
よく考えると、社長たちは価格設定によって、自分たちの専用駐車場という〝特権〟を手に入れていました。
そこで、ゴールドマン・サックスはこう提案したのです。
『わかりました。しかしそれでは本来、われわれがこの駐車場によって得られるはずの収入をドブに捨てることになります。もししゃちょうだけしか駐車できない特権を維持したいのであれば、他の車を駐車させない負担も駐車料金に上乗せするので、社長のみなさんで負担してください』
そうすると、一台駐車するだけで月に何百万円もの駐車料金がかありますから、社長たちはさらに激怒。
『もうこの駐車場は利用しない!』
『いまでも数台しか借りられていないので、やめてもらって結構』
『もうこのビルから出ていく!』
『どうぞ、出ていって下さい』
結局、社長たちは出ていかず、利用料金を下げることを受け入れました。駐車場の利用率が劇的に上がり、ビル全体の利回り改善に大きく貢献しました。
スタバ出店で大モメ
三つ目に驚いたのは、ロービースペースの無駄遣いです。一階には広々としたロビーがあります。しかし、ただ広いだけでまったく活用されていなかった。これでは宝の持ち腐れですから、われわれはロビースペースいスターバックスを入れることを計画。スターバックスはゴールドマン・サックスのお得意先で、ロビースペースに出店する話はすぐにまとまりました。その狙いはテナントから収入を得るだけではなくて、スターバックスが入ることで他のビルの人も出入りして、ビルの活性化に繋がると考えられました。もちろん、新しいテナントの獲得にも有効なはずです。
ところが、これもテナントの社長たちから大反対に遭います。
『ロビーというのは、広々となにもないのがスタータスなんだ。そこにカフェなんて入ったら、」テナントの品格が下がる』
『商売くさいことはやめてくれ!』
『どこの馬の骨かわからんやつがロビーに出入りするなんて許されない』
同じように、コンビニをロビースペースに入れようとした時も同じことが言われました。
『コンビニなんて安っぽいものが入っていると格好悪い』
私たちは駐車場問題の時と同じように、『では、損益分を賃料に上乗せします』と言うと、みな渋々認めました。
小さな問題に目がいかない
スターバックス、コンビニを入れたところ、2店とも大繁盛。ビルの最上階にはレストランがあり、それまでは閑古鳥(かんこどり)がないていたのですが、ビルに人が出入りするようになったことでそこも繁盛し始めたのです。
スターバックスを入れたのは1999年でまだ物珍しかったこともあり、取引先に行くと、先々で『ロビーにスターバックスを入れたんだって?』と言われたのを覚えています。
当時はまだロビーにカフェやコンビニがあるのは一般的ではありませんでしたが、大和生命ビルが成功例となり、その後、ビルのロビーにカフェ、コンビニがあるのが普通になっていきました。海外ではロビーに商業施設が入っているのはすでに一般的でしたが、日本では大和生命ビルが先駆けだったのです。
こうして、ビル運営の問題点をどんどん改善していくことで、利回りは上がっていきました。
その時に痛感したのは、日本人は大きなビジョンを掲げるのは好きだけれど、目の前の小さな問題点についてはあまり目がいかないということです。
不動産業界からはよく、『大和生命ビルの運営改善は、外資系だからできたんだよ』と言われました。
しかし、外資系かどうかは関係ないと思います。先述したように、われわれは大きなビジョンを掲げたり、抜本的な改革を断行したりしたわけではありません。小さな問題に手を付けただけで、大きく利回りが改善していったのです。
『なんとかプラン』だとか、『何年までに大改革をする』というフレーズだけを大げさに発表したりすることなく、です。
JR東海の怠惰
大きな新プロジェクトは好きだけれど小さな改善には興味がない、そんな小さな問題に目がいかない日本人の性格は、いまも変わっていないように感じます。
……
こういったことが多すぎるから、日本の生産性は向上せず、日本人の給料水準もあがっていないのです。
……
なぜ、日本人は大きな計画と戦略は好きで、小さな問題を放置してしまうのか。
おそらく、人口増による高度経済成長時代の後遺症だと思います。人口が爆発的に増え、なにもしなくても経済は成長する。多少杜撰な運営をしていようが、問題なくやってこられた。何も実行しなくても経済は成長する。その感覚をいまだに引きずっているのではないでしょうか。
……」
・ ・ ・
2000年 自殺者は、約3万4,400人であった。1997年の自殺者は、約2万4,400人であった。
長引くデフレ不況による経営赤字に苦しむ企業は、大量のリストラを実行し、生産拠点を海外に移した。
日本産業の強みであった、終身雇用と年功序列の崩壊であった。
正規社員の減少と非正規社員の増加で、雇用環境は悪化していった。
3月 有珠山噴火。
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2004年 中国は、日本など外国資本からの投資で経済発展を続け、その利益の一部を食糧生産・供給政策に回した。
農地の収穫高を上げる為に、化学肥料を使い、農薬を散布した。
農業労働力が不足した農村地帯には、日本から各種農機具を購入して投入した。
降水量の乏しい乾燥地帯では、ロケットを打ち上げて人工降雨をもたらした。
乱伐で森林を失い腐葉土を失った不毛な大地を緑化する為に、日本の伝統的植林技法を積極的に導入した。
中国共産党政府は、「背に腹はかえられない」として反日を脇に置き、日本からの資金援助と農業技術供与で食糧の増産が進み、食糧不安は解消した。
中国は、困った事が起きると微笑みをもって日本に接近するが、不安が無くなるや「豹変」して反日となる。
日本が、中国に対して如何に親切心で配慮して救いの手を差し伸べても、中国からの感謝の言葉を期待しても無意味である。
中国は、日本の真心を踏みにじる。
8月16日 アルンダティ・ロイ(インドの反グローバル主義者)「世界を舞台に、主権国家の政府の支配権を超えて貿易と金融の国際機構が監視する多国間の法や合意の複雑なシステムは、植民地化政策も顔負けするような横奪の仕組みを揺るぎないものにしてきました。このシステムは第三諸国の国内市場に大量の投機資金(ホットマネー)が無制限に参入し、自由に撤退する事を許し、それによってこれらの国々の経済政策を実質的に支配する事を可能にしています。資本の逃避という脅しを梃子に、国際資本はこれらの国々の経済をどんどん侵食していきます。巨大な多国籍企業がこれらの国々の不可欠なインフラや天然資源の支配権を握り、鉱産物も、水も、電気も支配します。世界貿易機関、世界銀行、国際通貨基金に加え、アジア開発銀行など、国際銀行家がコントロールする金融機関が、事実上これらの国々の経済政策と議会立法を策定しているからです。傲慢と無慈悲という最悪の組み合わせによって、これらの機関は、相互に依存した複雑な歴史を持つ、壊れやすい社会に大鉈をふるい、荒廃させます」
原子力・石油・石炭・天然ガスなどのエネルギーはもちろん水や穀物、さらに農地や山林などの国土さえも、人の命よりも利益を上げようとする弱肉強食の市場至上主義における国際的投資マネーに支配されている。
エネルギーや生産資源物資や食糧に於いて自給率を上げ危険リスクを分散できない国は、将来に於いて悲惨な状況に追い込まれる。
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2003年 ソニーは、ローカルな日本型経営からグローバルなアメリカ型経営の会社統治システムに体質改善するべく、株主重視と社外取締役制度を導入した、
ソニー・ショックとしてソニーの株価が大暴落するや、株主保護を優先し、業績回復の為に有能な研究者や技術者のリストラを行った。
ソニーは、従業員一丸となって絶えず新製品を開発し市場に売る出す事で業績を上げてきたが、株主重視・従業員軽視のアメリカ型経営で企業活力を失った。
ソニーの凋落は、この時から始まった。
もう一つのアメリカ型として、賃金格差を導入された。
収益悪化に伴って従業員の給料はカットされるが、経営者の報酬は減らすことなく増額された。
1970年代頃の給料格差は、家族的な関係を重視する日本型賃金として従業員が1とすると経営者は20くらいであった。
バブル崩壊後では、経営者と労働者の関係として、アメリカ並みに従業員1に対して経営者は500以上の差が生まれ始めた。
経営者は、従業員を大量にリストラしても役員報酬は減るどころか増額された。
従業員は、経営者の役員報酬と株主の株配当金を稼ぐだけの労働者とされた。
アメリカ型経営は、合理主義として従業員無視の徹底した利潤追求で、従業員の忠実義務や忠誠心などといった情緒的に一切期待はしなかった。
会社が行う社会貢献・ボランティアは、世間体として地域や社会に行っても、従業員やその家族は含まれてはいない。
アメリカ型経営者の役割は、契約社長・役員として、如何なる手段を取っても前年比で業績を上げ、株主に配当を行い、高額の報酬と取る事である。
この後、三洋、シャープ、東芝など世界的大手の優良企業は、道徳・倫理より利潤・利益というアメリカ型の経営統治システムを導入して衰退に向かった。
景気が回復し、利益が上がっても、従業員に還元することんなく、内部保留として貯め込んで消費を冷えこませている。
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2004年12月26日 インドネシア・スマトラ島沖地震。インド洋沿岸諸国を大津波が襲い、甚大なる被害を出し、死者・行方不明者約22万人の大災害となった。
震源地に近いインドネシア・アチェ州は、反政府勢力の主要拠点であり、反政府派は「これは天罰だ。この国の指導者達が人々を抑圧していたせいだ」と煽った。
穏健派イスラム組織の救援チームは、地震発生から72時間後に現地に入って被災者の救助と死体収容及び行方不明者の捜索を始めた。
政府側も反政府勢力も、深刻な被害を前にして対立抗争を中止し、一致協力して被災者の救援・遺体の埋葬、救援物資の輸送を行う事で合意した。
翌05年8月に和平協定が成立し、29年に及ぶ戦闘が終わった。
しかし、時が経ち、多くの転入者が増えるや、地震と津波の甚大な被害という記憶は風化し教訓も形骸化して行く。
人類とは、忘却を繰り返す。
甚大なる自然災害は、古代であれば民族神話として語り継がれるが、現代では記録として残されるが人々の記憶から消えて行く。
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2005年 日本の科学技術論文の執筆本数はアメリカに次いで世界第二位で、世界でも論文の質は高く評価され他の論文に引用される件数も多かった。
優れた論文が数多く発表される事は、独創的な優れた人材が学会、大学・専門学校、研究所、企業などに多くいる事と工業界の国際競争力が高い事の証明でもあった。
だが。これ以降の論文本数は減少して、2014年頃にはアメリカ、中国、イギリス、ドイツに次いで5位に転落し、さらにインドにも抜かれそうな状態となっている。
工業界の競争力も弱体化して、日本製品を生産しても昔ほどには売れなくなった。
中国製品や韓国製品などの安価な大量売りの攻勢で劣勢に立たされたのは確かであったが、それ以前に、高値でも日本製品を買いたいという魅力が消滅した所にある。
メイド・イン・ジャパンといわれた、テレビ、コンピューター、半導体、携帯電話などの電機・IT分野の凋落は著しく、電気自動車の普及によって自動車産業も先行きが不安になっている。
ロボット、人工頭脳、遺伝子工学、新エネルギー技術など最先端技術に於いても、将来を切り開く力強さをなくして、既存を破壊する技術革新が遅れた。
製造業の衰退により輸出する商品は減少し、他国産業の要求に従って製品を開発・製造・供給する中小部品メーカーに成り下がる。
つまり。一台数十万円の完成品ではなく、一個数千円の精密部品を売る。
国際市場で完成品を売るメーカーは数社であっても、その数社に部品を売る部品メーカーは地球上に数千社がひしめき合っている。
日本が経済大国の地位に復帰する以前に、完成品メーカーでありたいのか部品メーカーで甘んじるのか。
戦後復興からバブル経済までの旧態依然とした成功モデルでは、中小の部品メーカーに落ちぶれるしかない。
日本には、底力がある、大丈夫だ、と自己暗示で思考停止している余裕はない。
「グローバル人材の育成」が上の空で念じているお題目に過ぎない事は、シャープやソニーや東芝の企業の経営はもちろん、大学などの教育を見れば明らかである。
世界で戦える即戦力的な優秀の人材が欲しければ、日本人学生ではなく外国人学生から探し出すべきである。
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穀物生産面積は202万ヘクタールで、1,616万トンの穀物を生産した。
日本の農地面積は465万ヘクタールで、農作物を生産している面積は320万ヘクタールで、残りの145万ヘクタールが休耕地や耕作放棄地である。
穀物生産に利用できる面積は347万ヘクタールで、生産量は3,016万トンである。
異常気象や好気象に関係なく平年作で生産した穀物量で、年間穀物消費量330㎏の消費で扶養可能人口は、約7,000万人であるといわれている。
明治時代頃の穀物消費量(200㎏)の食生活に戻れれば、人口1億2,000万人を扶養できると言われている。
いずれにせよ、食糧を国外から輸入しなければ日本人は生きてゆけない。
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2005年冬 『理戦 82』 実践社 「近未来 食料と水が不足する
目次
・地球が養えるのは30億人でしかない……国連大学副学長 室井 至
{温暖化問題は水問題、そして、食料問題である/食糧供給からみた水問題/エネルギー問題も食糧供給に影響/食糧生産に対するその他の要因/消費側の要因/食料問題の究極的解決法/現実と未来戦略 まとめにかえて}
・アフリカの農業危機を打開していく道……東京農業大学国際食料情報学部教授 是永東彦
{危機的状況──サハラ以南を中心に/多様な生態系条件と農法/技術進歩とその限界/若干の展望}
・途上国への開発援助は先進国の責務……FAO(国際連合食糧農業機関)日本事務所長 遠藤保雄
{飢餓・栄養不足の現状/飢餓・栄養不足を生む要因・歴史的な背景/飢餓・栄養不足人口の削減にどう取り組むのか/飢餓栄養不足問題への多様かつシームレス(継ぎ目のない)な取組の必要性}
・21世紀は水戦争の時代となる……東京大学名誉教授 高橋 裕
{国際河川をめぐる紛争/人口増加と進む水質汚染/上流と下流の争い/水問題の重要性を認識する欧州/モンスーンアジアの水問題と日本/地球温暖化と水問題/日本の恵まれた水環境}/
・中国黄土高原で砂漠化が進んでいる……緑の地球ネットワーク事務局長 高見邦雄
{1,黄土高原における砂漠化。10年のうち9年は旱魃、降れば降ったで困る雨、水土流失と砂漠化、/2,干上がる農村。環境破壊と貧困の悪循環、地形と水による大きな格差、飲み水さえ涸れていく、世界でも最低水準の水質源量/3,水の悩みも大国・中国。深刻さを増す北京の水不足、オリンピックへの綱渡り、懸念される食料問題への波及}
・11億人が安全な水を飲めないでいる……高知工科大学社会システム工学科教授 村上雅博
{プロローグ/緑の革命から青の革命へ/人間と水の安全保障/気象関連の自然災害の脅威/エピローグ‥国際社会が取り組む水問題解決へのシナリオ}
・環境負荷の高い農産物を貿易対象から外せ……東京農工大学大学院教授 矢口芳生
{WTOの中での農業の扱い/日本の農業政策/正常な農業生産活動のもとでの農産物のみを貿易の対象とする/EUの取組とそこから学べること/第三次産業としての農業}
・貿易の自由化で日本の農業が壊れていく……農業記者 大野和興
{生産者米価の暴落/返済不能農家が続出/消える村/土地から切り離される農民/アジアでも}
・欧米型の営農技術体系は生き詰まっている……秋田県立大学短期大学教授 真勢 徹
{アジアの風土と水/水利共同体社会の成立/2040年の食料と水を展望する/食糧・水問題の解決に向けて}
・断流・地下水低下で干上がる中国華北高原……千葉大学環境リモートセンシング研究センター教授 近藤昭彦
{河川の断流/地下水位の低下/塩分集積/水質汚染/食糧生産と地下水/食糧生産と人間活動/水問題への対策/日本の貢献}
・オガララ断水層の地下水低下は飼料作物のせい……筑波大学生命環境科学研究科教授 田荑則雄
{センターピポットによる潅漑システム/畜産の進出とトウモロコシ栽培の増加/持続的地下水利用は可能か}
・バイオテクノロジーで食料問題は解決されるのか……京都大学助教授 久野秀二
{除草剤を減らさない除草剤耐性作物/変わらない農業システム──近代化農業の悪循環/政府・科学者の説明責任/長期的影響への不安/育種のあり方を問い直す/『公共財』か『私有財』か──アメリカで進む遺伝子特許/農業の工業化とグローバル化/食糧安全保障と日本農業/関係性・自己決定・パートナーシップが鍵/ローカルからナショナルへ、そしてグローバルへ}
・異常気象に適応した作付が必要となっている……国立環境研究所研究員 高橋 潔
{はじめに/農業・食料安全保障への影響/水資源への影響/おわりに}
・石油消耗で現代物質文明崩壊の危機……作家・編集者 荒 岱介
{石油高騰の原因は何か/石油代替エネルギーは存在しない/石油減耗とはどういうことか/老オイルピークが来た/ハバートとキャンベル/世界石油争奪戦争の始まり/化石燃料が可能とした産業革命/キューバか北朝鮮か/資源浪費型は生き残れない}」
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政界の黒幕である渡り老人は、「日本列島が沈没して、日本国家が消滅するに当たって、日本民族を如何にして救うか」を数名の学者に徹夜で研究させた。
第一の案は、「このまま何もせずに日本民族は日本列島と運命を共にして海底に沈んで死滅した方が良い」、であった。
歴史の事実として、ユダヤ民族など保護してくれる国家を持たない民族は世界中で嫌われて迫害され弾圧され、幾度も異民族による虐殺を受けて滅亡の危機を経験していた。
故に、何も知らず、何の不安を抱かず、日々の安穏な生活を享受しながら滅びる事が最も幸せではないかと。 ・ ・ ・
現実の国際社会には、無国籍の地球市民日本人などはありえない。
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2006年2月 神戸空港は、箱モノ行政として住民反対を押し切って開港し、この年の搭乗者数は予想の8割以上で順調な滑り出しであった。
年々、搭乗者数は減少し、15年には経営難となり、16年には自主再建は不可として身売り話が囁かれるようになった。
他の地方空港も軒並み赤字となり、維持費だけで莫大な経費が消えていっている。
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