🐟12〗─1─日本農業再生・復興としての安全性と信用性の高い日本産漢方薬品輸出戦略。~No.50No.51No.52 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2017年6月号 SAPIO「『日本の漢方薬』に中国人が殺到している。 清水典之
 中国の伝統医学は1500年前に日本に伝来してきた。その本場をも覆す現象が、爆買い中国人観光客を通して巻き起こっている。
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 『漢方薬』は日本で発展した
 〝漢方〟というば、中国が本家本元と考えられているが、なぜこのような逆転現象が起きているのか。
 前段では中国の薬を『中医薬』と記したが、『中医薬』と日本の『漢方薬』は別物と捉えるべきなのだという。漢方が専門の慶応大学環境情報学部の渡辺賢治教授はこう言う。
 『中国の伝統医学は5〜6世紀ごろに日本に伝わりましたが、徐々に日本化が進み、江戸時代には完全に枝分かれしました。中国では効くメカニズムを考える方向に進み、観念的になっていったのに対し、日本ではそれよりも効果を重視して、より実学的、実践的な方向に進みました。さらに現代の医療制度の中で西洋医学の医師が処方するのも日本の漢方の特長です。現在147種類のエキス剤が処方可能なほか、煎じ薬も保険適用があり、研究も進んでいます』
 中国の伝統医学は、自然科学が発展していない時代に五行説などの抽象的な自然哲学を取り入れ、中医薬も目の前の症状への分析への分析よりも『肺は五行の金だから〜』と哲学体系に症状を当てはめる方向に進んでしまった側面がある。日本の漢方はそんな実践を捨てた中国の伝統医学を否定することに始まり、データから効率的に治療効果を上げようとして発展した。その実学的成果が漢方薬である。漢方薬中医薬が別物であることを中国人観光客が知っているかは定かではないが、日本で売れているのもの効果や品質の違いは十分に認識している。
 『日本で売っているもののほうが効くって言われているの。特に胃薬が良いからたくさんお土産に頼まれている。中国はニセ薬が多いしね』(河北省の30代女性)
 『日本の薬がよく効くという噂は中国では誰でも知っています。日本の薬剤に関する規制は中国より厳しく、品質もいい。中国では薬の規制や法律が緩く、安全性に不安がある』(四川省の30代男性)
 中医薬から重金属や毒物を検出
 彼らは異口同音に『中国ではニセ薬が多い』と言うが、本物の中医薬でも品質には疑問符が付く。
 11年8月には香港の衛生署が、3種類の中医薬について基準値を大幅に上回るヒ素や水銀が含まれているとして販売を禁止。同様のケースは多数ある。
 重金属だけでなく、毒性の植物が混入するケースもある。実際に健康被害も起きていて、海外では輸入された中医薬の使用で肝臓や腎臓に障害が起きたケースが多数報告され、なかには死亡した例もある。
 一方、日本の漢方薬メーカーは、中国産原料を使用する際でも、厳重に品質検査を行い、植物という天然の素材を使いながら一定の品質を保つ技術を持っている。それが中国人にも支持されている理由といえそうだ。ただ、世界の市場においては、決して日本の漢方薬が優位に立っているわけではない。前出の渡辺教授はこう言う。
 『今は世界的な伝統医学ブームで、中国は原料の生薬を握っている上に国家戦略として中医学の海外侵出を推進しているので、世界におけるシェアは圧倒的です。原料生薬のうち、よく使われる甘草と麻黄は中国の輸出規制品であり、将来的に日本への輸出が止まる可能性もあります。日本の農業技術でつくれない生薬はないのですが、コストの問題がある。このピンチをチャンスに変えるために、安心安全な国産生薬を使った日本の漢方薬をブランド化して、世界に打って出るべきです』
 漢方薬を輸出産品にできれば、農業の復興と地域創生にもつながる。そのためには、まずは日本人自身が『日本の漢方薬』の価値を正しく認識する必要がある」
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 漢方医蘭方医は激しく対立していたが、一般的には漢方医の方が蘭方医より上位にあって権力を持っていた。
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 日本の漢方は、江戸後期以降に蘭方(西洋医学)の影響を受けて独自に発展し、中国・朝鮮の古典的伝統漢方とは別物である。
 医学を志す若い漢方医の多くは、西洋の進んだ医学を学ぶ為に長崎への遊学を希望し、できなければ江戸か大坂の有名な蘭方医への弟子入りを希望した。
 有名な蘭方医は、漢方では手に負えない病気やケガを蘭方を加えて治す為に、蘭方を広めるべく志を持った若者を弟子にとって蘭方を伝授し指導した。
 大阪、緒方洪庵適塾
 西洋医学書の専門用語の多くは、オランダ語の限られた一般単語を知っていた蘭方医達が、独学で西洋医学書を翻訳しながら新しく創り出した和製漢字である。
 日本を発展させてきた原動力は、新しい知識を加えた発想、思いもよらない想像力、そして受け継がれた伝統技術に新しい技術を加えた創意工夫にあった。
 1774年 『解体新書』刊行。
 1815年 杉田玄白の『蘭学事始』。
 日本の近代医学書は、漢方医達が蘭方医に転向して和製漢字を作って翻訳し編纂した書物である。
 1839年 蛮社の獄
 古典的伝統医術に固執する漢方医は、「医は仁術」を金看板として蘭方を異端と否定し、閉鎖的排他的な教条主義儒学者・漢学者らと組んで幕府の権力を利用して蘭方や蘭学を弾圧した。
 だが。
 旧態勢力は、時代遅れで無用の長物となった自分の分野・知識・技術を守ろうとした、所詮は新たな時代の流れに呑みこまれて敗北した。
 柔軟性と多様性を失い蛸壺化・ガラパゴス化した者・分野・業界は、変革・改善・改良に失敗して消滅する運命にあった。
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 日本は、中国や朝鮮とは違い、如何に権力に弾圧されても良いものは良いとして、何時の日か世間に認められ、世の為人の為に役立つ日が必ず来ると信じて守り続けた。
 「世の為人の為になる」という信念を命を捨てても貫くという反権力の反骨精神は、日本風土の中に根付いていた。
 「御上のご無理ご無体ご尤も」というさもしい根性は、主君への命を捨てた絶対忠誠心を誓う武士・サムライでは当然の事であったが、命と生活を優先する百姓や町人など庶民では希薄であった。
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 江戸幕府の第8代将軍徳川吉宗は、中国や朝鮮から輸入する高価な漢方では貧しい庶民を救えないとして、漢方薬原料の自国生産を奨励した。
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 中国や朝鮮の漢方は、過去に囚われ硬直した観念的・経験的であった。
 日本の漢方は、今・現代を重視した柔軟な実学的・実践的であった。
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 日本の医学・医術・治療は、その時代その時代に、日本に伝来した最新の海外医学・治療を柔軟に取り入れ、医学書のみを頼りに独自の発想で改良を加えながら発展してきた。
 効能・効果がない医学・医術・治療は、いともあっさりと、愛着を持たず役立たずとして捨てた。
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 命を救うには多様性・柔軟性が重要として、西洋医学を盲信して漢方を切り捨てる事はしなかった。
 経験の漢方と検証の西洋医学を、均衡がとれた状態で補完させながら利用した。
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 中国・朝鮮では、正規の治療代以外に医者や看護師に対する金銭を贈らなければ、真面な医療も本当の薬の処方も得られない。
 金持ちは助かるが、貧乏人は助からないのが、中国や朝鮮の現状であった。
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 中国や朝鮮に広がった西洋近代医学は、日本のお陰であった。
 東アジアの近代化運動、自由・民主主義運動、人権・人道運動は、日本が震源地であった。
 日本がなければ、中国や朝鮮の近代化はありえなかった。
 その意味で日本は中国や朝鮮から感謝されて当然であるが、志を高く持つ日本人は讃辞を要求しないどころか、むしろ慎みと奥床しさから辞退した。
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 古典的伝統漢方は、古代の中国で生まれたが、朝鮮発祥の漢方治療法は限りなく少ない。
 朝鮮で名が知れているのは、高麗人参など幾つかのみである。
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 日本の文字化は、インド発祥で中央アジア経由で伝来した大乗仏教の経典・教義と中華の古典的漢籍から始まった。
 日本の近世化は、オランダを通じた海外交易から始まった。
 日本の近代化は、蘭学・蘭方から始まった。


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