🍙21〗─2─軍国日本は、乏しい食料を公平に国民に分け与えるべく、人権を制限し自由に食べる権利を奪った。1941年の農業統制政策。昭和16年4月~No.95No.96No.97 @ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 春。アメリカの商務省の輸出規制物資課運営委員会は、日本が必要物資を購入できない様に、そして輸送を妨害する方法を研究し、日本国内の爆撃目標を協議した。
 アメリカは、参戦する事を前提として軍需生産を「戦争軍需プログラム」に移行し、全ての産業は戦時体制となり、企業と労働組合は生産を維持する為に協力した。
 軍国日本を崩壊させる有効な手段は、食べ物・食糧、石油・エネルギー、生産材料・基本資源を輸入できないように遮断する事であった。
 世界常識がある国であれば、抵抗せず、戦争は不可能と判断して降伏した。
 だが、軍国日本には世界常識がなかった。
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 4月 都市生活者の間で、ハイキングが大流行した。
 神戸市は、六甲山で盛大に強歩大会を開催した。
 政府は、食糧を統制する為の農業諸政策を発表した。
 ・農地管理令  ……農地の荒廃を防止する為に、耕作地の転用を規正する。
 ・農業生産統制令……肥料や農薬などの生産資材の使用及び作る作物の統制。
 ・農村開発法  ……安定的自給自足体制の為の増産政策として、農地を拡張し、大規模農業を図る法律。
 4月1日 米穀通帳及び外食券制の実施により、一般家庭への米配給割当制が始まる。
 <米の配給>
 大人……1日=2合3勺‥(330㌘・年間120㎏)
 <農家の保有量>
 大人……1日=4合のみ
 今後の、生産と需給の見通しで算出された。
 その意味に於いて、外米の安定供給が必要条件であり、南部仏印の確保が死活問題であった。
 都市の消費者からすると、農村の生産者が優遇されている事が不公平に見えて不満であった。
 飢えてひもじくなると、他人が同じ量を食べていても不公平に見え、憎悪が増してくるものである。
 憲兵隊や警察当局は、暴力的な監視を強化して、不平不満を公権力で封じ込めた。
 当時の国民には、「個」としての如何なる自由も権利も存在しなかった。
 戦時下の日本は、息苦しい軍国主義に支配されていた。
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 4月7日 代用食肉として、犬・猫・金魚・カエル・蛇・アザラシなどの販売申請が続いていた。
 4月8日 日本政府は、慢性的食糧不足の為に、天下の悪法の一つとされている国家総動員法に基づいて生活必需物資統制令を公布した。
 警察庁も、第一次世界大戦やシベリア出兵時の米騒動を教訓として統制を強化した。今後の米の生産量と需給の見通しで国民一人一人の年間消費量を算出したが、深刻な米不足は遺憾ともならなかった。
 大和民族が食べて生き残る為には、南部仏印メコン・デルタ)の確保が鍵であった。
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 官製統制という1941年体制の成立。
 革新官僚エリートは、マルクス主義に基づく統制で国家と国民を支配しようとした。
 特高警察は、企画院の勝間田清一農林省農政課長の和田博雄らを、非合法的共産主義運動に関係した治安維持法違反で検挙した。
 軍部は、戦争に必要な物資を獲得する為に、軍部優位の物資動員計画に批判的な自由主義者や経済合理主義者を一掃して企画院を影響下に置いた。
 企画院は、日中戦争勃発と共に物資動員と生産拡充を担当する国策立案機関として創設された内閣直属機関であったが、陸軍省戦備課と海軍省兵備課の出先機関として軍部の意向に沿って開戦に都合の良い動員計画を立案していた。
 陸軍の出先機関は、企画院の国際情勢に即した物資輸送計画を無視して、民間の船舶を統帥事項として勝手に徴用し軍事物資を優先的に輸送していた。
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 肉屋で、犬・タツノオトシゴ・オットセイなどの肉が販売できるようになった。
 4月13日 松岡外相は、軍部からの、ソ連による対中軍事援助の阻止要請に従って日ソ中立条約を調印した。
 ソ連軍は、日本軍の軍事侵攻を回避し極東地域における危機が取り除かれたとして、5月から極秘に東軍から相当大規模な部隊をヨーロッパ方面に向けて移動を開始した。
 日ソ中立条約は、思わぬ所に影響を及ぼしていた。それは、日本の反天皇派グループ(共産主義、プロレタリア活動家、無政府主義者)と中国の延安政府であった。
 中国共産党の延安政府は、日ソ中立条約はソ連に有利であり、ソ連に有利であれば中国共産党にも有利であると賛同した。
 つまり、ソ連に対する日本の脅威が無くなれば、安心してアジアの共産主義化に取り組めるからである。
 野坂参三日本共産党員らも、日本軍と戦い、日本に共産革命を起こす為に延安に入り、捕虜となった多くの日本人兵士を反天皇反神社の革命闘士にするべく共産主義にもとずく政治的再教育をした。
 国民党の重慶政府は、日ソ中立条約は中ソ不可侵条約違反であり、中国の領土占領を承認し合うものだと猛反発した。
 国民党系の新聞各紙も、一斉にソ連の裏切り行為を糾弾する社説を掲載した。
 日本軍にとっても、食糧などの大輸送網の安定による華北の救済を優先させる為に、中国共産党軍が鉄道や橋に対する破壊工作をせず、食糧などの必要物資の輸送を邪魔しない限り攻撃する気はなかった。
 延安中央では抗日戦を声高に叫んでいたが、現地の地元農民と日本軍の関係は交易を行うなど友好を保っていた。
 汪兆銘南京政府は、「日中親善」・「和平建国」・「住民自治制の確立」をプロパガンダとして5月に清郷委員会を設立し、政治、行政、経済、文化を総動員して敵に洗脳された民衆を慰撫する事に務めた。
 日本軍と南京政府の努力により華北の救済は順調に進み治安は回復し、清郷運動は43年秋に終了した。
 同時に、中国共産党も支持者を拡大させて行った。
 日本軍の次の課題は、不安定な華北の食糧事情を安定させる事と華北周囲にいる国民党軍の剿滅であった。
 華北の安定の為に、日本的植林事業による自然の回復と近代的農業の指導により食糧の増産が図られた。
 4月14日 食糧報国連盟は、輸入小麦粉を従来の3分の1にして、肉や野菜を詰め込んだ純日本式パン(国民パン)の試食会を開いた。
 東京は、飲食店に月2回の「肉なし日」を設けるように通牒した。
 ワシントンの宋子文は、アメリカ政府に対し「武器貸与法」に基づく軍事支援の増加を求めて奔走していた。
 アメリカ政府も、日ソ中立条約により日本軍の南進が本格するものと分析し、中国へのさらなる武器援助の必要性を再認識すると共にビルマルートの輸送強化を指示した。
 対中支援強化に伴い、中国への物資輸送中継地であるイギリス領ビルマに膨大な軍需物資が陸揚げさせた。
 4月16日 日米民間有志は、本気で日米の衝突を避けるべく「日米了解案」を作成し、非公式ルートで日本政府に提出した。
 軍部は、日本の主張の多くを取り入れた友好的な案であるとし、この案での交渉を要請した。
 外務省は、民間人が取りまとめた了解案に官僚としてのプライドから不満を抱き、アメリカの物分かりの良さが目立ちすぎるとして難癖を付け、三国同盟を基本外交として消極的な対応をとった。
 ルーズベルトやハル国務長官は、本気で同案での交渉成立を望んではいなかった。
 4月17日 厚生省は、大豆・馬鈴薯・人参など栄養野菜21種の空閑地栽培方法を全国に通牒。
 隣組在郷軍人会や国防婦人会は、御国の為として、率先して街頭農園を広めた。
 4月18日 日本の総人口(朝鮮・台湾・南樺太を含めて)が、1億522万6,111人と発表された。
 日本人のみの人口は、7,450万人。
 4月19日 アメリカ、イギリス、オランダは、マニラで対日包囲網を形成し、日本を戦争に追い詰める為の軍事協定に調印した。
 アメリカの傀儡国家フィリピンは、国際的反日勢力の急先鋒であった。
 アジア諸国で、日本に味方する国は一国も無かった。
 ただし。中国な漢民族朝鮮民族反日派以外の、アジア諸民族の独立派は軍国日本に積極的に協力し、日本軍の道先案内を引き受けていた。
 独立派は親日派で、植民地派は反日派であった。
 白人の植民地支配に協力するアジア人は、日本軍を侵略者として徹底抗戦した。
 4月19日 ワシントンの寺崎から松岡外相への報告、「ルーズベルト大統領の態度はますます独裁的になりつつあり、アメリカ政府は全面戦争に傾きつつある」。
 ナチス・ドイツは、日本側から機密情報が漏洩する事を恐れて、「形跡なし」と返事を送った。
 4月20日 野村大使は、暗号解読に対して思い当たる事例があると報告した。
 松岡外相は、アメリカが日本の暗号解読をしている事実を不問とし、何もなかったように機密漏洩を防ぐ対策をとらなかった。
 アメリカは、日本の秘密電報を全て解読し、日本国内の窮状を知り尽くしていた。
 イギリスも、国際通信網の中立性を無視して、必要とする情報をマルタ島や香港など各地にある海底ケーブル中継局から極秘に得ていた。
 世界の通信を管轄していたのは、ユダヤ人の通信会社であった。
 国際報道機関も、全てユダヤ人が支配していた。
 ユダヤ人経営の成功の秘訣は、全ての情報を支配し、誰よりも先に正確な極秘情報を得る事であった。
 つまり、インサイダー取引であった。ユダヤ人財閥の知らない事は、地球上には何もなかったのである。
 日本側の情報機関も、東京のアメリカ大使館とワシントンとの外交暗号を解読していた。
 後年。近衛首相は、日米戦争を回避する為に強硬派の松岡外相を更迭し、最高機密事項であるアメリカ側の外交暗号を解読している事実を、グルー大使に打ち明けた。
 4月26日 アメリカやイギリスは、タイや仏印や蘭印などの東南アジア地域から日本への原料資源輸出を妨害し、前年の半分以下に抑えるように圧力を掛けた。
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 5月2日 男子の徴兵や徴用が多くなって労働力が不足した為に、女性を積極的に活用し社会進出させる事となった。
 拓務省は、農村の女性に最新農法を教育する為に、全国7ヶ所に女性開拓訓練所を設置した。
 朝鮮の女性を社会で活用する事は、女性蔑視の儒教価値観に邪魔されて断念した。
 5月5日 ベルリンの大島大使は、ドイツ軍情報として、松岡外相にアメリカ側が最高機密暗号『パープル』を解読している事を知らせた。
 松岡外相は、ただちにワシントンの野村大使に調査を命じ、大島大使に再度の情報提供を要請した。
 アメリカ情報部は、暗号解読が知られるかもしれないと緊張した。
 5月7日 畑の肥料不足を補う為に、町内会を通じて各家庭に木灰の供出を依頼した。集まった木灰は、農村に送られた。
 5月9日 フランスとタイは和平条約を締結し、両国は南部仏印における日本軍の対共産主義と治安維持と国境紛争防止等を目的とした進出の合法性を認めた。
 5月19日 共産主義組織ベトナム独立同盟(ベトミン)は、反日反仏を大義として民族解放路線を採択した。
 仏印華僑の財政支援を受けた共産主義者民族主義者による独立運動が盛んになるや、インドシナ情勢は悪化した。
 南部仏印の政情不安・治安の悪化は、新たな紛争の火種となり、日本にとっては深刻な問題となった。
 東南アジアにおける反日運動は燎原の火の如く拡大し、日本人は自分が思い込んでいる程には東南アジアの人々から信用されていなかった。
 数百年続いたヨーロッパ人による植民地支配は、東南アジア人にはごく自然の事であり、この先も変わることなく数百年続くと信じられていた。
 ベトミンの指導者であるホー・チ・ミンは、OSSのポール・ヘリウェル大佐に接触して侵略者日本軍の動静を報告していた。
 5月21日 家庭用の外米混入率を、23%増の63%に変更された。
 5月25日 北海道帯広一帯で、1㎝の積雪を観測した。北海道と東北地方は低温が続き、夏の気温の上昇がなければ冷夏が予想された。
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 5月28日 中立国アメリカは、ファシスト中国を勝たせる為に軍事支援をし、軍国日本を敗北させる為に経済制裁を強化した。
 カリー大統領補佐官は、国務省で対中国支援に関する会議を主催し、航空機1,300機の供与と300名から400名の中国人パイロットをアメリカの訓練施設で飛行訓練させる事を望んだ。
 カリーは、ノックス海軍長官に、ロッキード・ハドソン爆撃機33機とダグラスDBー7攻撃機33機を、日本と戦う中国に供与するという対中国短期航空機計画書を送った。
 ユダヤ人財閥を中心とした軍産複合体は、ユダヤ人金融資本の保証により、50億ドル以上の国防予算で武器弾薬を生産していた。
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 5月29日 神戸市滞留のユダヤ人難民53名が、軍国日本の支援を受けてパレスチナに向けて出港した。
 昭和天皇は、ユダヤ人難民の身の上を案じていた。
 松岡外相は、建て前としてナチス・ドイツに配慮してユダヤ人難民の日本通過に不快感を示したが、本音では安全な国への出国に協力した。
 東条英機A級戦犯達は、松岡洋右ユダヤ人難民保護には一切口を出さず、邪魔しなかった。
 A級戦犯達のユダヤ人難民救済は、ユダヤ人を利用しようとして助けたのではなく、ユダヤ人から感謝されたいからではなく、昭和天皇ユダヤ人難民の救済を求めたからである。
 靖国神社に祀られているA級戦犯達は、ユダヤ人難民を助けていた。
 ニューヨークのユダヤ人支援団体は、軍国日本の協力を得てユダヤ人難民に送金していた。
 軍国日本は、ナチス・ドイツからのユダヤ人排除の要請を無視して、ナチス・ドイツとの同盟関係とユダヤ人難民保護を切り離し、完全な別物と割り切っていた。
 軍国日本とナチス・ドイツホロコーストは、無関係であった。
 アメリカやイギリスは、国内の人種差別から、軍国日本が人道的に押しつけてくるユダヤ人難民がありがた迷惑であった。
 何処の国も、口ではユダヤ人難民の救済を主張しても、ユダヤ人難民を自国に受け入れる事を拒絶していた。
 国家として、無条件・無報償でユダヤ人難民を受け入れていたのは軍国日本だけであった。
 軍国日本は、平和を破って戦争を始めたが、ユダヤ人難民を助ける事で人道に貢献していた。
 それが、日本の軍国主義であった。
 軍国日本は、軍国主義であってもファシストではなかった。
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 日本外務省は、中国人情報提供者からの極秘情報として、中国空軍が重爆撃機を使って東京などの日本の諸都市を爆撃する計画があるとの情報を、南京、上海、北京等の公館に機密電報を送った。
 アメリカは、外交暗号を6月3日までに解読した。
 これ以降も、中国人協力者によって、日本爆撃計画の進行状態やシェノールトらの義勇兵部隊フライング・タイガーの軍事情報が東京の外務省に報じられた。





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