🐡2〗─1─世界史における飢饉一覧表。~No.2No.3No.4 @ 

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 飢饉の一覧は、主な飢饉を時代順に列挙する。
 紀元前5世紀
 紀元前440年 古代ローマで飢饉。
 紀元前2世紀
 紀元前108年から1911年までは、中国において、主な飢饉は1828回であった。一年に一度、一か二の省で発生していた。しかしながら、飢饉の重大性は大きく変化した
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 5世紀
 西ヨーロッパでの飢饉は、ローマ帝国の衰退及びアラリック1世の解任と関連している。 400年から800年まで、ローマ市の人口は、主に飢饉とユスティニアヌスのペストにより、90%以上減少した 。
 7世紀
 639年 ウマル・イブン・ハッターブの頃、イスラム帝国アラビアで飢饉。
 650年 インド全域で飢饉。
 8世紀
 750年 スペインで飢饉。
 9世紀
 800年ー1000年 重大な干ばつにより、100万以上のマヤの人々が飢えと渇きで死亡し、文明が消滅する原因となる国内の崩壊が始まった。
 809年 フランク王国で飢饉。
 875年ー884年 中国で飢饉により農民反乱が勃発。黄巣が首都を占領。
 10世紀
 927年 東ローマ帝国で飢饉。
 963年ー964年 アイルランドで飢饉。
 968年 エジプトで飢饉。50万人が死亡。
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 11世紀
 1005年 イングランドで飢饉。ブリテン島では、中世に95度の飢饉があった。
 1016年 ヨーロッパ全域で飢饉。
 1022年、1033年、1052年 インドで地方を過疎化させる大飢饉。
 1025年 エジプトで飢饉。
 1030年ー1032年 フランスで飢饉。
 1064年ー1072年 エジプトで七年に及ぶ飢饉。
 1051年 トルテカ帝国は、飢饉により、被災した地域から現在のメキシコ中央へ移転せざるを得なくなった。
 1066年 イングランドで飢饉。
 1097年 パレスチナで飢饉。50万人が死亡。
 1097年 フランスで飢饉とペスト。10万人が死亡。
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 12世紀
 1181年 日本で養和の飢饉。
 1199年ー1202年 エジプトで飢饉。
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 13世紀
 1230年 ノヴゴロドで飢饉。
 1231年ー1232年 日本で寛喜の飢饉。
 1235年 イングランドで飢饉。ロンドンだけで2万人が死亡。
 1255年 ポルトガルで飢饉。
 1258年 ドイツ及びイタリアで飢饉。
 1275年ー1299年 広範囲の飢饉によりアナサジ文明が崩壊。
 1294年 イングランドで飢饉。
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 14世紀
 1315年ー1317年 ヨーロッパの大飢饉。
 1333年 ポルトガルで飢饉。
 1333年ー1334年 スペインで飢饉。
 1333年ー1337年 中国で飢饉。
 1344年ー1345年 インドで大飢饉。
 1387年以降 深刻な飢饉が続き、ティムールは、アナトリア半島から移動した。
 1390年 イングランドで飢饉。
 1396年ー1407年 インドで十年間に亘るドゥルガーデヴィー飢饉。
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 15世紀
 1403年ー1404年 エジプトで飢饉。
 1441年 メキシコのマヤパンで飢饉。
 1445年 韓国で飢饉。
 1450年ー1454年 アステカ帝国で飢饉。
 1459年ー1461年 日本で長禄・寛正の飢饉。
 1481年ー1483年 フランスで飢饉。
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 16世紀
 1504年 スペインで飢饉。
 1518年 ヴェネツィアで飢饉。
 1528年 フランスのラングドックで飢饉。
 1535年 エチオピア大飢饉。
 1540年 スペインで飢饉。
 1555年 イングランドで飢饉。
 1567年ー1570年 エチオピアハラールでペストとともに飢饉。ハラールの長が死亡。
 1574年ー1576年 アナトリア及びイスタンブールで飢饉。
 1586年 イングランドで、救貧法の切っ掛けとなる飢饉。
 1590年代 ヨーロッパで飢饉。
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 17世紀
 1599年ー1600年 スペインで飢饉。
 1601年ー1603年 モスクワの市民10万人が死亡。en:Russian famine of 1601ー1603を参照。ロシア史上、最悪の飢饉の一つ。エストニアの人口の半分を奪った同様の飢饉がある。
 1611年 アナトリアで飢饉。
 1618年ー1648年 三十年戦争による飢饉。
 1619年 日本で飢饉。江戸時代には、154の飢饉があったが、その21は、広範囲に及んだ深刻なものだった。
 1623年ー1624年 イングランドで飢饉。
 1630年ー1631年 デカン高原の飢饉によって、2百万人が死亡。
 1636年  スペインで飢饉。
 1648年ー1660年 大洪水時代のポーランドで、戦争、飢饉及びペストによって、人口の3分の1が失われた。
 1649年 イングランド北部で飢饉。
 1650年ー1652年 フランス西部で飢饉。
 1651年ー1653年 アイルランドの全域でクロムウェルアイルランド侵略による飢饉。
 1661年 2年間雨が降らなかったインドで飢饉。
 1661年ー1662年 モロッコで飢饉。
 1661年ー1662年 フランスで飢饉。
 1669年 ベンガルで飢饉。
 1670年代及び1680年代 スペインでペストと飢饉。
 1680年 サルデーニャで飢饉。
 1680年 日本で飢饉。
 1680年代 サヘルで飢饉。
 1690年代 スコットランド全域で飢饉。人口の15%が失われた。
 1693年ー1694年 フランスで飢饉。2百万人が死亡。
 1695年ー1697年 によって、人口の5分の1の7万から7万5千人が死亡。飢饉はスウェーデンにも直撃し、8万から10万人が死亡。
 1696年ー1697年 フィンランドで飢饉。人口の3分の1が失われた。
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 18世紀
 1702年ー1704年 インドデカン高原で飢饉。2百万人が死亡。
 1706年ー1707年 フランスで飢饉。
 1708年ー1711年 西プロシアで飢饉。人口の41%の25万人が死亡。
 1709年ー1710年 フランスで飢饉。
 1722年 アラビアで飢饉。
 1727年ー1728年 イングランド中部で飢饉。
 1732年 日本で飢饉。
 1738年ー1739年 フランスで飢饉。
 1738年ー1756年 西アフリカで飢饉。トンブクトゥの人口の約半数が餓死。
 1740年ー1741年 アイルランド大飢饉。
 1741年 ノルウェーで飢饉。
 1750年 スペインで飢饉。
 1750年ー1756年 セネガンビア地域で飢饉。
 1764年 ナポリで飢饉。
 1769年ー1773年 ベンガル飢饉。 人口の3分の1の1千万人が死亡。
 1770年ー1771年 チェコで飢饉。約10万人が死亡。
 1771年ー1772年 ザクセン及びドイツ南部で飢饉。
 1773年 スウェーデンで飢饉。
 1779年 モロッコのラバトで飢饉。
 1780年代 スコットランドで飢饉。
 1780年代 天明の大飢饉
 1783年 アイスランドラキ火山の噴火による飢饉。アイルランドの人口の5分の1が死亡。
 1783年ー1784年 南アジアで飢饉。
 1784年 エジプトの広範囲で飢饉。
 1784年ー1785年 チュニジアで飢饉。人口の5分の1が死亡。
 1788年 フランスで飢饉。フランス革命勃発の二年前に、収穫難と厳しい寒さを見る。強いエルニーニョ又は1783年のラキ火山の噴火によるものと考えられている。
 1789年 エチオピアで全域にわたる飢饉。
 1789年ー1792年 インドで飢饉。
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 19世紀
 1800年ー1801年 アイルランドで飢饉。
 1810年、1811年、1846年及び1849年 中国で四度の飢饉。4,500万人が生存したと主張。
 1811年ー1812年 マドリードが飢饉で荒廃し、2万人近くが死亡。
 1815年 インドネシアのタンボラ山の噴火によるその後の飢饉で、数十万人が死亡。インドからの飢餓輸出でも多数が死亡。
 1816年ー1917年 ヨーロッパで飢饉。「夏のない年」。
 1830年 カーボベルデで人口のほぼ半分が失われた飢饉。
 1830年代 天保の飢饉。
 1835年 エジプトで20万人が死亡した飢饉。
 1844年ー1846年 ベルギーで飢饉。
 1845年ー1857年 スコットランドで飢饉。 (en:Highland Potato Famine)
 1845年ー1849年 アイルランドでジャガイモ飢饉。100万人以上が死亡し、150から200万人が移住したため、人口が最盛期の半分になる。
 1846年 ポルトガル北部で農民反乱につながる飢饉。“Maria da Fonte”の名で知られる。
 1850年ー1873年 太平天国の乱の結果、干ばつと飢饉が起こり、清王朝の人口は6,000万人に減少。
 1866年 インドで飢饉。100万人が死亡。(オリッサ飢饉 (1866年))
 1866年ー1868年 フィンランドで飢饉。人口の15%が死亡。(en:Finnish famine of1866?1868)
 1869年 インドで飢饉。150万人が死亡。(ラージプーターナー飢饉 (1869年))
 1870年ー1871年 ペルシアで200万人が死亡したと信じられている飢饉。
 1873年ー1874年 アナトリア半島で飢饉。
 1879年 アイルランドで飢饉。(en:Irish Famine (1879))
 1873年ー1874年 インドで飢饉。(en:Bihar famine of1873?74)
 1876年ー1879年 エルニーニョ・南方振動により、インド、中国、ブラジル、北アフリカその他の国々で飢饉。中国北部では130万人が死亡。インドでは525万人が死亡。(en:Great Famine of 1876?78)
 1878年ー1880年 アラスカセントローレンス島で飢饉。
 1888年 スーダンで飢饉。
 1888年ー1892年 エチオピア大飢饉。人口の3分の1が死亡。状況は、1889年から1892年にかけてコレラチフス、伝染病、1889年から1890年に天然痘によって悪化。
 1891年ー1892年 ロシアで飢饉。37万5,000人が死亡。
 1896年ー1897年 エルニーニョ・南方振動により、中国北部で飢饉が起こり、義和団の乱へ繋がった。
 1896年ー1902年 エルニーニョ・南方振動により、インドで飢饉。
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 20世紀
 1906年 ロシアで飢饉。
 1907年、1911年 中国の東中央部で飢饉。
 1914年ー1918年 第一次世界大戦中、レバノン山脈の飢饉により、人口の3分の1が失われた。
 1914年ー1918年 ベルギーで飢饉。
 1915年ー1916年 アルメニア人虐殺事件が発生し、追放された者が餓死。
 1916年ー1917年 第一次世界大戦中のイギリスのドイツ封鎖により飢饉が引き起こされた。
 1916年ー1917年 ロシアで冬の飢饉。
 1917年ー1919年 イランで飢饉。イラン北部で生き残った人口の4分の1が餓死。
 1917年ー1921年 ボリシェヴィキ革命の頃、トルキスタンでの飢饉が続き、人口の6分の1が死亡。
 1921年 ロシアで飢饉が発生し、500万人が死亡。
 1921年ー1922年 タタールスタンで飢饉。
 1921年ー1922年 ヴォルガ・ドイツ人のロシア植民地で飢饉。全体人口の3分の1が死亡。
 1928年ー1929年 中国北部で飢饉。干ばつにより3百万人が死亡する結果となった。
 1928年ー1929年 ルアンダ=ウルンディで飢饉。コンゴへの大規模な移動を引き起こした。
 1932年ー1933年 ロシアの一部であったウクライナ(ホロドモール)及び北カフカース地域で飢饉。260万人から1千万人が死亡したと考えられている。
 1932年ー1933年 カザフスタンで飢饉。120から150万人が死亡。
 1936年 中国で飢饉。死者数は5百万人と推定される。
 1940年ー1943年 ワルシャワ・ゲットーで飢饉。
 1941年ー1944年 レニングラートがドイツ軍に900日間閉鎖され飢饉になった。100万人のレニングラート市民が餓死、凍死、爆死した。当時、市への供給ルートが絶たれ、気温は-40度まで低下した。
 1941年ー1944年 ギリシャでドイツ軍の占領により飢饉。30万人が死亡したと推測される。
 1942年ー1943年 中国で飢饉。100万人が死亡した。
 1943年 インドのベンガル飢饉。150-350万人が死亡。
 1943年 ルアンダ=ウルンディで飢饉が発生し、コンゴへ人が移動した。
 1944年 第二次大戦中、オランダで飢饉。2万人以上が死亡。
 1946年 ドイツで飢饉。
 1945年 ベトナム飢饉。
 1946年ー1947年 ソビエト飢饉。100から150万人が死亡。
 1958年 エチオピアで飢饉。
 1959年ー1961年 中国の大躍進政策により大飢饉。中国のジャーナリスト楊繼繩は、3,600万人が死亡したと見積もった。
 1965年ー1967年 インドで旱魃のため、150万人が死亡した。
 1967年ー1970年 ナイジェリアの封鎖により、ビアフラ共和国で飢饉。
 1968年ー1972年 サヘルの旱魃のため、100万人が死亡する飢饉が発生。
 1973年 エチオピアで飢饉。政府はこの危機の処理に失敗した。
 1974年 バングラデシュで飢饉。
 1975年ー1979年 クメール・ルージュカンボジア人約200万人が殺害、強制労働、飢饉により死亡した。
 1980年  ウガンダのカラモジャ地方で飢饉。
 1984年ー1985年 エチオピアで飢饉。
 1991年ー1993年 ソマリアで飢饉。
 1996年 北朝鮮飢饉(苦難の行軍)22万人から350万人が死亡した。
 1998年 第二次スーダン内戦及び旱魃によりスーダンで飢饉。
 1998年ー2000年 - エチオピアで飢饉。エチオピア・エリトリア国境紛争により、状況は更に悪化。
 1998年ー2004年 - 第二次コンゴ内戦。380万人が死亡し、殆どが飢餓と病気による。
 2000年ー2009年 ジンバブエの食料危機。ロバート・ムガベの土地改革のため。

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