関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2018年1月4日・11日新年特大号 週刊新潮「藤原正彦の管見妄語
夜道の歌
……
私の年代には父親を戦争で亡くした『父(てて)なし子』が珍しくなかったが、空襲などで両親を失ったみなし子も時折いた。昭和25年くらいまで、これら戦争孤児が駅や街頭で靴磨きや残飯あさりをしたり、夜の地下道やガード下で寝ている、というのは日常的光景であった。その頃に毎日聴いていたラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』の三番にも、『父さん母さんいないけど』という文句が出てきた。私の母はそんな子供達を目にするたびに、私達兄妹にみなし子の悲哀を語り、私達も紙一重でみなし子になるところだったと諭した。
明治末期から昭和30年くらいまでの歌には、子守唄、唱歌、歌謡曲を通して悲しい曲ばかりが揃っている。全体の7、8割はそんな曲のような気がする。その時期、すなわち20世紀前半は、大きな戦争が続いたうえ、東北や北海道は何度も大凶作にみまわれ、大正末期には関東大震災や不景気、昭和の初めには欠食児童や身売りまで出た昭和恐慌などもあったため、辛く悲しいことが多かった。本当に悲しい時は、楽しい曲や勇壮な曲でなく、悲しい歌によって慰められる。涙を涸(か)らして初めて、新たな力が湧いてくる。その時代の日本人が、悲しい曲を求めていたから、自然にしんあ曲が多くなったに違いない。戦後の満州からの引き揚げ者も、特攻隊員の兵士達も、悲しい曲ばかりを歌っていたという。かつての我が国にそのような、情緒深い歌が多いおかげで現在の私は救われている。人生には支えがいくつあっても足りないのだ。ただ、人前で母を恋うるのもいささか気がひける……」
・ ・ ・
日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
・ ・ ・
日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
・ ・ ・
御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
・ ・ ・
日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
・ ・ ・
日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
死への恐怖。
・ ・ ・
日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
生への渇望。
・ ・ ・
日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
・ ・ ・
現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
・ ・ ・
日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
・ ・ ・
助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
・ ・ ・
日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
・ ・ ・
日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
・ ・ ・
・ ・ ・