🍘18〗ー1ー食料自給率37%、過去最低、令和2年度。~No.56No.57No.58No.59 

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 2021年8月25日 産経新聞「食料自給率37%、過去最低 令和2年度
 東京・霞が関農林水産省
 農林水産省は25日、令和2年度のカロリーベースの食料自給率が前年度から1ポイント低下し37%だったと発表した。平成5年度と30年度に並ぶ過去最低の水準。コメの需要減少や小麦の生産量が落ち込んだことが響いた。新型コロナウイルス禍での外食需要の減少や家庭食の増加は、自給率の向上と下落の両面で影響を及ぼした。
 生産額ベースの自給率は前年度から1ポイント上昇の67%だった。単価の高い豚肉や鶏肉、野菜、果実の生産額が増加した一方、魚介類などの輸入額が減少したため4年ぶりに上昇した。
 政府は2030(令和12)年度にカロリーベースで45%、生産額ベースで75%に引き上げる目標を掲げている。
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💫4}─2・D─5億年前に水没した8番目の大陸「ジーランディア」。〜No.28No.29No.30 

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 2021年8月21日 MicrosoftNews BUSINESS INSIDER JAPAN Aylin Woodward「南太平洋に沈む「第8の大陸」…これまでの知見より2倍古い、10億年前のものだった
 © World Data Center for Geophysics & Marine Geology / National Geophysical Data Center, NOAA 灰色の線で囲まれた範囲がジーランディアを示す。
 ニュージーランドを取り囲む太平洋の下には、ジーランディアと呼ばれる「8番目の大陸」が隠れている。
 ジーランディアの94%は海底に沈んでいるため、この大陸の年代を判別したり、地形図を作成したりすることは困難だ。
 新たな研究によると、ジーランディアは10億年前に形成された。これは地質学者が以前考えていたよりも約2倍古いという。
 南太平洋の深さ約1000メートルの海底に、オーストラリアの約半分の面積に相当する広さ500万平方キロメートルの地殻がある。
 しかし、ジーランディアと呼ばれるこの海底に沈んだ土地が大陸であるかどうかは、科学者たちの間でも意見が分かれている。2017年に地質学者チームが大陸であると宣言したが、すべての研究者が納得したわけではなかった。
 「山や国、惑星といったものと違い、大陸であるかどうか承認する正式な機関は存在しない」と、2017年に地質学者チームを率いたニュージーランドの研究機関GNSサイエンスの地質学者、ニック・モーティマー(Nick Mortimer)がInsiderに語っている。
 大陸の定義についてはまだ議論されているところだがが、モーティマーのチームは、明確な境界線を持ち、100万平方キロメートル以上の面積があり、大陸地殻が周囲の海洋地殻よりも厚く、高い位置にあることを提案している。
 ジーランディアは、これらの条件をすべて満たしている。
 「もし海の水を抜いたとしたら、ジーランディアは海底から高く盛り上がった台地に見えるだろう」とモーティマーは言う。
 彼はジーランディアのことを「最も薄く、最も沈んでいる、最も小さい大陸」だと考えている。
 しかし問題は、他の大陸には10億年以上前の地殻が存在するのに対して、ジーランディアで採取された最古の地殻や岩石は5億年前のものでしかないと、つい最近まで考えられていたことだった。しかし、2021年5月12日に公開された研究論文によると、ジーランディアの一部が、これまで地質学者が考えていたよりも2倍も古いことが判明し、モーティマーの主張を後押しすることになった。
 「今回の研究により、最後のチェック項目が満たされた」と、ニュージーランドの地質学者であり、論文の筆頭著者であるローズ・ターンブル(Rose Turnbull)はプレスリリースで述べている。「我々が大陸の上にいることに、もはや疑いの余地はない」」
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🍠21〗─4─十津川大水害と大規模な山腹崩壊。明治22(1889)年8月。~No.66No.67 

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 現代日本人は、日本中心神話と民族主義を否定するとともに日本民族の心を捨てた。
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 2021年8月21日 MicrosoftNews 毎日新聞「130年前の大水害、記録を現代語訳 紀伊半島豪雨機に10年かけ
 © 毎日新聞 提供 「現代語訳 吉野郡水災誌 十津川村編」(中央)と擬古文で書かれた原本の一部=奈良市で2021年7月19日午後0時16分、田中なつみ撮影
 1889(明治22)年8月、奈良県十津川村で168人が死亡し、村民が北海道に集団移住するきっかけとなった「十津川大水害」を記録した明治の水災誌が今春、130年の時を経て現代によみがえった―。永井書林(同村)の松山京(きょう)代表(56)が現代語訳を手掛け、出版した。村は間もなく、死者・行方不明者13人を出した紀伊半島豪雨(2011年)から10年を迎える。【田中なつみ】
 古い文体の「擬古文」読み解く
 「現代語訳 吉野郡水災誌 十津川村編」(446ページ、税別4500円)で、原本は宇智吉野郡(当時)が編さんし、被災2年後の1891年に発表された「吉野郡水災誌」(全11巻)の十津川編。当時の様子を伝える貴重な史料として知られてきたが、古い文体の「擬古文」で書かれているため、現在は専門家を除き読める人がほとんどいないという。
 松山さんは2011年当時は村内に居住、紀伊半島豪雨を経験した。「9月初めからこれまでに見たことがない異常な量の雨が続き、あちこちで土砂崩れが起きた」。松山さんの家族や住宅に直接の被害はなかったが、ライフラインは途絶え、被害状況もつかめない。ヘリコプターで運ばれる食糧を頼りに、不安な日々を過ごした。
 そんな時、ふと思い出したのが義父宅の本棚にあった水災誌だった。結婚して村で暮らすようになり、村史を学ぼうと手にしたが、擬古文が難しく読むのを諦めた。豪雨を機に一念発起で現代語訳を決意。大漢和辞典を手がかりに、図書館と自宅を往復する日々。水災誌をひもとくと、明治の水害の恐ろしさがよみがえった。
 父を呼びながら濁流にのまれる女の子、北海道移住の際、幼い男の子が山を振り返り故郷を恋しがった場面など、読み進めるうち涙がこぼれた。また、明治の水害と紀伊半島豪雨の土砂災害の発生場所が重なっていることにも気付いた。「二度と災害で亡くなる人を出したくない。この先も、この本を読み継いでもらわなければ」
 10年かかって21年4月、ようやく現代語訳が完成した。松山さんは「明治の先人が見聞だけで作り上げ、後世に伝えようとした貴重な記録。その思いを受け継ぎ、新たな形で伝えていきたい」と話す。
 奈良市のベニヤ書店などで販売中。問い合わせは、永井書林奈良市営業所(0742・77・0758)。
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 ウィキペディア
 十津川大水害は、1889年(明治22年)8月、熊野川(十津川)流域で起きた大規模水害である。奈良県吉野郡十津川郷(現・十津川村)に壊滅的な被害をもたらした。十津川の大水災、熊野川大水害、熊野川大洪水、紀和水害もしくは紀和大水害(紀は紀州紀伊の国・和歌山県》、和は和州《大和の国・奈良県》、なお実際の死者数は和歌山県の方が奈良県より5倍多い)などとも呼ばれる。
 奈良県内の被害
 「明治二十二年八月二十日午前七時 中山は高さ三百六十メートル 幅四百八十メートルにわたって崩壊」……(奈良県吉野郡十津川村高津)
 奈良県吉野郡十津川郷(現・十津川村)では、大規模な山腹崩壊が1080か所で発生。十津川(熊野川)が刻んだ谷を土砂が埋め37か所で天然ダムをつくり、多くの堰止湖が出現。天然ダム決壊にともなう洪水により甚大な被害が生じた。土砂堆積は地形を一変させるもので、河床に堆積した砂礫は平均で30mとの推定がある。この災害は深層崩壊の典型事例として記録されている。
 北十津川村、十津川花園村、中十津川村、西十津川村、南十津川村、東十津川村の6か村からなる十津川郷は、村民12862人のうち死者168人、全壊・流出家屋426戸、半壊まで含めると全戸数2403戸の1/4にあたる610戸に被害、耕地の埋没流失226ha、山林の被害も甚大で、生活の基盤を失った者は約3000人にのぼり、県の役人が「旧形に復するは蓋し三十年の後にあるべし」と記すほどであった。被災者2691人が同年10月北海道に移住、新十津川村がつくられることになった。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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🌌22}─5─日本の複数地点で「海面上昇1m超」…NASAが水位予測サイト~No.113 

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 8月18日20:49 MicrosoftNews 読売新聞「日本の複数地点で「海面上昇1m超」…NASAが水位予測サイト
 © 読売新聞 海面水位の将来予測をまとめたNASAのサイト
 9日に公表された国連の「気候変動に関する政府間パネルIPCC)」の報告書に基づき、米航空宇宙局(NASA)が世界の海面水位の将来予測を特設サイトのマップで公開した。マップでは、日本で今世紀末に1メートル超上昇する地点が複数確認できる。
 報告書によると、世界各国が現在のペースで温室効果ガスを排出するシナリオでは、世界の平均海面水位は今世紀末、1995~2014年平均と比べて56センチ上昇すると予測している。
 マップには世界各地の水位予測が記されており、同じシナリオの場合、日本沿岸の今世紀末の水位予測は、北海道函館市で34センチ、鮎川浜宮城県石巻市)と花咲(北海道根室市)で124センチなどだった。ただし、地殻変動の影響があるため不確かさがあるとしている。
 NASA人工衛星の観測データで海面水位を研究しており、今回初めて報告書を基にマップを作成した。担当者はその意義について「海面上昇で影響を受ける国が気候変動への適応力を高めるため」としている。
 特設サイト(https://sealevel.nasa.gov/ipcc-ar6-sea-level-projection-tool)」
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🌌17}─3─異常気象が世界で猛威、IPCCも警鐘。2021年。~No.74 

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 8月18日19:15 産経新聞「異常気象が世界で猛威、IPCCも警鐘
 ギリシャエビア島で起きた山火事で、消火に当たる消防士=10日(ロイター)
 【ロンドン=板東和正】熱波に起因する山火事や豪雨による洪水などの異常気象が世界各地で相次いでいる。気候変動の影響が指摘される中、国連は、その原因は人類が排出した温室効果ガスであると断定。異常気象を食い止めるために排出量削減などの早急な対応を求めている。
 AP通信によると、ギリシャ全土で3日から記録的な熱波による山火事が多発した。首都アテネ近郊のエビア島ではこれまでに4万9000ヘクタール以上が焼け、6万人を超える市民が避難した。
 ギリシャのミツォタキス首相は9日のテレビ演説で「未曽有の規模の自然災害だ」と強調。「過去約30年で最悪の熱波」(AP)が国内を襲ったことを踏まえ、気候変動が影響しているとの認識を示した。
 大規模な火災は気温が上昇する各地で次々と起きている。イタリアでは南部シチリア島で11日に48・8度が記録され、欧州での観測史上最高気温を更新。同国では7月下旬以降、100カ所以上で火災が発生している。熱波に見舞われた米西部カリフォルニア州、カナダ、トルコでも7~8月にかけ山火事が拡大した。
 気温上昇は大気中の水蒸気量を増やし、豪雨も引き起こすとされる。ドイツやベルギーでは7月中旬、豪雨による洪水が広がり、200人以上が死亡。中国河南省でも同月に300人以上が豪雨で犠牲になった。
 米海洋大気局(NOAA)は今月13日、7月の世界の平均気温は16・73度と142年間の観測史上で最も暑い7月だったと公表。スピンラッド局長は「気候変動の影響で地球が破滅的な道を歩んでいる」と危機感をあらわにした。
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 国連気候変動に関する政府間パネルIPCC)第1作業部会は今月9日に発表した報告書で、産業革命前(1850~1900年の平均)と比べた世界の平均気温の上昇幅が2021~40年に1・5度に達するとの見通しを公表。人類が排出する温室効果ガスが影響を与えていることに「疑う余地がない」とした。
 報告書は温室効果ガスの排出量に応じたシナリオを示し、排出量を今世紀半ばに実質ゼロにすれば81~2100年に上昇幅を1・4度に抑えられると予測。一方で削減策を講じなければ81~2100年に気温が4・4度上昇すると分析した。
 報告書は、10年に1度の熱波が発生する頻度は1・5度上昇した場合には産業革命前の4・1倍、4度上昇では9・4倍に上ると試算。豪雨の発生頻度は、それぞれ1・5倍と2・7倍に、干魃(かんばつ)もそれぞれ2倍と4・1倍になるとした。
 報告書を受け、グテレス国連事務総長は「人類への警鐘だ」と訴えた。
 10月末から開催される国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)では温室効果ガス削減策の強化が大きな論点となる方向で、議長国の英国のジョンソン首相は「次の10年が地球の未来を守るために極めて重要なものとなる」と各国に一段の努力を促している。」
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🌌14}─4─アメリカ西部の巨大貯水池、干ばつで給水制限へ。〜No.60 

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 2021年8月17日18:28 MicrosoftNews AFPBB News「米西部の巨大貯水池、干ばつで給水制限へ
 © Patrick T. FALLON / AFP 干ばつで水位が下がった米ミード湖(2021年7月19日撮影)。
 【8月17日 AFP】米政府は16日、干ばつの影響で西部にある国内最大の貯水池ミード湖(Lake Mead)の水位が極めて下がっており、来年1月から給水制限を開始すると発表した。住民数千万人が影響を受けることになる。
 米国では、気候変動により降雨パターンが変化し、広範囲で慢性的な干ばつが発生している。
 大河コロラド川(Colorado River)を水源とする人工貯水池ミード湖の水位は、貯水容量の3分の1という懸念すべき水準にまで低下している。
 米水資源当局のタニヤ・トルヒーリョ(Tanya Trujillo)氏は、「米西部の多くの地域や、河川の流域全般と同様、コロラド川は加速する前例のない問題に直面している」と語る。
「これらの問題と気候変動に対処する唯一の方法は、利用できる最善の科学を活用し、コロラド川に支えられている土地や地域全体で協力して取り組むことだ」
 来年1月から、1930年代にフーバーダム(Hoover Dam)の建設によってできたミード湖の下流域に割り当てられる水量は削減されることになる。アリゾナ州への供給量は平年に比べて約20%、ネバダ州では7%、国境を越えてメキシコでは5%減少する。
 米地質調査所(USGS)が昨年発表した調査結果によると、コロラド川の流量は過去100年で平均20%減少している。少なくともその10%は地域一帯の気温上昇に起因するとされる。 【翻訳編集】AFPBB News
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🍙33〗─3─給食が作った日本のパン文化…アメリカの小麦が食生活を変えた。昭和25年。~No.212 

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 2021年8月14日 MicrosoftNews FLASH「給食が作った日本のパン文化…アメリカの小麦が食生活を変えた/8月14日の話
 © SmartFLASH
 給食に揚げパン(1950年)
 1950年8月14日、文部省が、東京・大阪など8都市の小学校で、パンによる給食の実施を発表した。日本が戦後の貧しさにあえぐなか、ようやく給食に主食が登場するようになった。
 明治時代から導入されていた給食制度は、第2次世界大戦が終わると、徐々に再開されていく。しかし、戦後の食糧難もあり、なかなか子供たちを満腹にさせることができない。アメリカから送られてきた脱脂粉乳に加え、おかず一品を提供するのが精一杯といった状況だった。
 歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
 「戦後すぐの給食は主食の提供がむずかしく、生徒たちが家から持参することもざらにありました。1950年、アメリカからガリオア資金(占領地に与える援助)で小麦粉が送られたことで、パン、脱脂粉乳、副菜の完全給食を出せるようになったのです。
 以来、日本の小麦輸入量は劇的に増えていきます。ただ、1951年の講和条約によって日本が独立したことで、ガリオア資金は中止され、いっとき給食は存続の危機に陥ります」
 日本政府は、小麦への半額補助で、これまでどおり給食を提供していくと表明する。一方で保護者の負担も増え、学校給食の中止さえ議論されるようになった。
 「1956年、アメリカの余剰農産物に対する日米協定が結ばれ、アメリカは日本に小麦10万トンと、学校給食用の小麦を定期的に送るようになります。日本は給食でアメリカ産の小麦を使ったパンを出し続け、子供たちの食事を確保しました。
 実は、大戦後のアメリカには農作物が大量に余っていて、日本が新しい市場と目された面もあります。実際に、1976年まで給食の主食は基本パンのみで、コメは意識的に排除されました。1970年代、国が減反政策をおこなうほどコメが余ったことをきっかけに、ようやく給食にコメが登場するようになったのです」
 パン食が当たり前になるにつれ、国内のコメの消費量はどんどん下がっていった。食料需給表によると、1962年度の118.3kgをピークに減少し、2019年度には53kgまで落ちている。
 日本人の食文化が大きく変わった背景には、間違いなくアメリカの戦略が存在したのだ。
 写真・朝日新聞
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