関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
農業イノベーションが農業恐慌を生んだ。
中国の食糧争奪戦。
朝鮮への食糧支援。
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食糧自給率の低い国は外国に依存して生きる。
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中国人による食べ物を巡る世にも恐ろしい殺し合い。
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昭和初期の日本は、人口爆発に対して食糧増産が間に合わず、食糧需給体制を維持する為に外国から米や小麦などを輸入していた。日本は、「マルサスの危機」に直面していた。
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W・S・トンプソン「日本人は、思うに、膨張すべき運命にあり、そして新領土の獲得によって膨張すべき運命に有りとすれば、我々は今や、日本は一体、産児制限が人口過剰の永久的緩和法を提供するまで、その余剰人口の捌け口としての新植民地を、何処に見出しうるであろうかと、問わねばならぬ」「将来日本の政治家は、たとえそれを望んだにしても、日本民族を現領域に押し込めておく事は出来ないであろう。そしてこれら領袖は、もとより、将来の必然的成り行きと目すべきものを、阻止せんと試みる事はないであろう」(『人口過剰の対策』)
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高橋英之「貧富の格差はつねにあるけれども、全体が底上げされているときはあまり問題にならず、人口増加等によって全体が底下げ(貧困化)してきたときに、富の格差があらためて問題視される、ということがあるだろう。食えない貧困者が富者の取り分にあらためて目をむけて、富の奪い合いが激化するのだ。……どちらが原因で結果かはさておき、人口がらみの貧困化と階級化には密接な関係がある。本書は人口魔と階級魔のペアによる〝死のダンス〟が戦争の真因だと考える。どちらが主導的かというなら私は私は人口主因説をとる。戦前日本も毎年100万弱の人口増加さえなければ、よほど楽だったにちがいないと思うからだ」(『日米戦争はなぜ勃発したか』P.152・153)
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フーバー元大統領の41年12月9日の手紙「日本というガラガラヘビにしつこくちょっかいを出し、その結果そのヘビが我々に咬(か)みついたんだ、という事をよく知っています。また、日本に対してあの様な貿易上の規制をかけたり、挑発的な態度を示さなくても、日本はこれkらの数年で内部的に崩壊するだろうことがわかっていました」
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<昭和5年〜16年までの平均>
・生産量 ‥ 6,225万石
‥ 最高 昭和8年産米 7,083万石(1,062万㌧)
‥ 最低 昭和9年産米 5,184万石( 777万㌧)
・消費量 ‥ 7,476万石
・人 口 ‥ 7,005万人 ‥ 人口増加 年間平均87万人
*人口に対する不足量 … 780万人分
日本人は一人、一年に一石(150㎏・180リットル)を消費する。
家庭用米のみで、外食用、軍事用、酒造用、加工米、その他は含まれていない。
軍事用では、一人の兵士は一年間で2石1斗9升を消費する。
*消費における不足量 … 1,251万人分
・供給量 ‥ 8,355万石
*国内生産による供給不足量 … 2,130万人分
・輸入量 ‥ 1,302万石
タイ、仏印、ビルマ、中国、満州、その他の外米
・移入量 ‥ 1,041万石
朝鮮、台湾などの植民地産米
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日本は、食糧問題を解決する為に海外から不足分を輸入していた。
*世界における「米」の主要生産地(昭和9〜13年 )単位 万トン
・総生産量 … 15,151
中国(台湾を含む)‥ 5,212 … 抗日勢力圏 <台湾のみが日本領>
インド ‥ 3,231 … イギリス領 ー 反日的
バングラデシュ ‥ 1,117 … イギリス領 ー 反日的
インドネシア ‥ 608 … オランダ領 ー 反日的
タイ ‥ 435 … イギリスの友好国 ー 中立的
ベトナム ‥ … … フランス領 ー 反日的
日本 ‥ 1,150 …
ビルマ ‥ 697 … イギリス領 ー 反日的
*戦前日本の主要輸入品の輸入先(昭和5年、100分比)
・米 … タイ‥88。アメリカ(仏印産)‥12。
・小麦 … アメリカ‥45。カナダ‥35。オーストリア‥20。
日本には、パンを作る小麦は生産できなかった。
・豆類 … 関東州…71。中国…26。イギリス領インド‥3。
(『数字で見る 日本の100年』国勢社)
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海外にある日本資産が凍結されると、日本は国際穀物市場で如何なる食糧も購入できなくなった。
そして、石油が手に入らなくなると、海上輸送は途絶えて、食糧を日本に運び込む事が不可能となった。
資源の無い日本は、世界経済が自由貿易体制を維持する事を望んだ。
食糧や地下資源がある植民地を支配する欧米列強が、市場独占目的での排他的保護貿易体制・ブロック経済に走る事を警戒した。
日本は、食糧と石油と地下資源を海外に依存する自給自足ができない国家であった。
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───── 昭和9年 ‥ 昭和10年 ‥ 昭和11年 ‥ 昭和17年 :
───── 障害型大凶作‥障害型大凶作‥ ─ ‥豊作 :
・生産量…7,083万石‥5,184万石‥5,745万石‥5,509万石 ;
(生産は前年度産)
・供給量…9,420万石‥8,161万石‥8,188万石‥7,886万石 :
・輸入量… 17万石‥ 7万石‥ 41万石‥ 874万石 :
・移入量…1,408万石‥1,295万石‥1,380万石‥ 694万石 :
・消費量…7,684万石‥7,087万石‥7,332万石‥7,377万石 :
・人 口…6,780万人‥6,901万人‥7,002万人‥7,450万人 :
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───── 昭和18年 ‥ 昭和19年 ‥ 昭和20年 ‥ 昭和21年 :
───── ‥ ‥ 遅延型大凶作‥ :
・生産量…6,678万石‥6,289万石‥5,656万石‥3,915万石 :
・供給量…7,851万石‥7,173万石‥ ‥ :
・輸入量… 559万石‥ 0 石‥ 0 石‥ 11万石 :
・移入量… 164万石‥ 480万石‥ 157万石‥ :
・消費量…7,440万石‥ ‥ ‥ :
・人 口…7,257万人‥7,240万人‥7,280万人‥7,402万人 :
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1920年代 農業は、科学技術の進歩で生産性が飛躍的に向上してイノベーションが起き、人類が今まで経験した事のない輝かしい農業革命が始まった。
トラクターやコンバインなどの農業機械が開発され導入される事で、農民は単純重労働から解放され、農家の耕作可能な農地は拡大し、農業は粗放農業から集約農業へと転換され、近代化から取り残されていた農村部は劇的に変わり始めた。
単位面積当たりの収穫量を増やす為の化学技術が研究され、より多くの実を結び不作をもたらす自然環境(冷害など)に強い品種改良、土地を豊かにして農作物の成育を促進させる化学肥料、害虫や病原菌から作物を守る為の農薬などを、産業界が競って開発した。
農産物の鮮度を維持する為の保存保管する冷凍技術や農産物を大量により遠くより早くより安価で運搬する、貨物車や貨物船などが開発された。
農業を儲かると知った個人投資家や銀行などの機関投資家は、農業関連産業に挙って投資した。
ヒト・モノ・カネが農業に集まり農業革命は地球規模で起き、大量の農産物が食糧市場に溢れかえった。
人類は、慢性的な食糧不足で飢饉を襲われ夥しい餓死者を出していたが、有り余る食べ物を得てその恐怖から逃れられ、人口増加による「マルサスの危機」から解放された。
が、農業革命は需要と供給のバランスを狂わせた。
大量生産された農産物は、地方の農村からから中央の都市部へ、アジア・アフリカの生産植民地から欧米の消費諸国に輸送された。
消費地である欧米諸国や都市部の人口が増えなかった為に、農産物は売れず、価格は暴落した。
急速な生産性の向上によって、農産物が生産過剰となって市場に溢れ、農産価格が暴落して、価格が生産費以下に下落した。
中央の欧米諸国や都市部における農産物価格の暴落で、農業関連産業は業績不振に追い込まれ、一攫千金を夢見て投資した個人投資家や機関投資家は配当を得られないどころか資産を減らした。
消費量を無視した急速な生産性向上によって、地球規模での農業恐慌が始まった。
悪性デフレが、地球規模での食糧生産システムを襲った。
農業恐慌におけるマルサスの危機は、人口増加ではなく、農産物の無計画無軌道な生産量増加で起きた。
農家は、銀行や金貸しから多額の借金で生産量を増やしたが、収入の激減で借金返済ができなくなり担保として農地を失い、農業を続ける事を諦めて仕事がある都市や鉱山に移っていった。
欧米諸国の農村地方は、農民の流失と耕作放棄の急増で荒廃した。
より悲惨な状況に追い込まれたのは、アジア・アフリカの生産植民地であった。
アジア・アフリカの生産植民地では、生産した農産物の大半を宗主国や欧米諸国に輸出しその売り上げで周辺地域から自分たちの食べ物を買っていたが、輸出した農産物の価格暴落で給金が引き下げられ手取りが減った。
景気の良い時は周辺地域から高額で食糧を購入できたが、景気が悪くなると以前の価格で購入できなくなった。
周辺地域は、お得意様だからといって景気が悪い事を考慮して値段を下げて売る事を拒否し、少しでも高く買ってくれる相手に売ってしまった。
その結果、食糧を買えなかった地域は飢餓に襲われ、食べ物を巡って争いが起き、法秩序は崩壊し、治安は悪化し、社会は荒廃し無法地帯化した。
宗主国である欧米諸国は、自国民救済を優先し、アジア・アフリカの生産植民地住民の困窮を無視し犯罪・暴動が多発しても取り締まらず放置した。
白人至上主義による人種差別で、有色人種は見捨てられた。
人は、いざとなれば自分が大事として他人を切り捨てる。
慢性的な農業の大不況や元農民の大失業が都市経済に悪影響を及ぼし、消費の低迷で企業の経営を減らし、企業の経営悪化が株価を下げた。
1929年 株価低下は、投資家の不安心理は煽って大量売りに暴走させ、歯止めが利かなくなるや株価大暴落となって、世界大恐慌が起きた。
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食糧自給自足能力を落とし食糧を海外依存を増やし始めた日本は、農業恐慌の影響を受けた。
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*昭和初期の、中国に於ける地獄的食糧動乱
中国(総人口、4億人以上)は、100年以上も続く血みどろの内戦と繰り返し起きる天災で自然が破壊され、華北一帯は深刻な食糧危機に陥っていた。
各軍閥や国民党などの各革命勢力は、被災者の救済を拒否した為に、1億人以上の中国人が餓死寸前に追い込まれていた。
1,000万人以上の匪賊・秘密結社は、内戦の混乱を利用して荒稼ぎして、社会をさらに崩壊させた。
彼らは、猟奇的殺人を嬉々として行っていた。
中国人民とは、苅っても苅っても、雑草の様に際限なく沸いて出てくる民草にすぎない。
彼らにとって、人とは人権なき雑草である。
「お人好し」の日本人居留民は、そうした環境の中で武器を持たず、中国人を信じ切って無抵抗に生活していた。
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華中の穀物地帯に、華北から数千万人の流民が食糧を求めて押し寄せ、各地で食糧を守ろうとする地元民と流血事件を起こしていた。
飢餓難民が、食糧を食い漁りながら大陸を移動するたびに、社会は混乱した。
難民が押し寄せてくる地域の中国人は、自分達が生きる為に必要な食べ物を守るために、同胞を虫けらの様に虐殺した。
難民は、殺されるくらいなら殺すとして、食べ物を分けてくれない同胞を人間以下の獣として虐殺した。
中国政府は、難民の救済を放棄して放置した為に、都市の路上には餓死者や凍死者が絶えなかった。
秘密結社や犯罪組織は、租界外でアヘンや人身売買をめぐる縄張り争いで殺人事件を起こしていた。
欧米列強は、各都市の租界を守り利権を維持する為に、中国人難民の租界内への流入を武力を持って禁止した。
租界外に生活する欧米人は、絶えず命の危険に晒され、一瞬でも油断をすれば殺害された。
その為に、僻地で布教活躍と難民救済活動をするキリスト教宣教師の殺害は絶えなかった。
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華南の穀物地帯は、日中戦争を引き起こそうとしている中国共産党が勢力を拡大していた。
華南を支配している軍閥と秘密結社・盗賊は、国際アヘン・カルテルから大金を受け取るべく、農地をアヘン栽培に転用した。
指示に従わない村を襲撃し、村人を殺害し、生き残った村人を奴隷として外国に売り飛ばした。
男は労働者・労務者として、女は慰安婦・娼婦とした。
彼等に、倫理も、道徳も、人としての良心もない。
同胞が、アヘンで廃人になろうが気にはしない。
奪えるモノは、全て奪い尽くす。
金はもちろん、命さえも。
洗い浚い全てを。
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中国史に於いても、朝鮮史に於いても、日常的に人の肉を食う人肉食文化が存在していた。
古典文学や古典医学書には、人が人の肉を食う話が必ず出てくる。
日本史は、血を流す事を神道で穢れとして忌み嫌い、肉食を仏教で戒律として禁止しているので、飢饉で餓死寸前で生きるのみの本能に追い込まれたごく一部に者が人肉食に走った。
日本人と中国人・朝鮮人の考え方や行動は、正反対の如く違う。
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拝金主義にして人間不信の中国は、世界最大のアヘンと労働者の輸出国であった。
1861年からの内戦で、1億人以上が同じ中国人によって虐殺され、数百万人が役人と癒着した中国人人身売買商人によって奴隷として売られていた。
何時の時代でも中国社会は、人間を金の為に食い物にする堕落し、腐敗した非人道的社会であった。
そこに、人権は存在しない。
当然、自然に対する愛着がないだけに、際限なく、絶望的な自然破壊を繰り返している。
大陸に住む彼らにとって、そこで住めなくなればそこを捨てて、住める別の土地に移れば良いだけだけである。
中国人が主張する「面子」とは、他人の権利より自分の権利を優先し、他人の利益を減らして金を奪い自分の利益を増やして金を稼ぐ事である。
中国人の「面子」には、他人は存在しない。
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朝鮮人は、1000年以上、中国の属国であっただけに中国人に近い。
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親中国派日本人は、金儲けの為のみでそうした中国に憧れ、日本を中国化しようと大量の移民を受け入れるべく活動していた。
無抵抗な日本人居留民は、中国人犯罪者や中国共産党の餌食となり、暴行され、略奪され、そして殺害された。
中国は、腐敗が蔓延る治安が崩壊した、世界一犯罪の多発した国であった。
革命政府や軍閥政府は、治安を回復して、日本人を保護する責任を放棄した。
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日本政府は、南方3地域から外米を緊急輸入して国内の飢饉に備え、華北一帯の救済に乗り出し食糧を運び込んだ。
だが、虐げれれる事になれていた中国人は、日本人の支援に感謝するどころか、侵略の為の謀略として邪推した。
領土とした台湾での食糧増産は、現地民の友好的な協力で成功した。
併合した朝鮮では、民族的反日感情の為に朝鮮人の反発で失敗した為に、朝鮮総督府は強制的に増産を命じた。
日本の食糧増産計画は、自立した朝鮮人農民を没落させた犯罪行為とされている。
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朝鮮半島では、昭和13年から旱魃が発生して大凶作となった。
朝鮮総督府は、昭和14年以降、朝鮮人の食糧を確保する為に日本への食糧移出を制限した。
日本は、否が応でも南方への依存を強めた。
自尊心高き朝鮮人は、劣等民族日本人に命令される事に反発し、民族独立を求めて国家元首・昭和天皇とその家族に対して暗殺テロを含む反日的武装闘争を激化させた。
日本人共産主義者や一部のキリスト教徒が、朝鮮人テロリストを支援した。
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朝鮮の崩壊は、日本を内部から滅亡へと導く恐れがあった。
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