🐟7〗─1─地球温暖化による深刻な日本食糧事情。日本人は、昔は悲観的なアリで、現代は楽天的なキリギリス(セミ)。~No.32No.33No.34 @ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 米を購入する時の基準は、1.価格、2.食味、3.安全、である。
 消費者は、日本農家が作る高額な国産米より、外国農家が作る低額の外国産米を購入する可能性が高い。
   ・   ・   ・   
 政治家、官僚、学者、経営者、知識人、全ての日本人に言える。
 彼らに超エリート意識はあっても、いざという時は、唖然、呆然として対処の仕方も分からず右往左往するのみであった。
 自分に都合の悪い事は、認めず、決して起きないと決め付けていた。
 それが、「想定外」と言う言葉である。
 「想定外」とは、専門家である自分が無能であるという事を認めた事であり、その責任を回避しようとする言い訳に過ぎない。
 日本は、何時の時代でも、現場は自己犠牲的に粉骨砕身として事に当たっていたが、上に立つリーダーに碌な人材が存在せず、ただああだこうだと批評する傍観者がわけもなく対策本部に溢れている。
 日本型リーダーとは、責任逃れをするだけの批評家的リーダーである。
 年々。日本の指導者は、情報を生かし切れず、情勢分析もできず、情報に合わせた適切な処置もできないなど、明らかに劣化している。
 そして、責任転嫁して逃げ回っている。
   ・   ・   ・   
 日本は、官僚と一部の業界団体が癒着し既得権益を形成しているといわれている。
   ・   ・   ・   
 2014年5月号 新潮45「『特定外来生物』で飢餓に備えよ 兵頭二十八
 「地球人口は2100年に109億人。しかし、食品は生産から流通まで『石油漬け』。必ず起きる『世界大飢饉』に対して、環境省の生物純国産主義は時代錯誤である!
 大量餓死だとか食料難だとか、現代の平和日本で起きるわけがない──と思っている人が多いだろう。
 だが、いくつかの統計は正直だ。国連発表によると2013年の地球人口は72億人だった。この調子だと2100年には109億人になる。
 他方で、エネルギーを常時入力せずとも自噴してくれるような佳良な陸上油田の発見ピークは1964年だった。以後は、汲み上げるためにさまざまなコストを伴う劣等油田が主に増えたのみ。『シェール』も、初めから劣等油田に属することを忘れられがちだ。
 われわれが口にしている食品の値段は、現在の世界的エネルギー需給比があって、こその値段である。今日ほとんどの食品は、生産から流通までも『石油漬け』。なので、もし世界のエネルギー需要が増えてエネルギー生産が追いつかなければ、食品は連鎖的に値が上がり、誰かが、昨日までのようには買えなくなる。すなわち飢えに近づく。これは避けられない経済現象である。
 中共(すでに大豆・トウモロコシ・コメの輸入大国になった)の次に控えたインド、インドネシア、ブラジル、ナイジェリアなどの中進人口大国が、ごく穏当に国民経済を成長させただけでも、今のアメリカ合衆国並のエネルギー消費と食糧消費が、二つ、三つ・・・と、地球に逐次加わる。そのアメリカのエネルギー消費にしてからが、景気回復にともなって抑制などしようもなく、2013年の増加分は中共を上回って伸びた(2012年よりも多量の原油を国内生産し、自動車を保有せぬ世帯とエコ・カーが増えていながら、米国内のガソリン代がむしろ高くなっている)。
 あなたが占い師でなくても、もう行く末は見えるだろう。北米や豪州など、耕作地面積と自前のエネルギー資源とに特別な余裕がある数カ国を除けば、今から2世代後には、世界は餓鬼の巷と化しているかもしれない。
 日本には現在、江戸時代よりも広い450万ヘクタール以上の農地がある。それで国民の必要カロリーの4割を自給中である。しかしその前提条件は『適価な海外石油』なのだ。世界の人口増と経済成長は、その前提を遅かれ早かれ覆してしまう。
 『肥料無しではほぼ実らないけれども、化学肥料を大量に投ずると驚くほど多収穫が見込める特別な改造品種を、機械力で大面積を耕して作付けし、機械力で収穫し、エアコン付き倉庫で管理し、無数のトラックで流通させる』──という、農水官僚の脳内にある日本の農業モデルは、持続不可能だ。
 農水省は、〈外国産の穀物類だけ輸入が阻害されるが、石油は普段どおりに適価で十分量が輸入され続ける〉という、過去の歴史に徴してあもりえない食料危機のシナリオしか、想定をしたがらない。責任官庁として正気ではない。……
 『世界大飢饉』の切迫
 江戸時代は、石油しらず(化学肥料無し)の農法で、300万ヘクタールの農地により3000万人の総人口を養ったと考えられる。今の450万ヘクタールなら4500万人が喰える可能性がある。しかしわが国にはもっか1億2600万人以上も暮らしているのであるから、石油と穀物の今後の世界需給の逼迫度によっては、どこにも戦争などがなくなったって、通常のありふれた経済機序として、わが国内で最悪8000万人前後が餓死に瀕するかもしれないのだ。
 責任感ある役人や政治家ならば、とうぜんこれに対する腹案は、無ければ済まされぬはずの大災厄だろう。なのに、誰も『備荒』策を考える様子はない。……
 今ある宅地や工場をまた農地には戻せやしないからには、残された『救荒』の可能性は、わが国の陸地の7割を占める『山林』にしかない。山林原野を、数十年かけて『豊饒化』させる。耕すのではない。放任で自然に繁殖するエディブルな(食べられる)プランクトンや動物(たとえばタニシなようなもの)を、全国の山の中に増やしていくのだ。畑よりもそれは人口扶養効率(反収)がはるかに悪いのだが、それでも2,500万ヘクタールの山地(森林)を豊饒化させれておけば、8,000万人はサバイバル可能である。……
 幕末から昭和6年まで、北海道の開墾農家を餓死から免れさせたのは、山野に自生した『オオウバユリ』の球根であった。しかし(内地のオニユリコオニユリなどと同様)人々が掘るばっかりで増やそうとしなかったため、非常食資源としては消滅した。そこで戦時中には、日照さえあればユリ根よりも高速で毎年増えてくれる北米渡りの『キクイモ』の作付けが奨励されて、代用にされた(地下の塊茎を掘り出せば食用になった)。これこそが、行政としてまっとうな備荒・救荒の着眼であり方向であろう。
 ……
 政治家や行政が心配しなければならないのは、人間の世話である。百万単位、千万単位の人間世帯が餓死(北国では凍死の形をとることが多いので一層悲惨になる)に瀕するのと、古い生態系が新しい生態系に転換されるのと、どちらが害が少ないのか。危機が1世代内で切迫をしていないために、わたしのように騒ぐ者は少ないのだが、この災厄は人類をいずれ確実に襲う。平野部が狭く、寒冷地の割合もけっして小さくはない日本国でのその対策は、いまから時間をかけて山地を改造しておくのでなかったら、まず間に合わない。有用植物の多くは、人間の都合よく短時間であたり一面に増えてくれたりはしないのだ(殊に寒冷地では冬季宿根性の多年草が頼りとなるから)。……
 思い出そう。イネ科の『ヒエ』は、関東以西の農村では、憎むべき水田の雑草だ。しかし、東北の山村では、これが凶作年に人々の命を救ってきた。そしえヒエも水稲も、元をたどれば、日本列島の外から持ち込まれた外来の植物で、その原種が人為的にたゆまず選別されて、性質を改めてきたものだ。その土地により時代により、植物や動物の『在り方』は変わるのが当然なのだ。
 山野を石油に頼らず豊饒化するように適した動植物も、地方によって違うのだろう。地元の人々が『クラウド技法』でそれを発見し改良し定着させるのには、10年単位の長い時間がいるだろう。新しい方向の努力を、いますぐ日本中で開始しなければならぬ。さもなくば、遠くない将来、『分かっていたけれどみんなが行動を先送りしたのでこの大量餓死が回避し得なかった』と、反省がされることになりはすまいかとわたしはおそれる。」
   ・   ・   ・    
 凶作による餓死を目の当たりにしてきた昔の日本人は、ひもじさの悲惨さを肌身で知っていただけに、生ゴミを出さない様に、食べ過ぎない様にして、少しでも食料を備蓄すべく不断の努力をしていた「アリ型日本人」であった。
 食べ物を粗末にしない為に、農作物に神性を持たせて信仰の対象に祭り上げた。
 それが、民族宗教である日本神道における自然崇拝の真髄である。
  ・  ・   
「マンガ アシュラ」 原作 ジュージ秋山
 私は お前に教えられた。
 それは
 命喰らわずして生きられぬ人の性(さが)である。
 海に生まれた命を奪い
 野山に育つ命を奪い
 人は生きて行く。
 罪を背負い
 それでも与えられた命の限りを生きようとあがく。
 だからこそ 
 この世は美しい。
  ・  ・   
 現代の日本人は、正反対の「キリギリス型日本人」となって、食べ物が不足したら外国から買ってくればいいとして、食べもしない食材を大量に買い込んでその多くを生ゴミとして捨てている。
 食べ物は売り買いの商品として、農産物は消費する単なる物と見なした。
 現代日本の美徳は、金儲けの為の為の大量消費であり、大量投棄の無駄遣いである。
 世界の常識では、「食べ物を食うや食わずで蓄えたアリは、遊びほうけて蓄えを怠ったキリギリス(セミともいう)を見捨てた」である。
 日本の常識では、「アリは、飢えに苦しむキリギリスに同情して家に招き入れて食べ物を分け与えた」である。
 人類史上、日本の常識は有り得ない話である。
 食べ物が有り余っている豊かな時代なら慈善活動として有り得る美談であるが、食べ物が極端に不足した悲惨な時代では悲劇が悲劇を生む愚かな話である。
 「蓄えのあるアリが、餓死寸前のキリギリスに同情して助ける」という有りもしない寓話を信じている者には、生きる資格は無い。
 つまり。大陸の非情な常識からして、他人の施しをあてにするキリギリス型日本人は他人を不幸にする害悪として排除される定めである。
 「アリは、キリギリスをけっして助けない」それが、生物界の大原則である。
 アリは大集団となって生きているが、キリギリスは一匹で生きている。
 日本の歴史は、その厳しい現実を今に伝えている。
 昔の日本人は非情な現実を忘れる事なく学び、現代の日本人は非人道的現実を馬鹿にして学ばないどころか切り捨てた。
 「アリは、キリギリスをかなず助ける」と真顔で話す人間がいたら、そうした人間は人を死に追い遣って驚喜する死神か、あるいは生きる為の常識が無い狂人と思って間違いない。
   ・   ・   ・   
 同じ昆虫でも、キリギリスとイナゴでは生き方が違う。
   ・   ・   ・   
 2015年10月23日 産経ニュース「局地的豪雨やコメ被害に対策 温暖化影響に初の政府計画
 政府は23日、地球温暖化による社会や経済への悪影響を抑えるための取り組みを定めた初の「適応計画」案を発表した。高温による農作物の品質低下を防ぐ品種改良を進めるほか、9月の東日本豪雨で起きたような水害の発生を防ぐため堤防の整備に取り組む。今後10年間で実施する施策を盛り込んでおり、COP21までに閣議決定する。
 計画案の策定には農林水産省国土交通省など11省庁が参加。農業や自然災害、経済活動など7分野の影響について影響の重大性や緊急性、予測の確実性を考慮して対策をまとめた。
 農業では品質低下や病害の増加が懸念されるため、高温に強いコメや果物の品種改良に取り組むほか、「病害虫によるコメの被害軽減技術を平成31年めどに開発する」と明記した。
 夏の熱波が増加し熱中症患者の急増も見込まれるため、予防法の普及啓発に加え、炎天下で作業する農業の生産現場にロボットを導入して負担を軽くする。
 また、局地的な短時間豪雨が増え、洪水の危険性が高まると指摘。堤防の整備に加え、災害リスクが高い地域を将来的に示し、リスクの低い地域への居住を誘導するなどソフト面の対策も進める。」




   ・   ・   ・