🍙41〗─3─観測史上最大「チリ地震」と日本の津波被害犠牲者142人。昭和35年5月。~No.255 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2020年5月23日 ウエザーニュース「観測史上最大「チリ地震」から60年
地球の裏側からの津波が怖い3つの理由
 日本時間の今日5月23日で「チリ地震」から、そして明日5月24日で「チリ地震津波」と呼ばれる災害から、それぞれ60年となります。
 南米チリ沖で発生した地震による津波で、日本では岩手県宮城県を中心に死者行方不明142人、建物全半壊5,000棟に達する大きな被害が出ました。
 エネルギーは東日本大震災の約5倍
 1960年チリ地震震源
 チリ地震は、日本時間の1960年5月23日午前4時過ぎに発生しました。
 地震の規模はマグニチュード9.5で、東日本大震災を引き起こした2011年の巨大地震と比べても約5倍のエネルギーを持つ地球上での観測史上最大となる地震でした。
 岩盤が壊れた範囲はチリ沖のアタカマ海溝沿いに南北1100km、東西200kmにおよび、日本に当てはめると北海道根室沖から関東沖の岩盤が一気に動いたことになります。
 震源に近いチリでは激しい揺れや大津波によって1,743人が死亡するなど甚大な被害となりました。
 地球の裏側から来た大津波
 津波の伝わる速さ
 チリ地震で発生した津波は太平洋一帯に広がり、ハワイには地震発生から15時間後に約10mの大津波が押し寄せました。日本に津波が到達したのは地震から20時間以上も経った24日明け方で、約17,000kmを平均時速700km以上とジェット機並みの速度で伝わりました。
 この日、日本の気象庁はチリで巨大地震が発生したことは把握していましたが、当時、日本近海の地震に対しての津波予想技術のみで海外からの津波に対しては十分な知識がありませんでした。
 このため、津波の到達を知ったのは24日午前4時頃に北海道の住民や地元気象台から「潮位がおかしい」という情報が入ってからで、津波警報の発表が第一波到達後となってしまいました。
 津波は北海道から沖縄までの太平洋側の広範囲におよび、東北太平洋側の高い所では5mを超えました。
 チリの地震津波が特に怖い理由
 南米チリ沖は日本と同様、地球を覆うプレートと呼ばれる岩盤が衝突している場所にあたり、昔から大きな地震が発生しています。
 また、1960年のチリ地震以外にも日本で津波被害が出た事例がいくつもありますが、これには理由があります。
 理由1 超巨大地震の頻度が高い
 チリ沖はマグニチュード8クラス後半から9クラスの地震が世界的に見ても特に多い。地震の規模が大きいことはそれだけ津波の規模も大きくなりやすいことを表す。  
 理由2 津波エネルギーが日本に集中する
地球は球体のため、ある一点から発生した波は最終的にはその反対側に集まる(収斂(しゅうれん)という)。
 また、チリと日本の間には津波を遮る陸地がほとんど存在しない。このため、日本から見れば最も遠い地球の裏側に当たるチリの地震津波は条件が非常に悪い。
 理由3 波のエネルギーが特に大きい
非常に長い時間をかけて太平洋を横断する間に、短周期の波(エネルギーは比較的小さい)は弱まり、長周期の波(エネルギーが大きい)が残る。長周期の波はいったん陸地に這い上がってくるとなかなか波は引かず、影響が大きい。
 上記のことが、遠い場所で起きる=日本への津波の影響が小さい、とはならないことを意味しています。
 地震後の対策
 被災した岩手で堤防がつくられている様子
 事前に把握できるはずだった大津波の襲来を予想できなかったことから、チリ地震をきっかけに、国際的な太平洋津波警報組織が整備されました。
 現在では海外で大地震が発生した際は「遠地地震に関する情報」が概ね30分以内に気象庁から発表され、海外での津波観測値などを基に日本に津波が到達する数時間前までに津波注警報が出されます。
 60年前と比べて格段にその予測技術が上がった津波予報ですが、海に囲まれている日本にとって津波はたいへん怖い現象に変わりはありません。」
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 2020年5月19日 YAHOO!JAPANニュース「日本でも被害が出たアメリカ大陸の超巨大地震から60年、火山噴火から40年
 福和伸夫名古屋大学減災連携研究センター、教授
 60年前に起きた超巨大地震
 今から60年前、1960年5月22日15時過ぎ(日本時間では23日4時過ぎ)に、南米チリの太平洋沖でモーメントマグニチュード(Mw)9.5の超巨大地震が発生しました。観測史上最大の地震です。この場所では、海洋プレートのナスカプレートが大陸プレートの南米プレートの下に沈み込んでおり、日本列島と同様の沈み込み帯に位置します。この地殻変動によって盛り上がってできたのがアンデス山脈です。
 チリ地震の余震域の大きさは800km×200kmにも及び、広域に海底が大きく盛り上がったことで、強い揺れと大津波が発生しました。15分後には約18mの津波がチリ沿岸部を襲い多くの人が犠牲になりました。また、地震後には周辺の火山活動も活発化し、38時間後に噴火したコルドン・カウジェ山をはじめ1年以内に4つの火山が噴火しました。
 日本にまで届いた津波
 津波は22時間半後の24日未明に日本にまで到達し、伝播途中の海底地形の影響で焦点効果が起き、数mの津波が沿岸を襲いました。津波による日本全国の死者・行方不明者は142人に上ります。三陸海岸では6mを超える場所まで津波が遡上し、岩手県大船渡市の53人、宮城県志津川町の41人など、岩手県宮城県の太平洋岸で多くの犠牲者を出しました。1896年明治三陸地震、1933年昭和三陸地震に続く津波災害です。
 地球の反対で起きた地震ですから、当然、地震の揺れを感じることはありません。ただ、日本に津波が到達する7時間前にはハワイに津波が到達していましたので、その情報が活用できれば被害を減らすことができていました。このため、地震の後、アメリカ海洋大気庁の太平洋津波警報センターと連携して、遠地津波に備える体制がつくられました。
 50年に一度の超巨大地震
 チリ地震の前後には、M9クラスの超巨大地震が太平洋周辺地域で集中して起きました。1952年11月4日に起きたMw 9.0のカムチャツカ地震や、1957年3月9日のMw8.6のアリューシャン地震、1964年3月28日のMw 9.2のアラスカ地震などです。
 実は、50年ぶりに、同じようなことが起きているとの指摘もあります。2004年12月26日に起きたMw9.1のスマトラ沖地震の後、2010年2月27日のMw8.8のチリ・マウレ地震、2011年3月11日のMw9.0の東北地方太平洋沖地震などです。多くの場合、地震後に近くで複数の火山が噴火しています。超巨大地震は50年に一度、固まって起きるのでしょうか?
 300年前にもあった超巨大地震
 東北地方太平洋沖地震の後、過去の津波の痕跡が地中に津波堆積物として残されていることが注目されました。実は、320年前にアメリカ西海岸で起きた超巨大地震の痕跡が北海道に残っていました。アイヌ民族は文字を使わなかったため、北海道では昔の地震の記録は文書には残っていませんが、北海道大学名誉教授の平川一臣先生たちが、人工的な地形改変の少ない北海道の特徴を生かし、地下の津波堆積物を精力的に調査されました。その後、日本の古文書から津波到達の日も特定されました。これが、1700年1月26日に起きたMw8.7~9.2のカスケード地震です。この場所は、ファンデフカプレートが北米プレートに沈み込むカスケード沈み込み帯です。すでに地震発生から320年が経っており、近くにシアトル、ポートランドバンクーバーなどの大都市もあることから、将来の地震発生が心配されています。
 実はこの時代にも、太平洋周辺で超巨大地震が起きていました。その一つは、今、最も心配されている南海トラフ地震です。1707年10月28日にMw8.7と言われる宝永地震が起きました。さらに49日後には富士山も大噴火しました。今でも宝永火口が富士山の南東麓に見えます。また、1687年10月20日にはペルーのリマ沖でM8を超える大きな地震があったようです。
 山の形を変貌させた40年前の大噴火
 カスケード地震を起こしたカスケード沈み込み帯の東に位置する北米大陸西海岸には、カスケード山脈があり、多数の火山が連なっています。その一つ、セントへレンズ山が40年前の1980年5月18日に大噴火しました。2か月前から地震や噴火が続いていましたが、5月18日にM5.1の火山性の地震が起き、その揺れで斜面が大規模に山体崩壊しました。これによって、覆いを失った内部のマグマが噴出し、激しい爆風と大規模な火砕流山麓を襲いました。その結果、セントへレンズ山の標高は2,950mから2,550mに減少し、美しい姿だった成層火山のセントへレンズ山の姿は大きく変わりました。2016年熊本地震での阿蘇大橋周辺や2018年北海道胆振東部地震での厚真町の山々の崩落からも分かるように、火山堆積物は地盤がもろく崩れやすいようです。南海トラフ地震と富士山のことを考えると、他人ごとではありません。
 今週は、超巨大地震チリ地震から60年、地震の巣の近くで噴火したセントへレンズ山の噴火から40年です。太平洋の向こうの災害を通して、これからの地震・火山への備えを考えたいと思います。
 福和伸夫
 名古屋大学減災連携研究センター、教授
建築耐震工学や地震工学に関する教育・研究の傍ら、地域の防災・減災の実践に携わる。民間建設会社の研究室で10年間勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科で教鞭をとり、現在に至る。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。」
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 2020年5月19日 河北新報地震から22時間半後の津波、全国で142人犠牲 チリ地震津波(1960年5月)
 チリ地震津波、太平洋岸を襲う 塩釜市北浜の被害惨状=1960年(昭和35年)5月24日、宮城県
 日本各地に大きな被害を与えた1960(昭和35)年5月のチリ地震津波は、日本では揺れがなく、突然、押し寄せた津波だった。全国の死者・行方不明者は142人に上り、その多くは岩手県大船渡市(53人)、宮城県志津川町(現南三陸町、41人)など、三陸沿岸に集中した。
 地震は5月23日午前4時すぎ(日本時間)、チリ南部で発生した。推定マグニチュード(M)9.5という超巨大地震で、これによって生じた大津波は平均時速750キロという高速で太平洋を横断し、22時間半後の午前3時ごろに太平洋の真向かいにある日本列島の沿岸に達した。津波到達の標高は、三陸海岸で6メートルを超え、家屋の全壊・流失は全国で2830棟、浸水3万7195棟などの被害が出た。
 チリ地震津波のように、非常に遠方で生じた津波が伝播してくる津波は「遠地津波」と呼ぶ。「遠地津波」は【1】強い震動が感じられない【2】到達までに長い余裕時間がある【3】波動の周期が長い【4】長時間継続する―などの特色があり、近海で起こる「近地津波」と区別される。
 チリ地震津波は、日本襲来の7時間前にハワイ島に到達しており、その情報は米軍を通じて日本にも伝えられていたが、警報が出されたのは津波が日本に到達し、各地から潮位の異常変化が報告されてきてからのことだった。チリ地震津波を契機に、アメリカ海洋大気庁(NOAA)の太平洋津波警報センターを中心とした津波システムに日本も組み入れられ、遠地津波に備える体制がつくられた。
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 内閣府
 防災情報のページ > 報告書(1960 チリ地震津波
 報告書(1960 チリ地震津波
 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 
 1960 チリ地震津波
 報告書の概要
第1章 チリ地震津波とは何であったのか
 昭和35年5月24日早朝来襲したチリ津波は、北海道から沖縄までの太平洋沿岸各地に被害を与えた。体感する地震がなく、気象庁の対応も遅れ、完全な不意打ちであった。南米沖で発生した遠地津波は、1586年以降19例もあったのだが、その認識が不足していた。
 北海道・青森・岩手・宮城・三重だけでも358億円の被害となった。一般会計総額1兆6千億円、国土保全費520億円の頃である。前年の伊勢湾台風(被害額1,365億円)に引き続く大災害であり、昭和三十五年六月のチリ地震津波による災害を受けた地域における津波対策事業に関する特別措置法が6月17日衆議院可決、20日参議院可決とすぐさま成立した。
 津波高が5〜6mと構造物で対処できる程度のものであったことから、構造物主体の津波対策が実行されてきた。10mを超える津波への総合的津波対策の策定には、1993年の北海道南西沖地震津波まで待たねばならない。
第2章 チリ津波の発生から日本到達まで
 南米プレートの下にナスカプレートが沈み込むチリ海溝で、Mw=9.5の観測史上最大の地震が発生、津波は15時間後にハワイ、23時間後に日本に到達した。
 遠地津波では無視できない波数分散効果、島・海山・海膨による短周期成分の散乱効果、海嶺などによる捕捉・導波作用のもとに、日本へ襲来した。発生源が日本の対極にある事とハワイ諸島付近の海底地形によるレンズ効果とが、日本への津波集中をもたらした。
 現在の数値計算技術では、長周期成分の卓越するチリ津波の再現はかなり精度良く出来るが、その一方で当時話題となった小さい前駆波は未だ説明されていない。
第3章 日本沿岸でのチリ津波
 近地津波に比べ、周期が長かった。東北日本では40分、80分のところにピークがあり、西南日本では40分であった。波高は、北海道・東北地方で2m程度であったが場所によっては4〜6m、関東・東海・近畿・四国・九州で1m位だが場所により2m程度、沖縄では孤立してではあるが4mの所があった。
 東北・沖縄地方で4m以上の場所が生じた原因として、太平洋伝播途中での屈折による集中とされている。第二の特徴として、長い湾が周期の長いチリ津波と共鳴し、湾奥ほど津波が高くなった事があげられる。共鳴しない湾でも、津波による速く複雑な流れが生じ、養殖水産業に影響した。第三の特徴は、大きな岬の背後へも津波が回り込んだことである。
 沿岸近くでの津波は「海が膨れ上がる]と表現され、「先端が段になる」、「白波が立った」と云う所は少ない。ただ、川に入ると明確な波状段波になった。
第4章 津波開始時の人間行動
 早朝から出漁準備などで浜に人が居り、津波警報が出なかったにも関らず、海を良く知る人の判断で死者を出さなかった例が各地に見られた。その一方で、近地津波では被害を受けにくい長い湾の奥では、安全との思い込みが被害につながった。大船渡湾奥がその例である。ここは、急速に発展した商業地域で転入者が多く、津波未体験であった。夜間営業のため、平常から朝の起床が遅かった。日頃から津波避難訓練に消極的で、避難信号のサイレンの意味が判らなかった。これが死者多数につながった。
 周期の長い津波であったため、引潮時の貝・魚拾いが各地で見られ、時として死につながった。
第5章 気象庁の対応
 我が国での津波予報は1941年に三陸地方を対象として始まり、1952年に気象官署業務規定が定められ法制化されたが、近地津波だけが災害をもたらすものと認識されていた。
4時59分の予報(仙台管区気象台発)が最も早かったが、津波到達後であった。津波の初動時刻までに津波警報が間に合った地域は皆無であった。
 チリ津波津波予報体制に根本的な変革をもたらすものとなった。この後、国際的な連携が加速された。
 その後現在に至るまでの、津波予報の精度向上、迅速化についても記述してある。
第6章 被害の実態
 人命、家屋、漁業(漁船・漁具・水産施設)、農業(農業・畜産業・防潮林)、交通(橋梁・鉄道)、ライフライン上水道・電力・電話・郵便)、公共土木施設(港湾施設・海岸堤防・護岸)、商工業の順に、被害形態や規模、原因、災害直後の対応などをとりまとめた。
 過去の津波時と同様、コンクリート造建築物の耐津波性が確認された。水産業では各種筏の流出損壊が目立った。石油や青酸カリの流出が発生したが、大事に至らなかった。沿岸道路は各所で破壊され、交通網は寸断された。流出木材・筏・漁船・家屋が路上に堆積し、その除去には機械力が効をなさず、殆んど人力に頼らざるをえなかった。
 発電所の初の浸水被害、上水道の破壊など、都市化しつつある沿岸地帯の弱点が現れた。
第7章 市町村・県・国の緊急対策
 市町村の出足は早かったものの、全体像の把握には時間がかかった。調査用紙が不足し、罹災者避難先が不明であったからである。
 電話不通のため、市町村と県の連絡が旨く行かず、その後の救援活動に支障が生じた。
 災害救助隊組織が確立しておらず、訓練不足が障害となった。こうした問題点が第2節3にまとめられている。
 意外な問題点として記録不足があり、救護の引継ぎなどで大きな障害となった。
 災害対策特別立法は、日米安全保障条約改定に関る騒然とした世情の中にもかかわらず、極めて速やかに成立した。
第8章 構造物主体の津波対策の確立とその後
 国・県の主導と財政措置のもとに行われる近代的な津波対策は、昭和三陸津波(1933年)に始まった。これが第1期である。経験的な総合対策であり、主流は高地移転であった。防潮堤建設は5箇所のみで採用された。津波予報は昭和16年に始まった。
 その第2期が、チリ津波によって始まる。沿岸での津波高がせいぜい5〜6mであったから、構造物主体の対策となった。世界初の津波防波堤が大船渡湾口に建造された。
 10mを越える津波への対処が考えられる中、1993年の北海道南西沖地震での経験から、総合的津波対策が進むことになるのが、第3期である。1997年以降、防災構造物、津波に強いまちづくり、防災体制の三つを基本とするようになった。
第9章 チリ津波とその後の対策に関する教訓
 チリ津波は、近地津波を対象とした従来の知識を覆すものであった。その複雑な動きは、現在でも解明されて居ない事がある。中でも、津波による流れは精度良く推定されるに至って居ない。
 沿岸地帯が近代都市化する直前の津波であったが、都市のもろさが諸所に現れた。下水道や排水溝からの思いもしない浸水、上水道・電話網・海底敷設管の破壊、発電所の浸水被害などである。大事に至らなかったが、石油に関連する火事も発生した。
 貯木場からの木材流出が大問題となったが、その後も対策は進んでいない。松冨の調べによると、積極的に対策を講じて居る港湾は全国で僅か5港湾しかないのが現状である。
 津波に対する土地利用規制は、北海道浜中町宮城県志津川町(現南三陸町)でしか実現しなかった。
 構造物による対策は、チリ津波に対しては効果があった反面、防潮堤があるが故に湛水が長期化した例が発生した。
 救援活動を支える救援道路の破壊、漂流物による交通障害が問題となった。海から近づく場合に使われる港湾で、津波による流れが原因の障害が起こった。岸壁の倒壊、あるいは港湾での堆積による水深変化、漂流物による航行障害である。
 以上のように、生活に便利なライフラインの被害が伺い知れる災害が発生した。このときの被災状況に学び、やや想像力を働かせれば、現在の進化した沿岸地帯で生じ得る災害を推測するための良い手掛かりがあちこちに見られる。
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 1960年のチリ地震(チリじしん、西:Gran terremoto de Valdivia)は、同年5月、チリ中部のビオビオ州からアイセン州北部にかけての近海、長さ約1,000km・幅200kmの領域を震源域として発生した超巨大地震である。地震後、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来し、大きな被害が発生した。マグニチュード9.5を記録し、観測史上世界最大級の地震である。バルディビア地震とも呼ばれる。

 津波
 各地の津波到達時間
 津波で破壊されたハワイ島・ヒロの街
 本震発生から15分後に約18mの津波がチリ沿岸部を襲い、平均時速750kmで伝播した津波は約15時間後にはハワイ諸島を襲った。 振幅の最大値は日本 6.1m、アリューシャン 3.4m、カナダ 3.3m、ハワイ 2.9m、オーストラリア 1.6mを観測している。ハワイ島のヒロ湾では最大到達標高10.5mの津波を観測し、61名が死亡した[注 1]。
 太平洋を伝播する津波の周期は非常に長く、ヒロでは高さ数フィート程度の第一波到達約1時間後に最大波が襲来し、海岸線から800m以上内陸まで壊滅的な被害となった。
日本での被害(チリ地震津波
 日本は震源から見て西に有るが、他の太平洋沿岸地域と比べ被害が大きかった。地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6.1mの津波三陸海岸沿岸を中心に襲来し、日本の各地に被害をもたらした。気象庁はこの津波チリ地震津波(チリじしんつなみ)と命名した。
 津波による被害が大きかったのはリアス式海岸の奥にある港で岩手県大船渡市では53名、宮城県本吉郡志津川町(現南三陸町)では41名、北海道厚岸郡浜中町霧多布地区では11名が死亡。浜中町では1952年の十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度にわたって市街地は壊滅的な被害を受けた。街の中心でもある霧多布地区はこの津波により土砂が流出し、北海道本島より切り離され島と化した。現在は陸続きだった所に2つ橋が架けられており、本島と行き来が出来る。1つは耐震橋、もう1つは予備橋で橋が津波で流出する恐れがあるためと避難経路を2路確保するためである。東北地方太平洋側のほか、伊勢湾台風の被災から間もない三重県南部から和歌山県田辺市新庄町辺まで津波被害を受けた。
 また、過去の度重なる津波被害を受けて高さ10mの巨大防潮堤を建造していた岩手県下閉伊郡田老町(現宮古市)では、この津波による被害が全く出なかった。実際には津波が防潮堤まで到達しなかっただけであったが、翌日の新聞報道ではこの巨大防潮堤が功を奏したかのように報道され、田老町の防災の取り組みを取り入れ浜中町に防潮堤が建設されることになった。北海道の防潮堤については後の北海道南西沖地震津波による人的被害の甚大な奥尻島などでも建設された。
 報道
 NHKラジオでは、気象庁の「津波警報」の発令前の5月24日午前4時30分からローカル放送で津波に関するニュースを伝えて、仙台局からの情報を元に午前5時からの全国向けにニュースで伝えた
 NHK総合テレビでは、午前10時25分から5分間「ニュース特報」で伝えた。
防災への影響
 地球の反対側から突然やってきた津波(遠隔地津波)に対する認識が甘かった事が指摘され、以後気象庁は日本国外で発生した海洋型巨大地震に対してもハワイの太平洋津波警報センターなどと連携を取るなどして津波警報・注意報を出すようになった。
 当時は津波のオンライン観測網は無く、検潮所や潮位観測所に人が定期的に見に行く仕組みであった。」
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🍠14〗─1─日本の近代化成功は日本独自の和式洋風館を新たに創造したからである。~No.44No.45 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 現代日本は、古きもの(歴史・伝統・文化・言語・宗教・その他)が消え行く時代である。
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 2021年9月9日号 週刊新潮「極みの館は残った。 稲葉なおと
 500年先を見据える
 三田演説館 東京都 1875(明治8)年
 他の建築では感じたことのない胸の高鳴りを覚えたのは、何年も前に眼にした建主の言葉が頭に残っていたからだろう。
 『其(その)規模こそ小なれ、日本開闢(かいびゃく)以来最第一着の建築』
 規模は小さくても日本国はじまって以来、最高峰の建築であるというのだ。自信満々に断言した建主の名は、福澤諭吉といった。
 西洋風の演説を
 諭吉は1835(天保5)年、摂津国大坂堂島新地(現・大阪市福島区)に備前国中津藩(現・大分県中津市)下級藩士の次男として生まれる。19歳で長崎に蘭学及び砲術を学ぶ。大坂にて22歳で蘭学の塾頭となり、藩命により江戸に出て江戸築地の中津藩中屋敷内に蘭学塾を開く。1858(安政5)年、24歳のことだ。
 2年後、日米修好通商条約批准の幕府使節団一員として勝海舟らと咸臨丸にて渡米。維新後は新政府から出仕(しゅっし)を求められるが辞退。築地の蘭学塾を慶應義塾命名し教育活動に専念する。
 1971(明治4)年、慶應義塾を三田に移転。その2年後のことだ。20代より米国の文化に接するうちに生まれた思いが、諭吉の言葉となって表れる。西洋風の演説を稽古したい。そのための集会を開くようにしよう。
 だが日本語はひとりで語るには不都合で、演説には向かないと考えられていた。諭吉は反論する。学問とは第一に話すことであり、次にものごとを見たり聞いたりすること、そして道理を考え、最後に書を読むことではないか。日本語はスピーチに不向きと決めつけるのは、学問の手だてをひとつ失うことだ、と。
 設計を助けた友人
 諭吉は演説会の規則を定め広めるためには、演説のための会堂が必要と考える。
 会堂も西洋風にと考え、アメリカ在住の友人に依頼し、様ざまな会堂の図面を取り寄せる。
 その友人とは『忘れられた元日銀総裁』という書籍があるほど我われの記憶に薄くなってしまっているが、のちに日本銀行第2代総裁に就く富田鐵之助である。
 鐵之助は仙台藩士の子として1835年生まれで、諭吉と同じ歳。藩命により江戸に出て西洋砲術、蘭学を学んでいたとこに、ペリー来航。再び藩命により蒸気機関及び海軍術修業のため勝海舟の塾生となり、坂本龍馬をはじめ各藩の志士との交流が生まれる。
 そこにさらに藩命。海舟のまだ13歳の息子が米国留学するので海舟の推薦により藩が学費を負担、幕府留学生として随行せよと。鐵之助、31歳。だが滞米中に戊辰戦争が勃発。朝敵とされた藩の一大事と帰国するが海舟に諭され、海舟の私費により再び渡米する。維新後、訪米した岩倉具視大久保利通岩倉使節団と知遇を得、岩倉の推薦で一留学生からニューヨーク在留領事心得として明治政府の外交官に登用。1873(明治6)年、鐵之助が副領事に昇進したところに、江戸詰の旧仙台藩重臣を通じて以前より知遇を得ていた福澤諭吉からの依頼が届く。
 1874(明治7)年7月、結婚のため帰国。諭吉の媒酌により諭吉邸で式を挙げ、諭吉邸の一部を借りて新婚生活をスタートさせるが、すぐに新婦を残して渡米してしまう。
 鐵之助からの資料をもとに諭吉自身が計画した会堂は1875(明治8)年4月、三田演説館として竣工。土蔵を思わせるずんぐりした形状、瓦屋根、海鼠壁の和風な外観に、洋風のポーチや上げ下げのガラス窓、内部も教会を思わせる吹き抜けホールが混在する擬洋風建築。2階の廻廊状ギャラリーは、本連載ですでに訪れた新潟県議会議事堂に似る。
 鐵之助から米国会堂の資料を得ながら、なざ完全コピせず和の要素を含ませたのか。そこに私は、日本だけの新しい洋風を創造しようとした諭吉の気概を感じる。今年、築146年に迎えた演説館について諭吉は書き残している。
 幸(さいわ)い無事に保存することを得れば、後500年後、一種の古跡として見物する人もある可し、と。」
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 現代日本には、明治の近代化を成し遂げた先人の痕跡・遺構が残骸として残っているが、若き血潮の息吹は跡形もなく消えている。
 特に、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者などにそれが言え、それは左翼・左派・ネットサハや右翼・右派・ネットウヨクに関係ない。
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 現代の高学歴な知的エリートや進歩的インテリの教養・知識そして決断力と行動力は、江戸後期・幕末・明治を駆け抜けた身分低い人々にはかなわない。
 先ず何が違うかと言えば語学力で、鎖国時代を生きてきた当時の日本人の語学力は自由に外国旅行ができる現代の日本人より雲泥の差ほどの違いがあった。
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 幕末時の教養人・知識人が、現代の高学歴な知的エリートや進歩的インテリと完全に違うのは、最初に基本教養として論語などの儒教を原書の漢籍で学び、次ぎに高度教養として蘭学、西洋砲術の軍事学、理数学を原書で学んだ。
 基本的に、学んだ教本には日本語訳ははく日蘭辞典で自分で飜訳し、先生や塾頭の意訳や卒業した先輩が残した書を手掛かりとして、今いる塾生内で議論して解釈を深めるしかなかった。
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🗡64〗─1─自衛隊は米軍の退役する無人偵察機グローバルホークを新導入。~No.203No.204No.205 

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 ドローン機は兵器・殺人マシーンである。
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 2021年8月29日06:00 MicrosoftNews 朝日新聞デジタル自衛隊新導入の無人機、対中国で無力? 米軍では退役へ
 © 朝日新聞社 米空軍の無人偵察機グローバルホーク
 自衛隊が今年度以降に配備予定の無人偵察機グローバルホーク(GH)をめぐり、米空軍が保有する同型機を早期に退役させる方針を打ち出した。機体が旧式化したことが理由だ。防衛省は今後20年間、毎年120億円超の予算をかけて運用する計画だが、さらなるコスト増も懸念されるほか、装備の有効性を疑問視する声もある。(編集委員・土居貴輝)
 防衛省が導入するのは、GHの「ブロック30」と呼ばれるタイプ。
 米空軍は7月21日、2022会計年度の予算案で、20機保有するブロック30の全機を退役させる方針を示した。理由として「競争の激しい緊迫した状況で運用できる能力がない」として機体の旧式化を指摘。空軍幹部は公聴会で「我々が直面している中国の脅威に対応できる設計になっていない」と証言した。
 GHにはブロック30のほか、最新の派生型のブロック40がある。空軍は10機保有するブロック40の運用を続ける予定という。
 この米空軍の方針について、防衛省の関係者は「中国は対空兵器、電磁波を使った妨害の能力を高めているが、ブロック30は他国から妨害を受けるような状況での運用が想定されておらず、台湾海峡の有事でも使えない」と指摘する。」
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無人暗殺機 ドローンの誕生
ドローン情報戦:アメリカ特殊部隊の無人機戦略最前線

🌀18〗─3─新型コロナ感染拡大で地方創生や地方回帰ではなく地方消滅元年となる。~No.133No.134 

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 武漢肺炎(新型コロナウイルス)が、人と人との繋がり絆をズタズタに切断し、日本人の心に癒やされる事のない傷を刻み決して消える事のない深い闇をつくった。
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 現代日本は、少子高齢化による人口激減で消滅する地方を救えない。
 人口が増える地域があれば、人口が減る地域がある。
 人口を増やす事は、人口が減っている地域から人口を奪う事である。
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 2021年9月2日号 週刊新潮「脱『東京一極集中』のはずが・・・
 今年は『地方消滅元年』
 テレワークが東京から地方への移住を後押しし、地域の活性化にもつながると考えた人たちは、とんだ見込み違いであった。いまも地方の人口は減り続け、このコロナ禍で人的交流をせき止めようとしたが、更なる事態の悪化を招いた。もはや打つ手はないのか。
 河合雅司
 コロナ禍で感染者の多い東京都から『脱出』する人が増え、地方回帰が進む──。こうした予想が少なくなかったが、蓋を開けてみれば全くの見当違いであった。相変わず東京への人の流れは続き、むしろ地方の人口が減少する結果となっている。
 なぜ、こうも見立てに狂いが生じたのだろうか。そこには3つの勘違いがあった。1つ目の勘違いは、各種アンケート調査において、地方移住に対する関心の高まりがみられたことを鵜呑みにしたことだ。
 内閣府の『第3回新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査』を例にとると、東京圏に住む人を対象として2021年4~5月に実施された調査では、地方移住について『強う関心がある』と『関心がある』の合計で14.2%に上った。『やや関心がある』を含めれば33.2%である。東京23区に住む人に限れば38.1%と4割近い。
 しかしながら、関心を持つことと、実際に行動に移すこととは別である。いざ自分が行うとなると、煩雑(はんざつ)さや『地方暮らしのリアル』に腰が引ける人が少なくない。移住して1年足らずで都市に舞い戻る人も多いのだ。
 2つ目は、こうしたアンケート調査結果とも密接に絡むが、テレワークの普及が地方移住の背中を押すとの期待感だ。
 前出の内閣府の調査でも地方移住に関心を抱いた理由の第2位は『テレワークによって地方でも同様に働けると感じたため』(25.4%)であった。だが、テレワークに馴染む仕事ばかりではない。夫婦のどちらかがテレワークできない職種の場合にも地方移住とはならない。テレワークに移行したとしても、多くの人は出社が完全になくなったわけではなかった。子育ての中の世帯の場合、子供に転校を求めざるを得なくなるため断念した人もいた。
 3つ目は、コロナ禍にあって東京都の人口が減少に転じたことが、いつの間にか『感染を回避するため東京脱出者が増えた』と曲解されたことがある。東京都総務局統計部によれば、2020年4月の実態をとらえた5月1日現在人口(推計・補正後)お1,408万9,945人をピークとして、その後は概ね減少傾向が続いたがこれは外国人の減少や自然減少による影響もあってのことだった。
 総務省住民基本台帳人口移動報告で2020年の全国の人の動きを確認してみると、『東京脱出』どころか、他の道府県からひっこして来る人のほうが多い『転入超過』だった。その数は全国最多の3万1,125人だ。むしろ、39道府県が『転出超過』となっていた。
 東京都が転入超過となったのは感染がさほど拡大していなかった1~4月の〝貯金〟が貢献したことだけではない。『2020年度』として見ても7,537人の転入超過であった。
 10代後半から20代の若者たち、とりわけ女性の流入の勢いが転入超過を押し上げたのである。最初の緊急事態宣言が発出された2020年4月の転入超過数を男女別に見ると、女性が男性の3.5倍だ。いずれも前年同月よりは減ったが、男性が約80%低下したのに対し、女性は約57%の低下にとどまった。
 4月と言えば就職による引っ越しシーズンだ。地方には若い女性が希望する就職先が少ない。東京都の感染リスクの高さを気に掛けながらも、簡単に就職先を変更できなかったことがあったとみられる。
 その後も、女性の上京の勢いが男性に勝っていた。5月は男女とも転出超過となったが、女性は男性の4分の1の水準にとどまった。緊急事態宣言が解除されて男女とも再び転入超過に戻った6月は、女性が男性の2.8倍であった。7~12月は転出超過だったが、どの月も男性の転出超過数が多かった。男性のほうが前年に比べて地元に残る人が多く、女性は上京する人、東京に残る人が多かったということである。Uターンするにしても、男性のほうが地元で就職先が見つけやすく、テレワークに対応できる仕事に就いている割合も高かったという事情もあるとみられる。
 地方回帰はまぼろし
 『地方回帰』が大きな流れになっていないことは、人口動態のデータでも明確だ。厚生労働省の人口動態統計月報年計(概数)によれば、2020年の自然減少幅は過去最大の53万1,816人となったが、状況は地方ほど深刻であった。
 人口1,000人あたりの増減率で、最も下落したのは秋田県の11.5%減だ。続いて青森県(9.0%減)、岩手県(8.7%減)、山形県高知県(8.6%減)など、すでに人口減少に悩む県で進行していた。
 ……
 政府は東京一極集中の是正の具体策として、政令指定都市や県庁所在地などをダムに見立て、地方から東京への人口流出の〝歯止め役〟として期待をかけてきたが、こうした『ダム機能』がうまく行っていないことも明らかになった。政令指定都市のうち神戸、京都、北九州、堺、浜松、新潟、熊本、静岡の8市で人口が減ったのである。中でも新潟市は2.5%減、北九州は2.3減と大幅に落ち込んだ。
 全国の自治体の約半数が5%以上の人口を減らし、政令指定都市でも人口減少が広がり始めているという結果は、出生数を死亡数が上回る『自然減少』と、東京圏などへの流出が同時に進んでいることを物語っている。
 都内から隣接3県へ
 しかしながら、コロナ禍が東京都の姿を全く変えなかったかと言えば、そうでもない。住民基本台帳人口移動報告によれば、2020年の転出超過数3万1,125人は、2019年の8万2,982人と比べると62.5%もの大幅減だ。46道府県のすべてで東京都への転出者数が減っている。
 コロナ禍は東京一極集中の流れを止められなかったものの、東京都が地方から人を集める力を格段に弱らせたことは間違いがない。
 もう一つ大きな変化は、地方回帰こそ進まなかったものの、例年に比べて東京都を離れた人が増大したことである。9月は前年同月比12.5%、10月は10.6%、11月は19.3%、12月は17.1%増だ。年間トータルでも前年比4.7%増えた。東京都からの転出者40万1,805人というのも全国トップである。
 地方回帰は進まず、しかしながら東京からの転出者が増えたというのでは辻褄が合わないが、人々は一体どこへと向かったのだろうか。
 答えは簡単だ。隣接する3県である。住民基本台帳人口移動報告は、東京都から埼玉県へ7万4,659人、神奈川県へ9万1,869人、千葉県へ5万6,186人としている。東京都内でも23区から都内の郊外へと引っ越す動きも強まった。東京都総務局統計部によれば、三鷹市調布市といった都心へのアクセスの良い多摩地区東部の自治体が軒並み人口増加となった。多くの人々は、生活圏が根底から崩れることのない東京圏(1都3県)の中で移動していたのである。
 ……
 東京都から隣接県への引っ越しを押し上げたのは30代前半だ。
 ……
 これには2つの理由が考えられる。1つは、先に触れた通勤とテレワークの『ハイブリッド型勤務』に対応し易かったことだ。
 ……
 もう1つは、コロナ不況で給与カットやボーナス削減などの収入の減った人々が、住宅コストの高い都市部や駅近物件に住んでいられなくなったことである。
 ……
 こうした人々にはテレワークに切り替えられない仕事の人も多い。通勤可能エリアの中で、東京都よりは住宅費を抑える場所を選んだということである。
 他方、『地方回帰』が進まなかったのは、地方側にも原因があった。新型コロナウイルスの感染者増加を警戒するあまり、他地域との交流を過度に制限したことの影響である。
 他県ナンバーの車を傷つけるような犯罪行為は論外だが、大都市圏からの訪問者を過度に恐れ、自県出身者にも帰省を控えるよう呼びかけた自治体が少なくなかった。東京圏への出張から戻った人に2週間の自主隔離を独自ルートとして設けたり、自治体が音頭を取る形で他県客の飲食店の利用を制限したりするところもあった。その大半は科学的な根拠は乏しく、『都会に住む人=感染者』と決めつけんばかりの差別的対応である。疑問を持つ住民も多かったのだろうが、地域社会の目を気にして『仕方ないこと』とされていった。
 これらは『県民を感染から守る』という考えのもとに行われたことだが、同時に自ら地域経済の疲弊を加速させることとなった。
 里帰り出産拒否が拍車を
 地域経済の疲弊ぶりは、総務省の家計調査からも浮かび上がる。コロナ不況は産業によってダメージの深刻さが大きく異なる『K字型』と言われるが、それは大都市部と地方にもあてはまるのだ。
 ……
 ただでさえ地元で就きたい仕事が見つからずに都会へ出ていく若者が後を絶たないのに、経済情勢をさらに悪化させたのではUターンや地方移住を検討しようにも二の足を踏む人が増えよう。
 実は、こうした地方の閉鎖性は、かねて若者の都会流出を捉す〝隠れた要因〟とされてきた。……地域に残る〝時代遅れ〟の因習に反発して地方を飛び出す若者は少なくないのだ。
 コロナ禍が炙り出した地域の閉鎖的な姿勢は、地域経済の疲弊による雇用機会の喪失を招くだけでなく、地方移住の気持ちを萎えさせ、地元の若者の流出をさらに加速させる可能性もあるということだ。
 閉鎖性の中でも極めつきだったのが、里帰り出産の〝拒絶〟だ。……
 それは、このような閉鎖的地域で将来にわたって出生数が減り、人口減少が加速していくということを意味する。そうでなくても、コロナ禍の影響で2021年以降の年間出生数は激減が予測される。
 テレワークの普及を念頭に、『転職なき移住』の拡大が地方創生の起爆剤になると期待する地方自治体は少なくないが、『地方回帰』どころか2021年は〝地方消滅元年〟とさえなりかねないのである。
 閉鎖的対応に旗を振った地方自治体は、感染拡大の抑制に成功するかもしれないが、それと引き換えに支払う代償は計り知れない。
 多くの自治体では移住者に暫定的な家賃補助や住宅の無償提供などを行っているが、コロナ禍でさえ東京一極集中を是正する動きにつながらなかったのである。菅義偉内閣は『経済財政運営と改革の基本方針』(骨太方針)で『活力ある地方創り』を新たな成長の源泉の4本柱の一つに掲げたが、むなしく響く。
 デルタ株による感染爆発で、各地にさらなる閉鎖的な動きが広まったのが、人口減少で取り返しのつかない状況へと陥る前に『Withコロナ』へと発想を切り替える必要がある。」
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地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減 (中公新書)
地方消滅の罠: 「増田レポート」と人口減少社会の正体 (ちくま新書)
地方消滅と東京老化 日本を再生する8つの提言
人口減少社会のデザイン
日本の地方議会 都市のジレンマ、消滅危機の町村 (中公新書)
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 日本の各種アンケート調査で、行動統計調査は役立つが、意識調査は参考になっても余り役に立たない。
 意識調査は建前に過ぎず、本音と捉える事は大きな間違いである。
 現代日本人は、意識調査を信じ掘り起こしが可能と考えるが、しょせん「取らぬ狸の皮算用」で失敗を続ける。
 つまり、地方創生の大半が失敗し、ごく一部の成功例を誇大に膨らまして報じて日本人の目を曇らせ嘘で塗り固めて深刻な現実を隠している。
 つまり、誰かが衰退・滅びへのハーメルンの笛を吹いている。
 それは誰か、政治家・官僚・学者そしてメディアである。
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 日本人は惻隠の情を持ち心優しくお互いが助け合う、はウソである。
 その証拠が、心の奥底に隠していた醜悪・穢れを曝け出した同調圧力、自粛警察、マスク警察そして昔ながらの地域差別(同和差別、福島差別、アイヌ差別)である。
 日本人とは、親鸞が言ったように善男善女ではなく「悪人」である。
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🗡63〗─1─日本人科学者に中国の「殺戮ドローン」の攻撃性開発に協力する者がいる。~No.200No.201No.202 

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 リベラル派・革新派・左派系の日本人科学者の中には、日本の国防技術研究開発に協力する事に反対するが、中国軍の軍事技術強化に協力する者が存在する。
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 2021年8月28日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン 読売新聞取材班「中国国家プロジェクトに「日本人44人」の重大懸念 機体に攻撃性、人を襲う「殺戮ドローン」の脅威
 © 東洋経済オンライン 中国国家プロジェクト「千人計画」に少なくとも44人の日本人研究者が参加しているという。招致した中国の狙いとは……(写真:YIG/PIXTA
東京オリンピックの開会式、見せ場の1つは「ドローンの舞」だった。遠隔操作によって1824台もの機体が飛び交い、発光ダイオード(LED)をきらめかせながら大会エンブレムの市松模様を描いたり、地球を形作ったりした。機体はアメリカ・インテル製だったが、もちろん中国もドローンの技術開発を進めている。
 機体に攻撃性を持たせ、人を襲わせる「殺戮ドローン」――2018年の段階で、それを開発するためのプログラムが始まったと報じられていた。またそこには、読売新聞が2021年元旦の記事で「少なくとも44人の日本人研究者が参加したり、関連した表彰を受けたりしていた」と報じた中国の「千人計画」も関係してくる。新刊『中国「見えない侵略」を可視化する』(読売新聞取材班)から抜粋して紹介する。
 「殺戮ドローン」を作る技術
 内部に3グラムの指向性爆薬を備えた手のひらサイズの小型ドローン群が、顔認証システムを使ってターゲットを捜索・追跡し、見つけ次第、額にくっついて脳だけを爆薬で破壊して殺害する──。
 テクノロジーの未来について研究している「フューチャー・オブ・ライフ・インスティテュート」のスチュアート・ラッセル米カリフォルニア大バークレー校コンピューターサイエンス教授が、2017年に制作したショートムービー「スローターボッツ(殺戮ドローン)」の一場面だ。自律型のAIロボット兵器が悪用される恐怖の世界を描き、関係者に衝撃を与えた。
 映画では、スローターボッツがテロリストの手に渡り、要人が暗殺される。権力者の側も、この最先端技術を悪用し、権力者の腐敗を追及する活動に関わる学生たちにスローターボッツを放つ。スローターボッツは教室で逃げ惑う学生たちからターゲットを見つけ出し、次々と殺害していく。監視カメラと顔認証システムを使って人権活動家らの行動を監視しているという中国を連想させる内容だ。「Slaughterbots」と検索すれば、動画投稿サイトYouTubeで見ることができる。
 香港英字紙サウスチャイナ・モーニングポストは2018年11月、北京理工大が、こうした殺戮ドローンを開発するためのプログラムを開始したと報じている。5000人を超す候補者から31人の学生を選抜し、AIを利用した「インテリジェント兵器システム」の開発を目指すという。
 「スローターボッツ」の作者であるラッセル教授は同紙の取材に、「非常に悪いアイデアだ。生徒たちは最初の授業に『スローターボッツ』のフィルムを見るべきだ」と強い懸念を示した。そのうえで、「機械が人を殺す決定を下せることがあってはならない。そのような兵器はすぐに大量破壊兵器となる。それだけでなく、戦争の可能性を高めるものになる」と指摘した。
 北京理工大は中国国内で、「兵器科学の最高研究機関」と称される。実は同大の「ロボット研究センター」には近年、千人計画に参加する日本人4人が所属し、AIやロボット工学、神経科学など、自律型のAIロボットにも応用できる研究を行っていた。
 中国共産党中央組織部の「千人計画」
 千人計画とは何か。前身は、1990年代に行われた、海外の中国人留学生を呼び戻して先端技術を中国国内に取り込む「海亀〈ハイグイ〉政策」だとされる。中国では海外から帰ってくるという意味の「海帰」と発音が同じであることから、帰国した留学生を「海亀」と呼んでいる(参考:『中国人留学生は「知的財産の収集人」の危険な実態』)。
 中国はその後、2020年までに世界トップレベルの科学技術力を持つイノベーション型国家へ転換することを目標に掲げ、その実現に向けた取り組みの一環として外国人研究者の招致を含む千人計画を2008年にスタートさせた。
 名前は千人計画だが、中国人を含めた参加者は、2018年までに7000人を超えているという。
 千人計画を率いるのは、中国共産党中央組織部だ。中央・地方合わせて9500万人の党員を束ねる党の中でも強大な力を持つ組織で、千人計画の全ての申請書を最終的に確認し、採用の可否の決定権を握ってきた。
 中国の中枢が組織的に推進するプロジェクトだけに、参加する外国人研究者は、巨額の報酬や研究費に加え、家族を含めて外国人永久居留証を与えられるといった特権を享受できる。
 中国が最先端技術を持つ外国人研究者を厚遇で囲い込んでいるのは、純粋に科学的な理由からだけではない。
 北京理工大の「ロボット研究センター」はこれまで、弾道ミサイルの誘導や軍民両用ロボットなどを研究してきたとホームページで説明している。北京理工大で日本人研究者がAIやロボット工学などを研究・指導していることに対しては、欧米から懸念する声が出ている。
 米議会の諮問機関「米中経済安全保障調査委員会」のホームページに掲載されている報告書は、「中国の軍事指導者や戦略家は、無人プラットフォームによって戦闘のあり方が劇的に変わると信じ、ロボット工学や無人システムの研究・開発に対する惜しみない資金を、国防産業や大学に投じている」と警鐘を鳴らし、中国がこうした技術を千人計画を通じて得ていると指摘する。そして実例として、北京理工大で指導する日本人教授の名前を挙げている。
 同大で指導する別の日本人研究者は、「自分は軍事研究に関わらず、日本に迷惑をかけないようにと考えている」と釈明しつつ、自身の研究について「応用すれば、無人機を使って攻撃したり、自爆させたりすることができる」と認める。
 そのうえで、「中国の大学は、軍事技術を進化させる研究をして成果を出すのが当たり前だという意識が強い。外国の研究者を呼ぶのは、中国にはない技術を母国から流出させてくれると期待しているからだろう」と語った。
 内閣府の「科学技術イノベーション政策推進のための有識者研究会」に参加していた専門家は、「千人計画の問題は、数ではない。優秀な専門家に狙いを付けて中国に呼び寄せ、その中に一人でもすごい人がいれば、中国に大きな利益をもたらす」と語る。
 「国防七校」にも8人の日本人
 読売新聞が確認した研究者44人の中には、中国軍に近い「国防七校」と呼ばれる大学に所属していた研究者が8人いた。
 国防七校とは、中国の軍需企業を管理する国家国防科学技術工業局に直属する北京航空航天大、北京理工大、ハルビン工業大、ハルビン工程大、南京航空航天大、南京理工大、西北工業大の7大学を指す。
 中国は民間の先端技術を軍の強化につなげる「軍民融合」を国家戦略として推進している。軍民融合については本書で取り上げているが、日本政府は、日本が保有する軍事転用可能な技術が中国に流出することを強く懸念している。
 北京理工大のケースには先ほど触れたが、国防七校の1つ、北京航空航天大にも4人の日本人が所属していた。同大は、ミサイル開発の疑いがあるとして、貨物や技術の輸出時には経済産業省の許可が必要な「外国ユーザーリスト」に記載されている。
 同大に所属する宇宙核物理学の研究者は、「軍事転用される危険性はどんなものにでもある」としつつ、「教えているのは基礎科学の分野で、軍事転用とは最も距離がある。経産省の許可も得ている」と強調した。
 日本人研究者本人や周りにいる中国人たちが軍事転用をするつもりはなくても、中国では軍民融合戦略に加え、国民や企業に国の情報活動への協力を義務付ける「国家情報法」が施行されている。軍事転用などのリスクの高い機微な技術は当然、中国当局に狙われると考えなければならないだろう。
 千人計画の怖さは、外国人研究者の研究成果を中国自らのモノ、つまり「メイド・イン・チャイナ」にしてしまうところにもある。
 代表的なやり方は、外国人研究者に中国人の若手を指導させ、最先端技術と研究手法を身につけさせるというものだ。
 千人計画に参加した複数の日本人研究者が、特許の取得や論文執筆に加え、若い中国人研究者を育成することが参加の条件の1つだったと証言する。先ほどの専門家は、「優秀な研究者1人に10人の中国人学生をつければ、1万になる。そうやって学生に技術を学ばせ、いろいろな技術を中国が吸収していく。中国は千人計画と連動して『万人計画』も進めている」と解説する。
 日本人研究者から指導を受ける中国人の若手研究者は、海外の大学などで学んだ留学経験者が多いが、最近は、中国人研究者が中国国内で育てた第2世代も増えてきているという。第2世代は、中国共産党の思想教育が浸透しており、愛国心が強いのが特徴だ。
 千人計画では、外国人研究者に本国の大学で中国人留学生を受け入れさせるケースもある。そうした場合、留学生を通じ、外国の進んだ研究施設をそっくりそのまま中国国内に再現する「シャドーラボ(影の研究室)」が作られることもあるという。
 日本人研究者たちが教えた中国の若手研究者が将来、AIやロボット工学の技術を用いて兵器開発に従事する可能性は少なくないだろう。
 日本の研究が中国発の論文に
 外国人研究者に中国発で論文を書かせることも、メイド・イン・チャイナ化の1つの手法として行われている。
 「著名な科学誌に2本の論文を出すよう求められた」
 千人計画に参加した複数の日本人研究者が、中国側から論文執筆のノルマを課され、特に「ネイチャー」「サイエンス」など世界的に著名な科学誌への掲載を求められたと証言する。ノルマが明記された契約書に署名した研究者もいた。
 また、複数の研究者が、過去に日本で行った研究のデータを使って論文を書く場合でも、中国の大学の肩書で発表するよう要求されたと口にする。
 文部科学省によると、2016~2018年に発表された世界各国の自然科学系の論文数(年平均)は、中国が約30万6000本で、アメリカを抜いて初めてトップに立った。日本は約6万5000本で、2001~2003年の2位から4位に順位を下げた。
 論文の掲載数は、各国の学術レベルを示す指標とされている。しかし、ある日本人研究者は、「データは他国での研究で得たものなのに、中国の大学名で論文を発表する研究者が多い。中国の論文数は水増しされていると思う」と疑問を呈する。
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🌀18〗─2─新型コロナ対応のダメさは現代日本が戦争を理解できないからである。~No.131No.132 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 現代日本人は、昔の日本人以上に危機管理能力はない。
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 ウイルス・細菌による感染爆発に対して、宗教の神仏や精神論の言霊は無力・無能である。
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 伝染疾患のワクチンと治療薬は、攻撃的細菌兵器・生物兵器に対する防御的化学兵器でる。
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 2021年9月5日号 サンデー毎日「感染爆発 
 前例踏襲平時モードのダメ政権 潮匡人
 安倍・菅政権は昨年来、『緊急事態』を宣言しつつ、いわば〝お役所仕事〟を続けている。十分な時間をかけて議論を尽くした後、全会一致の議論決定を経て、手続きの正義と公正さ、前例を尊重しながら淡々と実行するやり方だ。
 しかし〝コロナ戦争〟や〝ワクチン戦争〟と呼んでよいなら、今は有事だ。トップに立つ者が簡潔明瞭に命令し、部下の実行を監督する強いリーダーシップが必要だ。前例に縛られない決断も必要となる。それが正真正銘の有事に対処すべき軍隊式の危機管理だ。
 米国のトランプ大統領(当時)は昨年5月、ワクチン開発を担う『ワープ・スピード作戦』を発表した。ホワイトハウスの本部で同作戦の最高執行責任者を務めたのは、米陸軍のガスタブ・ペルナ大将(同=今年7月退役)だ。同氏は疾病対策センターCDC)などの関連機関を束ね、トップダウンでワクチン開発と接種に関する指揮を執り、驚異的なスピードで実行した。『朝日新聞』までもが国産ワクチンを実用化できない日本と欧米を比べ、〈欧米のワクチン政策には安全保障の側面がある〉と評したほどだ(5月30日付朝刊)。
 日本はどうか。菅政権はワクチンの供給や打ち手の確保を軽視した。河野太郎ワクチン担当相が『最適化』と称して接種スピードが速い自治体にブレーキをかける始末だ。ワクチン以外にも、感染者の病床を確保するための必要な法整備をせず、医療崩壊が迫った地域に自衛官を逐次(ちくじ)投入した。菅義偉首相『これが最後』と言いながら、緊急事態の期間を延長し、適用範囲を拡大させた。新型コロナ対策を担う西村康裕経済再生担当相は朝令暮改が目立ち、田村憲久厚生労働相は厳しい批判を受けると逆ギレすることも。菅首相は原稿を棒読みするだけだ。誰が責任者なのかも分からない。
 初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行(故人)は著書『危機管理のノウハウ』で『兵力の逐次投入』や『補給の軽視』を戒め、〈悲劇的に準備し、楽観的に実施せよ〉と説いた。菅政権がそれに反していることは明らかだ。
 思い返せば東日本大震災の直後、管直人首相(当時)は救援のために自衛官10万人を動員した。安倍晋三前首相は『悪夢の民主党政権』と呼んで非難したが、自民党政権のコロナ対応よりよほど有事の対応ができていたと言えるかもしれない。
 菅政権は危機管理に失敗した。これに尽きる。」
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 2021年8月28日09:39 MicrosoftNews 日刊ゲンダイ ヘルスケア「日本が国産コロナワクチンの開発に積極的ではない理由とは【新型コロナワクチンの疑問に答える】
 © 日刊ゲンダイ ヘルスケア 感染症流行の歴史(写真は習近平中国国家主席とバイデン米大統領)/(C)日刊ゲンダイ
 【新型コロナワクチンの疑問に答える】#30
 塩野義製薬が開発を進める新型コロナワクチン「遺伝子組み換えタンパクワクチン」は、年内にベトナムで最終治験に入るという。早ければ今年度中の実用化を目指すというが、日本は医療大国にもかかわらず国産ワクチンの開発に積極的ではない。理由は歴史にある。
 【Q】いち早く新型コロナワクチン開発に着手したのは、中国、ロシア、アメリカ、イギリスだ。それはなぜか
 【A】「戦争の歴史が大いに関係しています。過去の戦争ではいくつもの感染症が発生し、多くの国の戦力が壊滅的な打撃を受けました。アメリカ、イギリス、ロシア、中国などは軍人の約3分の1を疫病で亡くした経験もしています。だから現在も感染症対策は国家の重要な戦略的要素であると捉え、軍事費の中に感染症やワクチンの研究費を盛り込んでいるのです。特に最近は、アメリカや中国など世界の覇権を争っている国々が、熱帯病や感染症に対する防御策に力を入れています。ワクチンはその代表的なものです」
 【Q】具体的に、どのような感染症が戦争中に流行したのか
 【A】「例えば紀元6世紀ごろ、東ローマ帝国は皇帝ユスティニアヌスが治世中に、北ヨーロッパで流行したペストによって兵力がほぼ全滅したといわれます。侵攻していたフランスとイギリスなどは撤退せざるを得なくなった。第1次世界大戦中は、スペインインフルエンザ(1918~20年)が大流行し、ヨーロッパの約3分の1ほどの人が罹患したことが、終戦につながったと考えられています。また、日本でも、第2次世界大戦中のインパール作戦で、中国からカンボジアミャンマーへ移っていく部隊がマラリア及び飢餓により死亡し、戦わずしてほぼ全滅しました。太平洋諸島でアメリカ軍と交戦している時は、マラリアコレラなどで兵力が半減したことも記録に残っています。歴史を振り返っても、感染症の恐ろしさを知ることができます。ただ、戦後の日本は他国と違って戦争を放棄しました。そのため、感染症に対する備えも重視されなくなり、何かあればアメリカなどから必要な医薬品を購入すればいいと考えているのでしょう。ワクチンの研究費はアメリカの20分の1以下で、若い研究者も育てていません」
 戦争をしない選択は否定されるものではないが、平和でありさえすれば国民の命が守られるということではないだろう。
 (奥田研爾/横浜市立大学名誉教授)」
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 8月28日17:33 MicrosoftNews 毎日新聞菅内閣支持率26% 最低更新 不支持66% 毎日新聞世論調査
 © 毎日新聞 提供 閣議に臨む菅義偉首相=首相官邸で2021年8月27日午前9時1分、竹内幹撮影
 毎日新聞と社会調査研究センターは28日、全国世論調査を実施した。菅内閣の支持率は26%で、7月17日の前回調査の30%から4ポイント下落した。2020年9月の政権発足以降で初めて30%を切り、最低を更新した。調査方法は異なるが、第2次安倍政権で最も低かった17年7月の支持率と並んだ。不支持率は66%で前回の62%から4ポイント増え、過去最悪となった。
 菅政権の新型コロナウイルス対策を「評価する」と答えた人は14%で、前回(19%)から5ポイント減少し、「評価しない」の70%(前回63%)を大幅に下回った。「どちらとも言えない」は16%(同18%)だった。
 日本の医療が崩壊する不安を感じるかとの問いには、「不安だ」との回答が70%に上り、「不安はない」の15%を大幅に上回った。「どちらとも言えない」は14%だった。感染拡大で患者が急増し、入院できない自宅療養者が増えている。療養中に死亡するケースも相次いでおり、多くの人が不安を感じている。政府のコロナ対応や医療体制の逼迫(ひっぱく)が改善されないことへの不満が内閣支持率低下につながっているようだ。
 政府が発令している緊急事態宣言に感染拡大を抑える効果があると思うかとの質問では、「効果があると思う」が16%にとどまり、「効果があるとは思わない」の64%を大きく下回った。「どちらとも言えない」は20%だった。宣言の対象地域は27日、北海道など8道県が追加されて計21都道府県に拡大した。
 新型コロナの感染がここまで拡大した理由については、「行政の責任が重い」は46%で、1月16日の調査の40%から6ポイント増えた。「感染対策を守らない人たちが悪い」は32%(1月調査30%)、「新しいウイルスなので仕方ない」は21%(同29%)だった。感染拡大に関して、行政に対する批判が一層強まっていることがうかがえる。
 政党支持率は、自民党26%(前回28%)▽立憲民主党10%(同10%)▽日本維新の会8%(同6%)▽共産党5%(同7%)▽公明党3%(同4%)▽れいわ新選組2%(同1%)▽国民民主党1%(同1%)――など。「支持政党はない」と答えた無党派層は42%(同39%)だった。
 次期衆院選比例代表で投票したい政党を聞いたところ、自民党24%▽立憲民主党14%▽日本維新の会8%▽共産党6%▽公明党4%▽国民民主党2%▽れいわ新選組2%――などで、「まだ決めていない」は37%だった。
 調査は、携帯電話のショートメッセージサービス(SMS)機能を使う方式と、固定電話で自動音声の質問に答えてもらう方式を組み合わせ、携帯774件・固定335件の有効回答を得た。【伊藤奈々恵】」
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 平成23(2011)年3月11日の東日本大震災福島第一原子力発電所事故に対応した民主党政権がダメ政権というのなら、令和2年の安倍晋三政権と令和3年の菅義偉政権による自民党政権もダメ政権である。
 その結果として、世界第2位の経済大国であった日本は、平成7(1995)年1月17日の阪神淡路大震災(自社さ連立村山富市政権)以来年々退行・劣化・悪化し、ついには先進国・一流国から途上国並み・三流国並みに転落してきている。
 原因は、第九条の日本国憲法平和憲法)である。
 だが、最後に頼るのは自衛隊である。
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🌀18〗─1─日本のコロナ論文数は世界で14位、諸外国にリード許す。~No.129No.130 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 2021年8月25日 産経新聞「日本のコロナ論文数は世界で14位、諸外国にリード許す
 新型コロナウイルスに関する国別の学術論文数で、世界的流行の初年となった2020年の日本の順位は14位だったことが、文部科学省科学技術・学術政策研究所の調査で分かった。新型コロナ対策をめぐっては、国産ワクチンの開発・実用化の遅れが指摘されているが、関連論文発表でも諸外国にリードされていることが浮き彫りになった。
 同研究所が毎年発表している「科学研究のベンチマーキング」の最新版で、2020年に科学誌に掲載された新型コロナに関する論文数(暫定値)を各国別に抽出。論文は国をまたいだ複数の研究者による国際共著が多いため、国ごとの論文への貢献度に対応して数値を補正している。
 それによると、米国(2552本)、中国(2116本)、イタリア(1313本)がトップ3。以下インド、ドイツなどと続き、日本は181本で14位だった。研究開発費の多さから同研究所が科学研究に関する主要国と位置づける7カ国(日本、米国、英国、ドイツ、フランス、中国、韓国)ではワースト2位。
 同研究所によると、新型コロナ関連の論文では、主要国以外でも感染者が多く報告されている国や地域が上位に入っている。自然科学の論文数全体では例年、日本がトップ5以内を維持しているが、全体では日本より下位にいるブラジルなどが新型コロナ関連で上回った。
 各国ごとの新型コロナの感染者数と論文数の詳しい相関関係は不明だが、ほかの感染症に関する各国の論文数を分析してもテーマとなった感染症が拡大している国や地域で発表が多い傾向にある。同研究所は、「感染拡大が論文数増加の何らかの要因になっている可能性がある」とみている。また、デルタ株の流行など今年に入り新型コロナを取り巻く状況が変化し続けていることから、今年末の論文数では順位が入れ替わる可能性もあるという。
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