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・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本は、明治後期から食糧・資源・エネルギーの輸入国となっていた。
昭和初期、安全保障上から自給自足体制強化策として満州開発にヒト・モノ・カネを投じたが、アメリカへの依存度を下げる事はできなかった。
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日本が生存するに必要な食糧・資源・エネルギー(石油)は、アメリカに握られていた。
その状況は、現代でも変わらず、そして将来でも変わらない。
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アメリカ農業の崩壊は、家族主体の労働集約型中・小規模農業から大型農業機械の資本集約型大規模農業に発展させた事が原因であった。
急増した元農民による都市低賃金労働者は、社会への不平不満が勤勉に働く日系アメリカ人への敵意となり排日運動を盛り上げ、世論は鬱憤晴らしとして対日強硬策を求めた。
対日戦争機運は、知らず知らずのうちに醸し出されていった。
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軍国日本は、天皇・皇室の存続(国體護持)、日本民族日本人・自国民(日本国籍朝鮮人・台湾人その他少数派帰化人も含む)の生命、そして食糧・資源・エネルギー(石油)確保する自衛の為に戦争をした。
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2017年8月29日号 エコノミスト「天災と人災
大恐慌を引き起こした大干ばつ 欲望による農地酷使で被害拡大 石弘之
天災と人災は相互に影響し合うことがしばしばある。
世界大恐慌も天災が関係していた。
1929年10月24日、『暗黒の木曜日』と呼ばれる米国の株価の大暴落と共に、世界大恐慌が幕を開けた。ほぼ同時期に米国は空前の大干ばつに見舞われ、『黄塵(ダストボウル)』と名づけられた砂塵(さじん)が空を覆って農業に壊滅的な被害が広がっていた。
米国経済への依存を深めていた各国の経済も破綻の連鎖に巻き込まれ、世界は最悪の同時不況に突入した。欧州や日本では経済や政治の混乱からファシズムが台頭し、第二次世界大戦へなだれ込んでいく。
世界大恐慌と第二次大戦という二つの悲劇を招いたのは傲慢な人間の欲望だった。大地の能力以上に耕地を酷使して増産に走り、『永遠の繁栄』を信じて投機に踊った結果だった。環境史を専門にしていると、天災と人災が同時期に発生する『歴史の偶然』ともいうべき現象に、しばしば行きあたる。
第一次世界大戦の戦場になって荒廃した欧州や、革命で混乱するソ連を尻目に、米国は『黄金の20年代』と呼ばれる繁栄を謳歌(おうか)していた。食糧価格の高騰によって輸出が急拡大し、小麦生産は戦前の1.5倍にも増加した。
活況を追い風に、家族が主体の労働集約的な農業から、大型農業機械を駆使して広大な土地を耕す資本集約的農業へと変貌を遂げた。農民はかつてない豊かな暮らしを実現。借金で農地を買収し、高額の大型機械を購入して経営を拡大していった。耕地は休ませることなく徹底的に収奪された。
20年代後半、欧州の農業が復興して輸出が減り、過剰生産による価格の下落で農業は深刻な状況に陥った。さらに、鉄道や石炭産業部門も過当競争から不振に陥ったのもかかわず、異常な投機熱はやまなかった。32年後半から33年春にかけて米国経済は最悪の事態を迎えた。株価は恐慌前と比べて80%以上も下落し、全賃金労働者の4分の1を占める1,200万人以上が失業した。労働史上最大規模のストライキも起き、デモ隊が暴徒化して警官隊と衝突、多くの死傷者を出した。
350万人が農地放棄
一方、米国には干ばつが静かに忍び寄っていた。30年8月にはい入って、ミズーリ、イリノイ州など西部から中西部の12州で、雨がほとんど降らなくなった。100万世帯の農家は凶作になって収入は半減した。それでも、農家は借金を返済するために無理な耕作を続けなければならなかった。
翌31年は中西部から大平原南部の農牧地で、『黒い吹雪』と呼ばれる砂塵が舞い上がった、次第に砂嵐の発生頻度が増して、その翌年に14回、翌々年には38回を数え、干ばつの被害はみるみる拡大していった。33年に就任したフランクリン・ルーズベルト大統領はニューディール政策を発表、最優先で大恐慌と干ばつの対策に取り組む決意を表明した。
大平原地方から巻き上げられた砂塵は偏西風に乗って米国経済を担ってきた東部をすっぽりと包み込んだ。35年4月14日には首都ワシントン、ニューヨーク、シカゴなどに襲いかかり、太陽の光を遮った『暗黒の日曜日』として歴史に刻まれる事態になった。連邦議会は戦時並みの『国家緊急事態』を宣言した。
干ばつの被害は最終的に27州、全米の75%の地域に拡大した。農業省はこの年末に『9,000万ヘクタールの農地で被害が出て、1,400万ヘクタールの農地は収穫がゼロだった』と発表した。農業不況のしわ寄せは零細農や小作農に集中した。350万人の農民が土地を放棄し、また借金のカタに農地を奪われ追い立てられた。破産した貧しい農民たちは、新たな土地を求めて西海岸を目指した。その数は250万人と推定される。のちにノーベル文学賞を受賞した作家、ジョン・スタインベックが『怒りの葡萄』で描いた、オクラホマの農民一家がカリフォルニア州を目指した流浪の旅は、このシーンにほかならない。
大干ばつは、41年に南部と中部の平原に雨が戻って最終的に終息した。だが、既に第二次大戦の銃声がこだましていた。恐慌は、米国が大戦に参戦し軍需景気によって解消した。
米国の環境史学会の大御所ドナルド・ウォースター・カンザス大学名誉教授は、著書『黄塵──1930年代の大平原』の中で、『大恐慌と黄塵は不幸な偶然の一致ではない。あくなき利潤の追求で経済が破綻するまでに投機に走り、片や土壌や草原までも資本と見なし、そこから最大の利潤を上げようとして、ついには生態系までも破綻に追いこんだ』と人類の利潤の追求を批判している。
歴史を振り返ると、天災と人災が同時期に発生した例は少なくない。世界大恐慌のように天災と人災が相互に関連して被害が増幅している場合も多い。
政策が飢餓の引き金
例えば、58年に毛沢東の鶴のひと声で『大躍進政策』が始まった中国だ。毛沢東の狙いは世界の一流国に飛躍するための、鉄鋼と食糧の大増産にあった。全国民に対して、原始的な小規模溶鉱炉(土法炉)の建設を命じた。だが、燃料の石炭は枯渇し、それに代わる木炭製造のために森林が伐採された。
食糧増産のために大規模な開墾が進められ、9,000万人の農民を強制的に駆り出し、灌漑のために長大な水路を建設させた。このため、農村は空っぽになり食糧生産も激減。そこに干ばつと洪水が襲いかかって飢餓が広がり、さまざまな推定はあるが、わずか3年間に約3,000万人が死亡したとされる。まさに人災が天災の引き金になったと言える。
日本においても、地震被害が起こした社会の混乱が人災と同時期に起きている。869年の『貞観(じょうがん)大震災』は、陸奥国(現在の福島県以北の太平洋岸)を広範囲にのみ込んで1,000人を超す犠牲者が出た。2011年の東日本大震災はその再現でもあった。当時の世相は騒然としており、866年には平安宮が放火されて天安門が焼失し、さらに京都は遷都来最大の火災に見舞われた。
1923年に発生した『関東大震災』では、死者・行方不明者が10万5,000人に達し、日本の災害史上最大の被害をもたらした。その後、昭和金融恐慌(27年)による企業倒産が相次ぐ社会不安の中で、32年には5・15事件が発生した。
天災ではないが、86年のチェルノブイリ原発事故も、91年のソ連の崩壊を招いた。腐敗、硬直した官僚組織の手抜きや責任逃れが事故によって明るみに出るにしたがって、放射能汚染におびえる国民が目を覚ました。食糧不足に苦しむ国民の生活向上は後回しにして、重工業と軍事産業の偏重に走り、国民の怒りに火がついた。後にゴルバチョフは『チェルノブイリ原発事故こそが、5年後のソ連崩壊の真の原因だった』と仏紙のインタビューに答えている。
日本も人ごとではない。福島第一原発事故で明るみに出た強固な官僚組織と隠蔽(いんぺい)体質、企業の危機管理意識の欠如、御用学者の横行。原発事故は天災がきっかけとしても、事故後の対応はまさに『人災』ではなかったか。天災と人災は同時にやってくる。」
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日本が、アメリカ依存度を下げるために中国に接近したとしても、食糧・資源・エネルギーのアメリカ依存度は上がる事はあっても下がる事はない。
何故なら、日本にとって、中国は日本製品を売るだけの消費市場であって、食糧・資源・エネルギーを確保できる生産地・輸出国ではないからである。
中国は、日本以上に食糧・資源・エネルギーを世界中で爆買いしている輸入国である。
日本が頼る国は、輸出国のアメリカであって輸入国の中国ではない。
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戦前の日本は、パン用小麦やトウモロコシなどの穀物と綿花をアメリカから輸入していた。
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世界の穀物市場を支配していたのは、アメリカであった。
その状況は現代でも変わらず、将来においても変わらない。
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アメリカへの輸出額は、日本は1億7,240万ドルで、中国は7,300万ドル。
アメリカからの輸入額は、日本は2億419万ドルで、中国は4,642万ドル。
日本は、アメリカにとってお得意さんであったが、それは軍需物資ではなく民需物資においてであった。
中国は、民需物資ではなく軍需物資を輸入し、その資金をアメリカからの政府借款で賄われていた。
つまり、アメリカと中国の軍需物資はアメリカ国民の税金であった。
アメリカ政府は、中国に軍需物資を輸出する為に、アメリカ軍事産業への代金を国費から拠出していた。
アメリカは、中国軍が日本人を殺害する為の武器弾薬と軍費を中国に提供していた。
アメリカ軍需産業への国費投資は、雇用拡大と経済回復の為の公共事業であった。
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他国同士で戦争させ、戦争当事国に民需物資・軍需物資を高額で売り付けるほど上手いカネ儲けはない。
まして、自国の競争相手国と戦う弱い陣営を支援して勝たせる事は国益に適っている。
アメリカにとって軍国日本は競争相手国である以上、軍国日本を潰す為にファシスト中国を支援して勝たせる事がアメリカにとって好ましい事であった。
アメリカは、中立の立場を表明しながら、軍国日本と戦争をするファシスト中国に軍事支援をしたのは、自由と平和、正義の為ではなかった。
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1934年、全世界の貿易における日本の輸出額は3%で、アメリカは10%以上であった。
日本は自由主義貿易国として、中国以上に世界経済に貢献していた。
国際交易において、軍国日本は中国と違って孤立せず日本製品を輸出していた。
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食糧・資源・エネルギー自給率の低い日本は、アメリカなくしては生きていけない。
それ故に、アメリカの影響・支配から脱する事は永久に不可能である。
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現代日本人は、戦前までの日本人に比べて馬鹿か白痴と思える程に、現実の対する知識がなければ、現状に対する危機感もない。
現状認識能力が欠如している以上、何もしないというより何もできないのが現代日本人の真実である。
その原因は、戦前を完全否定している戦後のマルクス主義的反戦平和教育である。
戦前を問答無用として切り捨てた現代民主的教育では、日本民族日本人の未来・将来はない。
戦前の日本は現場を重視して足を地に着けて行動していたが、現代の日本は後方の会議室で机上のプランを立てて指図する事が多い。
現場軽視、前例踏襲、事勿れ主義、先送り主義、無責任・責任逃れなどの忖度と硬直した役人・官僚根性は、戦前より戦後・現代の方が強い。
戦後の政治家・官僚・企業家の劣化・無能無策さ加減を証明する象徴的事例が、福島第一原発事故後の対応の拙さである。
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